コロナ禍、第七波。お盆休みの最中だろうが世間は未だこの未曽有の病禍から抜け出すことが出来ず、開き直りと諦念と閉塞感の闇鍋のような空気が国内全体を満たしている気がしないでもないが、皆さんはいかがお過ごしだろうか 僕はと言えば、今度行くライブのチケットの発券も交通機関の予約もめんどくさがって惰眠を貪っております
コロナ禍とはいえかれこれもう3年目、当初はあれだけ圧力の強かった自粛ムードも完全になりを潜め、マスク必須・声出し厳禁がデフォルトとなったもののロックバンドは以前のように新しい音源を引っ提げて全国を周り、そのファンも同じくなけなしの銭を叩いてライブを鑑賞する、数年前の非日常体験が以前のような形に戻りつつある。それについて賛否はあるだろうが、頭のいい人が考えた感染対策をしっかりやっていれば感染の爆発はそうそう起こらない、というのはこれまでで立証されたことであり、今ロックバンドが国のガイドラインを守った上でライブをやることに関して、個人的な抵抗は全くない。
さすがにもう慣れたが、コロナ禍の中での声出し厳禁のライブはとても静かである。コロナ禍前はあれだけわーぎゃーウオオオ騒いでいた観客も、どこにそんな理性を隠し持っていたんだと驚いてしまうほどに静か。故に、前以上にライブに集中できるのは事実である。バンド側からすれば寂しいかもしれないが、どこのどなた様かもよくわからない歓声は、客側からすればわりと純粋にノイズだったのかもしれない。なんて、そういう元も子もないことを考えたりしている。
ライブハウスが静かになった今、ふと考えることがある
数年前に存在した、曲間・MC前などの暗転中に、ステージ上の演者の名前をドン引きするくらいデカい声で叫ぶ、あの人たちは一体なんだったんだろうか、と
「○○~~~~~~~~!!」「△△さ~~~~ん!!」「□□ゥ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッ」
(記号の中に好きなアーティストの名前を入れてあそぼう! 手軽に殺意がわくぞ! 俺だけか?)
暗転中、次の曲への準備をしている演者に向けてクソほどデカい声で名字や名前を叫び、時に他の観客からの失笑を買い、時にステージ上から地味にネタにされる、どこのライブハウスに行っても一定数は存在するあの謎の一群は今何をしているのだろうか。というかあの文化は一体何だったんだろうか
僕は前からあの暗転中にわーわー叫ぶ文化がどうにも苦手で、特に演者の名前を不必要にデカい声で叫んだり、何かギャグっぽいこといって盛大にスベったりする人を見るたびに強い共感性羞恥に陥るのでさっさと出禁にしてほしいと思っていた。ただまあ流石に僕みたいな客ばかりだと、ほぼすべてのライブがお通夜になってしまうので多様性は認められるべきだとは思う。思うが、根っこの部分でどうしようもなく不快感がある。もうこれは仕方ない。どうしたって相容れないものは相容れない
率直な疑問として、なぜ暗転中に叫ぶのだろうか。
それも「うおー」とか「きゃー」とか、そういう理性で抑えきれずに魂から漏れ出てしまった純度の高いスクリームではなく、ステージの上に立つ人の名前を、少しも濁すことなく、むしろちょっと会場のウケすら狙っておもしろおかしく叫んでいるのは、苦手以前にちょっと怖くないですか、普通に 自分が認知してない接点の無い人が自分のこと嬉々として大声で呼んでたら普通に怖いですよ そもそも日常生活において自分の名前すら知らない誰かの名前を大声で叫ぶことある? ないよね? そう、ないんですよ
普通絶対やらないことをさも当然のことのように行っているその精神が非常に、極めて、尋常ではなく、鬼のように怖い
例えば、貴方が電車に乗っていたとする。
貴方は片手でつり革を掴み、もう片手でスマホを触っている。パズドラをプレイしている。ゴッドフェスで目当てのキャラクターが出ずに苛立っている貴方の正面に、恰幅の良い成人男性が座っている。当然、貴方はこの成人男性のことを欠片も知らない
その成人男性が突如、あなたを指さしてあなたの名前を嬉々として連呼し始めたらどうだろうか。突然大きな声をあげて貴方に向けて手を振り、貴方のパズドラでの指さばきにバカデカい歓声を上げていたらどうだろうか。電車内の周りの人々はその空気に耐えられず、顔を引きつらせながらあなたと成人男性を交互に見ている。成人男性はそんな視線を少しも意に介さず、貴方に手を振り続けている あなたの指さばきを神業だと褒めたたえ続けている まるで大げさなリアクションがウリの海外ユーチューバーのように
その時あなたはうれしいだろうか。光栄だろうか。
何を思うにしてもまずは「怖い」なのではないか。手を振り返したりにこやかに笑って見せる前に、その成人男性の精神状態を疑うのではなかろうか。パズドラのフレンドコードを交換する前に警察へのご一報を検討するのではないだろうか
そのくらい見知らぬ成人男性の一方的な認知は恐ろしい 尋常ではないおそろしさ
そんなおそろしい存在と成り果てたことを知らず行くライブ行くライブで不可視のしっぽをぶんぶんと振りながら、ステージ上の演者の名前を叫ぶ人間のおそろしきこと もはや彼らは自分を化け物と認識していないタイプの化け物である。まるでそれが当たり前であるかのように振舞っている。その何の迷いもない叫び声が俺を恐怖に陥れる もしかしてマンドラゴラなのか? マンドラゴラの生まれ変わりなのか? じゃあ仮に、マンドラゴラだとしよう
マンドラゴラもしくはマンドレイクと呼ばれる植物は実在する植物であり、古くから薬草として用いられてきた歴史がある。ただ、現代ではむしろいろんな創作物で用いられる影響もあってか、魔術や錬金術などで時折用いられる伝説・伝承上の存在としてのイメージが強いと思われる。地中で複雑に根を張っているこの植物は伝説によると、引き抜くとものすごい声で叫び散らかして、引っこ抜いた人間を即死させるらしい。
当たり前だが、植物をひっこ抜くためには植物を見つけなければならない。つまりは必然的に、それを認識すること、認知することとなる。
興味を惹かれてマンドラゴラを抜いてしまった、つまり無数の歓声のうちのひとつを個として認識してしまったバンドマンは、その本当の叫び声を聞いて死ぬ。マンドラゴラたちはバンドマンの生命を狙っている。故に、他の観客のことなどどうでもいい。ただ引っこ抜かれるために、興味をこちらへ向けるために、認知を得るために、そして向けた興味の先で確実に命を奪うために彼らは叫ぶ
ここでの「死ぬ」とは本物の命ではなくアーティスト生命のことである。マンドラゴラの叫びに耳を傾ければ傾けるほど、ロックバンドとしてのミステリアスさ、神秘性はくすみ、失われ、やがてファンとの関係も馴れ合いじみた薄っぺらいものとなっていき、そしていずれ誰からも見向きもされなくなる。ライブステージ上のロックバンドと観客の心は、一定のラインで断絶されているべきだ。適切な距離感こそが、最高のパフォーマンスを生み出す秘訣なのだから。
もしも、億が一このカスみたいな記事を読んでいるバンドマンがいたら俺からのお願いはただ一つ。もしもこの先声出しが解禁されたとしても、暗転中に名前を呼ぶ声は全部無視してほしい。変にデカい声を出しておもくそスベってるやつを個々に助けようとしなくていい。あいつらは貴方達を殺そうとしている。あんな奴らは声がデカいだけのバイオ兵器である。どうか、ロックバンドの有する神秘性を大切にしてほしい。
ってな感じで、ライブハウスで演者の名前を叫ぶ人を一方的にマンドラゴラだと決めつけ、バンドマンに危機管理意識の向上を促す記事として終わってもよかったのだが、書いているうちに僕は、ある事実に気が付いてしまった。
"もしも、億が一このカスみたいな記事を読んでいるバンドマンがいたら俺からのお願いはただ一つ。もしもこの先声出しが解禁されたとしても、暗転中に名前を呼ぶ声は全部無視してほしい"
先ほど他でもない僕自身が記述したこの一節だが、ちょっと考えてほしい。
結局これも一種の「認知を求めている」行為に他ならないのではないか? もしかして俺もマンドラゴラだったのか?電子の海でバンドマンに向けて叫び、あわよくば認知を求めているインターネット・マンドラゴラだったのか?
ああ、思い返せばカッコいいMVを見るたびに「人生」、エロティックなライブ映像を見るたびに「性癖」、アーティスティックなアー写を見るたびに「顔が良い」と叫んでいた気がする 否、叫んでいる いつも叫んでいる むしろ対象のお名前を親御さんの許可も取らずにフルネームで叫んでいる エクスクラメーションマークを不必要に無意味に湯水のように連打している。しまいには一人称を「オタク」に変え、主語を勝手にデカくすることで自身に降りかかる罪の意識さえも軽くしている 一定の理性を有した上で理性を失ったように振舞っている。あまりにタチが悪すぎる。きっと生まれながらにしてなんらかの逮捕歴が有る ナチュラルボーン犯罪者
現実とインターネットの境界がコンドームほどにまで薄くなってしまった現代において、インターネットで叫ぶのと現実のライブで叫ぶのは出力先が自分の声帯かSNSかという部分しか変わらない 気付いてしまった、俺も無意識のうちに認知を求めていたインターネット・マンドラゴラだったのだ。ライブハウスのマンドラゴラがステージ上の演者に向かって名前を呼ぶように、インターネットのマンドラゴラはネット上で演者への愛を叫ぶ 匿名性のメリットを最大限に利用して、パブリックな空間にアブノーマルな感想を工業廃水のように垂れ流す。ダイレクトに生身の身体に届くとはいえ、その場で演者の記憶からも消え失せなかったことになるマンドラゴラの叫びよりも、消さない限り、場合によっては消してもインターネットに残り続けるインターネット・マンドラゴラの叫びの方が、考えようによっては有害に思える。
ライブハウスで唾を飛ばして演者の名前を絶叫する観客を、かなしきマンドラゴラだと冷たい目を向けていた俺もまた、かなしきマンドラゴラだった、その事実に衝動的にTwitterのアカウントを削除して首を吊りたくなる 俺は、なんて恥ずかしい真似を――――
罪の意識に気付いてしまったらすることはその場しのぎの懺悔ではない、迅速な自身の矯正である。1分1秒の正しき判断が毎日求められる現代社会に約7年間揉まれ続け、いい加減そろそろピチピチの新人から逞しき中堅へと羽化をしつつある、職場を代表する期待の成長株であるわたくしは、爆発的成長の過程でその真理を掴みつつあった
今ここで懺悔をしても仕方がない。今自分が出来る贖罪は、アーティストに一切の害を与えず、そして何より自分自身が自分を誇れるようになること――そう確信したわたくしは、すぐさま自身のSNSの運用の見直しを開始した。そして手始めに、アーティストにリプライを送ることを辞めた。アーティストの日常ツイートに共感のリプライをするように見せかけて、自分語りをする恥ずべき己を改めた。
次にアーティストのツイートをRTすることもやめた。そのうちいいねも辞めた。その行動全てが自分自身の潜在的な欲求を満たす行為だと気が付いてしまったからだ。
そのうちアーティストのアカウントのフォローも外した。CDやライブDVDやグッズを買うことも止めた。そもそも認知することを止めた。そしてとうとうアカウント自体を削除し、あれほど好きだったSNSそのものとお別れすることにした。そのアーティストの情報を出来る範囲で全て遮断したのだ。今はもう、過去の熱狂的で一方的な愛の叫びだけが、ブラウザのキャッシュに微かに残っているだけ
そして、いままでアーティストの応援に使っていたお金は、全て自分磨きに使うようにした。身だしなみに気を使い、オシャレを勉強し、肉体を鍛え上げ、全身を脱毛し、整形にまで行った。どこに行くにも何をするにもバンドTシャツとファストファッションブランドのジーンズときたねえスリッポンを身に付けていた、全身から負け組の臭い漂うひょろひょろのゴボウのような社会不適合者はもう、どこにもいない。そこにいるのは、頑強な肉体と端正な顔立ちを有し、流行りのファッションブランドを華麗に着こなした、ユニバーサルでグローバルでイノベーティブな活躍が期待される、これからの日本の未来を背負うイケイケの全身ツルツル横浜流星である
こうしてわたくしは、アーティストにとって害のない吉沢亮となったのだ
キミも俺のような、自他共に誇れる綾野剛にならないか?
手記は、ここで途切れている
この名も無き成人男性はアーティストに害のない人間になろうとするあまり、ファンであることすらやめてしまった。こいつはもう、ロックバンドとは何の関係も無いただの勝ち組である。俺は人の成功体験を聴くのが何より苦手だ。勝ち組の話を聞くだけで虫唾が爆走する バンド側からしても、まだライブハウスで恥ずかしげもなく演者の名前を絶叫する悲しきモンスターの方が、応援する意思がある分いくらかマシだろう
畢竟、誰のどんな形の言葉であれ、それをどう拾い上げるかなんてその当人が決めることであり、その反応に解釈違いを起こそうとそれ自体に異議を申し立てる権利は全くない。僕がライブの暗転中にデカい声でアーティストの名前を叫ぶ人が苦手なように、僕のネット上でのリアクションにひどい嫌悪感を覚える人もいるだろうし、それに対して何を思うかはその対象であるアーティストによる。例え僕らが悲しきマンドラゴラであれ、法に触れない、大多数の人間の迷惑にならない範囲で、自分の好きなように声援を送る分には誰に何を咎められる筋合いも無い。その応援への返答によってアーティストの格が落ちてしまうのは、ファンではなくアーティストの責任である。
なんで俺はこんな当たり前の話をバカみたいな文字数を重ねてやってるんだろう 何をそんなに叫ぶことがある? 筋金入りのインターネット・マンドラゴラだからか? 現実に居場所がない悲しきモンスターだからか? ああイライラしてきた、マジでイライラする ほんとにイライラする こういうときはライブハウスで思う存分踊り狂うに限るぜ 合いの手もいれちゃお
声出しアリのライブそろそろ恋しいね 以上、マンドラゴラでした