愛の座敷牢

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いつか全てを忘れていくとしても

 一昨年、祖母が亡くなった。

 入院していた際に食べていた病院食を、何かの拍子に喉に詰まらせてしまったことによる窒息死だと、寝かされた祖母の周りで慌ただしく動き回る親戚一同の会話の中で知らされた。訪れる人々が悲嘆の涙にくれて枕元で顔を覆う中、仕事終わりに慣れない喪服を着て、50キロ以上ある海岸沿いの一本道を駆け抜けてきた僕は、祖母が亡くなった実感もなくただぼんやりと、祖父や母に言われるがままに来客の対応をこなしていた。

 母によって死化粧をされた祖母の肌は防腐のための冷却材によってか驚くほど冷たく、指先で軽く触れたぺったりとした肌の質感は、合成ゴムのような無機質さすら感じさせた。生まれて初めて味わった、皮膚という薄皮一枚で隔てられた生と死の境界の感触だった。

 役所への色んな手続きを済ませて、通夜を迎え、葬式もつつがなく終わり、骨だけになった祖母を親戚一同で骨壺に詰め、「精進明け」と称した酒盛りで潰れる年寄り連中のアッシー君を悪態を付きながらこなすなど慌ただしく駆けずり回っていたが、数日も過ぎれば今までどおり、静かな祖父母の家へと戻った。

 何もかもが終った後に、1人で祖父母宅近くの海岸に足を運んだ。かつて小さな造船会社があった跡地には赤褐色の錆を帯びた小さな部品やネジがところどころに転がり、コンクリート製の堤防から掛けられていた木製の桟橋は先端だけを残して撤去され、訪れるたびに景色が寂しくなっていくようだった。ゆるやかな潮風でうっすらと波立つ青い水面と、対岸にぽつぽつと浮かぶ小型の漁船、そして彼方に見える白い鋼橋だけが、幼いころと何も変わらなかった。

 

 四十九日に再び祖父母の家を訪れた際に、かつて祖母が手入れしていた畑を見に行った。

 畑とはいってもそんな広大なものでもなく、広さにすればせいぜい学校の教室程度の小さなものである。何を植えていたかは知らないが、祖母が振舞う料理にはよく玉ねぎやさつまいもの天ぷらのような唐揚げのようなものがあったので、きっとそれらを育てていたのだと思う。どうせ二人で食べきれないのに沢山収穫して余らせてしまい、母が渋々引き取る光景を今まで幾度も見てきた。

 畑は雑草塗れだった。畑だけでなく、畑につながる道すらも背の高い雑草に覆われ、それを無理やり踏みつけながら歩かないと、ろくに畑の全景も見えない有様だった。たった数ヵ月でここまで侵食されるものなのかと、戦慄にも似た感情を抱えてふと後ろを振り向くと、そこは一面のチガヤで埋め尽くされていた。

 祖母の手入れしていた畑と道一本挟んだそこは数年前までは水田だったが、地域住民の高齢化に伴って放棄されるようになり、あっという間に雑草があたりを埋め尽くしたらしかった。まるでカマキリの卵嚢を彷彿とさせるような綿毛に包まれた先端が風に揺れる。乾燥してひび割れた地面に、背の高い雑草がおびただしく並ぶ様子に、少なからず恐怖のようなものを覚えた。

 

 道は、人が通わないと驚くほど急速に侵食されていく。自然や、時間に。

 道だけではない。人間の作ったものの多くは、せいぜい数十年しかその機能を維持できない。例えば、身近な音楽メディアであるCDがそうであるように。

 今僕らが大切に棚に保管している、敬愛するアーティストが渾身の思いでリリースしたCDの寿命は、せいぜい30年程度だと言われている。反射膜のアルミニウムが酸化してしまうからだ。当たり前のようにずっと先の未来を歌い、当たり前のようにずっと先の未来を期待するロックバンドとそのファンを繋ぐ象徴のようなメディアの寿命は、どれだけ甘い目で見ても永遠なんてものではない。

 我々は口からこぼれてしまう出まかせのように軽く永遠を思い、指切り程度に軽く永遠を誓い、一昨日食べた夕食のように容易に永遠を忘れゆく。そうやって語られ、誓われた永遠は、誰も知らないところで風化し、そして本当に何もなくなる。今までもこれからも、幾千もの永遠が生まれ、そして知らず知らずのうちに消えてなくなっていく。まるで、はじめから何もなかったかのように。

 親愛なる家族との今生の別れすら、数週間も経てば受け止めて前を向けてしまう我々は、いずれその大脳辺縁系ごと息絶え、灰と化し、そしていつかはこの世に生きている誰の記憶からも消え去り、自分の生きた軌跡ごと忘却という名の永遠に吞まれてゆく。

 このことは一生忘れないだろうな、と思ったことを、明日には記憶の片隅にしか置いていない。昨日の素敵な思い出も、結局は今日の晩御飯と明日の不安に追いやられてしまう。早すぎる世界の中で生きているとつくづく思う。

 

 いつか我々はすべてを忘れゆく。我々の生み出した物も、他でもない我々自身も例外なく全て、いつかは消えてなくなっていく。自分以外の誰かの脳に残った記憶と共に。そしてそれは、極めて普遍的な事である。我々は生まれ落ちたその瞬間から、消えていくように出来ている。

 昨年の晩秋、落葉が目立ち落日の早まる時期に開催されたあのライブは、そういうことを語る歌から始まったな、と想起する。歌詞の無い、伴奏のみの「オブリビオン」は、彼ら――THE PINBALLSが活動休止前最後にリリースした『millions of oblivion』のラスト・トラックであり、そしてアルバムそのもののカラーを象徴する1曲だった。

 

オブリビオン

オブリビオン

  • THE PINBALLS
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

忘れてゆく事は まちがった事じゃない
何かを失くしたような 甘い切なさが
古い夢の中に 迷い込むだけ

きっと何百年も そして何千年も 繰り返されてる
あの約束のように 塵や彗星のように
忘れ去られて
ぼくらは 消えてゆくようにできてる

 

THE PINBALLS――オブリビオン

 

 今までのアー写とともに流れるそれは、「無期限休止」という言葉の重さと彼らの覚悟を言葉無くして語るかのようで、悲壮感を通り越して荘厳さすら感じたことを、まだ、覚えている。

 

 

 2021年11月24日、Zepp Tokyo Divercityにて僕は、THE PINBALLSの活動休止前最後のライブである「Go Back to Zero」を観た。

 

 

 今まで観た彼らのライブの中で、文句なしに一番カッコいいライブだった。無理やり有休を二日取って、片道3時間かけて飛行機に乗って来て良かった。単に15周年記念のライブだったら多幸感で死んでしまっていたかもしれない、と思うくらいに、非の打ち所のない完璧なパフォーマンスだった。基本的にライブではあまり歓声も手も上げずただぼんやりと突っ立ってステージを観ている僕でも、コロナ情勢下において声が出せないことを初めて本気で惜しんだ。

「片目のウィリー」「劇場支配人のテーマ」といったいつもの定番曲は勿論、念願だった「ワンダーソング」、「沈んだ塔」や「ヤードセールの元老」など初めて行ったライブ以来御無沙汰だった曲、仕事に圧迫され、途中参加となってしまったせいで個人的に因縁のあった『millions of oblivion』収録曲、の中でも一番好きな曲である「マーダーピールズ」、そして「まぬけなドンキー」「ニューイングランドの王たち」といった、今まで彼らがリリースしてきた数々のアルバムの最後を飾る名曲たち。

 2回のアンコールをふくめて全33曲と今までにない特大ボリュームでありながら、最後に披露された「真夏のシューメイカー」を体現するかの如く、稲妻のような速さと勢いで駆け抜けていったこのライブは、悲しさよりも圧倒的な楽しさを、やるせなさよりも彼らのロックバンドとしての格好良さをこれ以上なく凝縮し、炸裂させた鮮烈なものだった。ライブ終わりの四人が並んで頭を下げ、屈託のない笑顔でステージを去っていった後、楽し過ぎて燃え尽きた僕の中に残ったのは、これまでの彼らのライブを観た後と同じ満足感だった。

 もしも、それこそ「オブリビオン」とか、他の曲で言うなら「299792458」とか「銀河の風」なんかで終幕していたら、いくらかの悲壮感と涙とともにある程度曇ったような心地で会場を後にし、Twitterに4~5個の鬱々としたツイートを投げ捨てて、薄靄のかかった心を抱えてホテルのベッドに突っ伏したのだろうと思う。「真夏のシューメイカー」で終わってくれたのは彼らなりの優しさだったりするのだろうか。だとしたら本当に、粋なバンドだなあと思う。

 

 

 ライブ中一度も活動再開についての言及は無かったし、フロントマンである古川さん以外のメンバーから、MC中に言葉が発されることも無かった(ライブ中の森下兄貴の煽りはあったが)し、何度も「最後」ということを強調していたようにも思う。それは「無期限」という言葉の重さを表すものでありつつ、生半可な気持ちであの場に立っていないことを示す証左でもあった。最近届いたライブDVDにて改めて当時のライブを観返す中で、THE PINBALLSのこの先の不明瞭さを思って、そのMCに一抹の悲しさを感じたりもした。

 ただ同時に、他でもない古川さんがMCにて語っていた「俺はまだ全然諦めていない」という言葉は、希望以外の何物でもないとも思った。まだ僕がTHE PINBALLSの存在すら知らなかった時から、一つの拍手も聞こえない夜も、誰の耳にも届かない弾き語りを繰り返した日も超えて、あの日、満員御礼のZepp Tokyo Divercityの真ん中で歌った彼の言葉を信じられないわけがない。何もかもが終ってしまった今はただ、また4人の道が交わることを待つことしか出来ないとしても。

 

 

 気付けば、ライブから半年近くが経過した。THE PINBALLSについては未だに音沙汰は無く、4人はそれぞれの活動に勤しんでいる。古川さんは今度ソロでライブをやるらしい。彼の弾き語りライブなどを見たことがないので、ソロで歌う彼の姿はどんなものなのかあまり想像がつかないが、きっと素敵な一夜になるのだと思う。

 THE PINBALLSのことを考え、彼らの音楽を聴く時間は、解散前の頃からまだ減ってはいない。公式から最高のプレイリストも公開されているので猶更だ。聴くものに困ったら最近はこればっかり聴いている気がする。

 

 

 だが、活動休止のお知らせの時に感じた悲しさは流石に薄れてきた。THE PINBALLSが活動休止している今がもう、当たり前の日常となっている。THE PINBALLSが最高の新譜も出さず、その新譜を引っ提げてカッコいい名前を冠したツアーで全国を回ることもなく、ライブハウスの暗がりの中、地獄の果てまで行こうぜという前口上から「蝙蝠と聖レオンハルト」が炸裂することもない。地獄の果ての道半ば、賽の河原でぼんやりと石を積み上げながら、導いてくれる彼らを待っている。それが当たり前となっている。

 いつしかその当たり前はプールに垂らした血液のように完全に日常に融け込み、いずれ消えてなくなっていく。2021年11月24日に受けたZepp Tokyo Divercityでの衝撃は、日々の喧騒と懊悩に埋没していく。すべて失っていく。とけていく、欠落していく。片道数時間の空路も、平日の混雑した東京の交通機関の猥雑さも、ライブ前に食べた餅明太チーズたこ焼きのちぐはぐさも、今までで一番長かった物販列も、涙声でMCをするギターボーカルも、あの日あの時あの場所に居たことを誇る自分も。

 こんなにカッコいいバンドが存在していたことも、すべて、いつかは忘れていく。

 

 でも、それはまだ、今ではなくてもいい。

 

 星座。亡くなった祖母。読み終わった本の一節。11月24日の東京。Twitterのフォロワーと交わした言葉と音楽の数々。真っ白な投稿フォームを前に、自身の記憶の海から座礁した断片を繋ぎ合わせて文章を紡ぐ。なかなかあの時の感情を言葉に出来ずにさまよっていた自分を導くために。そしていつかそれすらも忘れてしまう自分への、ささやかな備忘のために。彼らを愚直に待っている今を、ほんの少しでも長く伸ばせるように。

 

 

 

 ライブ前日に投稿した記事にて冥王星の話をしたが、あの話には少しだけ続きがある。宇宙の果てで孤独に公転軌道上を回っているかつての太陽系第9惑星は、ずいぶん長い間地球と同じたった一つ衛星しか持たない孤独な惑星だと思われていたのらしいが、太陽系第9惑星という名称をはく奪される一年前に2つ、その数年後にまた2つ発見され、結局計5つの衛星を有していたことがわかった。今も太陽系の遥か彼方を気ままに周回するこの小さな惑星は、発見された当初考えられていたよりも、寂しい星ではなかったそうだ。

 ライブ当日のZepp Tokyo Divercityにて、今まで行ってきた彼らのライブでは考えられないくらいに沢山の人がいるのを見て、素直に驚いたことを覚えている。彼らの、そして彼らの作る音楽のファンは、僕が思っているよりずっとたくさん居ることを、僕はあの日初めて実感したように思う。『共感』とか『一体感』とかそういう他人ありきの言葉がそこまで得意な質ではないが、あの日ばかりはそれが好ましく思えた。同じ熱量の人が自分以外にこれだけいるのだと思えることが、救いのようにすら感じた。

 

あなたが眠る惑星

あなたが眠る惑星

  • THE PINBALLS
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

一人きりでいる時は 一人きりだと思う時は
忘れないであなたを
愛する人がいる事を

あなたがこの惑星をひとまわりするたび
あなたが眠る惑星が静かにまわるたび

ざわめく心は激しさに痛みを失った

まるで 嵐のように

 

THE PINBALLS――あなたが眠る惑星

 

 惑う星、と書いて惑星と読む。英語の「Planet」はギリシャ語の「さまよう人」「放浪者」を指す「ΠΛΑΝΗΤΕΣ(プラネテス)」という言葉が語源らしいが、恒星と異なり、地球から見て不規則な動きを繰り返す姿からこう呼ばれたとのことだ。アウトロ―で不器用な彼らは幾度となく宇宙や星をテーマにした詞を歌っているが、選ぶモチーフのセンスは本当にピッタリだと感じる。

 星に願いを、なんて柄でもないが、せめて今はまだ忘れないでいられる。惑う彼らに付いて行こうと思える。待とうと思える。きっとそれで十分なのだと思う。そしてまた彼らがいつか、どこかで自分自身のために歌ってくれるなら、出来ることならその場にいたいと思う。

 

 

 味わいたくもない激動を味わった2021年でした。

 いつかまた、最高にカッコいいロックンロールバンドが見られますように。