愛の座敷牢

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ラバーバンドと首狩り族と輪投げ屋さん

 もうずいぶん昔、どれくらい昔かというとそう、地元の小規模なサーキットにてKEYTALKがインダスの源流を探し、BLUE ENCOUNTがもっと光を君に届けたくなっていたころの話である。今よりも元気に人生と、そして音楽と向き合う短期大学生だったころの僕はその日、地元のそれなりの規模のサーキットイベントを見に来ていた。

 

 今となっては比べ物にならない規模のフェスの、冗談みたいにデカい会場で歌っているロックバンドたちも、そうなる前は地元の小さなライブハウスや色んな地方の色んなサーキットにて演奏し、そういう場所で名を売って大きくなっていく。当時は4つ打ちダンスビート全盛期、マッシュ頭で高い声のボーカルが中毒性のあるリフとサビを繰り返す感じのバンドがもうびっくりするくらい流行っていた。かくいう僕も、そういうのが好きで邦楽ロックをよく聴くようになったと言っても過言ではない。あの頃の俺はどうかしていた。

 このサーキットイベントには、後に邦楽ロックというジャンルの中で最前線で音楽をやるバンドが揃っていた。KEYTALKBLUE ENCOUNT、WANIMA、ヒトリエパスピエフレデリック。何気に僕が初めてアルカラやGRAPEVINEのライブを観たのもこのイベントだったりする。今となって考えると、自分の音楽人生においてもかなり大事な位置にあるイベントだったのかもしれない。

 ただ、今回の記事においてここから先、これらのバンドの話は一切しない。もう一切しない。1ミリたりとも、しない。今上に出てきたバンドの名前はもう全部忘れてもらって構わない。KEYTALK? 新鋭気鋭のアパレルブランドかな?  そのくらいの知識で読んでもらっても問題ない。今から俺はラバーバンドの話をする。

 

 そのサーキットイベントにて、確かフレデリックか何かの出番を待っていた時に、ひょんなことから自分の隣にいた同年代くらいの、名前も知らない青年と少し会話をした。丸眼鏡が特徴の、純朴そうな顔をした青年だったように思う。それなりにレベルの高い私大から地元の有名企業に入り、良妻賢母な奥さんを貰って庭付きの一軒家を建てて子供二人と幸せな人生を送ることが確約しています、みたいな顔でにこやかに会話をする彼に、特段目立って変なところは無かった。

 

 彼が背負っていたリュックサックを除けば、の話だが。

 

 その青年の背負っていたリュックサックは、ラバーバンドの極彩色に埋め尽くされていた。いや、もはやリュックサックにラバーバンドが付いているとかそういう次元ではなく、ラバーバンドの集合体にリュックサックが隠されている、そんな状態だった。リュックサックのチャックすら見えないし、もっと言えば彼が背負っていなければリュックサックだと認識すら出来ない可能性がある。例えるなら、まわりにラバーバンドしかないという奇抜な環境で育ったクソでかいミノムシから無理やりミノを剥ぎ取って我が物にしたような、そんな感じである。純朴そうな顔をした彼は、顔に見合わず追い剥ぎの可能性があった。

 生まれ変わったらリュックサックになりたい、と思ったことは無いが、もしリュックサックに生まれ変わるとしても彼の背負うリュックサックにだけはなりたくない。機能性をかなぐり捨てたある種狂気的とも言える密集したラバーバンドの圧は、僕にそう思わせるだけのリュックサックに対する圧倒的なまでの人格否定と人権無視があった。

 別に僕は彼の行動にケチをつける権利も無いし、ましてやこのリュックサックに温情など欠片も無い。ただ、カラフルなオウムのように目を引くその集合体が気になって仕方なく、ついに我慢できなくなって恐る恐る切り出した。

「めっちゃラバーバンドついてますね」

 あまりに常軌を逸したビジュアルであるそれに関して、どう尋ねて良いのか悪いのかの判断がつかなかったが故に多少身構えてしまったが、彼は特に気を悪くした様子も無く、「ああ」と自分のリュックに視線を向けた。

「まあ、けっこう付いてますかね」

「いやすごいっすね。僕はラバーバンドあんまり持ってないですけど、やっぱり、ラバーバンドって買っちゃうもんなんすかね」

「まあ、自分が参戦したライブの記念に買ってるとこありますよね~」

 

 参戦した、記念に、買っている。

 さささ、参戦……?

 

 今となっては特に何も思わないが、当時はTwitterもろくにやっておらず、#日曜日なので邦楽ロック好きと繋がりたい、みたいなハッシュタグも知らなかった僕は、「参加」や「鑑賞」ではなく「参戦」という剣呑な言葉をチョイスする彼に、ささやかなど肝を抜かれた。僕が「YouTubeでしか見たことないバンドがたくさん来てる~ッひゃっほ~~~ゥ」と呑気に突っ立っている横で、彼は戦に臨む心持ちでライブを観ていたのだ。

 バンドのライブに「参戦」した記念にバンドのラバーバンドを買い、それをその激ヤバ・リュックに付けてまた他のライブに行く……そのサイクルを繰り返しているという彼のその純朴そうな顔に、百戦錬磨の戦を制してきた歴戦の侍の如き風格を感じた。リュックサックについたラバーバンドが、落とした敵将の首のようにすら思えた。

 いや、そのリュックサックの醸し出す圧倒的な"圧"からして、もはや彼はライブではなく、ラバーバンドを集めることが目的となった可能すらあった。その疑念に応えるように、彼はさらに言葉を続ける。

 

「ライブ終わって家でラバーバンドをリュックに付けているときが、一番楽しいかもしれないっすね」

 

 疑念が、確信に変わった瞬間だった。こいつ首狩り族みたいな思考回路だ。

 首狩り族が本来どういうものなのか、どういった過程でその残虐な風習を行うことになったのか、それがどういう意味合いを持っていつまで続けられていたのか、その風習が弊社にどんなイノベーションをもたらすのか、そういったことは何も知らないが、とにかく、こいつは首狩り族の末裔だと確信した。

 

 その後もそのサーキットイベントにて、目的のバンドが合えばなんとなく一緒に観ていたが、結局互いにろくな自己紹介しないままサーキットの波に吞まれるように挨拶もなく別れ、その後は一度もどこかのライブばったり会う、なんてことも無かった。ただ、今でもあの異様なリュックサックは自分の記憶の中に鮮明に残っている。もはやサーキットイベントそのものよりも鮮明に残っている。未だに、大量のラバーバンドを見に付けている人をライブハウスなどで見かけるたびに脳裏に首狩り族というワードが浮かぶので、彼のことを畏敬の念を込めて首狩り族と呼んでいる。

 

 

 あれからもう、10年近くが経った。元気な短期大学生だった僕は社会というクソみたいなノンフィクションによって鼻と足と心とささやかな自信をへし折られ、身体や精神を壊しながらもアホみたいな時間外労働をこなしたり退職して半年くらい無職をしたり転職先で上司に違法マイクで怒鳴られたりとしている中でも、好きなバンドのライブを節目節目に刻みながら、ニポンとかいうヤクザ国家に何とかかんとかクソ高い税金を納めて頑張っている。

 Twitterという、最近イーロン・マスクと名乗るヤバイ外国人に買収されたSNSを始めるようになって、「参戦」という言葉にも随分慣れたし、邦楽ロックが好きな方々がどうやって同じ趣味の同志を見つけているのかが分かった。Twitterのフォロワーが「今日は○○のライブに行きます!」と手首にラバーバンドを巻き付けている写真を見て、僕はときどき、あの首狩り族の背負っていたリュックサックを思い出す。

 

 首狩り族は、今でもバンドを追い、ライブを観続けているのだろうか

 

 観ているとしたら、未だにあのリュックサックにはラバーバンドが増え続けているのだろうか。約10年前にあれだけの”圧”を放っていたのだから、今はもう香川県くらいは圧殺出来るくらいの規模になっていると考えてもいいかもしれない。彼が、この世に存在するラバーバンドの何割かを所有していると考えてもいいかもしれない 彼が、ラバーバンドの代名詞となったと言っても過言ではないかもしれない

 

 彼が、彼自身が、ラバーバンドになってしまったと考えても問題ないかもしれない

 

 無数のラバーバンドに覆われた彼はさながらカラフルなム○クのような風体で、ラバーバンドで埋めつくされた香川県を卓越した筋力によるクロールで縦横無尽に泳ぎ回り、ラバーバンドを食べて、ラバーバンドのベッドで寝て暮らしているのだ。ラバーバンド伝道師である彼の尽力によって、今や香川県はラバーバンドの一大産地となり、段々畑や養殖場からは毎日新鮮なラバーバンドが収穫されている。

 彼の影響で近年、香川県の名物であるうどんすらもその素材を小麦からゴムへとシフトしつつあり、ラバーうどんのコシのレベルは小麦の時代と比較してももはや別次元の境地へと進化したとされる。現地の人ですら噛み切れない圧倒的な弾性は「もはや食べ物ではない」と大変好評である。観光客カップル向けに作られたラバーうどん、その名も「loverうどん」も一日におよそ数億杯売れるほどの大ブレイクを見せている。噛まずに呑み込むことが出来ればその恋は末永く続くらしい。なんてすばらしいうどんなんだloverうどん。ああloverうどん。すばらしきかなloverうどん。loverうどんって何?

 一体自分は何の話をしているのだろうか。この世にラバーうどんなんてものは存在しないし、ましてやloverうどんなんてもってのほかだ。ラバーバンドは腕に付けるものであって食べるものではない。何がloverうどんだ、そんな突飛なもの食べるやつがまともなわけないだろう。寝ぼけるな 水素水で顔でも洗ってこい

 だいたい香川県はラバーバンドで埋め尽くされてはいないし、丸眼鏡の純朴そうな青年がラバーバンドの代名詞となった事実もない。ありもしない妄想で文字を連ねるのはやめろ こういう人間が陰謀論にハマったり人を殺したりするのだ

 

 

 ではもうライブを観ていないとしたら、あの大量のラバーバンドはどこに行ったのだろうか

 ラバーバンドほど、ライブに行かなくなった後の人生において、今後の活躍が一切見込めない物体もないだろう。バンドのグッズは普段使い出来てナンボと考えている僕にとっては、あの謎にふにふにとしたアクセサリーはライブ以外で何に使えばいいのか分からない、という理由で買う気にもならない。髪でも結ぶのか?

 となるとラバーバンドはゴミとして捨てるか売りさばくかするしか処分の方法が無くなるわけだ。首狩り族がもうバンドや音楽ライブは卒業したとして、メルカリに今まで集めてきたラバーバンドをせっせと一つ一つ写真に撮り、バンド名を明記してメルカリに放流していく彼を思い、僕はふと、あることに気が付いた

 

 もはやそれはもう「輪投げ屋さん」ではないか?

 縁日の輪投げ屋に輪投げの「輪」を卸売りする「輪投げ屋さん」ではないか?

 

 これまで、縁日の輪投げ屋はどこであの、人生において他のどこにも活躍シーンの無い、小人用のフラフープを買っているのか長らく疑問だったが、ようやく理解出来た。あの輪投げは、首狩り族を引退した輪投げの卸売り業者から買い取っていたのだ。またひとつ賢くなってしまった。

 いや、待て、子供の頃の記憶をたどったが、縁日の出店の中でも他の娯楽に一歩劣る輪投げなんて極めて単調な遊戯、数えるほどしか遊んだことがないとしても、それでもなんとなく覚えている。あの輪っかは結構硬かったはずだ。それで殴ったら部位によっては血が出る程度の硬度は有していたように思う。ラバーバンドはラバーというだけあって、それなりに柔らかい。

 食べ物でも布団でも何でもそうだが、基本的に柔らかいものは硬いものより高級な傾向にある。ラバーバンドの柔らかさから考えて、普通の輪投げの輪っかと比較すれば和牛とアンガス牛くらいの差はありそうだ。なにせ一個あたり約500円である。首狩り族の輪投げ屋が卸売りである以上、利益を出すために2~3倍の値段は余裕でつけるであろうことを考えると、一つあたり1000円から1500円クラスと考えても良い。まさしく、最高級の輪投げである。

 最高級の輪投げ屋は、上流階級専用の遊興施設にて不定期に店を開く。広大な敷地面積をふんだんに使った、縁日ではまずお目にかかることの出来ない規模の輪投げである。客は定位置から自らの手で輪を投げるのではなく、ある一定の高さに滞空しているドローンを使って、遠隔操作で狙った位置にラバーバンドを投げる。

 肝心の景品は、庶民の縁日に出されるよく分からないこけしや麩菓子といったような、しょぼいものではない 。例を挙げるとするなら、ニンテンドースイッチ、PS5、iPad、防音室、BMW、土地、ソープ嬢著作権などなどなど。おおよそ庶民の縁日ではまずお目に掛かれない景品が並ぶが、これらはすべて外れとされる。この世界の勝者である富豪たちがこの最高級輪投げで狙うものは他でもない、庶民の「思い出」である。

 欲しいものは何でも手に入り、庶民の感じる種類の苦労を知らずに生きて来た彼らからすると、庶民の素朴な身の上話の一つ一つがちょっとしたフィクションのようなものだ。それも、経済的な力の無さゆえに、負の感情に苛まれた人間のエピソードが人気が高い。これは富豪に限った話ではないが、人間は時折、他人が不幸に見舞われることを上質な娯楽として楽しむことがある。所謂「シャーデンフロイデ」と呼ばれる感情である。世の中に悲惨なノンフィクションを書き綴った本が途絶えないことがその証左と言えるかもしれない。

 金がない、地位がない、権力がないというのは、物心ついた時からそれらを持ち合わせていた彼らからすれば、手足がないようなものだ。故に彼らは、彼らが生まれたその時から手に入れていた優位を持ち合わせていない人間の、境遇や生活や懊悩の想像が出来ない。故に、彼等は庶民の悲惨な現実が生み出したエピソードを、子供が寓話の読み聞かせをねだる様に欲する。

 今日もまた一人の富豪が、そんな庶民の思い出を欲して輪投げに興じていた。

 

 滞空するドローンから射出されたラバーバンドが、立てかけられた一本の古びたボールペンをくぐる。それを確認した輪投げ屋が、手元の鐘を鳴らした。

「おめでとうございます、それは数年前にある学生が失くしたボールペンです」

 庶民の「思い出」は、その「思い出」の詰まった景品をゲットすることで、輪投げ屋の口から語られる仕組みとなっている。

「このぼろいボールペンにはどんな悲惨な思い出が詰まっているんだ?」

 興味津々といった様子を隠し切れない富豪をじらすように、二、三度咳払いしてから、輪投げ屋はゆっくりと語りだした。ごくありふれた、庶民のささやかな、実ることの無かった恋愛劇だった。

 富豪は激怒した。富豪が求めていたのは、例えばお金がなかった故に転落人生を歩み、最後はそのボールペンで首を突いて自害したとかそういう、悲惨で救いの無いエピソードだったのだ。そんなくだらないものを景品に入れるなど客商売失格だと、口角泡を飛ばして罵倒する富豪に、輪投げ屋は涼しい顔でこう言った。

 

「僭越ですが、あなたは道端に咲いた花を見たことがありますか?」

 

 その突拍子もない返答に思わず怪訝な顔をする富豪を気にすることなく、輪投げ屋は続ける。

 

「自分語りになりますが、私はもともと貴方達のような、いわゆる恵まれた家庭に産まれました。物心ついた頃から底の無い財を湯水のように使える生活は極めて幸福なものでしたが、或る時両親の経営する会社で大きな不正が発覚して信用は地に落ち業績は急激に悪化、それからは転がり落ちるように生活のグレードは下がり、私が高校に上がるころには財産のほとんどを手放しておりました。世間からは「没落貴族」などと揶揄され、歯がゆい思いも経験したものです」

「一般的な高校に入学し、庶民と同じグレードの生活をするのは、はっきり言って苦痛でした、特に、リムジンを使わない通学を続けることが本当に苦しかった。毎日重い荷物を持って、長い帰路を歩くあの苦しさはとても耐えられるものではありませんでした。世間のバッシングと長く険しい登下校を繰り返す毎日に、肉体も精神も限界を迎えたある日、募った疲労に負けるように道端の花壇に腰を下ろした私は、そこで一輪の小さな花を見たのです」

「寂れた路地裏、人々の喧騒、投げ捨てられたゴミと乱雑な落書き。猥雑な大都市の中で、その小さな花びらを誇らしげに開くその花のなんと美しいことでしょうか。しばし見とれた後、私は思ったのです。ああ、リムジン最後尾からはこの花をみることは出来なかっただろうと。気付いたのです。お金で買える幸せだけが全てじゃないと。これに気付いてから、私の人生は大きく変わったのです」

「確かに庶民は貴方達に比べて恵まれてはいません。いつもお金に困っているし、何かを妬み、僻んでいる。けれど彼らは道端に咲いた花の綺麗さを知っている。素朴で、ささやかで、しかしかけがえのない小さな幸せを拾い集める術を知っている。私はそんな庶民たちが紡ぐエピソードを愛しています」

「私が今回景品として用意したのは、貴方達が望むような、言葉にすることもはばかられるような悲惨な思い出ではありません。彼らの中にきらめく、ささやかでピュアで、それでいて明日への希望を抱けるようなものです。そのものに込められ、託された儚くも美しい思い出です」

 

「貴方が今輪投げに使ったそのラバーバンドにも、思い出が詰まっているのですよ」

 富豪はハッとした顔で、足元に落ちたラバーバンドを見る。薄汚れてぼろぼろのそれには、富豪の知らないロックバンドのロゴが刻まれていた。

 

「そのラバーバンドの持ち主は、有名無名関係なく多種多様なロックバンドのライブを観賞すること、そしてその会場でラバーバンドを手に入れることを至上の喜びとする青年でした。飽くなき探求心で様々なロックバンドを知り、チャンスさえあれば欠かさずライブに行き、ラバーバンドを買い、自身の背負うリュックサックに付ける……それを繰り返し、異様な物体となったリュックサックを誇らしげに背負う彼は、畏敬の念を込めていつしか「首狩り族」と呼ばれるようになりました。貴方が今放ったラバーバンドは、そんな彼が有していたうちの一つです」

「Tシャツやタオルなどとは違って、ラバーバンドは使用用途が非常に限られています。この世で一番要らないものは音楽に飽きた後のラバーバンド、という格言もあるほどです。しかし、殆どのアーティストはラバーバンドを作り、売っている。それはラバーバンドが安価で作れて、手ごろな値段で売れるからです。懐に余裕のない学生でも、ライブの思い出を、分かる形で残すことが出来る」

「だからこそ、彼らはラバーバンドに思い出を託すのです。思い出を詰めるのです。そしてそれをつけてまたライブに行き、誇らしげにそれを掲げるのです」

 

 形あるものを手元に残すことで、記憶されるささやかな思い出がある。これまで膨大な、途方もない単位でしか物事をみたことがなかった富豪は、自分の見えていなかった小さな幸せの尊さに気付き、愕然とした。

 気付けば富豪は涙を流していた。懸命に生きる彼らの中に、素朴ながらもひっそりと輝き続ける思い出を使い捨ての娯楽のように粗末に扱っていた、これまでの自らの行いを恥じた。そして泣き顔のまま、ラバーバンドを握りしめてこう言った。

 

 

 

「このラバーバンド、ください」

 

 

 

 

 輪投げ屋は、変わらず涼しい顔をしてこう言った

 

 

 

 

 

「3000円です」

 

 

 

 

 

 これが

 高額転売の実態である