愛の座敷牢

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CRYAMY『#4』ディスクレビュー

 

#4(ポストカード付)

#4(ポストカード付)

  • アーティスト:CRYAMY
  • nine point eight
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 ひどいEPだと思った。本当にひどい。

 なんで1曲目の終わりが「死ね」なんだよ。おかしいだろ。

 

「死んでしまえ」と言われたいよ

なにもかも懸けて尽くしたって

差し出せないならそこから飛び降りて

死んでしまえばいいよ 撞着の末に破滅を選びたいよ

死ね

 

CRYAMY――マリア

 

 もともとダメな自分をあざける様な、呪うような、そういうどうしようもない憂鬱と鬱屈と諦念、の中にほんの少しの希望を混ぜて歌うバンドではあったが、今作『#4』は、それが今までの作品以上に極端な出来栄えとなっている。何というか、ネガティブ・ポジティブ、そのどちらの表現もこれまでに比べてかなりストレート。全体的にかなりパンチが強く、辛辣。子供の教育には間違いなく良くない。

 のっけからいきなり「死ね」の連打とカワノの地鳴りのようなシャウトで終わる曲をぶつけてきたかと思えば、二曲目の「スカマ」では

 

吐いたって病んだって簡単に被害者ぶったって

誰もお前のことを大事になんてしないよ

 

CRYAMY――スカマ

 

 破ってただろ心のノートとか。

 なんでそんなひどいことばっかり、しかもよりにもよってサビで歌うんだよ。情操教育をろくに受けずに育ったことがありありと見て取れる。よりにもよってこんな滅茶苦茶な歌詞に、ため息が出るほど秀逸な歌メロが被さっているのだからもう手に負えない。曲さえ良ければ何歌っても良いと思ってる。飯さえ旨ければ如何なる横暴も許容されると認識している料理屋の思考。うちの近所のラーメン屋かよ。

 これまでもそれなりにえげつないことを歌ってきた曲はあったが、「スカマ」や「E.B.T.R」そして「悲しいロック」あたりの歌詞はこれまでにリリースされた曲に比べても格段にド直球に心をえぐってくる。ソングライターであるカワノの痛みを音を通して叩きつけられるような心地。彼の痛みを金で買っている。実質Pay money To my Pain

 

粉を拭いちまうくらい 肌をかきむしってんのは

それより気持ちの良いことを知らないから

 

CRYAMY――E.B.T.R

 

 この歌詞が今までのCRYAMYの曲の中で一番好きかもしれない

 30分弱のボリュームに詰め込まれた鬱屈は、とてもじゃないけど収められる濃度のものではない。歌詞カードを読みながら聴くと胸やけと痛みで一杯一杯になってしまうが、それでも何度も聴いてると自然と口ずさむようになってしまう。げに恐ろしきは歌メロのクオリティ。カワノは本当に、現代邦楽ロックシーンにおいても屈指のメロディメーカーだと思う。

 それにしたってひどい。本当にひどい。きっと同じことを他のバンドで歌ったってこんなに真に迫ることは無い。聴いててこんなにダメージを受けることは無い。なぜCRYAMYの演奏で、カワノの声で歌われるとここまで重さを、痛みを内包するようになってしまうのだろう。一種の魔力のようにすら思える。

 

 

 どの曲も好きなのだが、個人的に一押しなのが5曲目の「ALISA」である。

 昨年彼らのライブを観に神戸まで行ったのだが、そこでのアンコールで新曲として披露された時からずっと気に入っていた。MCの内容を明確には覚えていないのだが、確かカワノ自身の母に向けて書いた曲だと言っていた気がする。

 CRYAMYのライブを観たことがある人は分かると思うが、カワノは相当暴れるギターボーカルである。これまで数回CRYAMYのライブを観てきたが、彼が音源通りに歌ったことは数えるほどしかなかったし、タミ○ルでもキメてんのかと思ってしまうくらいにめちゃくちゃな動きをする。激情的にも破滅的にも見えるそのライブパフォーマンスは、これこそロックンロールだと思う気持ちもある反面、良い歌なんだからちゃんと歌ってくれよとも思う気持ちも無くは無い。ただまあ素直にマイク前に立って行儀よく歌うカワノが見たいかと問われると、正直首を傾げてしまう。あれはあのままで良い。

 神戸で披露された「ALISA」は、ミドルテンポのバラードという面を考慮しても、そういう意味では珍しく本当に綺麗に歌われたように記憶している。サビの裏声もきちんとしていたし、歌詞もいつもに比べればちゃんと聴きとれた。

 このEPは前半4曲が負の感情を、後半2曲が正の感情を歌っている構成となっているのだが、5曲目であるこの「ALISA」は、詞の中身としては救いの無いものとなっているのだが、語り口の違いと、他の曲より詞世界の輪郭が強く浮き出ていることからか、どことなくあたたかな印象を受ける。

 

誰かの涙で照らされていた

犠牲の上で成り立っていた日々はまるでゴミのようだ

私の拒んだあの人とずっと暮らしていたかったけど

ありふれた日々に返してしまう

 

CRYAMY――ALISA

 

 CRYAMYは隠すことなく絶望を歌うが、臆すことなく希望も歌う。そのバランスがとても心地良い。この「ALISA」は、そんなCRYAMYのスタイルを表しているかのような曲だ。

 曲としてもサビのファルセットが魅力的な相変わらずの美しい歌メロで、最後の母親に向けたらしき一連の歌詞も非常に魅力的である。EP全体を通しても白眉の出来であるこの曲は、絶望も、それと表裏一体である希望も同じように、ただありのままを歌うこのEPにおいて、重要な転換点になっている一曲だと感じる。

 

 

 昨年リリースされた初のフルアルバム「CRYAMY-red album」を聴いた時も思ったが、カワノは自分自身を削って曲にしているように思ってしまう。アーティストという生き物は総じて、文字通り身を粉にして作品を生み出しているとは思うのだが、カワノは、そしてCRYAMYというバンドは他と比べてもその傾向を顕著に感じる。

 剥がれ落ちた自らの破片を、執拗に、丹念に磨き上げて出来た7曲。そのどれもが異なる方向を向いているが、共通して自らの代謝を音楽にしたようだと思った。ぬかるみのような日々の中で、自身の代謝によって剥がれ落ちた魂を拾い集め、丹念に磨き上げて作られた曲は、まるで鏡面のような反射性を帯びてリスナーを刺す。

 そのストレートな歌詞が、こちら側の心の柔らかな部分を突き刺してくるようにも、はたまた包み込んでくれるようにも思わされてしまうのは、このEPを通して無意識に自分の鏡像を映し出して、自身を見つめなおしているが故ではないか。

 


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「君のために生きる」と言う

君のためだけに出来る限り

そして何も変えられず暮れちまっても

当たり前に愛してるよ

 

CRYAMY――WASTAR

 

 どこまで行っても自分を誰よりも理解できるのは他でもない自分しかいないし、だからこそ自分の弱い部分からは誰もが目を逸らしたくなる。このEPを繰り返し聴いていると、知らず知らずのうちに見ないふりをしていた自分自身の弱さを見せつけられ、逃げるなと言われているかのような心地になってしまう。歌詞を一通り飲み込んだ上で聴くと、余計にそう思う。ほんとうにひどいことを書く。容赦がない。

 しかし、容赦がないというのは、言い換えれば噓が無いということでもある。故に彼が書いたこれまたストレートな希望の詞もまた、同じくらいにストレートに自分の中に響くし、勝手にこちらが救われてしまうだけの強度を有している。

 

正しいまま日々にとける

悲しいあなたを分かってる

ただ優しい人に送る

優しいあなたを守ってる

 

CRYAMY――待月

 

 なんてことない普遍的な希望の詞でも、鬱屈も諦念も隠さずに歌うこのバンドにて紡がれたそれは、言葉の持つ力に加えてぐっとその重さが増す。自分の弱さと向き合って逃げてしまった結果CRYAMYにたどり着いた僕のようなリスナーは、きっと彼らの音楽を聴いて、彼らの言葉を噛み締めて、逃げてしまったその先も無情に続く毎日とに、立ち向かっていくのだと思う。

 

 

 Catcher In The Spyに捧ぐ記事を除けば、このブログにおいてはこの記事が初めてのディスクレビューとなる。

 ディスクレビューといえば良い感じの副題がついているイメージがあるし、実際僕もこの記事を書く時に何かしら副題を付けようといろいろ考えたのだが、結局思いついたどれもしっくりこなくてやめた。文字通り彼らが魂を削って作り上げたこの一枚に、余計な言葉は、副題はいらないと思い、レビュータイトルも至極シンプルなものにした。

 上でつらつらと何かいろいろ書いたが、結局言いたいことは「良い演奏と良い歌メロと良い歌詞と良いボーカルが揃った良いバンドの良いEPだから聴いてくれ」だけだ。それ以外の文言は、この音楽の前では刺身の上の食用菊くらいに何も要らない。臆すことも隠すこともなく全力でぶつかってくるバンドなのだから、何も心配することなく耳を委ねるといい。

 

 バンドの意向もあってか現状サブスクは解禁されておらず(以前書いた記事で「いつかサブスク解禁されるから転売品は買うな」とか書いて申し訳ない)、CDを買って聴くことになるのだが、定価2200円の価値は間違いなくあると僕が保証する。サブスクに慣れ親しんだ今ではCDなんて前時代的なメディアはもう煩わしいかもしれないが、これもまた今となっては貴重な音楽体験の一環である。それも含めて是非、この傑作を体感してほしい。