愛の座敷牢

【無料版】

これまでのわたくしの企画文を勝手に振り返ろう

 

 これまで何度か参加させて頂いていた、UNISON SQUARE GARDENのオリジナルアルバムをもとにしたナツさんによる文章執筆企画が、一旦アルバムの完走とバンドの活動休止を持って終了となりました。これまで狂気のデスゲームおじさんだのルーレット甲子園地区予選敗退の実力だのもう才能無いからルーレットやめろだの、いろいろと好き勝手に申しておりましたが、まずはお礼を。UNISON SQUARE GARDENの楽曲と真摯に向き合える、楽しい時間を、企画をありがとうございました。

 

 せっかくなのでこれまでに書いた記事を全部振り返るやつをやります。

 前置きここまで、以下history

 

 

 

 

 ゴリラ・ピクルス・己

 

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 寄稿企画:MODE MOOD MODE SENTENCE

 担当楽曲:MIDNIGHT JUNGLE

 

 記念すべき最初の企画文。純度の高いゴリラ。

 今後も(コンゴだけに)この記事では幾度となく記事そのものに対して「ゴリラ」という形容が頻出すると思うので一応説明するが、当方は担当する楽曲に対する解釈を勢いと文字数だけで突っ走って何とか誤魔化そうとしている記事を、毛深くパワーがある(密度が高く勢いがある)という意味合いを込めて便宜上「ゴリラ」と称している。決して実在する霊長類を小ばかにするような意味ではないことはご理解頂きたい。

 自認静謐甘美秋暮叙情とか、ウホウホゴリラパーセカンドとか、後々まで尾を引くことになる不純な物質、不純物を混入させてしまってはいるものの、基本的にはシンプルな楽曲紹介の構成となっているため、そういう意味では非常にオーソドックスな記事といえる。そう考えると最初にふさわしい出来栄えと言えなくもないか。ちなみに俺は未だに自分のテーマソングを静謐甘美秋暮叙情だと思っている。風呂上がりに鏡とか見ると特にそう感じる。何だその目は、記事にするぞ

 ミッドナイトジャンゴリラとかいう、ある日Twitterに突如君臨したパワーワードからついぞ抜け出すことが出来ず、結局数日間ゴリラが脳裏を支配したまま執筆作業と向き合うことになり、普通にストレスだった。自分が希望してこの曲の記事を書いているならまだしも指名制である。慰謝料を請求したい。流石に時効か。

 もともと「MIDNIGHT JUNGLEを聴き続けるうちに日ごとにゴリラと化していく東大生」といった、逆『アルジャーノンに花束を』みたいなネタからプロットをスタートした覚えがあるが、スタート地点である『東大生』の頭を肝心の自分がまったく再現できないことに気付きあえなく断念、その後紆余曲折あって結果的にこのような着地に落ち着いたという、敗北者の経緯がある。こういう本当に書きたいことが書けないみたいな羽目になるから学業は大切だと、義務教育の段階で気付くべきだった。UNISON SQUARE GARDENは俺にいつもこんな感じで手遅れの事実ばかり教えてくれる。嫌なバンド!

 書き上げた当初は「なんだこれ」と思ったし真面目に公開するのが恥ずかしくて仕方が無かったが、今になって読み返すと現在の自分が多少なりとも失ってしまった元気さを感じられるようで、返って魅力的に感じる。不思議。曲のことを存分に語った後にMicro Paradisoごっこをしてなんやかんややっておしまい、というルートを明確に作ることが出来ていたのが大きいのかもしれない。

 まあ結局この記事でやっていることって、米津玄師の曲を一時停止しながら日本人向けに大げさなリアクションして再生回数稼ぐ外国人リアクション系YouTuberとほとんど一緒だからな。その後に謎にスピってるだけ。スピリチュアル系インフルエンサーゴリラの記事。いくらなんでも胡散臭すぎる。胡散が腐敗している。

 

 

 

 

『恋する惑星』とかいうよく分からないチャラい曲と向きあった日々

 

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 寄稿企画:Ninth Pencil

 担当楽曲:恋する惑星

 

 問題児。忌み子。一番しんどかったやつ。二度とこの曲と向き合いたくない。自分以外の誰がこの記事をどう評価しようと他でもない僕は本当にろくな思い出が無い。未だにNinth Peelという素晴らしいアルバムの中でこの曲が一番良く分からないし、晩年の(晩年の、とかまだ言わない方がいいかもしれないが)ユニゾンがライブでこの曲を「楽しい枠」として重宝していたのが本当に気にくわない。何よりライブでこの曲のイントロが鳴り響くたびにこの記事が脳裏を過ぎって「ああ、今世の俺は恋する惑星でノったら世間から怒られてしまう」となってしまい一気に冷める自分が本当に嫌だった。それは自分のせいか。

 そもそも企画が「ルーレットで担当曲を決める」というトチ狂ったものだったのが全ての元凶ではあるが、とはいえ明確なハズレ枠なんてそんなに在るものでも無いし別に「もう君に会えない」さえ命中しなかったら大丈夫だろ、と思っていたら本当に意図しない角度でぶん殴られ、これまでの人生でおおよそ体験したことのないタイプの困惑を味わった。改めて何がまかセロリなんだよ。殺してくれ本当に。殺セロリ

 記事そのものが企画の振り返りみたいな構成になっているため、今さらこれと言って特に語ることも無い。強いて言うならいつかの主催とのスペースでも喋ったことであるが、日記調になっていることに特に意味はなく、この楽曲を聴いて思ったことを箇条書きにして、後から日記っぽく体裁を整えてまとめただけ。細かく小ボケを挟んでいるのはそれだけ語ることが無かった証拠とも言える。何度でも言うが本当に語ることが無くて困った。ミレニアムハッピーなやつとかカオスが極まってるやつとかいくらでもゴリラの素質がある楽曲なんてあったはずなのに、何が悲しくてこんなアフロ軍曹みたいな曲を……

 記事と楽曲に文句を書いてばっかりなのもどうかなあと思ったので無理やりにでも褒めるところを探そうとしたが、本当にありませんでした。まあそういう記事があってもいいのかもしれない。ダメか

 

 

 

 

 天ゴリと地ゴリ

 

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 寄稿企画:Catcher In The Relay(DUGOUT  ARCHIVIST)

 担当楽曲:天国と地獄

 

 愛の座敷牢が誇るCatcher In The Relayの大トリ三銃士の一角。その中でもあまり自己評価の高くない枠となる。

 何故かDUGOUT  ACCIDENTにそのまま再録されていたせいで2回も表舞台に立ってしまった真の場違いハミングゴリラ。余計な意味でタフすぎる。歯ごたえがある、というより純粋に「ダルい」「理不尽」という理由で難敵扱いされている類のボスキャラ感がある。というか後のDUGOUT  ARCHIVISTでの再録曲再掲システムを知っていたらこうはならなかったのではないか。

 当記事含むCatcher In The Relay企画に寄稿した3記事に関しては別で振り返っている記事が存在するのであえて語ることもそこまではないが、改めて読み返すとつくづく自分を細分化した時にかろうじて残る成分をどうにかかき集めて作ったような記事だと感じる。冷蔵庫のあまりもので作ったありあわせの飯。店主賄いの味。お母さんのぬくもり。一生ないと思うが、もしインターネット用の名刺を作った時にはこの記事に飛べるQRコードを付けるのもありかもしれない。まあ律儀に読み込んだ人に何を読ませてるんだ、みたいな話になりかねないが。

 それはそれとして出来栄えに関しては未だに納得もしていないし、天国と地獄という、自分にとってUNISON SQUARE GARDENの楽曲の中でもトップクラスに大事な曲に捧げるにしては、いささか膂力、パンチが不足しているのでは、感がどうしても否めない。かといって上のMIDNIGHT JUNGLEと同じようなテイストの記事を焼き増ししても仕方が無いしなあ、とも思う。こういう時にスカッと気の利いたアイデアが出せるようになりたい。

 ちなみに後半のクイズはあの後自分でやって自分も間違えたので本当に意味はないです

 

 

 

 

 16.7km/s

 

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 寄稿企画:Catcher In The Relay

 担当楽曲:instant EGOIST

 

 愛の座敷牢が誇るCatcher In The Relayの大トリ三銃士の一角。その中でも自己評価が高い側の記事。当ブログの「気に入っている記事」のカテゴリにこの記事以降新しい記事が追加されないのは、この記事が門番となっているという事実も無くはない。

 前後が前後なだけあって、この曲の記事に関しては「茶化さずにきちんと書く」をかなり意識して書いた覚えがある。前門の虎後門の狼ならぬ前門のゴリラ後門のインドだから、本当にここを真面目に書かないと企画としてマズいだろうと思った。企画としてマズいだろうと思った、と考えること自体がマズいと今になって思う。

 楽曲を「母親」扱いしていたり、当バンドに対して「前より熱冷めたわ~(笑)」などと問題発言をしたりしてはいるものの、全体的には「ちゃんと」している記事。ちゃんとやればこういうのも書けはするるらしいが、毎回ちゃんとやればちゃんとやるほど「そういうのは別の人で良くない?」となる、罠。他の常連の方が余程ちゃんとしているので。どちらかと言えば自分は基本的に「面白い」と思ってもらいたい欲求の方が強く、心を震わせる、ちゃんとした記事を書きたいと思う気持ちは相対的に弱いので、ぶっちゃけこれも性に合わないと言えば性に合わない枠に入るのかもしれないが、不本意ながら何だかんだ性根が真面目、ちゃんとしている側の人間なのでデフォルトがこうなりがちではある。さっきからチャンチャンうるせえな、コウメ太夫か俺は

 とはいえ自分の大好きな楽曲に対して捧げる記事のテイストとしてはとてもいいアプローチが出来たと思っているし、記事の最初から最後まで楽曲とバンドに対しての自分の向き合い方、距離感を実直に綴っただけ、の記事にしては体裁も整っているし文章も(個人的には)ちょうどいい塩梅で纏められているので、総じて自分の中ではバランスよくまとまった良い記事、という評価になっている。真面目な方面でこの記事よりうまく書けたな~と思える記事をこれから先書けるのかが心配。

 

 

 

 

 Revival Blog"Catcher In The Meat Pie"

 

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 寄稿企画:Catcher In The Relay

 担当楽曲:黄昏インザスパイ

 

 愛の座敷牢が誇るCatcher In The Relayの大トリ三銃士の一角。その中でもいくらなんでもTPOを弁えた方が良かった側の記事。黄昏インザスパイになぞらえてカレーパイを作ったのはいくら日本ひろしと言えど俺だけだと思う。俺がCatcher In The Spyお料理部の道の開祖と言っても過言ではない。俺が歩いた後に道が出来ている。それでその道は他に誰が通るんだよ

 アルファベットばっかりなタイトルだけは何だかお洒落に見えるが所詮見てくれだけであり、中身は成人男性が頑張ってパイを焼く記事となっている。リバイバルツアーをやった年に記事のリバイバルをやらないのは嘘! という個人の勝手な我儘の末に出来上がったが、人様の企画の大トリがエモーショナルな大団円でも何でもなく、ただ料理をするだけの記事、というのは流石にいただけない。いくらこの世の球技ほとんど全てに嫌悪感を向けているスポーツアンチとはいえ、チームプレイという文化に縁が無さすぎるのも考え物かもしれない。同日の他の担当者の方に足を向けて眠れない夜がかれこれ2年ほど続いている。

 お料理記事は何だかんだ、一番面倒臭い料理の所さえ乗り越えてしまえば、あとは文章中で適度にふざけるだけで勝手に体裁が整うので楽といえば楽ではある。ただその肝心の料理、もとい料理中の写真撮影がありえないくらい面倒くさい。何なら「写真を撮り忘れた」という初心者マーク過ぎる凡ミスを冒した結果、料理の作り直しが本当にめんどくさくてボツにした記事が存在するくらいである。そういうわたくしの性根を考えると記事として残っているだけで奇跡とも言える。奇跡の記事。もっと崇め奉った方がいい。

 この記事を含めたRelay参加の3記事は他の9記事を書きながら書いていたものではあるので仕方が無かったことではあるが、他の企画記事と比較しても全体的にボリューム不足感は否めない。読み手側のことを思えば記事そのもののボリュームがデカすぎるのも考え物ではあるが、自分の個性から文章量を引いたら果たして何が残るんですか? とも常々思っている。

 

 

 

 

 渡り

 

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 寄稿企画:Populus Populus Prologue

 担当楽曲:スカースデイル

 

 まず『Populus Populus Prologue』自体が非常にしんどい企画だった、の感想が最初に出てくるくらいにはしんどい企画だった。それなりにしんどい曲なので別にしんどい企画でもいいとは思うが、それにしたって限度はある。

 前の担当者の記事を読んでそれと関連付けた内容にする連作形式に、曲指名が主催の独断と偏見による指名制が組み合わさった、書き手側からすれば自由度が低いことこの上ない企画だった。こんな企画を性懲りもなく提案する主催もそうだが参加する側も大概だとは思う、と参加した側が書いておいてみる。

 真面目に振り切れ、という隠れオーダーに不本意ながら従うことになった記事。黄昏インザスパイでカレーを作り出したことにスペースでほんのりと苦言を呈されて、申し訳ねえなと思う反面、普通に人選ミスだろ、と思う気持ちが少なからずあったが、今回の記事はどうやらご意向に添えたらしく、この記事を投稿した際の告知について、引用リツイートとかいうわたくしがXにおいて一番クソだと思っている苦手な機能で「計画通り……」と言われた。言葉を濁さず言うが若干ムカついた。計画通りも何も他の参加者のこと考えたらでんぢゃらすじーさんになるわけにもいかんやろがい。

 前の担当者の記事からの連作形式で書くという企画の関係上、前の方の記事を読んでから記事の方向性を決めねばならず、必然的に時間との勝負に追われた記事だった。何より記憶に残っているのが自分の前の前までが小説形式の記事で続いていたことで、下手をすると自分はスカースデイルの夢小説を書かなければいけなくなるのでは、と戦々恐々としていたが、自分の一つ前の担当者の方がいい感じに流れを変えてくださったのでそうはならずに済んだ。改めて執筆者の☆さんには感謝したい。

 内容については可もなく不可もない。無難。ただ強いて言うなら、良いことを書こうとして躍起になった結果、着地点が曖昧になってしまった記事だなあと今読み返しても思う。全体的にどことなく朝ドラ感があって、自分で自分に勝手に解釈違いを起こしそうになる。

 こういう記事を書くときは退屈にならないように、一見突飛な、されどそれなりに共感性の高い話から徐々に主題へとつなげていく形になるように心がけているが、いきなり国の行事、風物詩を無理やりにディスるのが冒頭なのは今になってどうだったんだろうなと感じる。自分がこの国に対して特別忠誠心が高いわけでも無いとしても、他人が読むことをあまりに考えてなさすぎた。

 ちなみにこのシンプル過ぎるタイトルについてだが、執筆当初の仮題は「つま先の向きを変えるように」だった。しゃらくさくてやめた。記事の後半のどこかにそれっぽい文章があるので暇で死にそうな方は探してみるといいかもしれない。結局、敬愛する梨木香歩の書籍タイトルの引用と、記事を読みそれをもとにまた記事を書く、つまり人から人に「渡って」行く、という企画の性質をかけあわせてこのタイトルに決めた。投稿する直前までカタカナにしようとしていたが、スピッツの楽曲名と被るので土壇場でやめた、という裏話も一応ある。

 あとは、「熊本とスカースデイル」を「しまむらとラルフローレン」に例えたのめちゃくちゃ面白いと思ってたんだけど誰にも言及されなくて少し凹んだのを覚えている。ここで供養します。

 

 

 

 

 

 未だにジェットコースターに乗ったことは無いのに、1人で観覧車に乗ったことはある

 

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 寄稿企画:JET CO. PARADE

 担当楽曲:アイラブニージュー

 

 共作形式の企画。プロデューサーとなった主催が一緒に記事について考えてくれる、という企画の触れ込みから、過去企画より多少は楽が出来るのではないかと高をくくっていたが、そもそも僕自身の協調性が皆無だったのであまりいつもと変わらなかった。こんなどうしようもない奴がトップバッターで本当に申し訳ない。

 楽曲が決まって執筆に着手するまでに考えていたざっくりとしたテーマは「不条理ギャグ」で、突拍子もない展開と小粋なジョークによる波状攻撃で読者に何の感慨ももたらすことなく、ただ困惑だけさせて終わりたい、だった。第三者の目線から記事を読んだ時に思い通りの記事になっていたかどうかは知らないが、執筆中は要所でギャグに振り切ろうとするたびに心のどこかでブレーキをかけてしまう自分の存在が本当に邪魔に感じたので、大したことは無かったと思う。

 最初はTwitterのDMでこっちのアイデア出しについて色々口出ししてもらったりしたのだが、自分が用意したアイデアの悪さもあってからあまりにしっくりくる形にならず、結局共作という触れ込みを盾に主催を無理やり呼び出してDiscordで1時間ほどかけて打ち合わせをした。その時の労務費を今払えと言われたら俺は泣いてしまう。そんなこと言わないでください。

 この記事は途中から何故か物語形式になっているわけだが、物語形式のところに至るまでめちゃくちゃ難産だったのに、終盤その部分を書くことになってから何もためらうことなく一気に書き上げられたのがかなり印象に残っている。本当にスッと2000文字くらい書けた。あの現象は何だったんだろう。

 投稿する何日か前に主催の方に事前に記事を読んでいただき、その中で上げてもらったアドバイスを反映し、投稿に臨んだ。オチと急展開に至るまでの過程に主催の発想が一部絡んでいる。個人的にオチは主催のアドバイスが無ければ自分一人では至ることが出来なかったと思っているので、そこは共作の意味があったと言える。他の参加者の記事にどれくらい口出しをしたのかは知りたい。スペースで喋っていたかもしれないけれど。

 

 

 

 


 デキる社会人は窓の開け方で決まる〜換気に歓喜する4つの思考術〜

 

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 対象企画:Word Craft will be continued

 担当楽曲:WINDOW開ける

 

 番外編。正確には自分が書いた記事ではないが、自分が根深く関わった記事なので一応。このブックオフに132円くらいで投げ売りされてそうなサラリーマン向けのしょうもないビジネス書みたいなタイトルを主催と一緒に考えた日々も今や懐かしい。

 企画の概要は一つ前のJET CO. PARADEの反対で「主催に文章を書かせる」というもの。これまでに企画で多大なる負担を参加者にかけ続けた禊としての企画だったそうで、だったら絶対に書きそうにもないテイストのものを書いてほしいと無茶ぶりをした。

 最初に自分が提示した記事の原案もまんまリンク先の通りで、俺達2人で「WINDOW開ける」を掲げて自己啓発界隈にどでかい風穴ブチ開けたろうぜ! の意気込みでノリノリで話し合い、そのノリノリのテンションに任せて勝手に自分が冒頭の文章をざっくりと書き、あとはどうにか上手くやってくれと丸投げした。楽曲と一切関係の無い方向性のテーマをぶん投げられた挙句放置されていたのに、一切文句を言わずに第一稿をさっさと書き上げて共有してくださった主催は本当に偉いと思う。そんな主催の記事を「俺が関わっているのに味の濃さが足りないのが納得がいかないのでどうか手を加えさせてほしい、背脂を足させてほしい」と懇願し、自分のエゴ丸出しで魔改造したのは、この男~~~~~~!!!!! (カス)

 魔改造とはいえ文字数を2.5倍にしたくらいで記事の雰囲気とかはそこまで変えていない、と思う。思いたい。まあその後もそれなりに主催の手によって修正された上で世に出てはいるので、最終的にはいい塩梅に消臭されてパブリック空間へ放流されたのではないかと思っています。自分の文章が悪臭を放っている自覚は、あります。

 他人の書いた文章にいろいろと口出しする、もとい魔改造するのは初めての経験ではあったが、なかなかに楽しいものだった。企画関係なくもう一回くらいはやりたいかもしれない。

 

 

 

 

 フ ル パ ワ ー プ ロ グ ラ ム

 

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 対象企画:DUGOUT ARCHIVIST

 担当楽曲:フルカラープログラム

 

 というわけで最後の企画文にして、恋する惑星以来の問題児その2。問題児なところまで含めて気に入ってはいる。気に入ってはいるが……

 当企画はもともと上の天国と地獄の記事を再掲するだけで済むという触れ込みだったため、新規記事など書くつもりは無かったが、気が付いたらこんな激重感情の権化みたいな曲と向き合うことになっていた。いくらなんでも口車に載せられ過ぎ。気が付いたら誰かの、何らかの連帯保証人になっている気がする。

 まあいろいろと悩んだ記事。一切のプロットが無いまま、カオスが極まるのサビの歌詞みたいなノリと勢いだけで6000文字くらいどかどか書いたはいいものの、そこでようやく着地点に真剣に悩んで、改めてプロットを練り直したというウソみたいな経緯がある。それくらいフルカラープログラムという曲が分からなかった。何も分からなかったので分からないまま書いていたら、もっとよく分からない記事になった。ちなみに俺は未だにフルカラープログラムのことをよく分かっていない。フルカラープログラム側も俺のことを分かっていないし、別に分かってほしくもない。

 この通りプロットもくそもなくただフリースタイルで書き連ね、結果途中で締めに悩んでうだうだ悩みながら書き上げた記事なので、今さら特に語ることも正直ない。強いて言うなら「これまでの企画文で書いてきた要素をこっそり沢山盛り込んだら『アツい』のでは?」という薄っぺらいたくらみが執筆当初にあって、その名残がところどころ微かに残ってはいる。まあ普通に頓挫して中途半端なものになっているけれど。あとはDNAの話を盛り込んだのは、この記事を書き始める少し前に読んだ佐藤究の『ank』という小説の影響が非常に大きい。確固たる自己が無いので本当に何にでも影響される。

 

www.kodansha.co.jp

 

 ちなみにこの記事で最初に考えたのはタイトルでした。「フルパワープログラム」という文字列だけを頼りに、あとは何も考えずにウオオオとキーボードを叩いてポンと出来た記事。そういう意味では天国と地獄の記事に近しいものがあるかもしれない。追いつめられるとゴリラになるのは我ながらサイヤ人としての素質がありすぎると思う。

 多少の紆余曲折はあれどだいたいそんな感じ。なんか音楽のコードがどうとかプログラミングのコードがどうとかなんやかんや申し上げておりましたが全部アドリブです。深い意味も何もございません。最後だけ。言いたいのは。

 あとこれは完全に余談だが、D.A styleについては本当に何も考えていなかった。今思った。まあDNAの話をちょっとだけしてるから、D.N.A styleということで許していただけないでしょうか……

 

 

 

 

 終わりに

 

 というわけでこれまでに書いた企画記事の振り返りでした。

 初めて書いたMIDNIGHT JUNGLEの記事から3年半ほどの間で8記事(+1記事)を執筆したわけだけれど、振り返ってみればどの記事もなんだかんだ、まあそれなりに思い入れのある記事だと思います。少なくとも書いている時の苦しかった思い出は鮮明に残っている。大変だったよマジで。

 ともあれ企画文に参加するまで、公募やネット小説のコンテストなどに自作の小説やら何やらを提出したことはあったが、自分以外の誰かが参加者を募る企画に寄稿することは一回も無かった。企画を通して生まれた縁も少なくない。いろいろとお世話になりました。

 もうバンドは活動が止まってしまったけれど、また機会があれば何かやれたら嬉しいなと思います。以上! 乙デスゲーム!

 

 

 

 

フ ル パ ワ ー プ ロ グ ラ ム【DUGOUT ARCHIVIST】

 

 突然ですがこちら、ナフサ不足の現代にとってはある意味極めて不謹慎な曲、フルカラープログラム

 

 


www.youtube.com

 

 

 俺たちが愛してやまない完全無欠のロックンロールが、アメリカで一番えらいと噂の謎のオッサンの癇癪のせいでずっと説明出来なくなっている現実を無くして、果たして何が糞だと言えるのだろうか。インターネットで見かけるそういう言論が本当に嫌なのでこのブログでも政治の話などするつもりは毛頭ないが、こうもトランプがどうだの高市がどうだのといったユーモアの欠片も無いしょうもないトピックスが、勤務先が俺以外に誰も読んでいないのに、その肝心の俺も日曜日にのみ掲載されている書評欄しかろくに読んでいないのに、何故かせっせと律儀に購読し続けている地方新聞の1面をジャックし続けている日常は異常だと感じる。大谷翔平が素人には本当にあるのかも分からない謎の指標で褒めそやされ続けているネットニュースの新着一覧の方がよほど健全である。それはそれとしてなんだOPSって。Oh my god Per Secondか? 人間が1秒の間に世界に振りまける「オーマイガー」の濃度、Oh my god Per Secondか? あるわけないだろうがそんな指標。バカにすんな。素人だからと舐めやがってYahoo!Newsてめえこの野郎。コメント欄が公園の公衆便所より汚ねえのいい加減そろそろどうにかしろ。仮に本当にOh my god Per Secondだったら大谷翔平よりフルカラープログラムの方がOPS高いだろうが。もっと取り沙汰せ。目ん玉ついて無いんかお前ら。誰がどう聴いてもオーマイガーの権化みたいな曲だというのに。こういうアホみたいな勘違いが生まれる前に、もっと素人にも分かりやすい言葉で褒めちぎってくれ。

 学生時代に野球部の丸坊主共にいじめられ続けた結果、野球という競技そのものに強い苦手意識を抱いているわりには、何かを褒めちぎる時の語彙として打率だのストライクゾーンだのといった汗と手垢と誹謗中傷に塗れた語彙を何故使うのかと問われれば、それはもう悔しいかな、野球のそういう小癪な語彙はこの国の文化にあまりにも浸透しすぎていて、どれだけ野球のことが嫌いでもその事実だけは呑み込んだ方が良いことを自らの31年間の歩みの中で痛感したからに他ならない。ストライク、アウト、セーフ、ホームラン、フライ、ストレート、カーブ、フォーク。ポケモンから食器まで、この世の全てに、頼まれてもいないのに勝手に侵食する世界一野蛮な球技、野球。それは完全無欠のロックンロールバンドことUNISON SQUARE GARDENにおいても例外ではない。逆転サヨナラマウンドで逆立ち絶好球をフライ。目を離すとすぐにプレイボールなプレイボーイが3人も集まった不埒なバンドたど、後世で白い目を向けられても仕方がないくらいに野球を擦っている。それは彼らを象徴する楽曲、フルカラープログラムにも当てはまる話だ。何と言ってもサビでキャッチボールをなさっている。しかも変幻自在の。

 一般的なキャッチボールで象徴されるべき「円滑なコミュニケーション」みたいな概念とは遠く離れ過ぎている四字熟語、変幻自在。わたくしもあなたも、これまで母親から乳を与えられる赤子の如く当たり前にこの四文字を受け止めていたと思うが、果たして本当にこの四字熟語が適しているのかを一度冷静になって考えた方がいい。仮に、その辺のショボい公園で変幻自在と称されるようなキャッチボールに興じている父子のことを想像したら、怖すぎて夜も眠れない。そもそも「キャッチボールに興じる父子」というシチュエーションが怖い。こういう、平均的な日本国民が目指すべき模範となるような幸福、と称されそうな情景が脳裏を過ぎるたびに、お部屋のお毛布にくるまったままその後の人生をやり過ごしたくなる。マッチングアプリの広告もダメだしエアコンのCMも食器用洗剤のCMも全部ダメ。デカくて綺麗な家で利発そうな兄妹を育てながらデカくて四六時中舌を出している犬を飼っているご家庭を画面越しにでも見ていると、ロックバンドに現を抜かすことで人生の3分の1を浪費した我が身が何故だか極めて惨めな存在に思えてやまない。きっとこういう気分を希釈するために全国各地のコンビニエンスストアはアルコールなどという、おおよそ知的生命体が摂取するとは到底思えない狂気の飲料を頭のおかしい供給量にて販売していると思うのだが、残念なことに半端に知的生命体なこともあって、そのような俗物を一切受け付けないピュアでイノセントな身体に恵まれているため、そういう安直で面白みのない無様な逃避に縋ることも出来ない。よって俺はこの国がもたらす搾取と劣等感という名の災禍のありのままの姿を、その圧倒的な威力を、我が身一つで逃げることなく正面から受け止め続けている。無謀。無謀の極み。ワタクシのことは無謀が服を着ている妖怪だと思ってほしい。妖怪のわたくしから見てもこの国は地獄である。主に野球と飲酒のせいで。このブログを始めた頃から、否、始める前からSNSでもずっと同じことを繰り返し申し上げている気がするが、ここは御年31歳である自らの現在地点をひとつの楽曲とした時のサビのフレーズなので、何度でも繰り返し伝えたい。この国は地獄である。主に野球と飲酒のせいで。野球観戦と飲酒に現を抜かすことなく、健気に税金を納めている人間を冷遇する国家に未来があるとは到底思えない。贅沢を言わないから健気なわたくしに港区のマンションを進呈してほしい。一室なんてけち臭いこと言わずに、一棟。何の話? フルカラープログラムの話か、フルカラープログラムの話をします。良い曲過ぎ~~~~!!!  以上です。ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 と、別にここで筆を置く判断をして放り投げてもよかったのだが、わざわざ【DUGOUT ARCHIVIST】と墨付き括弧で強調している関係上、企画の2日目にして早くも主催のナツさんの顔面に泥を塗りたくるのは流石のわたくしにも憚られる。今のところ国と野球に悪態をつくことしかやっていない。真面目に行きます。というわけで何度目かの企画文です。よろしくお願い致します。

 

summerday.hatenablog.com

 

 とはいえ、今回の企画文の説明の際に、過去に天国と地獄について書いたわたくしは「過去記事の再掲で良い(加筆修正も無し)」と主催から伝えられており、参加した事実だけ加算できてラッキー、とガクチカに精を出すふりをすることに精を出す私立大学生みたいな心地で主催が他の参加者を募集する様子を眺めていたが、何故かフルカラープログラムについて書くことになってしまった。

 

 まかセロリの無さに動揺が伺える


「1か月でフルカラープログラムについて記事を一本書いてください、内容は問いません」ってもう、ほとんど2020年の東京藝術大学の入試と一緒。無茶ぶりが過ぎる。だって「すべて」じゃないですか、俺らの。あまり主語を大きくしたくはないがもうこの際参加者も読み手側の方も残らず巻き込んでいきたい。フルカラープログラムとは、俺たちのすべて。出来ることなら今からこの記事に森羅万象を列記することでこの曲を表現したい。ボルヘスのバベルの図書館をここに顕現したい。はてなブログの文字数制限は65万文字とかそんなん知らん。そんな運営が勝手に言ってるだけの事情を斟酌する必要など欠片も無い。現実的に出来る、出来ないの判断よりもっと前の、何も無い状態からか細くも確かに萌芽した「やりたい」という確かな熱意がこれまでも幾度となく世界を変えていくきっかけとなってきたわけで、俺達はその奇蹟と偶然の積み重ねの延長線上で、幸運にも、或いは不運にも現在進行形で呼吸をしているに過ぎないわけで。46億年前にビッグバンが起きてからの宇宙規模のドタバタの最中で地球が生まれ、出来立ての星の内部で無限に繰り返されてきた血で血を洗うような生命同士の競争と殺戮、そして何よりも尊き進化の歴史の最先端に立っている、数億年繋がれてきたバトンをその手に持っている事実を、今一度噛み締めるべきだ。分かったか? お前に言ってるんだよそこのお前! 分かったら寝そべった状態で尻を掻きながらこの記事を読むのをやめろ。手元のコーラもポテチもそのたるんだ腹もしまえ。なんだその態度は。ふざけやがって。立て。せめて座れ。正座だ正座。子孫のそんなみっともない姿をみるために、我らが偉大なるご先祖様が幾度となく大量絶滅の危機を、歪んだエゴが起こした闘争の数々を乗り越えてきたわけがないだろう。その腐った性根を叩き直してやる。いきなり何の話かって? まだわかんねえのか、遺伝子の話だよ

 お前の皮膚の一部を電子顕微鏡で覗き見たその先にある細胞の一つ一つに細胞核があり、その中に含まれたDNA、すなわち生命の設計図に、お前のご先祖がお前を形作るまでに紡いできた歴史が二重らせんとして格納されている。リン酸、デオキシリボース、そして核酸塩基。それらが複雑に、されど秩序を保ちながら構成されることで滞ることなく細胞は複製され、お前は設計図通りに個体として成立している。いにしえの時代から受け継がれ、幾度となく更新され続けたこの精緻なプログラムのおかげで、お前は世の中に唾を吐き、悪態を付き、屁をこき、Twitterでいらんことを言いながらも肉体は代謝を繰り返し、怠惰を貪り続けることが出来ている。そんな平和ボケしたお前の遺伝子に刻まれた、膂力と生存本能がものをいう、戦国時代などという言葉が生ぬるいほどの原始的な本能による殺戮の時代が、お前の怠惰を嘆いている。お前を極限まで微分した、その原初の階層に刻まれた、研ぎ澄まされた闘争本能が、フルパワープログラムが怒りの声を上げている。お前には聞こえないのか? 己の、フルパワープログラムの声が……

 人間がある程度の文明を手に入れる前、日夜他の動物を殺しその糧とすることで生きていた時代の本能がDNAに刻まれているからこそ、我々はスポーツに熱狂し、バトルアクションものの創作物に熱くなるわけであって、その事実こそがお前自身にフルパワープログラムが刻まれている証明に他ならない。他国の戦争の被害そのものではなく、その余波による影響の方を憂慮するだけの余裕があるこの平和ボケした国家の中で、長い時間をかけて丹念に牙を抜かれたお前の戦場などもう無いのかもしれない。ただ忘れてはならない。お前には戦う本能が生まれながらにして備わっていることを。学生時代に部活動で流した汗や涙、勝利の快感は、お前が気付いていないだけで細胞の奥深くで未だに燃え滾っていることを。そして、お前が戦う意志を真に持ち得た時、フルパワープログラムは微笑んでくれることを。ちなみにわたくしはそんなの聞こえません。聞こえたことがありません。文化部だったので。知りません。そんな野蛮な概念。

 だったらここまでの下り何だったんですか? となっただろう。そのデカすぎる枕は何だったんですか? IKEAで買ったんですか? となったことだろう。知らん。この際科学系のゆっくり解説動画を鼻くそほじりながら視聴して賢くなった気分になっているだけの文系が付け焼刃で書いたDNAに関する知識などどうでもいい。忘れろ。そんなことより俺が言いたいのはね、フルカラープログラムだのプログラムcontinuedだの、何かと彼らの詩世界の中で象徴的に用いられている「プログラム」って単語が、肝心の詩中には一切出てこないのはどうしてなんだろうということをね、寝食をおろそかにすることなくここ数日ずっと考えているんですよ。別に曲タイトルの単語が一切出てこない楽曲なんて彼らにおいては珍しくもなんともないとしても、こうも象徴的な楽曲の名前に「プログラム」を用いていながら、歌詞の中にこの単語が盛り込まれている曲は、20年間活動してきた中でたったの2しかない。変だ。ここに雨穴がいたらそろそろ「このバンド、何か変……」と勝手に何かを疑いだしている頃。別にあなたに言われなくても知っている。それなりの頻度で開けているはあるにせよめっちゃ変なバンド。

「プログラム」って一体なんだろうなと考えた時に思い当たるものの話となるが、この「プログラム」という単語から連想されるもので、音楽とかかわりのあるものと言えばそう、「コード」である。プログラミングにおいてコンピュータに命令するための、プログラミング言語を用いて記述された「ソースコード」の「code」と、単に「和音」という意味の単語である「chord」は厳密に言えば全く異なるものではあるが、日本語の響きとしては同一のもの。もともと高校では情報系の学科に所属していたわたくしが邦楽ロックにハマってから少し時間が経過し、一時の気の迷いで音楽理論とやらを少し覗き見したときに、あれほど学校の授業で己を苦しめた「コード」の概念が出てきて瞬時に警戒態勢に入ったことを今でも覚えている。ややこしくてとっつきにくいという点も、単語の意味や分野そのものは全く異なるとしても、そのものの根幹を支える存在という点でも、「ソースコード」も「コード進行」は似たようなものだ。きっとやっていくうちに慣れていくことも、少し慣れた後に常人にはちっとも理解出来ないふざけた記述(進行)を見て頭を抱えるのも。

 どんなに魔法のような魅力を持って響くポップソングでも、分解してしまえばリズムとベース、そしてコードとメロディの構成でしかなく、我々の心をこれでもかと躍らせる音楽も別に激情の果てに突如として出力されているわけではない。スタートラインこそ煮えたぎるような喜怒哀楽だとしても、最終的に出力される音楽はどこまでいってもセオリーと秩序に則って構成されている。でないとそれを聴いた我々が気持ちよくなれないからだ。素人が適当に鍵盤を叩いて赤の他人を感動させるメロディを生み出す、みたいな夢物語は、猿がタイプライターを適当に叩いてシェイクスピアの一文を偶然出力できる確率を大真面目に語っているようなバカらしさとほとんど同一である。この国に蔓延る「こうあるべき」と言わんばかりの同調圧力に屈することなく、自由闊達に表現の道を行くロックバンドのソングライターでも、結局はそのルールの範疇で自分の音を、表現を世界に示している。なんだか夢の無い話のようにも感じられるが、「自由」と「無秩序」は違う。はき違えてはならない、でたらめなアルファベットを並べただけはコーディングにならないように、いい歳した成人男性が街の真ん中で下半身を丸出しにして踊っていたらそれは表現ではなく単なる公然わいせつであるように、いくら「自由」と言えどその土台となるルールがある。とりわけポップソングは、そのルールの範疇であれこれ工夫を凝らすからこそ、予期しない化学反応があり、唯一無二の面白さがある。ただそれを解き明かしてしまうと、自分が今好きな音楽まで「構造」として見えすぎてしまうのもある意味無粋なのでは、と思ってしまう気持ちも無くはないのだが、それを真面目に考える人間が、これまでの歴史の中で単なる音の羅列を魔法にしてきたのだろう、とも思う。少なくとも、いつかの田淵少年はそちら側の素質を有した人間だった。

 なんらかのきっかけで巷で鳴り響く音楽に「コード進行」なる規則性、一定のルールがあることに気付いた瞬間から、これまでずっと遠くできらめいていた聴覚から心を揺らす魔法は解き明かすことの出来る謎となり、手に届くロマンとなった時の衝撃は、ソングライターとなった彼にとって如何ほどのものだったのだろう、とふと考える。これから先に製作する音源で、あるいはステージの上で「虹みたいな音楽」を鳴らすための手がかりとなるその知識は、どれほど大きな存在だったのだろう。テキストエディタにソースコードを記述し「Hello,World」を表示することからすべてのコーディング、もといプログラミングが始まるように、手元の楽器で最初に鳴らした何らかのコードが、そして何らかの進行が、全ての始まりとして彼の記憶の彼方で今でも淡く燃え続けているのだと思えば、「自分の思う超良い曲にしよう」と思って書いたバンド初期の楽曲の名前に「プログラム」の単語を当てがっていることは、それが単なる偶然だとしてもどこか象徴的だと感じる。

 

花畑 上の空 白昼夢の存在を

解き明かすまでは眠れません

フルカラープログラム/UNISON SQUARE GARDEN

 

 形の無いもの、どこか漠然とした抽象的な概念、それらを投影する己の脳裏の理想まで含めて、解き明かし鳴らすための「プログラム」としての一曲。「プログラム」のことを語る楽曲ではなく、この楽曲が「プログラム」そのものだということ。そして何よりそれを一人ではなく、ロックバンドで表現する楽曲として確立させたことの意味を考える。バンドを組む前に一人で「虹みたいな音楽」について思索する時間があったとして、それを仮に「モノクロ」だとするのであれば、ロックバンドはそれでは説明できないことを補うための手段であり、一人きりでは行けない地点に到達するための乗り物とも言える。

 

モノクロでは説明できない

変幻自在のキャッチボールを

フルカラープログラム/UNISON SQUARE GARDEN

 

 色んな偶然ときっかけと成り行きによって斎藤、田淵、鈴木という3人の才能が集まり、UNISON SQUARE GARDENという個として存在を確立させた。その3人が変幻自在のキャッチボールがごときコミュニケーションのぶつかり合いを繰り返し、その結果の1つとして「フルカラープログラム」を出力し、この曲を代表曲として携えながらがむしゃらに今年、2026年まで走ってきた。手持ちの楽曲が増えるたびにファンの数も層も変化し、それに応じて個としてのバンドを取り巻く環境も目まぐるしく変わっていくなかでも、要所で高らかに鳴らされる虹色。10周年、15周年とそれぞれアップデートされた最新版のプログラムが作られながらもこのプログラム自体も音圧マシマシにアップデートされ、今に至るまでファンの中での「ユニゾンの原点と言えば」の立ち位置は揺らぐことはなかった。年月を追うにつれてギター・ベース・ドラム以外の華やかな同期音源も増え、新しい楽曲そのものも拍子やフレーズなどどんどんテクニカルな方向に進化し、愚直なまでにシンプルだったライブの演出面も段々と凝っていき、その中で紡がれる歌詞の密度も格段に上がった。それでも変わらず鳴り響くこの虹色の音楽は、どれだけステージから見える景色が変わっても、バンドとしての根幹、スタンスが変わることは無いという証明のようだと勝手に思っていた。仮にそうでは無かったとしても、勝手に思わせられるだけの力がこの曲にはあった。結局それも勘違いだったのかもしれないけれど。

 永久に消えない虹は無く、いつまでも変わらない人間関係も無ければ、終わりの無い物語も無い。自然現象としての虹は長くとも1時間程度で消え、学校や職場などの明確なつながりの消えた人間関係はあまりにか細く、自分が死ぬまで終わらないと思っていた3人のロックバンドの物語も今月半ばに歩みを止めてしまう。その最後のライブのタイトルがこの曲の名前ではなく、バイバイを言えた方の曲なのが、心憎いような腹立つような複雑な心境。「いつか終わる、悲しみは どうか忘れないでよ」などと言われましてもあんたらの行く末が悲しみそのものだった場合はどうすりゃええねん。なんやねん明確な期限の無い活動休止って。ふざけやがって。勘弁してくれ。刑法に接触することなど何一つとして実行していないのに、何故か死刑より無期懲役の方が辛いんだろうなって肌身で実感したよ俺は。殺すならいっそ一思いに殺してほしかった。一緒に俺も邦楽ロックの深淵に沈みたかった。いやでも希望は持っていたい。オリオンをなぞるのサビの歌詞が今なら我が身として実感できる。繋がりたい、離されたい、つまり半信半疑あっちこっち。甘酸っぱい思い出など皆無通り越して絶無の10年ちょっとを歩んできた我が身が、ようやくこの歌詞を自分事として受け止めることが出来ている。何でだよ。せめて色恋で味わわせてくれ。ラブソングに昇華させてくれ。色恋が進展するほど人間関係が続かないお前が悪い?  傷心に正論で塩を塗りたくるのをやめろ。ロジカルハラスメントだぞてめえこの野郎。ああそうだよ、どうせ俺はTwitterで2週間に1回くらいのペースでブロック解除されてるし、音楽に関するアカウントを作って、同じような音楽が好きな人間と繋がりたくて運用しているわりに特定の「界隈」や「クラスタ」みたいな扱いはそんなに得意では無いし、職場の若手会(20代~30代が集まって日夜どんちゃん騒ぎをする会)のLINEグループからは、対象年齢のはずなのに一人だけ明確にハブられているよ。声もかけられてないよ。派遣社員の方にも声が掛かっているのに。

 職場でのエピソードは完全に余談だったとしても、好きな音楽の情報を収集し、見つけた好きな音楽を共有して語り合うフォロワーを増やして楽しくなることを目的としたTwitterの運用をしているわりには、特定のバンドの「界隈」扱いされるのは苦手なのは本当である。好きな音楽のことは何でも知りたいし勝手に分類しているのに、自分が知らない誰かから勝手に分類され、理解されることついては、明確に遺憾の意を表明している。我ながら自分勝手が過ぎることは自覚している。「ユニクラ」の括りも「~なのでバンド好きと繋がりたい」のハッシュタグの乱用も、いつの間にか苦手になった。いわゆる「信者」になりたくないという気持ちがアカウント開設当初からそれなりにあったし、どんなコンテンツでもそうだが、「界隈」特有の、どこかに具体的に明文化されていないルールのようなものが苦手で、居心地が悪いと感じることが多い。昔の無秩序な、混沌とした時代のインターネットへのあこがれがそうさせるのか、はたまた「自治厨」という蔑称のせいか、そういう「界隈」の一つに呑み込まれてしまうと、何となく不自由な雰囲気の中で呼吸をしなければならなくなるような、そんな偏見が少なからずある。以前ほどUNISON SQUARE GARDENというバンドに心酔し、自身の価値観の指針として置いているわけでもないので、尚更。

 ただ、現在のアカウントを新しく変えることなくTwitterを8年間も利用し続け、それなりの数の人間とSNS上で知り合って、仲良くなったり、時には挨拶もなく別れていった今になって、別に自らがどう思おうとどう立ち回ろうと、そのバンドが好きだとパブリックな場所で表明してしまえば、結局外から観れば同じファンでしかないことにようやく気が付いた。バンドのファンだけど「クラスタ」ではなくって……というのはあくまでごくごく狭い輪の中でだけで通じる話であり、端から見れば全部同じである。もっと言えば邦楽ロックにさして興味の無い人間からすれば、星の数ほどあるバンドの違いなど人数と声くらいしか分からないだろうし、もっと言えばそもそも音楽を好んで聴くことの無い人間からすればそこすらもどうでもいいだろう。この時期に家に突如として湧き出す羽虫の分類をいちいち考えることの無いように、いや例えが最悪なのでちょっと変えるが、天体観測にそこまで精通していない人間が夜空を見上げて、闇の中で点々ときらめく星を見ても大抵その星の名前など分からず、ただ星が綺麗だなとしか思わないように、人は自らの興味の外側にある物事に関しては本当にどうでもいいと感じるものだ。自分がその「どうでもいい」と思っている外側の人に向かって実際に「フォカヌポウwww拙者は『界隈』ではござらんのでwwwコポォ」などとぐだぐだ管を巻いているわけではないが、時折そんなことを考えながら自分を俯瞰で見ると、何をちっぽけな場所で「ファンとは……」「推すとは……」とかうだうだやっているんだろうなと思ってしまう。

 UNISON SQUARE GARDENが好きだと公言し、同じような趣味の人間と交流を図り始めた時点で、端から見ればそれは単なる「ファン」でしかない。もっと言えば、バンドのファンである自分とはUNISON SQUARE GARDENというそれなりに大きなコンテンツに、お金と言う媒体を通して関与している一個人であり、その繋がりの外側、「文化」と言う遠大な括りから考えれば、ファンとしての自分もある意味ではバンドの一部だと言えなくもない。金銭を対価に音源やグッズやライブを享受し、己の衝動が赴くままに誰が読むのかも分からない長ったらしい文章を紡いだりすることで、こんなに素晴らしいバンドがあるのだと、世の中に、自分以外の他者に共有し、彼らの知名度を広げるささやかすぎる手助けをする存在。バンドの良さを語る我々も、考え方によっては彼らの息のかかる場所、生息域を広げるための存在、そして布教することでバンドの魂を次世代に受け継ぐ存在、そう、遺伝子の一部だと表せなくもないのではないか。今、強引に遺伝子の話に戻したと思ったでしょう。自覚はあります。何故ならこれが、この強引さこそが、俺流のフルパワープログラムなのだから

 彼らが紡いだ七色のプログラムの、その根幹となるコードを鳴らした瞬間から20数年たった今、ソースコードで紡がれたブラウザからこの記事を読んでいる貴方とわたくしを繋ぐきっかけとなっている。chordとcode、二つのコードが絡まり合い二重らせんとなって、わたくしとあなたを繋いでいる。地球が生まれ、生命のスープより単細胞生物が偶発的に発生したころから、あらゆる環境の変化に適応し、競争し、進化し、そして連綿と受け継がれてきた螺旋に、ほとんど同じで、されどどこかが確実に異なるわたしとあなたの螺旋に共通で刺さる一つの音楽が、ロックバンドがあること。それを同じ時間軸で聴き、それについて語り合えることは、地球の時間感覚で言えばほとんど奇跡に等しい。素人はすぐにスケールの大きな話にしがち、というありがたいご指摘に関しては返す言葉も無いが、もっとこの奇跡を俺たちは噛み締めても良いのかもしれない。スカースデイルの企画文の終わりの方でもだいたい似たようなことを書いていたけれど、焼き増しですか? というご指摘に関しても、もう、甘んじて受け入れたい。糖尿上等の覚悟を決めて、激、甘んじて受け入れたい。その通り。よく気付きました。全体通して焼き増しです。これまで寄稿してきたあらゆる企画文、そしてそれ以外の記事ふくめて。酒ヘイト、野球ヘイト、そして共通の好きなものがある人たちと出会えた嬉しさのこと。ずっと同じ話をしている。ずっと。同じ人間が書いているんだから当たり前だろうが!!!!

 

 ある種の奇跡で知り合ったあなたへ、これからも何度だって同じ話をしましょう。何度だって思い出に耽りましょう。何度だって懐古に浸って、何度だって朧気になってしまった断片的な記憶を掘り起こして、そのたびにユニゾンのことを特に知らない友達とか、新規ファンとかに疎まれたりしましょう。現在進行形で抱いている悲しみが、何らかのかたちで報われるその時まで、どうか、忘れないように。

 

「いつか終わる、悲しみは」などとは今はまだ口が裂けても言えないが、その瞬間その場所にいることの無い、バイバイも直接言えないファンとしては、そこに足を運ぶファンには是非、その雄姿を目に焼き付けて帰ってきて頂きたい。現地メンタルピリオドの方々を、九州とかいう排他的経済水域の外側から見守っていたいと思う。

 

 以上、イエカラープログラムでした。

 

DUGOUT ACCIDENT(通常盤A) - UNISON SQUARE GARDEN

 

好きなアニソンを語るフリして、かつての友達について語る

 

 ビンゴ記事です。前回はこちら

 

 

 今回は『アニソンn選(3曲以上)』についての記事となる。

 

 

 ただ好きなアニソンを列挙するだけの記事でも別に良かったのだが、せっかくなので自分語りに絡めた記事にしたい。せっかくなので、と書いたはいいものの、別にこれまでも特に誰に頼まれるわけでもなく自分語りを7年くらい続けている、ある種の異常者のブログではある。というわけでこんにちは、別に詳しくないけどアニソンがそれなりに大好きsikimiと申します。

 

 というわけでだいたい15年くらい前、かつてわたくしのケツが観光名所になるくらい真っ青だった頃、アニソンとボカロが好きな友達と一緒にカラオケに行った時の話から始めたい。

 

 今でこそカラオケなど、本当に面白くない会社の飲み会の、死ぬほどつまらない二次会でしか縁が無くなってしまったが、高校から短大の頃はよくカラオケに行っていた。一人でも、当時の友人たちとでも。複数人で集まってやるちょうどいい娯楽なんて、自分の身の回りにはカラオケとゲーセンくらいしか無かった。それくらいしか知らなかった。

 そんな選択肢の無い娯楽に囲まれた高校時代の人間関係の中でも、件の彼は特に『けいおん!』がきっかけで仲良くなった友人だったため、必然的にアニメやゲームやラノベの話ばかりしていた。僕に『這いよれ! ニャル子さん』を教えてくれたのは彼だった。かくいう僕は彼に『小説家になろう』の話を一生懸命していた。今になって省みると、本当に自分の話ばかりしていた気がして恥ずかしくなる。つまらなかっただろうに律儀に耳を傾けてくれた彼に、今になって申し訳なく思う。聴き上手な友人だった。

 

 特に喧嘩をすることもなく、同じクラスだった2年間ずっと仲良くしていた。卒業後も何だかんだ連絡を取り合っており、一時のメンタルの乱れで卒業アルバムを小中高のもの全部まとめてドラム缶で燃やした挙句、当時の同級生の連絡先をほとんど削除してしまった自分が、未だに連絡先を残している数少ない存在である。

 何だかんだもうかれこれ3年くらい連絡を取っていないが、今でも自分は友達の数をカウントするとき、その友達を迷うことなく勘定に入れる。彼がどうかは知らない。

 

 2人でカラオケに行く際は、特別な事情が無い限りは大抵交互に歌う。どこの誰がそのしきたりを決めたのかは定かではないが、その友達と2人で行ったカラオケも例外ではなく、交互に曲を入れた。定番のアニソン、ボカロ曲、彼が好きだった特撮モノの主題歌。

 最初の内はお互いの選曲に盛り上がったり、やりおる、などと唸ったりしていた。大真面目に『私の恋はホッチキス』を歌う僕。ノリノリで『太陽曰く燃えよカオス』を歌う友人。今日の推し活ムーブメントに繋がるような空気感も少なからずあったとはいえ、まだギリギリアニメオタクが白目で見られている、という論調、もとい雰囲気が根強かった世代。隣のクラスのバッティングよりペッティングに熱心な野球部や、ヘディングのやりすぎで頭のおかしくなったサッカー部の監視の目から逃れ、思い切り羽目を外して好きな曲を歌うのは、大変に気持ちの良いものだった。

 

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 ただ、その時の自分はアニメが好きだったとはいえ、アニソンにまで詳しいわけでは全くなく、ものの2時間ほどですぐに手持ちのレパートリーが尽きてしまった。頼みの綱のボカロ曲に関しても、残っているのは知ってるけど歌えるかと問われると厳しい曲しかない。当時はじんだのトーマだのwowakaだのcosMoだの、歌えるもんなら歌ってみろと言わんばかりの楽曲がニコニコ動画を席巻している時代だった。右を向けど左を向けど、何かの奇跡が起こらない限り歌っている途中で舌を噛み切って死にかねない曲ばかりの、おそろしい時代。

 存外早いレパートリー切れに困り果ててしまった僕は、途中で何も言わずにRADWIMPSの『おしゃかしゃま』を入れた。RADWIMPSだったら大丈夫だろうと思った。そうして数曲自分のターンでRADWIMPSやONE OK ROCKが続いた結果、彼は僕が歌っている時間は、持ち込んできていた手持ちのPSPでゴッドイーターをするようになった。

 なんだか自分がものすごく悪いことした気分になり、その空気感に堪えかねて無理してよく知らない早口のボカロ曲を入れて、気合とパッションで歌いきった。相当僕が必死な顔をしていたからか、終った後友達は苦笑していた。かくいう友達は時間が終わるその最後の最後まで、レパートリーが尽きることは無かった。

 

 その時に思った。ボカロに、何よりアニソンに詳しくならないと、一緒にカラオケに行ってくれるこいつを楽しませることは出来ない、と。

 

 ここから僕のアニソン武者修行の日々が始まった。TSUTAYAでなけなしの小遣いを削って4本1000円で旧作アルバムを借りたり、ニコニコ動画のアニソンメドレーを聴いて知見を深めたり、それらの中から特に好きな曲を集めては、フルで聴きこんで自分のレパートリーを増やした。手始めに当時から好きだったけいおんやハルヒの曲を、主題歌や劇中歌からキャラソンまで網羅できるように聴きこんでいった。

 

COOL EDITION

COOL EDITION

  • 朝倉涼子 (CV.桑谷夏子)
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 というわけでこちら、当時の自分がそんな過程で覚えてカラオケでよく歌っていた、我らが朝倉涼子さんのキャラソンCOOL EDITION。聴いてもらえば分かると思うが、当時からこういうちょっと暗めのニュアンスのある、アップテンポな曲に惹かれがちだった。あとこれは完全に余談だが、曲全体を通してちょこちょこ入っている英歌詞のコーラス部分は、ニコニコ動画だと小学生の落書きみたいな空耳歌詞がコメントされていてちょっと可哀想。

 

 新しいアニメもどんどん観た。友人に見栄を張るためだけに違法アップロードサイトを巡回した。そこで聴いた好みの曲を片っ端からニコニコ動画で検索して、公式か非公式かも分からない動画でひたすら聴きこみ続けた。とあるから物語シリーズまで、ベン・トーから俺ガイルまで、さよなら絶望先生からひだまりスケッチまで。

 中でも『人類は衰退しました』は原作のライトノベル含めて、特に大好きな作品となった。今でも俺は中原麻衣の声を聴くだけであの頃の全てがフラッシュバックする。

 


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 こちらはそんな『人類は衰退しました』のオープニングテーマ、nano.RIPEのリアルワールド。なんだかんだもう10年以上前の楽曲ではあるが未だに根強い人気があるらしく、最近でも『塩対応の佐藤さんが俺にだけ甘い』とかいう、令和特有のタイトルだけであまりにすべてを語り過ぎているアニメが人類は衰退しましたのパロディをやっており、Twitterで少しだけ話題になっていた。個人的にもかなり思い入れのある大好きな曲。声質の関係であんまりカラオケで歌うことは無かったけど。

『のんのんびより』や『はたらく魔王さま!』など関してもそうだが、自分にとっての「アニソン」を語ろうとすると、どう足掻いてもどこかでnano.RIPEとぶち当たってしまう。僕と同年代で学生時代に自称オタクをやっていた人たちなら、高校3年間のどこかでこのバンドと関わる機会があったのではないかと思う。

 

 オタクを自称する人間としてはあるまじき行為だという自覚はあったが、この頃になると別に観てもいないアニメの主題歌も聴くようになった。このはっぴぃ にゅう にゃあなどは特にその代表例と言える。ここ最近でもTwitterで話題に上がっているのを見かけてびっくりした。それだけアニメ界に爪痕を残した楽曲だと思うのだが、それが主題歌として使われている『迷い猫オーバーラン』のアニメを、結局俺は今に至るまで観ていない。

 

はっぴぃ にゅう にゃあ (TVサイズ)

はっぴぃ にゅう にゃあ (TVサイズ)

  • Serizawa Fumino, Umenomori Chiyo & Kiriya Nozomi
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 ただ、これに関しては「面倒くさいからアニメを観ていない」では無くて、原作のラノベと矢吹健太朗氏によるコミカライズ版は読んだうえで、作品としてどうにも好きになれず観ていない、が正しい。もちろん面倒くさくて観ていないアニメもたくさんある。

『パパのいうことを聞きなさい!』なんかもそうだったが、当時から松智洋作品がどうにも好きになれなかった。今でも人気のある鈍感系主人公が多数の女性に想いを寄せられる系のラノベばかり書いていた印象があるが、彼の作品は毎回必要以上にハートフル過ぎるのがどうにも気に入らなかった。そういうの求めてラノベ読んでねえよと思いながら読んで、迷い猫もパパ聞きも途中で挫折した。俺は未だに迷い猫序盤の「ブルマ派とスパッツ派が戦った挙句、その両方を着用した『ブルッツ』派が出てきて三つ巴の形になる」みたいな下りが心の底から理解できていない。故人にこういうことを言うのは少々気が引けるが、本当にスベっていると思う。はがないの9巻以降の展開くらいスベってる。

 とはいえ、この曲に関してはよく聴いていた。「もってけ!セーラーふく」といい「Os-宇宙人」といい、こういう電波ソングに心を救われていた時期が別にあったわけではないが、未だに「アニソンといえばこうだろ」 みたいな、尖った思想を有している自分はいる。そういう意味では「シカ色デイズ」はひさびさに楽しかった。

 

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 といった感じで、当たり前だが寝る間も惜しんでこんなことに時間を費やしていると、学業成績は目も向けられない勢いでがた落ちする。赤点すれすれの毎日を送っていた時期を、定期試験の順位に青ざめたあの瞬間を、今でも夢に見ることがある。

 僕の高校生活のほとんどは2chまとめとニコニコ動画、小説投稿サイトとSSまとめとブックオフ、そして違法アニメアップロードサイトで説明できる。眠りこけながら授業を受けて、自転車で町中の古本屋を巡って漫画を集め、帰って部屋の小さいノートパソコンとガラケーのiモードを酷使して、寝落ちするまで好きなサイトを巡回する。当然予習も復習も一切しない。あまりに終わり散らかした学生生活。専門学科の高校に通っていた関係上、僕は余弦定理の途中くらいで3年間の数学から足を洗ったのだが、それでもまったく着いていけなかった。未だにその堕落による後遺症で苦しんでいる。

 こうして健全な学生生活を犠牲にアニソンを沢山覚え、その身で改めて臨んだカラオケ大会は前回より大いに盛り上がり、友人からはこの曲知ってるのかよ、この曲初めて聴いたけどいい曲だな、など大変ありがたいお褒めの言葉を賜るなど、上々の結果となった。

 

 上述の通り、人生が歪んでしまうくらいにサブカルに没頭していたのが高校生の頃だったわけだ。間違いなく今までの人生で一番アニメを観ていた時期だった。今考えると、それだけ体力があったのだと思う。好きなアニメもアニラジも声優も日を追うごとにどんどん増えた。声優同士の関係性に思いを馳せる時間も増えた。だから今Vtuberにハマっているのだと思う。

 今はどうにも映像媒体を「観るぞ!」という気持ちになることにすら、体力が要るようになってしまった。当時からその傾向はあったが、結局漫画や文章の方が、自分のペースで付き合える分楽でいいと考えがちだ。改めて考えてみても、高校生以降でハマったアニメはそこまで多くない。アニメ主題歌目的でCDを買ったのも宝石の国が最後だと思う。宝石の国は僕が初めてアニメDVD-BOXを購入した作品でもある。OPもEDもどちらも大好き。

 


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 あとはせいぜい鬼滅の刃を始めとした超クオリティでアニメ化されたジャンプ作品のいくつかや、もともと原作漫画がめちゃくちゃ好きだった「ピンポン」のアニメ、あとは「ゆるキャン△」くらいか。思えば「ゆるキャン△」も件の友人きっかけで漫画を読んでハマり、アニメを観始めた。何もかも彼に教わっている気がしてならない。でも僕も彼に「安達としまむら」を教えたからイーブンか。何の勝負?

 

 今思えば、当時ボカロ曲をランキングや歌い手から聴きこんでいたことも含めて、自分の知らない音楽を発掘する楽しさに気付いた時期だったように思う。ゴールデンタイムの茶の間で放映される音楽番組が紹介する音楽が全てではないことを、身をもって実感したきっかけがアニソンであり、ボカロであり、インターネットだった。ここから邦楽ロックにハマって新しいバンドを探す楽しさにのめり込んでいくのは、ある種予定調和のようなものだったと言える。となると今の樒(@w3810t)の人格の方向性を決めてしまったのは、元を辿ればこの友人との関わりかもしれない。

 自分の人生が悪い意味でおかしな方向に行ってしまったのが、この友人とつるむようになった高校2年生のこの時期だと今でも思っているが、それは音楽の趣味嗜好の方向性に関しても当てはまるわけだ。僕はバンドをそれなりの熱量で語る時に「人生を狂わされた~」といったような、自身の語彙を誤魔化すための誇張表現を平気で語る悪い癖があるが、この際はっきり申し上げるとその辺のバンドなんかよりも、この友達との付き合いの方に全然舵取りを狂わされている。

 

 おい聞いているか中原、おまえのせいで俺の人生めちゃくちゃだよ、どうしてくれるんだよマジで、今更だけど本当に責任を取ってほしい。無様なこの俺を遠隔で養ってほしい。それはそれとして結婚おめでとう。妻子のある身で独居老人コースを直進する旧友にはもう会う機会はなかなかないかもしれないけれど、もしどこかでまた会えたらこれまで通り仲良くしてくれると嬉しい。幸せでいてくれ。

 

 

軽音楽-アフターソウル

 

 とりあえず見てくれ

 この角川文庫のホラー小説の表紙みたいなジャケットをよ

 

軽音楽

軽音楽

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 夕暮れの景観が生み出すノスタルジーより先に、得体の知れないものが這い寄ってくるような根源的な恐怖が勝るこの色味。赤すぎる。『赤い部屋』くらい赤い。空の青が血液の心理補色であることを一も二もなく頷かせるような、鮮やかすぎる赤。友人の自室の壁にこれのメガジャケが飾ってあったらどう思いますか? これがアルバムジャケットである、という前提知識が無かったら、さりげなく精神の状態を伺いませんか?

 こんなに赤かったら1曲で3人くらい人が死なないと採算合わないぜ、と物騒なゆるふわ樹海ガールのサビみたいなことを考えながら歌詞カードを開けば、意外と人は死んでいないしそれどころか何やら甘酸っぱい雰囲気の歌詞が多い雰囲気。おやおや、と思いながら自前のPCのiTunesにCDをインポートするという、サブスク全盛のこの時代において極めてクラシカルな、考えようによっては嫌がらせのような手法で音源を取り込み、聴きました。名盤でした。多少山田亮一という男への贔屓が入っていることは否めませんが、とりあえずサブスク解禁前に買っておいた方が良いかと思われます。素晴らしいアルバム。

 

 というわけで今年の4月についにリリースされた、山田亮一とアフターソウル改めアフターソウルによる1stアルバム『軽音楽』。先行リリースされた楽曲含めて全11曲入り48分と、フルアルバムとして申し分ないボリューム。耳から流し込むタイプの娯楽はこれくらいのボリュームが一番ちょうどいい。ここに映像が付くと途端に億劫になる人体の不思議。

 2023年ごろ、バズマザーズが今後どうなるかの公式での明言もおろそかに新バンドを結成すると宣言したのもつかの間、四十も過ぎてメンバーオーディションのような催しを開催し、そこに集まった選りすぐりのメンバーを合わせていざ結成、となった矢先に大麻所持で逮捕、からの過去の爛れた女性関係の暴露、そして戻ってきて配信限定の音源リリース、いよいよ本格始動かと思ったらベーシストが失踪、からの爛れた女性関係の暴露リターンズ、からのベースとドラムの脱退。ここまででだいたい2年である。「波乱万丈」みたいな、常用漢字だけで構成されている四字熟語では到底表現できないほどの、信じられないくらいの紆余曲折。

 ついでにこの2年間で、PK Shampoo主催のサーキットイベントである「PSYCHIC FES」を2回ドタキャンしている。ヤマトパンクスは山田亮一をバールのようなものでどつきまわしても別に誰も文句言わないと思う。

 

 ただそのどれもこれも、この素晴らしいアルバムを出すための布石に過ぎなかった、そう言われれば全部許せてしまう、わけでは決してないが、情状酌量の余地くらいは与えたいと思わせられる一作であることは間違いない。

 2018年にバズマザーズのムスカイボリタンテスがリリースされてから、かれこれ8年弱。長い沈黙、というには音楽以外のいざこざが少々騒がしすぎた気がするが、何はともあれようやく彼の新しい足跡が手に取ることの出来る形で結実したことを、まずはファンとして大変嬉しく思う。おかえり、待ってた、最高、ありがとう

 

 とはいえ、EPとして先行配信されていた曲、そしてハヌマーンの頃の楽曲である『アパルトの中の恋人達』を除いた新規収録曲に関しては、ほとんどは弾き語りやこれまでのライブにて演奏されている楽曲であり、ときおり都内や大阪の方で行われる山田亮一の弾き語りライブや、アフターソウルのライブに足繫く通っている方にとっては、そこまで耳新しさは無かったのかもしれない。それより音源としてリリースされたことの方が嬉しいか。

 かくいうわたくしは新規収録曲に関してはすべて新鮮だった。YouTubeに本人ではないであろうアカウントからアップロードされている、昔の弾き語りライブの切り抜きで聴いた曲もあるにはあったが、ほとんど初見のようなものだった。全曲インポートされたことを確認して愛車に乗り、耳障りにならない程度に音量を上げて全曲通して聴いた。その時が朝だったのか夜だったのか、通勤中だったか宛てもないドライブだったのかはもうよく覚えていないが、家から遠ざかりながら聴いたのは確かだった。『最低のふたり』を、一人きりで聴くところから始めた。

 


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あの子は 薔薇さえ羨む様な、美しい空っぽの花瓶

最低のふたり/アフターソウル

 

 一人称視点での等身大の恋愛劇を、常人離れした語彙で捻りながらも実直に書いている曲が比較的多い当アルバムの、1曲目にふさわしい「あの子は」から始まる歌詞。素晴らしい。他の方が書いたnoteを読んで気が付いたが、花瓶が「あの子」で造花が「僕」なのやってますわ、これ……

 山田亮一とアフターソウル名義で配信された『アバンチュール-EP』の3曲目であり、アルバム化にあたって収録された形となる。おそらく最後の曲とタイトルが被っている、歌詞で女を殴っている等の理由で、EPの中で唯一ハブられてしまった夕凪くんの思いを背負ってのトップバッターだが、これは本当に1曲目で聴くべき曲だと思う。マジで。EPで聴いた時よりもずっと強く印象に残った。イントロもそこそこにそのまま終わりまで一瞬で駆け抜けていくようなこの爽快感。何らかの形でシーブリーズにも添加した方が良い。これからの季節、デオドラント界隈に革命を起こそう

 1サビ後の「寝汗を交えたあの夜の備忘録を果たせメロディ」の歌メロが好きすぎる。これまで死ぬほど曲を作ってきたはずなのにまだこんなの出せるのかよ。最早驚愕通り越して怒りが湧いてきている。本当に社会的に死ぬ前に搾り取れるだけ搾り取りたい。カツアゲが足りてない。邦楽ロック界隈はもっとあいつにジャンプさせろ。

 要所要所にキレのあるギターやBPMに反して音圧の強い派手な演奏、落とすところは落とすメリハリの巧みさなど唸るポイントだらけだが、その実どこまでも愚直なラブソングなことが今になって逆に新鮮。個人的に、未だに彼の書く恋愛ソングとしては「トラベルプランナー」の影響が強すぎてか、どうにも失恋、というか実らない恋を描いてほしいという気持ちが拭えないが、ここまでまっすぐに直球勝負を仕掛けられるとそれはこちらも覚悟を持って受け止める所存である。かかってきてほしい。ハートで受け止めてやる。

 次の娯楽だってそう。

 

恋する二人はチンパンジー 賢く毛が無いチンパンジー

どれだけ娯楽で埋め尽くされていようと

孤独が埋められない

娯楽/アフターソウル

 

 人間と比較してチンパンジーはDNAレベルで見ると数%の違いしかない(具体的な数字は主張によって2%だったり15%だったりする)らしいが、その欠損を「人として何かが」欠けている、と表現したのであれば、まだ山田亮一って十二分なくらい尖ってんだなと思いました。「恋する」および「賢く」を付ければ別に何でも言っていいというものでは無い。

 これは誉め言葉だがイントロが長い。苦にならない秀逸なイントロが長いことを人は贅沢と称します。めちゃくちゃ贅沢。終わった、と思ってからもう二山くらいある。

 10年くらい前、ボカロPが自らの肉体をさらけ出した音楽でメシを食い始めたあたりから、イントロ無しでいきなりボーカルから始まるタイプの楽曲が流行り始め、2026年現在も一定の勢力を保っているような気がするが、真逆。生き様含めて時代に逆行しすぎている。そしてこんなにいつ歌い始めるのかヒヤヒヤするような曲のタイトルが『娯楽』なの強すぎる。恋する二人のことではなく、その周りを埋め尽くすほど存在していても、孤独を埋められない程度の有象無象の名前をそのまま付けているの、何と言うか自身の生業に対するハイレベルな自虐が過ぎる。どう考えても。

 アフターソウルはこれまでの山田亮一バンドと比較しても、全体的に曲名がすごくシンプルになっている印象があるが、かえってそれが潔く感じる。【小難しいカタカナ】・【小難しいカタカナ】みたいな曲名もそれはそれで好きだが、二字熟語のみでバチっと決まっているタイトルは他の何にも代えがたい魅力がある。だってもういっそ「陰茎」とかでもカッコいいもんな。いつかアフターソウル名義で出してほしい。

 前の曲から駆け抜けていくように繋がるAメロから、サビでグッとテンポを落とす展開、元気目のロックバンドの2曲目としては攻めてるなと思うが、そこを単純な歌メロの良さでカバーしているあたり流石の経験値を感じる。ド失礼なことを書くか、あれだけ女性関係を拗らせておいて、まだ「きっと僕ら上手くやれる」とサビに書ける胆力は本当にすごい。自分のことを書いたのではないと言われればそりゃそうかもしれないけど。

 

 そしてここまで異性のことを赤裸々に歌っている曲が続いたが、これ以降もしばらくはこのターンが続く。というわけで3曲目、先行配信された「五音ガール EP」より唯一の収録、五音ガール

 


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 他の2曲が収録されていないのは、片方は版権、片方は間の悪いことに今はもういないメンバーを間奏で紹介しているからだと思われる。ポケセンは無理だとしてもファズミーテンダーはどうにか収録してほしかった。サブスクで聴けるので聴いてほしい。

 ペンタトニックスケール(五音階層)とgoneをかけた洒落の利いた曲名。耳コピが出来ないので分からないがこの印象的なメインリフもおそらくペンタなのだろう。たぶん。知らないけど。本作の収録曲の中でも、4人体制としてギターが2本になった恩恵を強く受ける1曲である。2本のギターの絡み合いが滅茶苦茶気持ちいい。

 そして前の『娯楽』の時も書いたがこの曲もイントロが結構長い。というか本作の収録曲は『最低のふたり』と『言葉の暴力』以外全部Official髭男dismのPretenderくらい長い。というかPretenderが思ったより長い。

 

「京都へ行こうよ、ギターを持って。明日の正午私を摘んで。」

慌てて取り込む洗濯物に わたぼうしの不時着

五音ガール/アフターソウル

 

 この最高の歌い出しが回想の前語りで、2番で酒瓶が顔面に叩きつけられているのに気付いた時、本当に何とも言えない顔になった。「面影炸裂三秒前」って、語感だけで言えば相当好きな漢字七文字(天王寺減衰曲線くらい好き)なのにこの情けなさ。ただそれが良いとも言える。

 楽曲の構成としてはイントロ→Aメロ→サビとオドループくらいシンプルで、サビも特段小難しいことを喋っているわけでもなく、全体的に非常に覚えやすくノリのいい楽曲になっているが、メインリフとして用いられている2本のギターが絡み合うフレーズが最高過ぎて毎回ノリノリで聴いている。アフターソウルがどれだけ続くかは分からないが、続く限りは定番曲だと思う。そうあってほしい。

 

 ライブ映えの観点で言えば次の汚言症も中々だと思う。何と言ってもBメロに「Foo!」みたいな、これまで「恋のデーデン」くらいでしか覚えの無かったタイプの合いの手がガッツリ盛り込まれているのだ。初めて聴いた時自分の耳がおかしくなったのかと思った。

 言ってしまえば人目もはばかることなくイチャついてる男女に対して車内から悪態を付くだけの、なんというかもう、30代独身男性向けテーマソング(断じて『応援歌』ではない)みたいな曲なのだが、それの何が「Foo!」なのか。Fooではないよ全然。

 

僕は二人の恋のNPC ポリゴン細工の劣等感

今日でお別れじゃあるまいし

さっさと唇離して視界からご退場願いたいの

汚言症/アフターソウル

 

 ここまで「邪魔だどっかいけアホ」をの心情を克明に描いてノリノリのサビに配置されると、こちらも盛り上がらねば無作法、くらいは流石に思ってしまう。冷静になれば、根っこのジャンルは違えどその辺の自殺願望をパッケージングした曲を聴いた時よりもよほど死にたくなるタイプの詞世界なのに、なんでこんなにコミカルな曲調なんだ。何度でも言うけどFooではないよ全然。それはそれとして『お手々繋ぎ行く彼氏は左手「恋人は右手」 その点、独りぼっちの僕と大して変わらないさと考え中』って歌詞、本当に何を食ったら思いつくんですか?

 これは本当に余談ではあるが、最初の歌詞である『信号待ちの刹那』が信号待ちの「セスナ」に聴こえて、どんな車だったっけと思って検索したらなんかちっちゃい飛行機が出てきた。セレナの間違いだった。このくらいの車の知識しかない人間が自動車メーカーに関わっています。この国の製造業はもう終わりです。

 

 次曲、前半戦ラストの5曲目、美しいアヒル。全体的に5曲目までは歌詞はさておき明るい曲調の楽曲ばかりではあるが、この曲も例に漏れずそのタイプの楽曲。アルバム曲としてサブスク公開されているのがこの曲と『オルタナくん』なのだが、何となくそれもよく分かる気がする。アルバム全体、特に前半の雰囲気を一番よく表している曲だと思う。

 


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 飛び跳ねて楽しむような楽曲と言うよりは、横揺れで楽しむ様な楽曲。そこまで過剰に早いわけではないテンポと、それでも撥ねるようなリズムを刻むドラムが良い味を出している。そして失恋ソングとは到底思えないギターソロが入っててとても面白い。

 トラベルプランナーの歌詞とかもそうだが、恋というものは得てして明確な切っ掛けなどなく、漠然としたもの、みたいな価値観が彼の中に在る気がしており、この曲はそれが端々から滲み出ている。ただ、あの頃のような過度に厭世的な思想から発されたものでは無く、純粋に他者を思いやるような歌詞選びをしている所に、よく言えば成熟を、悪く言えば加齢を感じる。

 この辺が嫌だと、山田亮一は小難しい言い回しと根の深いペシミズムが前面に出てこそ、みたいなことを思っている人は、そもそもこのアルバム自体がちょっと性に合わないと思う。気持ちは分かる。特にこの曲はびっくりするくらい棘がない。詞も歌も。すんんごい、良い大人。

 

 そういう面倒臭いファンへのサービスのためか、単純にこのアルバムのコンセプトに合致しているからか定かではないが、何はともあれ当アルバム唯一であるハヌマーン時代の楽曲の再録。アルバム中央に燦然と煌めく6曲目、アパルトの中の恋人達

 


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 知った頃にはバンドすべてのCDがプレミア化していた約8年前の俺の虹彩に、燦然と煌めていたこのREGRESSIVE ROCKの深い青色。これが音楽サブスクに月額いくらか落とすだけで聴き放題の現代が本当にありがたいし、オリジナルと形こそ違えど、この曲が収録されているアルバムが、自分の手元に残る形で手に入ったことが本当にうれしい。ちなみにアフターソウル体制によるハヌマーンの楽曲再録としては「ハイカラさんが通る」「ネイキッド チャイニーズガール」に続いた形となる。どちらも配信はなく、CD限定。

 というわけで改めましてこんにちは、アパルトの中の恋人達再録ありがとう委員会から参りました、アパルトの中の恋人達再録ありがとうと申します。この世に存在するすべての名詞を『アパルトの中の恋人達再録ありがとう』にしたい。この世から余計な諍いを全て消し去りたい。きのこ派もたけのこ派もケイドロ派もドロケイ派もDQ派もFF派も右派も左派もシーア派もスンニ派も全員まとめてアパルトの中の恋人達再録ありがとうに名称を変えてほしい。その辺のインプ稼ぎのアルファツイッタラーも全員名前をこの曲に変えろ。どうせ検索機能死んでるんだから妨害とも思わない。何でこんなに良い曲が10年以上前からこの世に存在しているのに世界から争いは絶えないんだ。ヒマなのかもしかして。

 こんな説明不要の名曲を今更あれこれ語るのは、いかにBLEACH連載当時の少年たちにとって『卍解』というシステムが画期的だったのかをいちいち語るような気恥しさがあるのでやめておくが、もう端的に言えばあれですよ。ハヌマーンが解散せずあのまま5年も続けていれば、今頃私立大学生が煙草と缶チューハイの写真を添えて投稿するインスタのストーリーで流れる曲の半分はこの曲だったと思いますよ。形式化されたエモを一匹のマグロとした時の、大トロの部分です。顔だけ良くて他全部ダメな元カレが教えてくれるタイプの曲です。こういう無粋な冷笑と常に隣り合わせの曲です。あんまりこういうこと書くと怒られそう。

 重ね重ねにはなるが再録が本当に嬉しい。もともとの音源がわかりやすくギターを重ね取りしているタイプのものなので、特に4人編成になって大きく変わったなというところは、少なくとも自分は感じられなかった。ほとんどあの時のまま。強いて言うなら少し音質が良くなったというか、ギターのサウンドは気持ち程度今風っぽくなったような気はする。歌唱自体は正直ハヌマーン時代の方が好きだが、これはもう慣れ。聴き続けていればそのうち変わらなくなると思う。

 執拗に「ふたり」のこと、或いは「ふたり」を外側から見る自分を書き続けたこれまでの5曲を総括するのがこの曲なのがとても良い。考えてみればハヌマーン時代の楽曲を一曲このアルバムに持ってくるとすれば、アパルトの中の恋人達以外の選択肢は無かったかもしれない。とはいえ今後もアフターソウルが続いていくとして、他のハヌマーン時代の楽曲をまた再録と言う形で収録することもあるのだとしたら、是非続けてほしい。細々とでもいいので。

 

 しかしここまで恋愛、恋愛、失恋、失恋、失恋、恋愛と、恋と愛のことばかり歌っている。別にこれはこれでいいが、もうちょっと雑にぶん殴ってくれるような曲があっても良いと思うんだよな~と、甘いものの食べ過ぎでしょっぱさを求めてしまう時の心境になりかけたあたりで提示されるのが、7曲目、オルタナくんである。ここからが本番、と言わんばかりのベースイントロ、リフの激しさ、苛烈な言葉選びの歌詞。

 


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未来人の嘲笑するその口臭が

僕等の従属する娯楽に降りかかる

オルタナのオルタナティブ、それを欲しがっている

物質の奴隷はさぞ滑稽だろう

オルタナくん/アフターソウル

 

 冒頭からこれである。パンチラインがすぎる。Twitter(現X)のタイムライン上で絶えず展開され続ける、冷笑と罵倒を主成分としたオルタナ論争を観測しては、その背景にある歴史や定義などが本当に分からず言葉を挟む余地もないわたくしは見なかったふりをする他なく、いつももじもじと黙りこくっているわけだが、その「オルタナ」の根底側にいらっしゃる方がこの歌詞を歌メロに乗っけるのは、なかなかに反則くさい気がしてならない。けどいい。あんたがルールや、どんどん暴れてくれ、サブスクの外側で

 これまでの山田亮一バンドではあまり見られなかったような、過度にポップな楽曲も目立つ当アルバムにおいて、ある意味一番まっすぐ、聴き手側である俺の方をまっすぐ見据えている、という意味でのストレートな曲。五音ガールとはまた違ったテイストの定番曲の匂いがする。いつまで経ってもこういう曲が好き。そして『軽蔑を掻き鳴らしてよ』の後に入るギターソロが「猿の学生」のソロをオマージュしているのめちゃくちゃアツい。現代の冷笑の先取りみたいな世界観である猿の学生が、こんなにアツい曲に引用されるなんて。アパルトの再録と言い、本当に出し惜しみがない。

 

ヘドロを掴んで立ち上がって らけんろーをぶちかまして

厄秒、厄分、厄時間も テレキャスターでぶん殴って

そんな当たり前を 忘れかけていた

オルタナくん/アフターソウル

 

 最後のここあまりに反則過ぎる。パンチラインという言葉で提示して良いパンチの威力ではない。拳ではなくテレキャス振り回しているのだから当然と言えば当然。

 何がオルタナで何がオルタナではないのか、もしかすると俺が好きなのはオルタナでは無くて、単に世間的にまだ見つかっていないバンドに熱を上げている自分なのではないか、シューゲイザーって聴いていると心が弱くなるだけなのではないか、音楽ジャンル上のエモってぶっちゃけ何がエモなのかな、など、深夜、何気なく覗いたSNSの心無い言葉の飛び交う論争で、わけもなくメンタルを地に落した後に宛てもなくApple Musicやsoundcloudを徘徊しながらそんな益体もないことを自問自答し続ける自分に、あまりに刺さる詞。あんたが定義や。ルールや。これからも存分に暴れてほしい。わたくしの心の中で。

 

 

 

アホ死ね虚しく消え失せろ ボケナス殺すぞ弁えろ

言葉の暴力/アフターソウル

 

 加減しろアホたれ

 

 

 こんな一言一句違わずコピペしてXに載せたら弁解の余地も許さない勢いで凍結されそうな詞を、こんなゴキゲンなメロディに乗せやがって。しかもよりにもよってサビじゃねえか。罵倒罵倒形容罵倒罵倒脅迫命令ってなんだよ。史上最悪のサビの歌詞。

 というわけでこちら、間違いなく今年に入って僕が一番口ずさんでいる歌、言葉の暴力。意味もなく付けたマスクの下で、会議で詰められるたびに上記のサビを音もなく呟いている。音楽に救われるってもしかするとこういうことなのかもしれない。

「暴力」と付いた曲名と、上で引用した歌詞から分かる通り、このアルバムにおいて最高火力となる楽曲である。分かりやすすぎるほどにキラーチューン。山田亮一ってこういう歌詞書いている時が一番イキイキしてるんじゃねえのかってくらい、メロディと歌詞の親和性が高い。冒頭とか大阪の治安悪い場所のステレオタイプなイメージをそのまま描いているだけなのに、謎のラップ調と秀逸な言葉選びで芸術と化している。

 冒頭のギターのアンサンブルが心地いい。ギターが2本になった恩恵をかなり強く感じる。全体的にめちゃくちゃファンキー。なかなかこれまでの氏の音楽では聴くことの無かった曲調で、初めて聴いた時はかなり衝撃だった。

 一個前のオルタナくんはアツいパンチラインが多かったが、こちらは痛快なキャッチフレーズの宝庫である。サビ前の『こちら因果です、応報に参りました』とか、これもうほとんど半沢直樹だろと。アンダーグラウンド半沢直樹が過ぎる。今度の日曜劇場の主役はあんたや。石丸幹二とか香川照之とか集めて全員ぶっ飛ばしてほしい。

 

六法全書の角で人を殴るのはオッケーみたいな倫理

我々が互いを理解し合う為に 病名の数が世の中には足りてない

言葉の暴力/アフターソウル

 

 こことかね、昨今の終わり散らかした某SNSの治安とか、数年前自分の無能さに悩んでメンタルクリニックに駆け込んだのに病名の1つも与えられず単にIQが平均以下だということが医者の口から告げられただけの俺とかに、刺さるね……

 というか今調べて気付いたんだけど2026年5月現在アフターソウルの楽曲JASRACに登録されてない。ここまでの歌詞引用ってもしかしてダメか? もしダメだったら言葉の暴力で咎めてくれると嬉しい。速やかに差し替えます

 兎にも角にも、それぞれベクトルは違えど真っすぐな楽曲の多かったここまでの流れを、圧倒的に最悪な言葉選びで塗り替えている。最後のサビのシンガロン部分含めて、サーキットイベントや対バンのゲストなんかで披露したらそれはそれは物議を醸すだろうが、どうせ失うものなんて無いんだから気にせずブチかましてほしい。観る側のわたくしの方も何も気にすることなく囃し立てる所存である。何なら隣の兄ちゃんと肩組んで罵倒罵倒形容罵倒と洒落込みたい。そして次の曲が始まるころにはすっかり他人同士でありたい。

 

往々、朝が来りゃ交渉道理

他人同士そっぽ向いて帰りましょう

アバンチュールは初恋をからかう様に吹くビル風みたいさ

アバンチュール/アフターソウル

 

 というわけで9曲目、山田亮一とアフターソウル名義での初シングルとして先行配信されたEPのリードとしてもおなじみ、アバンチュール。何となくこの単語自体にちょっと古臭い印象を抱くのは自分だけだろうか。「マドンナ」とかと似た雰囲気を感じる。

 


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 EPが配信された当時、他の2曲はよそにこの曲ばかり繰り返し聴くほどにハマり、何をトチ狂ったのか普段ろくに開きもしないLINEのプロフィール欄で流せるマイミュージックをこの曲に変えたりと、今思い返しても熱病に冒されていたとしか思えないのめり込み方をしていた。なんであんなにハマっていたのか分からない。山田亮一の新曲が出たことが死ぬほど嬉しかっただけかもしれない。

「アバンチュール」という言葉そのものにちょっと古臭い印象があると先で書いたが、そもそもこの曲の曲調や音作り自体がとても今風ではない。Aメロもサビもギターの音もテンポ感も何もかも、とても「今をきらめく」という雰囲気ではない。何ならバズマザーズの時の方が未来の音楽を鳴らしていたように感じる。それでも引き込んで聞かせてしまうのが、彼の非凡さなのだろう。楽曲全体の雰囲気も音作りも何もかもちょっと自分のストライクゾーンから外れているはずなのに、全部合わさると不思議と好みの真ん中をぶち抜いてくる。不思議な曲。

 かろうじて言語化できる「好き」の要素としては、サビのメロディに対する歌詞のハマり方の気持ちよさと、ラスサビでの「交渉道理 他人同士」のあたりのキメの爽快感が挙げられる。ハヌマーンもバズマザーズもそうだが、メロディに乗せる言葉選びが本当に上手い。ただ単に常人離れした語彙力だけでは説明のつかないセンスを感じる。この曲は特にそれが強い印象がある。単にワンナイトするだけの歌詞のはずなのに……

 

 最早お家芸とも言えそうな一晩限りの情交を歌った後、その情交の舞台そのものを歌う曲が10曲目、禅の宿。騒がしい世間から離れて禁欲的な生活を行い、いろいろとデトックスするための宿泊施設として同じ名前の宿が香川県に在るらしいが、真逆。普通に場末のラブホテルの歌である。

 アルバムを通してここまで一切プリミティブで短絡的な単語に頼ることなく、やれ花瓶と造花だ、寝汗を交えたあの夜だ、愛し合うと云うには悍ましい程醜い行為だと、ホモサピエンスの生殖行為を言葉巧みに濁して来た詩的表現の数々の最後が

 

生殺与奪の権利を与えあって

穢れたシーツの上で清らかにあの娘と眠る

禅の宿/アフターソウル

 

 これである。富岡義勇がその場にいたらブチギレそう。

 どことなく『モンキータウンビート』の一節を思わせるような冒頭の歌詞と、一曲目の『最低のふたり』を彷彿とさせるような設定が印象的な歌詞運びの、ストレートなバラード。ゆるやかな曲調も相まってその世界観全てを包み込む概念として、ラブホテルという存在が用いられているような印象を受ける。害虫が出ようと災害があろうとあくまで外面としては平和で、平穏であり続けるその存在そのものが「禅」だとすれば、このタイトルにも納得がいく。ところでなんで俺は歌詞の中のラブホテルをどうにか神聖なものとして見ようとしているんだろうな。ラブホはラブホでしかないはずなのに。

 このアルバムの構成の話になるが、かつてのバンドでの代表曲だった『アパルトの中の恋人達』を真ん中として、前半5曲にストレートに恋愛劇を語る曲を、後半5曲は山田亮一の本来の持ち味である、言葉巧みに性衝動や自身から湧き出る怒りを表す楽曲を配置している印象を受ける。前半が現在地、後半が原点、かつての代表曲はそのどちらの性質も有したものとして。そう考えるとこの『禅の宿』は全体的に緩やかな曲調と豊かな情景描写から、どことなく郷愁を感じる。

 そしてそれはラストの夕暮れにも当てはまる。

 

夕暮れが僕の街を 撫でるように染める頃は

悲しみが消えることはなくても 抗う術はあります様に

夕暮れ/アフターソウル

 

「ナイトクライヌードルベンダー」などを思わせる、胸がキュッとなるような音色のアルペジオから始まるこの曲が、音だけで眼前に魅せてくる茜色の正体は一体何なんだろうと考える。ある程度音楽理論が分かれば、鳴らされる音のどういう作用が自らの目の前にカラスの鳴き声さえ錯覚させてしまうのかを理解してしまうのかもしれないが、それでこの魔法のような景色が消えてしまうのなら、いっそもうバカのままでいい気がしてくる。

 赤すぎるアルバムのジャケットを体現するかのように、音だけでノスタルジーを突き詰めたような曲。「ナイトクライヌードルベンダー」とか「17歳」とかもそうだが、こういう曲を出してくると本当に手が付けれられない。問答無用で引き込まれる。ほとんど領域展開である。こういう曲ばっかり作ってほしい。曲名がこの曲と被っているが故に収録されなかった可能性のある『夕凪』には同情するが、相手が悪い。これが最後に配置されていたら収録する余地は確かに無い。

 何より、最後の最後に入れられた「どうか」で祈るように幕を閉じる曲をアルバムの最後に配置していることで、最初に配置されている「最低のふたり」のサビの重さが信じられないほどに増している。神に祈るわけでも、他の誰かに祈るわけでもなく、強いて言うなら自らの立つ「世界」そのものに祈っているような曲で始まり、終わっている。幸福の刹那を祈る曲で幕を開け、悲しみにどうにか抗う術を乞うように幕を閉じている。オセロの理屈でいけば全編祈り。そんなアルバムを『軽音楽』と命名している。重いよ。普通に。重音楽だよ。

 

 

 全11曲、48分。その内容の内訳は、リリース済のEPに収録済の曲、前身のバンドの時に書いた曲の再録、その他の曲も殆どが弾き語りライブなどですでに周知されていた楽曲。音作り含めて目新しさは薄く、彼の音楽を愚直に追っていればいるほど耳新しさはない。ベスト盤でも無いのに、どこかベスト盤のような気分で聴いたファンも多いのではないか。それなりに各曲に強い思い入れがすでに沁みついてしまっている人も多いのではないか。恥ずかしながら僕はまだこれからではある。でも、そのこれからを、また始められるのがとても嬉しい。

 知った頃にはとっくに解散していたハヌマーン、ライブに一回足を運べたきりほとんどずっと活動を休止していたバズマザーズ、本当に良く分からないサニアラズとfunk discussion brothers。色んなきっかけで山田亮一の存在を知って10年近く経つが、過去何があろうと、彼の足跡をリアルタイムで追えるのはやはり嬉しい。このアルバムの発売は、その結実が目に見える形で手元に残った、ある種の記念碑のようにすら感じる。贔屓目だろうが何だろうが知ったことではない。良いアルバムです。本当に。聴いた方が良い。

 

 

 というわけでわたくしは本日2026年5月27日、福岡でアフターソウルのワンマンを見に行きます! 行く前に書けて良かった! 寝ます!!

 

 

 

 

 こういう記事はさっさと書いた方が良いと思った。もう2週間くらい経ってるけど。

 

 

 好きなバンドを追っている上で一番見たくない文字列、大切なお知らせ。大抵良いお知らせが来ることはない。今回も例外では無かった。

 

 ライブツアーが開催されるときのFC最速先行チケット申し込みの時くらいしかFCサイトなど覗かないので、もちろんFCブログの更新通知にも気づくことなく、普通にTwitterのTLの様子で知った。ツイートとして投稿することも無かった第一声は「は?」だった。今でもこの一連の流れに関して、最小文字数で感想を述べるとするなら同じ結果になる。

 無理もない。Twitterのフォロワーやそれ以外の熱心なファンの方々とは異なり、自分はこのバンドが去年から今年にかけて発していた「違和感」とやらについて、感覚として何もキャッチできていなかったのだから。

 強いて言うなら今になって『うるわしの前の晩』ツアーが無事完了した後の音沙汰が全くなかったな、とは思った。「早く今後の予定を出してくれないと、いざ急に数か月後にライブやりますとか言われても困る」といった不満をツイートされている方を、何度かTwitterで見かけた覚えはある。

 全国ツアーが終われば新しい全国ツアーが始まり、その合間でシングルやらアルバムやらの発表があり、対バンゲストの発表がありフェス出演があり、それとは別で個々のユニゾン以外での活動があり。矢継ぎ早に提示される新しい情報とこれからのライブ日程を引っ提げて、一年中全国を駆け回っていたお三方の頑強さを、近い将来の活動休止を控えた今になって改めて実感する。少なくとも自分が追っている中で、ここまで供給が途切れないバンドは無かった。

 個人的には2か月程度何の音沙汰も無かろうと、多少不思議に思うことは有れど特に気にすることも無かった。伊達に10年以上もワールドトリガーのオタクをやっていない。

 

 現状、田淵氏のコメントがFC限定ブログでしか開示されていない以上、誰でも閲覧できるこのブログにて、その内容についてあれこれ書くことは出来ない。また、公にはされていない田淵氏のコメントを無視して、公式サイトで出された斎藤氏のコメントと、Twitterにて投稿された貴雄氏のコメントを取り上げて、なんやかんや申し上げるのも何となくフェアではない気がする。

 何より他の方が語らずとも感じていた、バンドの「悪い雰囲気」など1ミリも感知できなかった自分が、この活動休止についての考察や、それに基づく意見を述べられるほど単純な話でも無い。なのでこの記事は本当に個人的な、率直な想いを書きたいと思う。

 

 寂しい。

 

 いろいろ言いたいことはあるが、まず、寂しい。それだけ。俺の心臓より先に動きを止めないで欲しかった。

 こち亀の連載が終わった時も、志村けんや円楽師匠が亡くなった時もそうだったが、自分が生きている間に終わる、或いは亡くなるとは到底思えなかった作品や人間が、いざそうなると本当に混乱する。ユニゾンがそこに肩を並べられるほどの存在かどうかのジャッジは流石に人によると思うが、少なくとも自分の好きなバンドの中でも、GRAPEVINEとこのバンドに関しては、病気や怪我などよほどの事情がない限りは当分解散も活動休止も無いだろうと思っていた。

 ただまあ、いつかは終わるだろうと思っていたのも事実と言えば事実。harmonized finaleの歌詞がそうだから、という話ではなく、単純な話、お三方がこの先50歳、60歳になったとして、例えば『徹頭徹尾夜な夜なドライブ』や『天国と地獄』のような、生命エネルギーを過剰に燃やしてパフォーマンスをするような楽曲は難しくなっていくのではないか、という、彼ら自身の加齢とその音楽性の反比例問題である。

 これから数年かけて加齢による個々のパフォーマンス低下を理由に、ライブの頻度やライブそのものの雰囲気、セットリストの組み方などが徐々に変わっていき、ファンも「そろそろか……」と思ったタイミングで、「やりきった」を理由に解散ないし無期限の活動休止を持って、バンド活動にピリオドを打つ、そんないつか訪れるであろうストーリーを勝手に考えていた。

 その「いつか」がこんなに早いとは思わなかった。こんなme me sheの歌詞みたいなことを言いたいわけではないが、少なくともあと数年は年に1回か2回、生で彼らのライブを観ることのできる機会くらいあるだろうと、呑気に考えていた。まさかもう生で観る機会が当分(希望的観測)訪れなくなるとは。嫌すぎる。寂しい。

 

 とはいえ、この発表が5年前とかだったらショックで飯が食えなくなったりしたかもしれないが、時間の流れと言うものは残酷なもので、今の自分はUNISON SQUARE GARDENというバンドを、己の中心軸に置いているわけではない。

 いつかの記事でも似たようなことを書いたが、今の自分にとって、UNISON SQUARE GARDENはあくまで「この世に星の数ほどあるバンドの中でも、特に自分が好きなバンドの1つ」である。別にこのバンドの動向を自分の関心の頂点に置いているわけでも、このバンドの音楽を聴くことを至上の悦びとしているわけでもない。単に、新譜が出たら買い、ツアーが告知されればどうにか1回は足を運べるようにし、気に入ったグッズがあれば会場の物販で購入する程度の、ファン。 近年のアルバムの初回生産限定盤は、「豪華」「自室においてユニゾンの占める割合が増えて嬉しい」というより「マジでデカくて本当に収納に困る」が先行するようになったなと考えるタイプの、ファン。

 なので正直ショックはあったが、思ったよりも動揺は無かった。活動休止の発表から2日後のツイートがこれなことからも、その動揺の無さが伺える。この感傷に浸るターンの短さ、まさにセンチメンタルピr

 

 ついでに、これは個人的な話にはなってしまうが、ここ数年でこういう話に自分が「慣れて」しまっているところもある。

 このブログを立ち上げたのがおおよそ7年前の2019年11月になるが、そこから今日に至るまで、かなりの数のバンドの解散、休止、脱退、炎上騒動その他諸々を見てきた。

 自分が好きなバンドに絞っても、この7年間の間でTHE PINBALLSは活動休止、licalも活動休止、CRYAMYもカワノさんの脱退から現在に至るまで事実上の活動休止。Suspended 4thからはドラムのデニスが脱退、ペトロールズもドラムの河村さんが亡くなり、GRAPEVINEも田中和将氏に文春砲が直撃した。バズマザーズ及びアフターソウルに至ってはもう山田亮一のやらかしが多すぎて列記するのも面倒臭い。あとは一応、フレデリックも三原健司くんのポリープ切除で一時期休止した。時期こそ若干ズレるものの、ヒトリエについては言わずもがな。

 20周年の武道館ライブでのMCでも「バンドを続けることは大変」と田淵氏が言っていたが、それはユニゾン以外のバンドの状況を見ていても痛いほど理解できる。むしろ22年間もオリジナルメンバーが一人も欠けることなく活動できていたこと自体が、ほとんど奇跡のようなものだ。20年間同じ職場で働き続けることがどれだけ大変かは、想像に難くない。新卒で入った会社を2年で退職した俺が言うのだから間違いない。

 

 22年間、それこそ斎藤氏のポリープ切除以外での活動休止を挟むことなく、ただひたすらに走り続けてきた彼らは、少なくともいちリスナーである自分からは、順風満帆なバンドマン生活を送ってきたように見えていた。

 自らのありのままの姿を全肯定し懸命に応援する強固なファンベースと、そのファンの熱意に応え続ける高いクオリティの楽曲と安定したライブパフォーマンスを、これだけの長期間維持し続けているのは、同業者でもない自分から見ても感嘆を通り越して戦慄すら覚える。故に、そのための犠牲として支払い続けた精神的なコスト、そして年々増加する背負うものの重さを想像すると、バンドとしての方向性についてメンバー間で衝突が起こるのも、無理もない話だと理解は出来る。

 今更な話にはなるが、ユニゾンを好きになった当初は、3人のうち2人が別でバンドを組むのも、残った一人が個人YouTubeチャンネルを開設するのも、全く想像していない未来だった。それがどうと言う話ではないが、バンドとしての美学と、個人の表現の追求というのは、これと決して無関係な話では無かったのだろう。少しずつ布石は打たれていたのかもしれない。自分がそれに気が付けなかっただけで。

 

『101回目のプロローグ』が何となく受け入れられなかった時、そしてfun time HOLYDAY 8が延期から中止になったあたりから、彼らの音楽を聴く時間が徐々に減っていった。いつしか彼らは音楽を聴く僕の中での中心軸ではなくなった。彼らの音楽を素人なりにもより深く理解しようとすることもいつしかなくなった。ラジオも、雑誌も、ネット上に掲載されたインタビューにも、シングルに収録されたカップリング曲を自身のiTunesにインポートすることも、定期で家に配送されるFC会員向けの会報誌に目を通すことも、TLで話題になっていたFCコンテンツを観ることも無くなった。興味より、面倒が勝つようになった。

 もちろん新譜は欠かさず買っていたし、行けるライブに行ってもいた。配信ライブは何だかんだ毎回楽しかった。日時を間違えてすっぽかしたことと、他のライブとブッキングして泣く泣くチケットを手放したことがそれぞれ1回ずつあったが、それでも毎回ライブは楽しみだったし、実際にライブを観た日は流石にUNISON SQUARE GARDENが世界で一番カッコいいバンドです、とご近所に喧伝したくなった。

 惰性で聴いていたなどと口が裂けても言えないくらいには、自分の中に深く根付いた存在ではあった。なのでこれは彼らの音楽に飽きたわけではなく、自分の中での適切な距離感を見極めた、というのが正しい。彼らを自分の背骨にも、心臓にも据えることをやめていたから、今そこまでショックを受けることなく立ち直れている。

 これまでの人生において、彼らの音楽を毎日聴かないと本当にやってられない時期だってあったのに、彼らがこの約20年の歴史に幕を下ろそうとしている彼らに対して、さっさと立ち直れる程度の悲しさで済まそうとしている自分が、薄情だと思う気持ちも無くもない。

 貴様に恩義という概念は無いのか、と、知らない誰かから怒られそうな気もするが、ユニゾンの方にもその責任の一端はあると言えなくもない。この際誤解を恐れずに言うが近年のUNISON SQUARE GARDENの音楽とシーンでの立ち位置は、陰気でジメジメしている自分が聴いていると、お前にはふさわしくないとか、知らない法律に違反しているとか、そういう理不尽な理由で赤の他人から怒られやしないかと思ってしまうくらいには、きらびやかなものになっていたように思う。

 現実を突きつけられるようであまり言葉にはしたくないが、平日とはいえ武道館を3日間も貸し切り、FC会員だけでKアリーナを埋められるような存在は、もう「物好き」だけが集うバンドの規模ではなかった。『シュガーソングとビターステップ』が世を席巻した時から、きっとそうなる未来だったのだろう。

 

 

 ただまあ、そんなことを申し上げたところで、結局寂しいものは寂しい。

 

 大前提として、他の記事でも言っている通り当ブログは、この記事を書くためだけに立ち上げたものだ。それが「せっかくブログを開設したんだからいろいろ書くか」が興じた結果、7年経った今でも地味~に続いているだけである。言ってしまえばこのブログの一番根っこの部分にいる存在は間違いなくこのバンドなのだ。特別な思い入れがないわけない。そんなものはカテゴリごとの記事数を見てもらえば一目瞭然である。何せCatcher In The Spyの記事だけでなんか20記事以上あるのだ。最早それを書いた僕より全部に目を通している奴の方がキモいと言える。

 このブログの記事きっかけで自分のことを知ってくださった方々の多くが、現在に至るまでSNSなどで仲良くしてくださっている。そういう繋がりのきっかけをもたらしてくれたのも彼らである。他のバンドのファンもいないことはないが、単純な数で言うならユニゾンきっかけで知り合ったフォロワーが一番多い。彼らがいなかったら、今仲良くしてくださっている方々と知り合う機会も無かった。本当に感謝しかない。一人でひたすらYouTubeと近所のCDレンタルショップを徘徊して、自分に合った好きな音楽を見つけてはニヤニヤと悦に浸っていたすみっこ暮らしの人間を表に引きずり出し、尚且つ心地よいと思える光をもたらしてくれたのは、間違いなく彼らだった。

 思えば初めて入ったファンクラブも、初めて買ったライブDVDも、初めて地元のライブハウスで観たワンマンライブも彼らだった。バンドを追う趣味の中での初めては殆どUNISON SQUARE GARDENとヒトリエが教えてくれた。樒(@w3810t)にとっての原点とは何か、という問いにあえて答えるとすれば、この2バンドを挙げるほかない。恥ずかしいくらいに影響を受けている自覚がある。

 

 UNISON SQUARE GARDENという、どこまでも深い海のその水底まで見つめたい、表面的な部分だけではなく、その楽曲に内包された哲学のようなものにも触れたい、ルーツを辿りたい、全て知りたい、全部楽しい! と思っていた時期と比べれば、今の僕はもう浅瀬でちゃぷちゃぷしながら、光を反射する水面を眺めているだけとしか言えないかもしれない。しかし、その海が干上がってしまい、ともすれば今後、その水面を眺めることすら永久に叶わなくなるとしたら流石に思うところはある。水面を眺めているだけで最高に楽しいバンドだったのだから、なおさら。

 これまで色んなバンドのライブを観てきたが、彼らほど純粋に、ロックバンドのライブを魅せてくれる存在は無かった。余計なMCも曲間の空白すらもそぎ落とし、ただひたすらに音楽体験のみを味わわせるあの時間。共感性とか、一体感とか、音楽ライブに付随されがちなものを全て差っ引いて、ただ楽曲とパフォーマンスを魅せることだけに特化した、愚直なまでに音楽に対して真摯な佇まい。スリーピースバンドが構築する三角形こそがこの世で一番美しい図形であることを、大いに知らしめてくれる存在が彼らだった。それを今後、少なくともかなり長い期間、最悪死ぬまで生で観ることが出来ないのは、純粋に悲しいし、明確に損失だと感じる。 

 この先どうなるのだろうか。意外と早く活動休止期間が終わって、貴雄氏抜きのユニゾンでツアーを回ったりする未来もあるのだろうか。貴雄氏がいないUNISON SQUARE GARDENに強めの抵抗はあるが、もしサポートのドラマーを入れてライブをするとしたら、どうだろうか。僕は正直、1回くらいは観てみたい。きっと何だかんだ楽しむことは出来るだろうし。

 ただ、やっぱり彼らの楽曲を、これまで生み出されてきた秀逸なメロディラインの数々を、飛び跳ねるようなギターとベースのアンサンブルを、おそろしいほどの手数とリズム感で取り持つことが出来るのは、貴雄氏のドラムしかないと感じるかもしれない。斎藤氏と田淵氏が間奏中に後ろを向いて顔を合わせる資格のあるドラマーは、鈴木貴雄以外にはいないと断言するかもしれない。何にせよ、観てみないことには分からない。

 何も分からないな、と思う。遠い未来に親が亡くなることを、今この場で宣告されたような気分。それほどまでに自分の中に、当たり前に根付いた存在であることに、これを書きながら気付かされた。

 

 

 排他的経済水域である九州地方在住の民のことを一切考慮しない日程ばかり組まれるせいで、20周年の武道館を3日貸し切ったあの伝説のライブにも、FC会員だけでKアリーナを埋めた狂気のFC限定ライブにも行けなかった。そして7月に開催される現体制ラストライブ『Sentimental Period』にも、天地、もとい勤務先が物理的にひっくり返らない限り、行かない。行けない。先の2つのように配信があればいいな、とは思うが、別に無くても仕方が無いかなと思う。あったとしてもチケット代一万円は流石にそれなりの勇気が要る。買うけど。

 配信ライブが無かった場合、自分が最後に生で観た彼らのライブは、姫路で観た『うるわしの前の晩』になるわけだが、無論このライブがラストだとは思っていなかった。来年もよろしく、くらいの感覚で観ていた。こういう結末になるなんて、当たり前だけれどこれっぽっちも予想していなかった。あんなにハッチャケたシグナルABCを演奏しておいて、裏では着々と活動休止の準備を進めていたことを思うと普通に二重人格を疑わざるを得ないが、きっとそれがプロってことなんでしょう。

 解散も活動休止も告知していないバンドのライブを、これが最後かもしれないと思って観ることなど、余程の匂わせが無い限りは無い。だから心の準備を設ける期間と、出来る限り大きな会場で現体制での最後のライブを実施してくれるだけ、まだ救いはあるように感じる。本当に苦しいのは、そういう区切りすら用意されず、ある日突然現体制が終わってしまうことなので。

 このバンドのライブがそうではなかったら無形文化遺産などというカテゴリに価値は無いと断じてしまいたいほどに、本当に良いバンドである。活動休止した後もその事実と、これまで積み上げ、リリースしてきた音楽の素晴らしさは変わらない。これから先もずっと聴かれ続けるはずだ。そして休止した後に、色んなきっかけからファンになる方も大勢いるだろう。活動休止の重さを噛み締めて、もっと早く知っておけばと、どうしようもない悩みに打ちひしがれる人もいるだろう。僕にとってのハヌマーンや椿屋四重奏、the cabsやandymoriがそうであったように。推しは推せるときに推せ、みたいな虫唾の走る言葉に悪態を付きながら。

 少しだけ希望の話もするが、上の方でこのブログを立ち上げてから7年の間で、いくつものバンドが活動休止、脱退などの憂き目にあってきたことを書いた。が、長らく活動を休止していたバンドが突如として活動を再開する瞬間も、幾度となく見てきた。近年は特に多い。the cabsはまさにそうだし、NUMBER GIRLやplentyもそう。椿屋四重奏も限定的な復活を見せたり、ハヌマーンも突如過去音源をサブスク解禁したりもした。だからユニゾンも、何年か経ったらひょこっと戻ってくるかもしれない。その時には、貴雄氏も後ろについていてくれると嬉しいなと思う。心から。

 

 僕は今年で31歳になったわけだが、思えば31歳の彼らはとっくに10周年の武道館に立った後、そこで足を止めることなくガンガン新曲を作り全国を駆け回っていたわけだ。いつも思うが、あまりの人生の密度の違いに、自分がいかに怠けて生きているのかを突きつけられてしまうことがある。自分だって一生懸命に生きているはずなのに。考え方によっては、存在しているだけでハラスメントみたいなバンドである。少しは休んだ方が良い。まあ何だかんだ他のバンドや個人での活動があるから、それなりに忙しいのだろうが。

 これからどうなるのかは分からないが、少なくとも僕はこれから先もこのバンドの曲を聴き続ける。これまで何となく距離を取って見てこなかった部分を、今一度ちゃんと見る、いい機会だと思う。これから干上がってしまう海の、かつての波打ち際にてのんびりと、お休みから戻ってくることを待ちたい。

 

 何はともあれ好きになって10年以上、本当に楽しませてもらった。22年間お疲れ様でした。

 

 誰が何と言おうと、UNISON SQUARE GARDENは最高にカッコいいロックバンドです。僕が保証します。

 

 

THE PINBALLSの『Leap with Lightnings tour』のセットリストの良さを改めて語る記事

 

 ビンゴ記事です。前回はこちら

 

 

 今回は「セットリストが良いライブ」の記事となる。

 

 

 ロックバンドのライブに足を運ぶことが趣味になって、かれこれ10年以上が経過している。飽き性の自分がこんなに長く続けている趣味も中々ない。これと読書を抜いたら、いよいよ自分には呼吸と睡眠と排泄くらいしか無い。ろくな四半世紀少々を歩んでこなかったアダルトチルドレンの我が身の中にギリギリ残っている文化的嗜好を、これからも出来る限り大切にしていきたい所存である。

 この年月の中で自分が一体何度ライブハウスに足を運び、好きなバンドのライブを観てきたのか。その正確な数などもちろん把握していない。チケットの半券をスクラップブックに残し、感想をしたためるような丁寧な暮らしはしていないので、本当に分からない。

 きわめて大雑把な計算にはなるが、だいたい月に1回くらいはライブハウスに足を運んでいる計算だとすると、ざっくり年12回×10年で合計120回くらいと推測できる。とはいえ激務で全然行かなかった時期もあれば、コロナ禍と丸被りしている時期もあるので、実際のところはもっと少ないはずだ。体感としては配信ライブを含めても、3桁回数も見た気は全然していない。せいぜい70回くらいだと思う。ただ、そもそも好きなバンドが近くのライブハウスまで来るチャンスの少ない九州の片田舎に住んでいてこれだけ見ているのであれば、まあ、わりとちゃんと胸を張って「趣味」だと言えるのではないでしょうか。基準は分かりませんが。

 

 そんな、これまで自分が足を運んだ、または配信で堪能したライブの中でも、一際印象に残っているその日の曲目、セットリストというのがいくつかある。

 参考として以下にその具体例を列記する。

 

・画面越しとはいえセットリストもライブの演出も何から何まで最高だった、UNISON SQUARE GARDENによる配信ライブ"LIVE (in the) HOUSE 2"(2020年)

・コロナ禍明け直後、アンコールラストの「会いに行く」があまりにもぶっ刺さって未だに抜けないGRAPEVINEの全国ツアー公演"GRAPEVINE tour 2021"

・数年経った今でも史上最高のセットリストだと信じてやまない、ヒトリエの全国ツアー公演"10年後のルームシック・ガールズエスケープ TOUR"(2023年)

・高校生の頃からの「椿屋を生で観たかった」というどうしようもない悲願がまさかの最高の形で叶った伝説のライブ、椿屋四重奏2025による"椿屋酔夢譚"(2025年)

 

 ああ書いているだけでよだれが垂れそう。もしも命と引き換えにタイムスリップが出来るのであれば、親戚や職場の同僚を生贄に捧げてでも、もう一度観に行きたいライブばかりである。

 他にも舞洲とか前世とか超絶野音とかHELL-SEEの20周年とかCRYAMYとわたし野音公演とかCatcher In The Spyのリバイバル公演とかMODE MOOD MODEとか昨年のSPRING TOURとかあのみちから遠く離れてのツアーとか本当にいろいろあるが、ひときわ強い思い入れのあるセトリとなると、上記の4公演はかなり強い。

 

 

 ただ今回は、そんな名だたる名セットリストたちを一度押しのけてでも、長らく自分の心の中にきらめく大好きなセットリスト、THE PINBALLS"Leap with Lightnings tour"についての話をしたい。

 

 

『蝙蝠と聖レオンハルト』がきっかけでTHE PINBALLSというバンドにハマってから、初めて足を運んだライブがこの"Leap with Lightnings tour"の福岡Queblick公演だった。

 このツアーの後からバンドの活動休止までの間、記憶が正しければ地元九州にて行われた彼ら主催の公演に関してはその全てに足を運んだが、その中でもダントツで一番好きなセットリストがこのツアーである。流石に活動休止前ラストのZepp Divercityのワンマンにはボリュームで一歩劣るが、活動休止とかコロナ禍による声出しの禁止とか、そういう雑念無く純粋に楽しんだという部分で大きく勝っている。

 

 まずは肝心のセットリストを下記に記すので見て頂きたい。THE PINBALLSのことをよく知らないそこのお前も、この際だから俺がこの記事にてバンドの魅力をたっぷり教えてあげるので、ちょっと付き合ってほしい。もし万が一この記事がきっかけでこのバンドにハマったら、とりあえず無期限活動休止の虚しさを存分に噛み締めろ。俺を悪魔と呼べ。

 

 

THE PINBALLS"Leap with Lightnings tour" セットリスト

 

1.片目のウィリー

2.ヤードセールの元老

3.I know you

4.アンテナ

5.真夏のシューメイカー

6.20世紀のメロディ

7.299792458

8.沈んだ塔

9.カルタゴ滅ぶべし

10.ひとりぼっちのジョージ

11.重さの無い虹

12.Lightning strikes

13.Voo doo

14.劇場支配人のテーマ

15.carnival come

16.七転八倒のブルース

17.蝙蝠と聖レオンハルト

EN1.花いづる森

EN2.十匹の熊

WEN.サイコ

 

 何度見ても完璧なセットリスト。紙幣にマイナーな偉人を書くくらいなら、これを記した紙にした方が良い。我が国のセンスの無さを憂いている。

 参考にさせて頂いたライブレポートはこちら。ちなみに自分が行ったのは福岡公演で、参考にした記事は東京のTSUTAYA O-WEST(現Spotify O-WEST)にて実施されたツアーファイナルの公演だが、セットリスト自体は共通。

 

 前提として、このライブを見に行った2018年当時の自分は、その時までにリリースされていたアルバム全てを聴いていたわけではない。当時はサブスクにも加入していなかったので、貯金を切り崩しながらCDを少しずつ買い集めている最中だった。

 当時の自分がこのライブの前に聞いていたのは、このライブツアーで引っ提げられた最新シングル『Primal three』とその初回盤に付属するNUMBER SEVEN tour渋谷公演のライブDVD、初のフルアルバムである『THE PINBALLS』、劇場支配人のテーマ目的で買った『さよなら20世紀』と蝙蝠と聖レオンハルト目的で買った『NUMBER SEVEN』、以上4枚に収録されている楽曲と、片目のウィリーや毒蛇のロックンロールなど当時YouTubeにMVがアップロードされていた楽曲のみ。他の楽曲は聴いていなかった。ただ、アンテナに関してはYouTubeに転がっていた、どうみても非公式であろう動画で聴いた。ここで懺悔します。

 なのでこのセットリストの曲目のうち、上記の4枚に収録されていないI know you、299792458、サイコに関してはこの日に初めて聴くことになった。今になって思うが、3曲共に生のライブで初めて邂逅する楽曲としては100点満点だと思う。

 

 前述の通り、当公演は『Primal three』というシングルを引っ提げたツアーである。

 アルバムツアーとシングルツアー、どちらが好きかと問われた時、貴方はどう答えるだろうか。アルバムツアーはアルバムというまとまった数の楽曲による「軸」がある関係上、ライブそのもののコンセプトがはっきりしている印象があり、シングルツアーは単純に「遊び」が多く、披露される楽曲に予測がつかない印象がある。アルバムツアーは世界観、シングルツアーは意外性、とでも表現すべきか。

 ただ、この"Leap with Lightnings tour"がそんな、意外性抜群のトンチキツアーかと問われると、決してそんなことは無い。自分で出した前提を早々に覆すようで恐縮だが、あえてこのツアーを一言で表現するのであれば「THE PINBALLSスターターセット」である。その時点において、何なら活動休止して数年経った今考えても、これを聴いておけば間違いない、をこれでもかと詰め込んだ構成。記念枠のようなライブを除いて、後にも先にもここまで完全無欠のセットリストは、他のバンドのことまで考慮しても正直覚えがない。それほどまでに極めて完成度が高い。

 

 とりあえずこのセットリストの最高ポイントを語っていくが、まずは何と言っても本編最初と最後。片目のウィリーで始まり、蝙蝠と聖レオンハルトで終わるところ。太陽が東から昇って西から沈むことくらい当たり前の話をしているが、まずこれ。最高 。それでいい。それが大正解。気なんて衒わなくていいんだから。

 


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 というわけでこちら、彼らと言えばの代表曲の一角、片目のウィリー。僕が足を運んだ彼らのライブで、一度たりともセットリストから零れることの無かった大アンセムである。なんか今どきのラブコメ漫画でも歌詞引用されたらしい。

 他のライブではラストに配置されていたり、中盤ごろに披露していたりと扱いはセトリによって様々ではあったが、個人的にはこの曲ほどド頭一発目のご挨拶が似合う曲は無い。巷のつまらん社会人が、誰も気にかけないカスの肩書をたくさん並べた長方形のカードをトレードし、コレクションするつまらない予定調和をビジネスマナーとして喧伝しているが、そんな文化などこの曲の前では無力。名刺とかいう前時代的な産物を持ち歩くな。一流のビジネスマンたるもの、目があった瞬間に身体からこの曲のイントロが流れるように肉体を改造しろ。

 特段BPMがめちゃくちゃ速い曲というわけでもないのに、何だろうなこのイントロのワクワク感は。活動休止前のラストワンマンでも最初に披露されていたが、そんな歌詞でも全くないのにあまりにも自己紹介過ぎる。

 あまりに滑らかにAメロから繋がるサビを駆け抜けてから、古川貴之氏がフロアに向けて叫ぶように挨拶をする瞬間を何度か観てきたわけだが、毎回それだけでここから始まるライブが最高であることが勝手に確約された気分になったことを覚えている。

 

 

 そしてこれまで何度か話題に上げていた蝙蝠と聖レオンハルト

 


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 唯一の欠点を先に言います。MVのサムネ怖すぎ。前はこんなんじゃなかったよ。

 片目のウィリーと同じく一度もセットリストにないことの無かった定番曲であり、このガンギマりの女優さんの圧に負けないくらいにパンチのあるライブアンセム。メジャーデビューでこんなん持ってこられたら、そらもう時代はあんたらのもんですワ! 時代にセンスが無かった。本当に。

 前述の片目のウィリーとは対照的に、この曲はそれまでのアツいライブで体力を根こそぎ持っていかれたラストに、とどめを刺すために持ってきてほしい。地獄の果てで聴きたい曲。地獄のテーマソング。弊社の社歌をこれに変えろ。社歌なんて無いけど。

 

 このセットリストもそうだがTHE PINBALLSのライブは、ラストスパートでのcarnival come→七転八倒のブルース→蝙蝠と聖レオンハルトという王道の流れがあった。どちらかというとツアーよりは主催ではない対バンやサーキットイベントなどでこの流れは頻出しており、彼らが精力的にライブ活動を行っていたころは、毎週のようにこの流れを組んだセットリストをTwitterで見かけた。

 曲中にメンバー紹介と、リードギターの中屋氏が観客が諸手を挙げて待ち構えるフロアにダイブしながら鬼ギターソロを弾くお祭りタイム(通称:中屋神輿)を擁するcarnival comeから、そんなに曲単体には思い入れが無いはずなのに毎回披露されるたびにカッコよすぎて逆におもろい七転八倒のブルースを経て、最後にこの蝙蝠と聖レオンハルトに繋がるこの流れ。それまでの楽曲でとっくに正気を失いかけている理性など更に消え、この3曲が過ぎ去った後には獣の咆哮だけがこだますことになる。毎回この流れのせいで全ての記憶が飛んでいる。

 

 最初の片目のウィリーで上がったテンションを、最後の蝙蝠と聖レオンハルトですべて昇華するこの流れ。導入と結末の強度が尋常ではない。これだけ最初と最後がしっかりしているのであれば、起承転結の承と転はどうでもいい。もう、漫才とかしててもいい。起笑点結つって

 しかし、その起承転結の起と結以外の二文字にも手を抜かないのが我らがTHE PINBALLS。この最初と最後だけではなく、このセットリストは他も完全無欠である。というわけで次に取り上げたいのがこの2曲。ヤードセールの元老カルタゴ滅ぶべし

 


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 この2曲は彼らがリリースしてきたアルバムの、1曲目に配置されている楽曲である。ヤードセールの元老は『さよなら20世紀』、カルタゴ滅ぶべしは『THE PINBALLS』にて、それぞれアルバム最初の1曲目として収録されている。YouTubeにMVがあるわけでもシングル曲だったわけでもない、完全なアルバム曲。

 楽曲そのものの良さは大前提として、初めてTHE PINBALLSを聞く時のとっかかりとしてどちらも大正解すぎる2曲。「ヤードセールの元老」の方は古川貴之の独特な詞世界と、彼らの持ち味であるキレのあるハードな演奏をシンプルに味わえる名曲で、「カルタゴ滅ぶべし」の方は落ち着いた始まりから唐突に古川貴之氏の咆哮を叩きつけられる謎のぶち上がりソングめちゃくちゃ好きなのに、あまりにもメロと構成がシンプル過ぎて語ることが無い。困る。

 前で紹介した蝙蝠と聖レオンハルト、そしてI know youを含めて4曲がアルバム1曲目の楽曲となっており、そしてその全てが例外なくぶち上げるタイプの楽曲。曲調からリズム、メロディ含めて「自分たちはこういうバンドです!」ということを表明するような楽曲となっている。僕はI know you以外の曲は事前に聴いていたが、たとえ聴いていなくとも楽しかっただろうと確信できる。『NUMBER SEVEN』そして『Primal three』を聴いて、はじめてこのバンドのライブに足を運んだファンに対して、アルバム曲を交えながらもここまで寄り添ったセットリストを提示できるそのすごさ。充実のホスピタリティ。介護士でも大成しただろうと思う。

 

 そしてシンプルぶち上げ枠のアンテナ、真夏のシューメイカーをしっかり組み込んでフロアのテンションを維持しながらも、中間のバラード枠には299792458を持ってくるセンスの良さ。

 


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 この不思議なタイトルは光速から。THE PINBALLSがこれまでリリースしてきた楽曲の中でも、屈指の名バラードだと思う。ファンの方からの評価も高い。これを僕は音源で聴くこともなく、初めてライブで浴びたんですよ。慰謝料請求しそうになった。

 これねえ~~~今でも何となく覚えてるんですけど、確か20世紀のメロディ明けにMCを挟んでのこの曲だったんですよ。魅せ方を理解しすぎている。そして歌メロが本当に良くて、ライブ終った帰り道に「あのやべえ曲はなんだ!」と一人大騒ぎして、すぐさまこの曲の収録されたアルバムをネットで注文した。今だから思うが物販で買えば良かった。

 

 そしてライブのミドルテンポ枠には、我らが20世紀のメロディ沈んだ塔の両採用である。もうベストチョイス。それしかない。贅沢が過ぎる。大名盤『さよなら20世紀』が誇る、後世に語り継ぐべき2つの名曲。冷静を装っているが本当は200個くらい♡をつけたい。ベストチョイス♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡

 どちらも非常にファンからの評価が高く、活動休止前のラストライブでもセットリストに採用されたわりに、その後の全国ツアーではあまりセトリ入りすることが無かった楽曲である。本当にこのセトリ以外で縁が無かった。あれなんでなんだろうね。こんなにいい曲なのに。そういう意味でもこのツアーのセットリストに思い入れがある。

 

 沈んだ塔の後にひとりぼっちのジョージからの重さの無い虹が続くのも本当に天才。ひとりぼっちのジョージに関しては曲前に激アツのMC付きであり、重さの無い虹はジャンプしようぜベイベー付きだった。いたれり尽くせり。ここまで書いていて思ったが、活動休止前のラストライブとかなりの割合で楽曲が共通している。このセットリストを大幅に増強したのがだいたいGo Back to Zeroだと思ってもらって構わない。

『NUMBER SEVEN』というミニアルバムが大好きな身としては、ここまでこのアルバムの楽曲を組み込んでもらえるのであれば、いっそ「ワンダーソング」も……という気持ちも無くは無かったが、ここにワンダーソングが入るのはちょっとバランスが崩れる気がする。エモーショナルが少し過剰になり過ぎる。そういうのは他の、MCとかで「ついてきてほしい」とか言うタイプのバンドに任せた方が良い。

 

 重さの無い虹で好き勝手跳ね回った後に、待ってましたのこの日の主役、Lightning strikesからのVoo doo

 


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 別にこの2曲に限った話ではないが、つくづく披露するタイミングが完璧過ぎる。安易にド頭とか本編ラストとかに入れず、中盤から終盤のラストスパートにかけて盛り上がる道筋の中で、これからのライブを彩る新入りを紹介するように披露される2曲。新卒に無茶をさせないその姿、優良企業の鑑。俺も来世はLightning strikesとして生まれたい。

 Lightning strikesもVoo dooに関しても、初めて聴いた時の衝撃としては彼らの楽曲の中でもかなり上位に位置するが、この2曲がそんなに人気がある印象は無い。なんでだろうねこれ。俺未だに福岡Voodoo loungeでVoo doo聴けたことについて、この世のあらゆる人類に対してマウントを取りながら生きているのに。

 

 

 そしてここまでの激アツ過程を踏んで、満を持してついに出てくるのが劇場支配人のテーマなんですよね……

 


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 あまりにもラスボス。どこで披露されようとラスボス。3分も無い曲なのにイントロも間奏もCメロも盛り込まれているの未だによく分からない。謎の圧縮技術。日立精機が製作に関わっている可能性がある。

 THE PINBALLSいえばこの曲という印象がある人もいるだろう。ニンジャスレイヤーのエンディングテーマとして、彼らの知名度を飛躍的に向上させた楽曲である。かくいう僕は別にこの曲がリリースされた時は認知していなかったが、なんかすごいのがいる、という雰囲気はニコニコ動画等で感じてはいた。かもしれない。このバンドを聴き始めたころは、これと毒蛇のロックンロールばかり聴いていた。

 あとこれどうでもいいんだけど、サビの「金を借りてるままの」の「ままーの」の部分でシンガロンし始めたのっていつからなんだろう。あれ今でも天才だと思ってるんだけど。この日のライブはシンガロンがあったかは流石に覚えていない。

 

 

 そしてここからcarnival come→七転八倒のブルース→蝙蝠と聖レオンハルトを経て本編終わり。この本編だけでチケット代のもとを取っているというのに、ここからアンコールがある。まあ本編で主役の一角であるこの曲をやっていないから当たり前と言えば当たり前。

 


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 というわけでこちら、ご紹介に預かりました『Primal  three』で唯一MVになっていないでお馴染み、花いづる森。こういう曲に狂わせられている人間は多い。この曲のMVを大人しく投稿しておけば活動休止にならなかったかもしれないのに。

 ロックバンドのメジャー1stシングルでこういう「荘厳」なバラードを持ってくるの、勇気がいっただろうなと思う。ド王道にノリノリのLightning strikesにダンサブルなVoo dooと来たら、分かりやすく差別化するんだったらこの方向性というのは理解できるが、だからと言って攻め過ぎだろうと思う。こういうところが好きです。

 

 そしてこの曲から十匹の熊(テンベア)! ライブDVDを見ていた当時の自分もどこかで聞けるだろと身構えていたが、そのDVDと同じくアンコールでのお披露目だった。そら楽しい。当たり前の話。

 


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 これ今でも聞くたびに思うんだけど、ラスサビの最後から知らない歌メロが生えてくる構成、本当に天才。「君が~!」からの流れをひらめいたのが自分だとしたら、間違いなく脳みそが快楽物質のプールでビショビショになっている。発明のような構成。こういう構成の曲があればちょっと教えてほしい。後学のために。

 

 これで終わりだ~~~楽しかった!と身支度を整えて帰ろうかしたら何かまたぞろぞろと裏から出てきて、前置きもそこそこにいきなり知らない曲が始まったのには本当にびっくりした。というわけでこの日のラスト、サイコ

 


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 I know youと同じく全英歌詞の楽曲。この曲に限らない話だが、THE PINBALLSの曲は短い曲が多いので、不意打ちのように知らない曲をぽーんと披露されると、曲調のそもそもの激しさも相まって何が何だか分からなくなることも多い。この曲はまさにそれ。

 正直この日のこのタイミングで聴いたこの曲は周りの観客の熱狂ぶりも相まって、もう何が何だか分からなかった。びっくりしていたら終わった。後にCDを手に入れて改めて聞き直して、もうちょっと噛み締めたかったな~とほんの少しだけ後悔した。なお、この曲に関してはその後ライブでお披露目の場に巡り合うことは無かった。切ない。そういった、今では何らかの奇跡が起こらないとどうしようもない思い出も含めて、印象に残っているセットリストである。

 

 

 

 というわけで大好きなセットリスト、THE PINBALLSの『Leap with Lightnings tour』の話でした。

 バンドの持ち味を最大限に活かした王道の流れを背骨としつつ、ツアーの主役として新しく引っ提げた楽曲の披露タイミングも含めて練り込まれており、その他の楽曲のチョイスも絶妙。最初から最後まで隙の無い完璧なセットリストである。ハマりたての時にこんなセットリストで最高のライブを叩きつけられたらもう、何も言えない。この日からTHE PINBALLSにより深くのめり込むようになったのも無理はない。

 単純に足を運ぶライブの数が増えれば増えるほど、印象に残るライブというのは少なくなってくるものだと思う。予定調和の流れを退屈に感じてしまったり、捻り過ぎてて結局どういう雰囲気にしたいのかがいまいち分からなかったり。別に音楽ライブに限った話でも無い。他の趣味にしたって大体同じだろう。まあ僕は足を運んだライブに関しては大抵「神セトリ!」って騒いでいる気がする。セトリビ〇チ。

 

 ロックバンドに飽きなければの話にはなりますが、出来ればこれからも沢山の神セトリに立ち会うことが出来たらいいなと思います。ライブって楽しい!

 

ヒトリエとかいうバンド、キラーチューンが多すぎ

 

 かなり間が開いてしまったが、2月にヒトリエのキャリア初のホールワンマン『HITORI-ESCAPE IN THE CUBE』に足を運んだ。

 

 

 2月23日、天皇誕生日。職業柄祝日が休みにくい+月曜日が特に忙しい+2日連続の有休はあまり良い顔をされない、という非常に風通しの悪い陰険な職場に勤めているため、月曜祝日東京、というスケジュールを見た時にまずあきらめが脳裏を過ぎったが、「有休は権利!」とフォロワーに発破をかけられた勢いそのままにファンクラブ先行からURLをベタ踏みしクレジットカードの番号を叩きこみ、最悪行けなかったら泣きながらお譲りしようの精神でチケットを購入した。野音といい「初」という漢字一文字に人生と財布の中身を左右され過ぎている。

 レッツゴー東京の際は毎度おなじみのことではあるが、行けるかどうかをギリギリまで悩んだ結果バカみたいに跳ね上がった飛行機代を律儀に支払い、結局仕事は何も片付くことなく修羅場大火事大惨事のまま、後ろ髪を引かれる、どころか頭皮ごと引きちぎられる思いで羽田空港行きに乗り込んだ。後頭部が信じられないくらいハゲても今回ばかりは名誉の負傷だと思ってやる、の気持ちだった。心なしかこれを書いている今、後頭部が涼しいです

 そんな紆余曲折を経て降り立った渋谷の街、2月とは思えない蒸し暑さ(本当に暑かった)の中佇むLINE CUBE SHIBUYAにて観たヒトリエのライブ、本当に良かった。すごかった。凄まじかった。今回往復の飛行機代と宿泊費込みで7万円くらい払ったんだけど、ヒトリエに7万払ってソラシドエアとライブ会場激近のホテルの方にチケット代払いたかった。嘘です。出来ることなら俺だってこのライブに連れてきてくれた飛行機と航空会社、東京砂漠で干からびることなく一夜を過ごさせてくれたホテル、そして最高のライブを魅せてくれたヒトリエ、あの夢の一日を作ってくれたお前ら全員に7万円ずつ払いたかった。そう思ってしまうほどの感動。ステレオジュブナイルのラスサビで銀テープが飛び交ったあの景色は、あの瞬間のわたくしの心象風景そのものでした。

 

 そんな当日の感動のセットリストが、こちら。

 

01. GO BACK TO VENUSFORT
02. ジャガーノート
03. オン・ザ・フロントライン
04. ネバーアンダースタンド
05. 日常と地球の額縁
06. Selfy charm
07. RIVER FOG, CHOCOLATE BUTTERFLY
08. カラノワレモノ
09. なぜなぜ
10. フユノ
11. プリズムキューブ
12. SLEEPWALK
13. ハイゲイン
14. みにくいかたち
15. 3分29秒
16. アンノウン・マザーグース
17. ラインアート
<アンコール>
18. ポラリス
19. ステレオジュブナイル

 

 参考にしたサイトはこちら

 

 まさかまさかのGO BACK TO VENUSFORT始まり。本当に意味わからな過ぎて顎が外れるかと思ったし多分両隣の人は顎取れてたと思う。僕がヒトリエのライブツアーに行き始めたのは『IKI』のアルバムツアーからなので、実は生で聴けたのは初めてだった。毎度のことながら、よくあんな情報過多の曲を3人体制仕様に落とし込めるなと思う。特にこの曲はイガラシとかいうベーシストがイカれてることをまざまざと見せつけられた。おそろしい開幕。

 その後は最近のライブ定番曲が続きながらも途中で日常と地球の額縁をぶっこんだり、ライブ化けの極北ことRIVER FOG, CHOCOLATE BUTTERFLYがねじ込まれたりと大変だったが、何より僕は中盤のなぜなぜ→フユノ→プリズムキューブの三連打があまりにDEEP/SEEK過ぎて本当に楽しかった。やめろカカシ、その連撃は俺に効く……

 流石になぜなぜは神の意志か、不思議なことに弾いてないはずのギターがどこからか聴こえてきたりしたが、フユノの前奏がまんまだったり、LINE CUBEで披露されるプリズムキューブという粋すぎる演出は年甲斐もなく滾るものがあった。

 そしてハイゲインから始まってアンノウン・マザーグースまでの「ああ、終わりか」の流れの中、ラストに披露されたのはラインアート。LINE CUBEでプリズムキューブやるんだったらそらやるよ、なんて予想が出来るはずもなく、アンハッピーリフレインを通して聴いたのも数年前だった自分はずっと「何の曲だっけ……」と思いながら聴いていた。にわかとバカにされるのが嫌なのでSNSでは言っていない。

 そしてアンコールでポラリスステレオジュブナイル。ひさびさに生で観る3人体制のポラリス、そして多幸感溢れるの代名詞ことステレオジュブナイル(銀テープ付き)。まさかヒトリエのライブで銀テープが飛んでくることがあるなんて夢にも思わなかった。5年前どころか去年の自分に教えても鼻で笑われる自信がある。欲張って自分の席に落ちた銀テープはほぼすべて持って帰ってきたが、今になって扱いに困っている。2本でよかった。

 ライブが終わった後は余韻に浸る間もなく、会場に極めて近い当日の宿に直行して荷物を整理し、Twitterに感想を垂れ流しながら巨大な鳥の唐揚げを貪るという蛮行の限りを尽くした。ライブを観た後の情報過多でショートしかけた脳みそを、鳥獣の脂で溶かすのはなかなかの快感だった。お陰でライブレポートが書けるほどの記憶が残っていない。渋谷のなるとキッチンにすべて消えました。

 

 

 2か月経った今になっても思うが、本当に良いライブだった。まだまだ2026年は半分以上残っているが、この日以上に良いライブに足を運べる機会があるとも思えない。あったら嬉しいけど。何はともあれ音楽って希望。ヒトリエって希望。hope。心の底から愛しております。と、九州地方の真ん中あたりから孤独な成人男性による致死量の投げキッスの雨を降らせ、この日のライブは最高だったぜ行けなかったお前らにもきっと映像媒体があるから心配すんな、と筆を置こうとした時、ふと、思った。

 

 

 

 そういえばセンスレス・ワンダーってなかったな……

 

 

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 あの未来都市の警報みたいなイントロのギターと、地獄からすべてがせり上がってくるようなベース・バッキングと、生まれ変わってもゆーまおのスネアにだけはなりたくないと思わせられるような怒涛の殴打のアンサンブルから始まる超絶キラーチューンが、無かった。記念日的ライブのはずなのに、無かった。由々しき事態。どちらの世界へ行きたいってそれは、この曲を必ずセットリストに入れるあんたらのライブに行きたいですよ。それが、無い? マジで? 初めてのホール公演で? センスレス・ワンダーなしであの公演乗り切ったの?  嘘過ぎる。流石にポテンシャルの塊過ぎる。「片手で室伏広治に勝ちました」って言われている気分。現地にいたのに未だに信じられない。

 きっとこの日のライブをやるにあたって、関係者含めて当日のセットリストについての打ち合わせをやったと思うのだが、この曲の取り扱いがどうなっていたのか本当に気になる。だって絶対議題に上がるでしょうこの曲。

 

「センスレス・ワンダーどうします?」「入れたい」「でもどこに入れる?」「分からん」「単品での主張が強すぎる」「ラーメン二郎か?」「いっそ「入れない」の選択肢はどう?」「それは流石にセンスなし・ワンダーが過ぎる」「この曲を入れない、という一見センスレスなセットリストを組むことで、間接的にセンスレス・ワンダーの存在を示せる説」「それや」「それでいこう」

 

 メンバー・スタッフの間でこんな感じの話し合いがあったに違いない。楽しそう。俺も混ぜてほしい。それはそれとしてセンスなし・ワンダーは普通に許せない。それはそれ、これはこれである。次のツアーでは2回やってほしい。

 

 

 

 気のせいじゃなければトーキーダンスも無かったな……

 


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 あのゴキゲンなドラムとノリノリの煽りから始まる、素人にはギターの何をどう弄ればあの音になるのかてんで想像のつかないメインリフと中毒性抜群のサビ、法定速度を超過したBPMと早口でまくし立てられる歌メロと、耳から注入するタイプのハンバーグステーキカツ丼ピザみたいなあのスーパーソングが、セットリストに入っていない。何かの冗談としか思えない。止まることなど出来とるやないかい。

 SNSの見過ぎとYouTube shortの見過ぎで映画すらまともに観ることが出来なくなった、わたくしの心の中のガキが、今になってむせび泣いている。早すぎるBPMでないと削ぎ落せないストレスに、今さら蝕まれている。助けてほしい。踊ってない夜が気に入らないのに踊っていいよの許可も無かった。不本意な放置プレイ過ぎる。知らない国のおぞましい刑罰としか思えない。

 

 

 

 ワールズエンド・ダンスホールも無かったな…………

 


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 wowakaと言えば未だにこの曲という人も多いだろう、かの米津玄師を飯抜きの刑に処したボカロ黄金期(と、インターネット老人会の方が申していた)の大傑作。大アンセム。未だにバンド版のイントロアレンジを聴くと脳みそから脊髄の下の方まで電気が走る。背筋が伸びる。昔の吉村屋のドキュメンタリー動画を見た時の反応と一緒。

 LINE CUBEだからラインアートとプリズムキューブをやったのは、分かる。とても粋だ。素敵だと思う。だったら初のホールワンマン公演なんだからワールズエンド・ダンスホールをやるのも当然だと思ったが、無し。マジかよ。常識が通用しないにもほどがある。たまには常識くらい通用した方が良い。

 というか、別に調べてないけどこの曲もう中国でやった回数の方が多いのでは? 友だちがいなくてニコニコ動画に入り浸っているくすんだ青春を誇って、インターネット老人会だなんだとキャッキャしているキモオタには目もくれず、海の向こうのファンに向けてホップステップで踊ろうか、と提案している姿勢はある意味好ましいが、そろそろ故郷のわたくしも顔がみたい。お母さんのきもち。たまには里帰りしてくれ。それはそれとして中国のファンが羨ましい。ぜひ鼓膜の空き領域を土地として俺に売ってほしい。「お前の鼓膜は港区の坪単価より価値がある」って、中国語でどう言えば良いんですか?

 

 

 

  踊るマネキン、唄う阿呆も無かったな………………

 


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 ダイブもリフトもモッシュも苦手だがこのライブ映像で自由気ままに踊る人たちの姿を見て、本当に楽しそうだと感じたことが彼らのライブそのものへの興味を持ったきっかけとして根強く残っている自分としては、やはり生のヒトリエのライブに足を運ぶのであれば、とりあえずこの曲で何も考えずに踊る時間は設けて頂きたい。企業が人員を8時間働かせる際に1時間の休憩を国から義務化されていることと同じように、2時間ライブをやるのであれば、前口上と余韻を含めて最低でも6分間は「踊るマネキン、唄う阿呆」の時間を設けるべきだと思う。もしかするとこれが、ヒトリエがビジネスシーンに参入できない理由かもしれない。

 イガラシさんの鬼超えて神超えて鬼神のベースソロ、からの世界一楽しい3カウント、からなだれ込むあの怪しくも楽しいイントロ、溜め方、じらし方の展開がそっち系のASMR業界の方くらい上手いAメロ、Bメロから満を持して炸裂する劇薬じみたサビ。こんなに気持ちのいい曲が有るのに、違法薬物を売りさばく海外ギャングが巨万の富を得ている今日の世界の現実に疑問符が止まらない。この理屈だとヒトリエに巨万の富がキョマン(擬音)と入金されないとおかしい。何かが間違っている。

 毎回ちゃんと「お客様の中で、踊り足りてない方はいらっしゃいませんか!?」を訊いてくれないと、自己主張が苦手でシャイな俺様は困る。ちゃんと何が足りないのか訊いてほしい。30歳にもなってめんどくさそうな彼女みたいなことを書いていることに、そこはかとなく希死が伴うのは否めないが、事実なので仕方が無い。そういう厄介なファンへの配慮としてもぜひ毎回セットリストに入れて頂きたい。日常でされない阿呆のために強めの配慮を、してほしい。贔屓を、してほしい。

 

 

 

 そういえばシャッタードールも無かった。正気か?

 


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 大名盤DEEPERが誇る、トーキーダンスと双璧を成すヒトリエの必殺技。仮に他人にヒトリエ「らしい」曲は何かと問われると、個人的にはこの曲を挙げたくなる。それほどまでに曲単体として強い。本当に強い。追悼会でこの曲のイントロが鳴った時すらも、その瞬間だけは悲しさとかそういうマイナスな感情全部どこかに飛んでいったことを覚えている。あれだけDEEP/SEEKっぽいセットリストのくせに肝心のこの曲とトーキーダンスが無いの、いくらなんでも飛車角落ち過ぎる。というかトーキーダンスもそうだけど、もう10年前の曲なんだね……10年!?

 10年の歳月などこれっぽっちも感じさせないほどに未来の音がする。時代を先取りしすぎ。何がどうなったらバンドサウンドでこの音が鳴るんだろう。いやまあ同期音源とかいろいろあるんだろうけど、それにしたって音作りもフレーズも未来過ぎる。平成末期にこんなん出しても時代がついてこられるわけがない。だから令和のホールワンマンで改めてこの曲についてじっくり考える時間が欲しかった。咀嚼をさせろ、新鮮なシャッタードールを。こちとらお前ら焼き付けるための専用の網膜と現像室を発注してから飛行機に乗っ取るんじゃ  

 これは本当に余談ではあるが、ぶっちゃけIKIツアーでのゆーまお氏の謎前口上を乗っける最高の機会だったと思う。あんだけDEEP/SEEKは匂わせしたくせによ。この時やらなかったらいつやったんだよ。「ホール!ホール!ホール!ホール!」聴きたかったよ俺は

 

 

 

 なんならイメージも無かったな……

 


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 まあ月曜だったから仕方が無い、とはならない。あんたらがこの曲をセトリに入れないから俺は有休を使っていく羽目になったのだ。フライデーナイトとちゃんとサビで言いなさい。あなたたちがライブでイメージをやりさえすればこの世は毎日華金なんだから。今日も頑張る社会人を救済する曲です。学生は俺のために聞かないで欲しい。俺に、この曲を聴く権利を譲ってほしい。だんご三兄弟でも聴いてろ

 ここまでずっとwowaka曲を挙げていたが、3人体制になってから生み出された究極のバラードであるこの曲も無かった。いつ来るのか身構えていたら銀テープが飛んでいた。身構えが必要なほどに重く美しい曲なので、いざ来ないとなるとこの感情の発露先をどうしていいか分からなくなる。生イメージのためにこさえ、結局持て余してしまったエモを捨てるための廃品回収業者を、未だに探している。

 アンノウン・マザーグースと共に披露されたら「ああ、そろそろ終わるんだな」と強制的に思わせてくる、強烈なフィナーレ力を有している。もう大体蛍の光である。ライブ終盤に披露されるこの曲を聴くたびに泣きながら身支度を整えている自分がいる。うちの会社でも定時になったらこの曲を流してほしい。どれだけ納期が修羅場だろうが関係ない。音速でタイムカードを切る。というかこの曲を渋谷で聴けていない以上、2か月経った今でも魂はLINE CUBEに置いてけぼりとも言える。抜け殻となってそろそろ2か月ほど経過している。さっさと東京に監禁された俺の魂を返してほしい。

 

 

 

 キリがないのでこれくらいにするが、タイトルに戻る。このヒトリエとかいうバンド、キラーチューン、もっと言うと「ライブでやってほしい曲」が多すぎる。

 

 特に今回のような『記念枠』みたいなライブでやってほしい曲、というかやらないと嘘だろみたいな立ち位置の曲が、自分の好きな他のバンドと比較しても格段に多い。勘弁してほしい。

 上でこれでもかと楽曲の名前を羅列しておいてなんだが、個人的な本音を言うのであればワンミーツハーもNOTOKも、sisterjudyからのモンタージュガールも、curved edgeも風、花もYUBIKIRIも全部やってほしい。こういう日にやってほしい曲しか持っていないバンド過ぎる。トレーディングカードゲームのガチ対戦における「必須枠」みたいな曲が本当に多い。そういう曲を片っ端から20曲くらい集めるだけで立派なセットリストになる気がする。とりあえずアンノウン・マザーグースさえ入れておけば後は何しても大丈夫、とは言えないくらいに層が厚い。

 まだ今回の「初ホールワンマン」は、それこそ10周年記念の日比谷超絶野音のような、バンドとして明確にマイルストーンを置くようなライブではないかもしれないが、それはそれとして一つの記念日的なものであることは間違いない。ライブ中は特に何も思わなかったが、いざ終った後に上記の「この晴れ舞台で披露されなかった楽曲たち」の存在に気付き、驚愕した。何なら自分が挙げた6曲を軸に組んだセットリストの方が、記念日感が出るのではないかと、今でも思ってやまない。

 

 ただ、大きなワンマンライブのセットリストを組む側の視点になって考えると、それはそれでその苦悩が痛いほど分かる。デカい会場で記念日的なライブをやるなら必殺技的な曲は外せない、でも3人体制仕様に新しくリメイクした4人体制時代の曲は入れたい、その時々の最新曲とアンノウン・マザーグースはどうしたって外せないし同期バリバリのハンドマイク曲も入れたい、最後はやっぱりステレオジュブナイルでハッピーに終わりたい、みたいな要望、条件を20曲前後というあまりに狭い枠にギュギュっと押し込めようとすると、どうしても「遊び」の余地のようなものがほとんど無くなってしまう。

 かといってこの際遊びも必須枠も含めて全部やってほしい、みたいなオタクの妄言を無理やり力技で実現しようとすると、おそらくだがセットリストは40曲くらいになる。そんな超濃厚セトリを生で浴びたら聴く側は健康診断の何らかの数値が確実におかしくなってしまうし、何より我らがインターネットエンジェルギターボーカルがインターネットとギターボーカル抜きになってしまう。40代を迎えてしまった我らがロン毛ボーカルにそんな無茶はさせたくない。ジレンマ。この際バンド名を「ジレンマ」にした方が良い。カタカナ4文字だし。

 いっそもう曲が20曲並んでさえいればどんなセットリストだろうと楽しめる自信はあるが、それはそれとしてどうせ生で聴けるなら……と思ってしまう曲が少なからず、否、極めてたくさん、ある。そんな曲ばかりである。だからこそ毎回ライブは最高に楽しく、それでも心のどこかで「あれ聴きたかったな~!」がどうしても湧き出てしまう。

 何せ俺は、カラノワレモノ、MIRROR、目眩、ウィンドミル、Quit.、ステレオジュブナイル、YUBIKIRI、そしてブルースプリングパンクと、どの曲でその日のライブのアンコールを終わらせることが至上だと主張する派閥に属するべきなのかすら未だに分からないのだ。全曲余すことなく好きじゃないとこんな感想出てこない。大体なんでQuit.とYUBIKIRIとブルースプリングパンクの作曲者が全て異なるんだよ。どういうメンツ? 本当に「終焉」のバリエーションが豊富過ぎるだろ。もう音楽より哲学やった方が良い。

 

 

 ライブで聴きたい曲が多すぎる、なんて、つくづく本当に贅沢な悩みだと思います。マジで良いバンド過ぎる。夏のツアーが本当に楽しみで仕方ない。2月に聴けなかった曲たくさん聴きたいぜ~~~~~

 

 

www.hitorie.jp