愛の座敷牢

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「イヤホン半分こ」とかいう行為を考察したら、人生の意味が分かった

 諸君はあの「イヤホン半分こ」をご存じだろうか。

 

「イヤホン半分こ」とはその名の通り、一つのイヤホンを二人でシェアするあのシチュエーションのことである。別にこのシチュエーションに正式名称があるとは思わないが、なぜかpixiv百科事典にこのシチュエーションについての記事があるので、それに習ってこの記事では「イヤホン半分こ」と記載する。

 

dic.pixiv.net

 

 遅刻遅刻と慌てながらパンをくわえて走る女子校生と同じく、フィクションではおなじみだけど現実では見たことないの代表格、もしくはあんまり流行ってない音楽を聴いて悦に浸っているキモイ男子高校生の妄想の代表格みたいな印象があるが、そんなことはないのだろうか。世の中のリアルが充実している系の方々からすれば日常茶飯事なのだろうか。羨ましい限りである。

 真面目な話をすると上のpixiv百科事典の記事で藤原基央も語気を荒げておっしゃっている通り、ステレオ音源は左右で違う音が鳴っているので、こういう聴き方をすると曲本来の魅力が半減したり、音源によってはそもそも何の曲かもよくわからないということにもなりかねない。ただ今回はそういうのはどうでもいい。そもそもこういうことする奴はそんな無粋なことを考えない。彼らにとって何より大事なのはマイ・ベスト・ミュージックをシェアすることをダシに、意中の相手と濃厚接触することである。なんだこいつら 速やかに何らかの流行り病の餌食になっていただけますと幸いです

 しかしまあ、流石に御年27歳のわたくしである。もう「リア充爆発しろ」とかそんな、大正時代の流行語をこん棒にしてこの甘酸っぱいシチュエーションを破壊しようとするパッションも失ってしまった。むしろ微笑ましいと思う。イヤホン半分こはすばらしい。最高だ。令和のカップルの義務教育にすべきだ。日本の少子化対策への希望も込めて、そういう慈愛の心をもって生きていきたい。ラブアンドピースの象徴、イヤホン半分こを皆で愛していこうな。目指すは無形文化遺産

 

 

 というちんけな感想で終わるのなら別にこんな記事は書かなくていいのだけど、この行為を漫画やイラストで見るたびに、ちょっと思うことがあるのだ。別に大した疑問ではない。ただ「イヤホン半分こ」って衛生的にどうなの? という、非常に、極めてシンプルなものである。

 

 普段あまり深くは考えないが、他人の耳である。他人の耳の中に日常的に突っ込んでいる物体を自分の耳に突っ込む行為と言うのは、果たしてイラストで描かれる胸キュンな雰囲気で誤魔化せる程度のものだろうか。

 病院に耳鼻科、耳鼻咽喉科とあるように、耳と鼻と喉は繋がっていることを思うと、耳って実質鼻みたいなところないだろうか。イヤホン半分こってもしかして、他人の鼻かんだティッシュで鼻をかめるかどうかみたいなレベルの行為なのではないか

 さすがにそれは論理の飛躍が過ぎるとしても、その日の耳の中の状態によっては、まあその、なんですか。耳の̪̪中の固形物だったりとか、そういうのが付着する可能性というのも否定できないのではないですか。よくわかんないけどロマンチックとか、胸キュンとか、そういう薄桃色の言葉とは一番遠い位置にある存在なのではないですか、耳クソって

 何聴いてんの、って訊かれた恋人が無言で差し出したイヤホンの片側に異物が付着していたらそれはもう、聴いていた音楽が、なんだろうな、なんかofficial髭男dismみたいなやつであろうと破局確定である。グッバイ 君の運命の人は僕じゃない~がガチの意味になる。

 つまりはこの胸キュン☆シチュエーションに身を染めるこの世の勝ち組達は、そういう、外からは見えないところにも気を配って生きていると言える。俺たちが必死で前髪の具合を気にしている最中、耳の中の状態という不可視の領域に常に気を配るその精神こそが勝ち組になる秘訣。学生時代の俺たちに足りなかったのはコミュ力でもメンズノンノでもヘアワックスでもない! 良い耳かきと良い耳鼻科だったのだ! 衝撃の事実

 

 

 と、ここまで書いて一つの仮説にたどり着いた。

 思うにこの「イヤホン半分こ」とは、一種の試練なのではないかと

 

 

 僕はこれまで「日常的に他人が耳に入れてるものを自分の耳に詰め込むのって冷静に考えて衛生的にどうなの?」ということについて語ってきたが、そもそも、このシチュエーションを好き好んで行う人たちの真意はそこではないのではないか。この人生の勝ち組達は、そのろくに洗っても無いイヤホンを渡した時の相手の反応を見て、人としてのレベルを見定めているのでは

 イヤホンに異物が付着している可能性など織り込み済み、むしろ何か付着していても、例えそれがイヤホンじゃなくて針だろうと、差し出されたものを何とも思わず耳孔という人体のパーソナルスペースに挿入する、その様子を見て対象の「度量の深さ」を計っているのではないか? 書いていて、あまりに高度な心理戦過ぎて眩暈すらしてきた。

 君の耳垢も含めて君のことも愛すと、言葉語らずとも伝えるイヤホンの挿入。君の耳垢も含めて君のことも愛す。なんという殺し文句な告白だろう。かの有名な「月が綺麗ですね」が裸足で逃げ出すレベルの威力。英語で言うとI love you including your ear糞 

 こうしてはいられない。今度からこういう構図のイラストを見た時は脳裏で三回唱えて、いつか来るその時に備えたい。物憂げな美女にイヤホンを差し出されたら「君の耳垢も含めて君のことを愛す」と一言告げた後にそのイヤホンを自分の耳にぶっ刺す。完璧である。

 

 

 ただここで僕は思った。この「差し出されたイヤホンを自分の耳に入れるかどうかで相手の度量を計る」という仮説を正とするならば、「耳に入れる」よりも模範的な解答があるのではないか?

 そもそも大前提として、イヤホンは耳に入れるものである。別に差し出してきた相手が意中の人間ではなかったとしても、何も考えずとりあえず耳に入れてみる、ということは充分に考えられる。特に、脳裏で高度な心理戦を繰り広げないタイプの、勘と本能と快楽中枢で生きている人間が対象だった場合は、この度量測定の精度は信用できない値となる。「勘と本能と快楽中枢で生きている人間」というのは、あれだ。ちびまる子ちゃんに出てくる、語尾に「~だじょ」を付けるキャラみたいな

 そこまで織り込み済みで自分を試そうとしてくる相手の前では、ただイヤホンを耳に入れるだけでは自分の愛が伝わらない可能性もなくはない。こいつは脊髄と股間でものを考えている、と見切りをつけられてしまったら終わりである。何かもう一段、ワンランク上の、愛を伝える手段が欲しい――――

 

 

俺「何聴いているの?」

美女「……ん」(黙ってイヤホンの片方を差し出す)

俺「イヤホンジュルルルルルルルルルルルルル!!!!!! ジュポ!!ジュポ!!!!!!ジュブブブブブブ!!!!!!!!グッポ!!グッポ!!!」(差し出されたイヤホンを咥えてものすごい勢いで前後にストロークする)

 

 

 そう、食べてしまえばいいのだ

 

 耳ではなく、口内に入れるのだ。か細いイヤホンの断線など気にしない怒涛のストローク運動。君の耳の中ごと食べてしまえるほどに愛する、愛している。その思いを乗せて腕を時速300キロの速度で前後させる。これ以上ない意思表示である。キスよりペッティングより、その先の行為よりも圧倒的・本能的な愛情表現。この行為を見た美女は一言ただ「素敵」というのだ。貴方はやっぱり私の見定めた男だったわ、と

 君の聴いている音楽ごと俺のものにしたい、俺は君の聴く音楽で自分を構築しなおしたい、心も体も君色に染まりたい、自身のすべてを君に捧げる、そういう愛の言葉を一言も発さずともに何もかもが伝わるこの模範解答。これこそ新時代のラブ。これからの胸キュン。令和の恋愛におけるスタンダードの、そのワンランク上を行くモテ・テクニックである。俺がananの表紙になる日もそう遠くは無い気がする。

 差し出されたイヤホンは、耳に入れるのではなくて、しゃぶる。SNSに跋扈する恋愛アドヴァイザーたちの手によって、これが恋愛の常識になる日もそう遠くはあるまい。僕にもいつか、意中の方に自分のイヤホンをおもむろに唾液でぐちょぐちょにされてしまう日が来てしまうかもしれない。音楽を聴くために存在するイヤホンを、良かれと思って咀嚼され、足元にぺっと吐き出される未来がくるのかもしれない。それを黙って拾い上げ、再び耳に詰め込むのかもしれない。その時僕は思うのだ。

 

「くたばれ」と。

 

 何が新時代のラブだくそくらえそんなもん。渡したイヤホンをおもむろに唾液まみれにされたら脳裏に浮かぶのは「愛」でも「素敵」でもなく、ただただ純粋な「殺意」か「破局」か、或いは「弁償」である。たとえそれをやられた女の子の愛する彼ピが2歳だとしてもギリ許されない。強めにビンタされる

 

 この際知らなかった人もいい機会なので覚えておきましょう。イヤホンは耳に入れるものです。口でも鼻の孔でも肛門でもありません。耳です。earにputするものです。勉強になりましたね

 

 

 話を戻して「イヤホン半分こ」についての考察である。

 これまで渡す側が試す前提で考えてきたが、逆に渡す側が「試される」行為だとしたらどうだろうか。

 この考察のきっかけとなった「日常的に他人が耳に入れてるものを自分の耳に詰め込むのって冷静に考えて衛生的にどうなの?」という疑問に対する一種のアンサーと言える。要は渡した側が「自分は耳の穴の中まで清潔な人間です」ということをアピールするのだ。いわばこれはラブレターやプロポーズと類似したものと言える。

 ここで相手がイヤホンを受け取り、自分の耳に入れればハッピーエンド。二人は子宝にもめぐまれ幸せに暮らしました、となるわけだ。いいですねそういう告白のシチュエーションもね。この価値観が一般的になったら日常の一コマにスパイス程度の甘酸っぱさが満ちるかもしれない。要るかと言われれば要らないけど

 

 ただここで、もしも相手が「度量の深さを計られている」と、自分が試されていると思っていたとしたら。お互いに「試されている」状況が生まれたとしたら。

 自身の度量を計られている、と感じている男。清潔な自分をアピールする女。差し出されたイヤホンの片方が一つのドラマを生み出す。そのイヤホンを受け取った側が耳に入れるまでの数瞬の間に、双方のあらゆる思いが込められる音楽と、恋愛と、思惑と、感情と、思い出と、緊迫と、未来と、拳と、魂が――

 

 

 ――――激突する

 

 

 顔の良い男たちの拳と運命が交錯し、激突する最高の不良映画『HiGH&LOW THE WORST X』が来月9日に公開予定です。

 顔の良い男が最高のカメラワークと最高の演出と最高のアクションと最高のセットで大スクリーンの中、血糊と鉄パイプを散らして暴れまわる、血液沸騰毛穴爆増間違いなしの最高の映画です。人が殴り合うことに愉悦を覚える、不良が殴り合うことに快楽を覚える、銃で撃ちあうより鉄パイプで殴り合うのが最高だ、集団で殴り合う男の映像を見ると何故だか知らないが股間が隆起する、そういう面倒な「癖」をお持ちの方はもう、観るだけで最高になるのでぜひ劇場で熱き男たちの激突(クロス)を観ましょう。EXILEに興味がないとか前作観てないからわからないとかそういう言い訳はマジで要らないので。不良映画にストーリーなんてあってないようなものです。大事なのは顔が良くてアクションが上手い男たちが互いの肉体で鎬を削り合う姿そのもの よくわかんねえけどなんかこいつらには因縁があってそのために戦ってるんだな、よくわかんねえけどこいつの足は長いからきっと回し蹴りをすると映えるな、よくわかんねえけどこの塩野瑛久顔が良いな、もう、それだけでいい そういう理由で良い そういう理由で見て何もわからなくても、この不良たちの殴り合いにはきっと2000円をお支払いする価値がある

 こんな記事はもうどうでもいいので、みんなで『HiGH&LOW THE WORST X』を観よう。重ねてお伝えしておきますが9月9日公開です。多分見なくてもまあ殴り合ってる不良を観るだけで楽しいと思うけど、余裕があるなら前作の『HiGH&LOW THE WORST』を見ておくともっと楽しめるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 余談だが、この記事を書いている中で一つ思い出したことがある。最初に「イヤホン半分こ」をあくまでフィクションの産物だと思っている、みたいな記述をしたが、よくよく思い返してみれば僕はこれを一度だけやったことがある。短期大学生時代に、同級生の男と。講義が暇すぎて二人並んで一つのPCでニコニコ動画を漁っていた時に、何も考えず自分が持っていたイヤホンの片割れを手渡した。彼は何も躊躇うことなくイヤホンを自分の耳に入れた。

 そんな僕らが見ていた動画がこれである

 

 

 人生とは、時間の浪費である