愛の座敷牢

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祝福されるべきリスタート地点 ヒトリエ『PHARMACY』ディスクレビュー

 

 買ったか? 

 聴いたのは当然として、ちゃんと買ったか?

 通常盤でもいいから買え まずそこからだ

 

 

 とりあえず買った前提で話すが、結論から言うと本当にとんでもないアルバムである。

 冗談抜きで、現時点で今年リリースされたアルバムで一番聴いてる。なんならこれまでリリースされたヒトリエのオリジナルアルバムすべての中でも、好みで言えば相当上位に位置する。マジで凄まじいアルバムが出てしまった。世間はもうちょっとこのアルバムについて騒ぐべきです。あと数か月で終わる2022年に今後、これ以上があるとも思えません。

 断言しても良いが、もしも僕がレコード大賞の審査員ならこのアルバム聴いた時点でそれ以降のリリースを全てシャットアウトして、このアルバムの収録曲をノータイムで全て大賞に認定する。マジで何やってんだろうなレコード大賞の人。もしかして目も耳も節穴か?

 

 前作「REAMP」から1年4ヵ月の期間を空けて、今年の6月にリリースされたこの「PHARMACY」だが、すでに発売から一か月が経過しているというのに全く聴き飽きることなくリピート再生している。他の好きなアーティストの新譜が出て、一時それを繰り返し聴いても結局はこのアルバムに戻ってくる生活を続けている。本当に聴くものに困っても、困らなくてもとりあえずこのアルバムの再生ボタンを押している。Apple Musicの画面をスクロールする指先がこのアルバムのジャケットで自然とストップする。完全に中毒である。と、今書いてて思ったがPHARMACYってもしかしてそういうことだろうか。あの、「クスリ」って表記するタイプのお薬を処方しているのだろうか。

 とにかく聴いていて気持ちのいいアルバムである、と書くと前の文とのつながりで僕がヤク中みたいになるので少し表現を変えるが、聴き心地がいい、とでも言おうか。このアルバムを一言で表すなら、聴きやすく、心地いい。これに尽きる。これまでにリリースされたヒトリエのアルバムの中でも断トツで聴きやすい。そういう意味ではこれまでのヒトリエと全く異なる雰囲気の一枚なのだが、それでもちゃんと今の「ヒトリエ」のアルバムへと違和感無く仕上がっている。

 屋台骨だったwowakaがいない体制でリリースされたアルバムである以上、今までヒトリエを聴いていたリスナーからは勿論賛否あると思うが、これからヒトリエを聴く、今のヒトリエに触れるとするなら、これ以上の回答は無いのではないか、と思うくらいに良いアルバムである。一度は背骨も脳も心臓も失ってしまったはずのロックバンドが、未だ絶えず呼吸を、そしてこれだけの邁進を続けている事実に感動を通り越して戦慄すら覚える。そういう意味でも、今の3人の地力を思い知らされる一枚と言える。

 

 切り裂くような鋭いサウンドと、超高速な言葉の羅列による情報量の激流で聴覚を殴りつけ、リスナーを思うがままに激しく飛び跳ねさせる音楽がこれまでの彼らが培ってきた持ち味だったとするなら、今作はどことなく浮遊感のあるサウンドで「揺らす」ような楽曲が目立つ。その象徴ともいえるのがアルバム一曲目の「Flashback,Francesca」である。

 

Flashback, Francesca

Flashback, Francesca

  • provided courtesy of iTunes

 

 名曲揃いなのは重々承知しているが、それでも全体通してこの曲が一番好きかもしれない。とんでもない曲である。あまりにも気持ちよすぎる。この記事を執筆している現在、僕はまだ彼らの新しいライブツアーに参加出来ていないのだが、早くライブハウスに行ってこの曲で思うがままに踊りたくて仕方ない。聴いているだけで勝手に身体が揺れる。

 浮遊感のあるコーラス、どことなくボイパのような雰囲気のハイハット、音量も絞り気味に控えめにならされるギター。ジャンルとしてはダンスミュージック、もとい「サイケ」らしく、曲を書いたシノダも電気グルーヴなどから影響を受けたことを公言している。こういう、あまり馴染みのないジャンルの音楽を自分の好きなアーティストによる解釈によって提示されることで、「ああ、自分はこういう感じの曲も好きなんだな」という気づきが生まれることがたまにあるが、「Flashback,Francesca」はまさにそんな曲である。

 つかみどころの無い歌詞やメインボーカルとコーラスの見事な調和ぶりから、なんとなくフレデリックあたりが歌っていても映える曲だとも感じるが、ボーカルを兼任するようになって歌唱力が目に見えて向上したシノダの滑らかな高音が、今のヒトリエでないと出せない味わいに仕上がっている。今回のアルバムで改めて実感したが、シノダボーカルの伸びしろがヤバすぎる。配信ライブを重ねるごとに指数関数的に歌が上手くなっている気がする。

 今作はこの「Flashback,Francesca」を始めとして、シンセを効果的に使用した曲が目立つ。wowakaが作った曲の中でも「RIVER FOG,CHOCOLATE BUTTERFLY」そして「SLEEPWALK」あたりがかなり好きな自分は肯定的に受け入れているし、これがライブだとどういうスタイルで演奏されるかも楽しみにしている。ただ完全にこっちにシフトされるのも寂しいよな~と思っているうるせえリスナーも

 


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 黙らせる音楽をちゃんと提示してくるのが素晴らしい。とはいえこの「ゲノゲノゲ」もこれまでのヒトリエの得意技かと言われれば、それもちょっと違う気はする。どう違うか、と言われると説明が難しいが、歌詞と言い楽曲自体の雰囲気と言いどことなくアングラな、もっと端的に言うと「B級臭」がする。シノダ自身もTwitterで「ドンキホーテで流れているような曲」みたいなツイートしていたのでこの解釈は間違っていないと思う。コミカルなロック。

 ぶっちゃけ初めて聴いた時はそこまで印象に残らなかったが(「Flashback,Francesca」の衝撃が凄すぎたのもある)何度も聴いているうちにこの曲も相当ぶっ飛んでいるよなあ、と思わされた。3人体制になってリリースされた曲で、もしもこの曲がwowakaボーカルだとしたら合わないかもな、と思わされる曲はそう多くは無いが、この「ゲノゲノゲ」に関してはwowakaボーカルがまったく想像できない。間違いなく歌詞のせいである。地に足が着きすぎている。

 

AからZまで息を吸っても吐いてもパチこかす

どいつもそいつもやっぱりそうだよこんなの

下の下の下の下の下の下の下の下

ゲノゲノゲ――ヒトリエ

 

 サウンドや間奏の巧みさ、歌詞の詰め込み具合からは従来のヒトリエらしさも感じるが、とにかく歌詞そのものがびっくりするほど吹っ切れている。これまで積み上げてきた少女性を帯びた世界観も、このゲノゲノゲのような世界観もすべて「ヒトリエ」になっていくと思うと、これからのこのバンドが楽しみで仕方ない。

 

「Flashback,Francesca」から「ゲノゲノゲ」と続いての三曲目がこの「風、花」である。後述する「3分29秒」以来のアニメタイアップ曲だが、はじめて聴いた時はあまりのポップさに面食らった記憶がある。

 


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 薄黄色のストラトキャスターを握って歌う爽やかなシノダを観たかったかと言われればそれはまあ、観たいと思ったことは無かったが、インタビュー記事を見る限りどうやらこの曲を作ったことで「吹っ切れた」らしく、個人的にも現体制の有していた「箍」が外れた曲だと感じる。この曲がこの位置にあることで、このアルバムおよびバンド自体の振り幅が劇的に広くなっている。

 この曲はゆーまお作曲らしく、今作収録曲ではこの曲以外にも「電影回帰」と「ステレオジュブナイル」を彼が作曲しているが、今までwowakaに隠れていただけでこの人も相当なセンスを有しているんだなあと、前作での作曲曲含めて思わせられる。ポップソングの適性が極めて高い。やはりこれまで様々なアーティストをサポートとして支えてきた経験値のおかげだろうか。どの曲も本当に聴きやすい。

 

 この現ヒトリエの転機点となった「風、花」を過ぎ、アルバムは「Neon beauty」そして「電影回帰」へと続く。この2曲はこれまで以上にシンセの音が前面に出ており、どことなくサイバーチックな雰囲気を感じる。特に「電影回帰」の方はその傾向が強く、歌詞とシノダ自身のルーツも相まって、前時代インターネット文化への郷愁、というのをどことなく感じる。

 シンセもそうだが、2曲ともボーカルの声が目立つしっかりとした「歌モノ」であり、とくに「Neon beauty」の方は個人的にもかなり好きな歌メロである。サビがとても心地いい。あとサビの裏で鳴ってるベースが気持ちよすぎる。何? 「Neon beauty」に関しては聴くたびに発見があって、初めて聴いた時と今では聴いているときのテンションが全然違う。最高

 そして、この2曲でヒトリエの「新境地」というものを存分に見せつけた後につながる「Flight Simulator」の圧倒的な爽快感! 

 

Flight Simulator

Flight Simulator

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「電影回帰」がこのアルバムにおける数少ないバラード枠ということもあって、輪をかけてこの疾走感が身に染みる。やっぱりヒトリエと言ったらこの有無を言わさず演奏力と情報量と勢いで殴りつけてくるサウンドの暴力である。実家に帰ってきた感じがする。この曲も最高に好き。右腕に歌詞全部彫りたい。

 サウンドもそうだけどこの曲は本当にメロディに対する歌詞のあてはめ方が本当に良い。特にラスサビ前の「不条理、大義、真理、勧善懲悪に正統性」は天才的である。あとサビの「フ~ゥ~」めっちゃ好き。文字に起こすとなんかバカみたいでやりたくないけど、好き。この曲もライブで披露されるのが待ちきれない。本当に楽しみである。絶対カッコいい。

 そしてその勢いを殺さずに繋がるは7曲目の「3分29秒」! この流れを初めて聴いた時はあまりのカッコよさに頭を抱えてしまった。

 


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 この曲については歌詞も音も当時のがむしゃらだった彼らをそのまま表しているので、あくまでアルバムレビューであるこの記事で特別に何かを語るのも無粋だと思うし、いずれ「wowakaがいたヒトリエとその思い出」については単品で記事にする予定である。その時にまたこの曲についても存分に記述すると思うのだが、アルバム収録曲としてのこの曲を考えると、「風、花」とこの曲が同じアルバムに違和感なく収録されているのもよくよく考えればとんでもないことだよな、と改めてこのアルバムのサウンドの幅広さ、多彩さに舌を巻く。

 どちらもアニメタイアップ曲として考えれば同じなのだが、サウンドの有する雰囲気としては正反対と言っていいほど違う。現体制におけるポップとロックの両極端が違和感なく並んでいる。聴いていて両曲の温度差で風邪を引くこともなく、さもそこに並ぶのが生まれた時から決められていたかのように馴染んでいる。これは紛れもなく「風、花」から「3分29秒」までの流れの秀逸さが為せる技であり、この周到に練られた曲順も間違いなく、このアルバムの完成度を高次元のものとしている要素の一つであろう。それを如実に表しているのがこの流れからの8曲目、先行配信もされた「ステレオジュブナイル」である。

 


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 この曲は単品で聴くのとマジでアルバムの流れで聴くのでは別物なので、これを踏まえてもう一回聴いてほしい。この記事で一番言いたいのはここです。このアルバムの流れで聴く「ステレオジュブナイル」は相当ヤバイ。「Flight Simulator」→「3分29秒」→「ステレオジュブナイル」の流れはすばらしいと古事記にも書いてある。古事記はもうオタクに余計なこと書かれ過ぎて原文読めなくなってそう。かわいそう

 この位置での「ステレオジュブナイル」は本当に大団円感が素晴らしい。前二曲で綺麗に弾け飛んだフラストレーションの隙間に、違和感なく入り込む良質なポップス。こんなん聴いてくれんの俺だけじゃないよ、俺だけであっていいはずがないよ 世間がおかしいよ

 

 この大団円で終わっても何の文句も無いのに、このアルバムは贅沢なことになんとあと2曲も収録されている。あまりにも豪華すぎる。アルバム名を「振り込めない詐欺」に変えたほうがいい

 9曲目「strawberry」もまた一筋縄ではいかない曲である。初めて聴いた時の印象は、「5~6曲目っぽい」だった。というか今でもあまり変わらない。最後から二番目、って感じはしない。ただあの怒涛の連撃のクールダウンとしてこの曲を聴くとめちゃくちゃしっくりくる。

 この曲からは三人体制になってようやく出来た「余裕」のようなものを感じる。ここまで肩の力を抜くことが出来ました、ということをリスナー側も実感することが出来る一曲。伸び伸びとした雰囲気が心地いい。他の曲よりもかなり隙間が印象的であり、そういう意味でもとても聴きやすい感じに仕上がっている。それでも間奏のギターは変わらずいいソロを弾いているし、メロディそのものも手抜きは無い。この先のライブで、ふとした瞬間に不意打ちで披露されて静かに上がりそうないぶし銀な一曲である。

 

 そしてアルバムの最後を締めくくるのは、どこか夕暮れのような寂寥感を感じさせながらも、視界が隅から隅まで開けるような開放感、壮大さを内包するロックバラード「Quit.」である。このアルバムでは唯一のイガラシ作曲のナンバー。前作「REAMP」に収録された「イメージ」も相当な名曲だったが、この曲も甲乙つけがたい傑作である。改めてこのバンドが化け物揃いであることを思い知らされる。

 

Quit.

Quit.

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 僕がこの傑作揃いのこのアルバムの中で、敢えて好きな曲を3曲あげるのなら、「Flashback,Francesca」「Flight Simulator」そしてこの「Quit.」である。ただ、前二曲は完全にサウンドで選んでいるが、この曲に関しては歌詞のウェイトがかなり大きい。

 

スピードに魅せられて

燃え尽きてしまえばいいさ

何もかもが過ぎ去ってゆく

それでも君に夏は来る

泣けど叫べども

僕達の影すら残さないよ

残さないよ

Quit.――ヒトリエ

 

 今作で一番好きな歌詞がこの曲のこのサビ部分である。ロックバンドの書く歌詞として、これほど理想的だと感じるのも珍しい。どことなくハヌマーンの名曲「RE:DISTORTION」を思わせる諦念も感じるが、あちらと違ってほんのりと希望も見られるのがミソである。これは個人の解釈だから何とも言えないが。

 この「PHARMACY」は全部通しても36分と、フルアルバムとしてはかなりスッキリとした再生時間となっており、これもこのアルバムが聴きやすい理由でもあるのだが、通しで聴いた体感では表記された時間以上に早く聴き終わる気がする。「Flashback,Francesca」を流し始めたと思ったら、いつの間にかこの「Quit.」にたどり着いている。それでも確かな満足感とともにこのアルバムを聴き終わることが出来るのは、それぞれの楽曲の密度の高さもさることながら、この曲の一際強い存在感も大きい。

「目眩」や「MIRROR」「ウィンドミル」などとはまた異なる、新たなフィナーレを味わわせてくれる曲が増えたな、という印象を受ける。これも生で聴くのがとても楽しみ。

 

 

 ロックもポップもダンスもEDMもバラードも貪欲に詰め込んだ上で、非常に無駄のないすっきりとした構成で纏められており、その多彩なジャンルによるふり幅の広さの両極端をアニメタイアップ曲の「風、花」「3分29秒」がそれぞれ適度に離れた位置で担うことで、全体の主軸がブレることのない、芯の通った一枚へと仕上がっている。

 再生時間のコンパクトさも相まって空いた時間にも気軽に聴けて、通して聴いた際の満足感も申し分なし。それでいて収録曲もそれぞれ個性に溢れていて聴きごたえのあるものばかりが揃っている。取り上げるべき瑕疵が一つも見当たらない快作である。

 

 前作の「REAMP」とこの「PHARMACY」、どちらが好きかと言われると非常に悩ましい。双方ともにCDが擦り切れた後も聴ける大作である。だが、あえて言うなら、今の3人体制のヒトリエの象徴として相応しいのは「PHARMACY」の方かなと思う。

「REAMP」はヒトリエというバンドを、三人体制となったこれから先も続けていく、の決意表明のアルバムだとすれば、彼等にとってはこの「PHARMACY」こそが、本当の意味でのスタート地点なのではないだろうか。

 

「IKI」「アンノウン・マザーグース」そして「HOWLS」と続く中で、ヒトリエというバンドはwowakaという1人の人間の作品を出力するデバイスの一つではなく、4人がそれぞれの個性をぶつけ合い昇華させる一つの群体へと進化してきた。単に「ひとりアトリエ」を略した「ヒトリエ」ではなく、あらゆる「一人」に向けた音楽を創り出す存在へと。

 だから現体制のヒトリエの「全員が楽曲そのものを作成する」というスタンスには、たとえwowakaが現在も生きて変わらずバンドを続けていたとしても、遅かれ早かれたどりつくことになっていたと思う。それがあまりにも早くやってきてしまった現在だからこそ、改めて3人の音楽のセンスと素養、そしてこれまで積み重ねてきた経験値と、これから先の覚悟を思い知らされる一枚に仕上がっている。その事実がまるで自分のことのように誇らしい。

 

 wowakaの夭折を呪縛とせず、忘れもせず、彼と音楽をやっていたこれまでを地力にして、これまでのヒトリエとは違うまったく新しい境地に至っている。そんな彼ら3人の姿に敬意を表して、このアルバムを「祝福されるべきリスタート地点」と評したい。間違いなく、今年を代表する傑作であると確信している。