愛の座敷牢

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暗転中に演者の名前を叫ぶ人が、理解できません

 コロナ禍、第七波。お盆休みの最中だろうが世間は未だこの未曽有の病禍から抜け出すことが出来ず、開き直りと諦念と閉塞感の闇鍋のような空気が国内全体を満たしている気がしないでもないが、皆さんはいかがお過ごしだろうか 僕はと言えば、今度行くライブのチケットの発券も交通機関の予約もめんどくさがって惰眠を貪っております

 コロナ禍とはいえかれこれもう3年目、当初はあれだけ圧力の強かった自粛ムードも完全になりを潜め、マスク必須・声出し厳禁がデフォルトとなったもののロックバンドは以前のように新しい音源を引っ提げて全国を周り、そのファンも同じくなけなしの銭を叩いてライブを鑑賞する、数年前の非日常体験が以前のような形に戻りつつある。それについて賛否はあるだろうが、頭のいい人が考えた感染対策をしっかりやっていれば感染の爆発はそうそう起こらない、というのはこれまでで立証されたことであり、今ロックバンドが国のガイドラインを守った上でライブをやることに関して、個人的な抵抗は全くない。

 

 さすがにもう慣れたが、コロナ禍の中での声出し厳禁のライブはとても静かである。コロナ禍前はあれだけわーぎゃーウオオオ騒いでいた観客も、どこにそんな理性を隠し持っていたんだと驚いてしまうほどに静か。故に、前以上にライブに集中できるのは事実である。バンド側からすれば寂しいかもしれないが、どこのどなた様かもよくわからない歓声は、客側からすればわりと純粋にノイズだったのかもしれない。なんて、そういう元も子もないことを考えたりしている。

 

 

 ライブハウスが静かになった今、ふと考えることがある

 数年前に存在した、曲間・MC前などの暗転中に、ステージ上の演者の名前をドン引きするくらいデカい声で叫ぶ、あの人たちは一体なんだったんだろうか、と

 

 

「○○~~~~~~~~!!」「△△さ~~~~ん!!」「□□ゥ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッ」

(記号の中に好きなアーティストの名前を入れてあそぼう! 手軽に殺意がわくぞ! 俺だけか?)

 

 

 暗転中、次の曲への準備をしている演者に向けてクソほどデカい声で名字や名前を叫び、時に他の観客からの失笑を買い、時にステージ上から地味にネタにされる、どこのライブハウスに行っても一定数は存在するあの謎の一群は今何をしているのだろうか。というかあの文化は一体何だったんだろうか

 僕は前からあの暗転中にわーわー叫ぶ文化がどうにも苦手で、特に演者の名前を不必要にデカい声で叫んだり、何かギャグっぽいこといって盛大にスベったりする人を見るたびに強い羞恥に襲われるので、さっさと出禁にしてほしいと思っていた。ただまあ流石に僕みたいな客ばかりだと、ほぼすべてのライブがお通夜になってしまうので多様性は認められるべきだとは思う。思うが、根っこの部分でどうしようもなく不快感がある。もうこれは仕方ない。どうしたって相容れないものは相容れない

 

 率直な疑問として、なぜ暗転中に叫ぶのだろうか。

 それも「うおー」とか「きゃー」とか、そういう理性で抑えきれずに魂から漏れ出てしまった純度の高いスクリームではなく、ステージの上に立つ人の名前を、少しも濁すことなく、むしろちょっと会場のウケすら狙っておもしろおかしく叫んでいるのは、苦手以前にちょっと怖くないですか、普通に 自分が認知してない接点の無い人が自分のこと嬉々として大声で呼んでたら普通に怖いですよ そもそも日常生活において自分の名前すら知らない誰かの名前を大声で叫ぶことある? ないよね? そう、ないんですよ

 普通絶対やらないことをさも当然のことのように行っているその精神が非常に、極めて、尋常ではなく、鬼のように怖い

 

 例えば、貴方が電車に乗っていたとする。

 貴方は片手でつり革を掴み、もう片手でスマホを触っている。パズドラをプレイしている。ゴッドフェスで目当てのキャラクターが出ずに苛立っている貴方の正面に、恰幅の良い成人男性が座っている。当然、貴方はこの成人男性のことを欠片も知らない

 その成人男性が突如、あなたを指さしてあなたの名前を嬉々として連呼し始めたらどうだろうか。突然大きな声をあげて貴方に向けて手を振り、貴方のパズドラでの指さばきにバカデカい歓声を上げていたらどうだろうか。電車内の周りの人々はその空気に耐えられず、顔を引きつらせながらあなたと成人男性を交互に見ている。成人男性はそんな視線を少しも意に介さず、貴方に手を振り続けている あなたの指さばきを神業だと褒めたたえ続けている まるで大げさなリアクションがウリの海外ユーチューバーのように

 

 その時あなたはうれしいだろうか。光栄だろうか。

 何を思うにしてもまずは「怖い」なのではないか。手を振り返したりにこやかに笑って見せる前に、その成人男性の精神状態を疑うのではなかろうか。パズドラのフレンドコードを交換する前に警察へのご一報を検討するのではないだろうか

 

 そのくらい見知らぬ成人男性の一方的な認知は恐ろしい 尋常ではないおそろしさ

 そんなおそろしい存在と成り果てたことを知らず行くライブ行くライブで不可視のしっぽをぶんぶんと振りながら、ステージ上の演者の名前を叫ぶ人間のおそろしきこと もはや彼らは自分を化け物と認識していないタイプの化け物である。まるでそれが当たり前であるかのように振舞っている。その何の迷いもない叫び声が俺を恐怖に陥れる もしかしてマンドラゴラなのか? マンドラゴラの生まれ変わりなのか? じゃあ仮に、マンドラゴラだとしよう

 

ja.wikipedia.org

 

 マンドラゴラもしくはマンドレイクと呼ばれる植物は実在する植物であり、古くから薬草として用いられてきた歴史がある。ただ、現代ではむしろいろんな創作物で用いられる影響もあってか、魔術や錬金術などで時折用いられる伝説・伝承上の存在としてのイメージが強いと思われる。地中で複雑に根を張っているこの植物は伝説によると、引き抜くとものすごい声で叫び散らかして、引っこ抜いた人間を即死させるらしい。

 当たり前だが、植物をひっこ抜くためには植物を見つけなければならない。つまりは必然的に、それを認識すること、認知することとなる。

 

 興味を惹かれてマンドラゴラを抜いてしまった、つまり無数の歓声のうちのひとつを個として認識してしまったバンドマンは、その本当の叫び声を聞いて死ぬ。マンドラゴラたちはバンドマンの生命を狙っている。故に、他の観客のことなどどうでもいい。ただ引っこ抜かれるために、興味をこちらへ向けるために、認知を得るために、そして向けた興味の先で確実に命を奪うために彼らは叫ぶ

 ここでの「死ぬ」とは本物の命ではなくアーティスト生命のことである。マンドラゴラの叫びに耳を傾ければ傾けるほど、ロックバンドとしてのミステリアスさ、神秘性はくすみ、失われ、やがてファンとの関係も馴れ合いじみた薄っぺらいものとなっていき、そしていずれ誰からも見向きもされなくなる。ライブステージ上のロックバンドと観客の心は、一定のラインで断絶されているべきだ。適切な距離感こそが、最高のパフォーマンスを生み出す秘訣なのだから。

 

 もしも、億が一このカスみたいな記事を読んでいるバンドマンがいたら俺からのお願いはただ一つ。もしもこの先声出しが解禁されたとしても、暗転中に名前を呼ぶ声は全部無視してほしい。変にデカい声を出しておもくそスベってるやつを個々に助けようとしなくていい。あいつらは貴方達を殺そうとしている。あんな奴らは声がデカいだけのバイオ兵器である。どうか、ロックバンドの有する神秘性を大切にしてほしい。

 

 

 

 

 

 ってな感じで、ライブハウスで演者の名前を叫ぶ人を一方的にマンドラゴラだと決めつけ、バンドマンに危機管理意識の向上を促す記事として終わってもよかったのだが、書いているうちに僕は、ある事実に気が付いてしまった。

 

 

 "もしも、億が一このカスみたいな記事を読んでいるバンドマンがいたら俺からのお願いはただ一つ。もしもこの先声出しが解禁されたとしても、暗転中に名前を呼ぶ声は全部無視してほしい"

 

 

 先ほど他でもない僕自身が記述したこの一節だが、ちょっと考えてほしい。

 結局これも一種の「認知を求めている」行為に他ならないのではないか? もしかして俺もマンドラゴラだったのか?電子の海でバンドマンに向けて叫び、あわよくば認知を求めているインターネット・マンドラゴラだったのか?

 

 

 ああ、思い返せばカッコいいMVを見るたびに「人生」、エロティックなライブ映像を見るたびに「性癖」、アーティスティックなアー写を見るたびに「顔が良い」と叫んでいた気がする 否、叫んでいる いつも叫んでいる むしろ対象のお名前を親御さんの許可も取らずにフルネームで叫んでいる エクスクラメーションマークを不必要に無意味に湯水のように連打している。しまいには一人称を「オタク」に変え、主語を勝手にデカくすることで自身に降りかかる罪の意識さえも軽くしている 一定の理性を有した上で理性を失ったように振舞っている。あまりにタチが悪すぎる。きっと生まれながらにしてなんらかの逮捕歴が有る ナチュラルボーン犯罪者

 現実とインターネットの境界がコンドームほどにまで薄くなってしまった現代において、インターネットで叫ぶのと現実のライブで叫ぶのは出力先が自分の声帯かSNSかという部分しか変わらない 気付いてしまった、俺も無意識のうちに認知を求めていたインターネット・マンドラゴラだったのだ。ライブハウスのマンドラゴラがステージ上の演者に向かって名前を呼ぶように、インターネットのマンドラゴラはネット上で演者への愛を叫ぶ 匿名性のメリットを最大限に利用して、パブリックな空間にアブノーマルな感想を工業廃水のように垂れ流す。ダイレクトに生身の身体に届くとはいえ、その場で演者の記憶からも消え失せなかったことになるマンドラゴラの叫びよりも、消さない限り、場合によっては消してもインターネットに残り続けるインターネット・マンドラゴラの叫びの方が、考えようによっては有害に思える。

 ライブハウスで唾を飛ばして演者の名前を絶叫する観客を、かなしきマンドラゴラだと冷たい目を向けていた俺もまた、かなしきマンドラゴラだった、その事実に衝動的にTwitterのアカウントを削除して首を吊りたくなる 俺は、なんて恥ずかしい真似を――――

 

 

 

 罪の意識に気付いてしまったらすることはその場しのぎの懺悔ではない、迅速な自身の矯正である。1分1秒の正しき判断が毎日求められる現代社会に約7年間揉まれ続け、いい加減そろそろピチピチの新人から逞しき中堅へと羽化をしつつある、職場を代表する期待の成長株であるわたくしは、爆発的成長の過程でその真理を掴みつつあった

 今ここで懺悔をしても仕方がない。今自分が出来る贖罪は、アーティストに一切の害を与えず、そして何より自分自身が自分を誇れるようになること――そう確信したわたくしは、すぐさま自身のSNSの運用の見直しを開始した。そして手始めに、アーティストにリプライを送ることを辞めた。アーティストの日常ツイートに共感のリプライをするように見せかけて、自分語りをする恥ずべき己を改めた。

 次にアーティストのツイートをRTすることもやめた。そのうちいいねも辞めた。その行動全てが自分自身の潜在的な欲求を満たす行為だと気が付いてしまったからだ。

 そのうちアーティストのアカウントのフォローも外した。CDやライブDVDやグッズを買うことも止めた。そもそも認知することを止めた。そしてとうとうアカウント自体を削除し、あれほど好きだったSNSそのものとお別れすることにした。そのアーティストの情報を出来る範囲で全て遮断したのだ。今はもう、過去の熱狂的で一方的な愛の叫びだけが、ブラウザのキャッシュに微かに残っているだけ

 そして、いままでアーティストの応援に使っていたお金は、全て自分磨きに使うようにした。身だしなみに気を使い、オシャレを勉強し、肉体を鍛え上げ、全身を脱毛し、整形にまで行った。どこに行くにも何をするにもバンドTシャツとファストファッションブランドのジーンズときたねえスリッポンを身に付けていた、全身から負け組の臭い漂うひょろひょろのゴボウのような社会不適合者はもう、どこにもいない。そこにいるのは、頑強な肉体と端正な顔立ちを有し、流行りのファッションブランドを華麗に着こなした、ユニバーサルでグローバルでイノベーティブな活躍が期待される、これからの日本の未来を背負うイケイケの全身ツルツル横浜流星である

 こうしてわたくしは、アーティストにとって害のない吉沢亮となったのだ

 キミも俺のような、自他共に誇れる綾野剛にならないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手記は、ここで途切れている

 この名も無き成人男性はアーティストに害のない人間になろうとするあまり、ファンであることすらやめてしまった。こいつはもう、ロックバンドとは何の関係も無いただの勝ち組である。俺は人の成功体験を聴くのが何より苦手だ。勝ち組の話を聞くだけで虫唾が爆走する バンド側からしても、まだライブハウスで恥ずかしげもなく演者の名前を絶叫する悲しきモンスターの方が、応援する意思がある分いくらかマシだろう

 畢竟、誰のどんな形の言葉であれ、それをどう拾い上げるかなんてその当人が決めることであり、その反応に解釈違いを起こそうとそれ自体に異議を申し立てる権利は全くない。僕がライブの暗転中にデカい声でアーティストの名前を叫ぶ人が苦手なように、僕のネット上でのリアクションにひどい嫌悪感を覚える人もいるだろうし、それに対して何を思うかはその対象であるアーティストによる。例え僕らが悲しきマンドラゴラであれ、法に触れない、大多数の人間の迷惑にならない範囲で、自分の好きなように声援を送る分には誰に何を咎められる筋合いも無い。その応援への返答によってアーティストの格が落ちてしまうのは、ファンではなくアーティストの責任である。

 

 なんで俺はこんな当たり前の話をバカみたいな文字数を重ねてやってるんだろう 何をそんなに叫ぶことがある? 筋金入りのインターネット・マンドラゴラだからか? 現実に居場所がない悲しきモンスターだからか? ああイライラしてきた、マジでイライラする ほんとにイライラする こういうときはライブハウスで思う存分踊り狂うに限るぜ 合いの手もいれちゃお

 

 

 声出しアリのライブそろそろ恋しいね 以上、マンドラゴラでした

祝福されるべきリスタート地点 ヒトリエ『PHARMACY』ディスクレビュー

 

 買ったか? 

 聴いたのは当然として、ちゃんと買ったか?

 通常盤でもいいから買え まずそこからだ

 

 

 とりあえず買った前提で話すが、結論から言うと本当にとんでもないアルバムである。

 冗談抜きで、現時点で今年リリースされたアルバムで一番聴いてる。なんならこれまでリリースされたヒトリエのオリジナルアルバムすべての中でも、好みで言えば相当上位に位置する。マジで凄まじいアルバムが出てしまった。世間はもうちょっとこのアルバムについて騒ぐべきです。あと数か月で終わる2022年に今後、これ以上があるとも思えません。

 断言しても良いが、もしも僕がレコード大賞の審査員ならこのアルバム聴いた時点でそれ以降のリリースを全てシャットアウトして、このアルバムの収録曲をノータイムで全て大賞に認定する。マジで何やってんだろうなレコード大賞の人。もしかして目も耳も節穴か?

 

 前作「REAMP」から1年4ヵ月の期間を空けて、今年の6月にリリースされたこの「PHARMACY」だが、すでに発売から一か月が経過しているというのに全く聴き飽きることなくリピート再生している。他の好きなアーティストの新譜が出て、一時それを繰り返し聴いても結局はこのアルバムに戻ってくる生活を続けている。本当に聴くものに困っても、困らなくてもとりあえずこのアルバムの再生ボタンを押している。Apple Musicの画面をスクロールする指先がこのアルバムのジャケットで自然とストップする。完全に中毒である。と、今書いてて思ったがPHARMACYってもしかしてそういうことだろうか。あの、「クスリ」って表記するタイプのお薬を処方しているのだろうか。

 とにかく聴いていて気持ちのいいアルバムである、と書くと前の文とのつながりで僕がヤク中みたいになるので少し表現を変えるが、聴き心地がいい、とでも言おうか。このアルバムを一言で表すなら、聴きやすく、心地いい。これに尽きる。これまでにリリースされたヒトリエのアルバムの中でも断トツで聴きやすい。そういう意味ではこれまでのヒトリエと全く異なる雰囲気の一枚なのだが、それでもちゃんと今の「ヒトリエ」のアルバムへと違和感無く仕上がっている。

 屋台骨だったwowakaがいない体制でリリースされたアルバムである以上、今までヒトリエを聴いていたリスナーからは勿論賛否あると思うが、これからヒトリエを聴く、今のヒトリエに触れるとするなら、これ以上の回答は無いのではないか、と思うくらいに良いアルバムである。一度は背骨も脳も心臓も失ってしまったはずのロックバンドが、未だ絶えず呼吸を、そしてこれだけの邁進を続けている事実に感動を通り越して戦慄すら覚える。そういう意味でも、今の3人の地力を思い知らされる一枚と言える。

 

 切り裂くような鋭いサウンドと、超高速な言葉の羅列による情報量の激流で聴覚を殴りつけ、リスナーを思うがままに激しく飛び跳ねさせる音楽がこれまでの彼らが培ってきた持ち味だったとするなら、今作はどことなく浮遊感のあるサウンドで「揺らす」ような楽曲が目立つ。その象徴ともいえるのがアルバム一曲目の「Flashback,Francesca」である。

 

Flashback, Francesca

Flashback, Francesca

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 名曲揃いなのは重々承知しているが、それでも全体通してこの曲が一番好きかもしれない。とんでもない曲である。あまりにも気持ちよすぎる。この記事を執筆している現在、僕はまだ彼らの新しいライブツアーに参加出来ていないのだが、早くライブハウスに行ってこの曲で思うがままに踊りたくて仕方ない。聴いているだけで勝手に身体が揺れる。

 浮遊感のあるコーラス、どことなくボイパのような雰囲気のハイハット、音量も絞り気味に控えめにならされるギター。ジャンルとしてはダンスミュージック、もとい「サイケ」らしく、曲を書いたシノダも電気グルーヴなどから影響を受けたことを公言している。こういう、あまり馴染みのないジャンルの音楽を自分の好きなアーティストによる解釈によって提示されることで、「ああ、自分はこういう感じの曲も好きなんだな」という気づきが生まれることがたまにあるが、「Flashback,Francesca」はまさにそんな曲である。

 つかみどころの無い歌詞やメインボーカルとコーラスの見事な調和ぶりから、なんとなくフレデリックあたりが歌っていても映える曲だとも感じるが、ボーカルを兼任するようになって歌唱力が目に見えて向上したシノダの滑らかな高音が、今のヒトリエでないと出せない味わいに仕上がっている。今回のアルバムで改めて実感したが、シノダボーカルの伸びしろがヤバすぎる。配信ライブを重ねるごとに指数関数的に歌が上手くなっている気がする。

 今作はこの「Flashback,Francesca」を始めとして、シンセを効果的に使用した曲が目立つ。wowakaが作った曲の中でも「RIVER FOG,CHOCOLATE BUTTERFLY」そして「SLEEPWALK」あたりがかなり好きな自分は肯定的に受け入れているし、これがライブだとどういうスタイルで演奏されるかも楽しみにしている。ただ完全にこっちにシフトされるのも寂しいよな~と思っているうるせえリスナーも

 


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 黙らせる音楽をちゃんと提示してくるのが素晴らしい。とはいえこの「ゲノゲノゲ」もこれまでのヒトリエの得意技かと言われれば、それもちょっと違う気はする。どう違うか、と言われると説明が難しいが、歌詞と言い楽曲自体の雰囲気と言いどことなくアングラな、もっと端的に言うと「B級臭」がする。シノダ自身もTwitterで「ドンキホーテで流れているような曲」みたいなツイートしていたのでこの解釈は間違っていないと思う。コミカルなロック。

 ぶっちゃけ初めて聴いた時はそこまで印象に残らなかったが(「Flashback,Francesca」の衝撃が凄すぎたのもある)何度も聴いているうちにこの曲も相当ぶっ飛んでいるよなあ、と思わされた。3人体制になってリリースされた曲で、もしもこの曲がwowakaボーカルだとしたら合わないかもな、と思わされる曲はそう多くは無いが、この「ゲノゲノゲ」に関してはwowakaボーカルがまったく想像できない。間違いなく歌詞のせいである。地に足が着きすぎている。

 

AからZまで息を吸っても吐いてもパチこかす

どいつもそいつもやっぱりそうだよこんなの

下の下の下の下の下の下の下の下

ゲノゲノゲ――ヒトリエ

 

 サウンドや間奏の巧みさ、歌詞の詰め込み具合からは従来のヒトリエらしさも感じるが、とにかく歌詞そのものがびっくりするほど吹っ切れている。これまで積み上げてきた少女性を帯びた世界観も、このゲノゲノゲのような世界観もすべて「ヒトリエ」になっていくと思うと、これからのこのバンドが楽しみで仕方ない。

 

「Flashback,Francesca」から「ゲノゲノゲ」と続いての三曲目がこの「風、花」である。後述する「3分29秒」以来のアニメタイアップ曲だが、はじめて聴いた時はあまりのポップさに面食らった記憶がある。

 


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 薄黄色のストラトキャスターを握って歌う爽やかなシノダを観たかったかと言われればそれはまあ、観たいと思ったことは無かったが、インタビュー記事を見る限りどうやらこの曲を作ったことで「吹っ切れた」らしく、個人的にも現体制の有していた「箍」が外れた曲だと感じる。この曲がこの位置にあることで、このアルバムおよびバンド自体の振り幅が劇的に広くなっている。

 この曲はゆーまお作曲らしく、今作収録曲ではこの曲以外にも「電影回帰」と「ステレオジュブナイル」を彼が作曲しているが、今までwowakaに隠れていただけでこの人も相当なセンスを有しているんだなあと、前作での作曲曲含めて思わせられる。ポップソングの適性が極めて高い。やはりこれまで様々なアーティストをサポートとして支えてきた経験値のおかげだろうか。どの曲も本当に聴きやすい。

 

 この現ヒトリエの転機点となった「風、花」を過ぎ、アルバムは「Neon beauty」そして「電影回帰」へと続く。この2曲はこれまで以上にシンセの音が前面に出ており、どことなくサイバーチックな雰囲気を感じる。特に「電影回帰」の方はその傾向が強く、歌詞とシノダ自身のルーツも相まって、前時代インターネット文化への郷愁、というのをどことなく感じる。

 シンセもそうだが、2曲ともボーカルの声が目立つしっかりとした「歌モノ」であり、とくに「Neon beauty」の方は個人的にもかなり好きな歌メロである。サビがとても心地いい。あとサビの裏で鳴ってるベースが気持ちよすぎる。何? 「Neon beauty」に関しては聴くたびに発見があって、初めて聴いた時と今では聴いているときのテンションが全然違う。最高

 そして、この2曲でヒトリエの「新境地」というものを存分に見せつけた後につながる「Flight Simulator」の圧倒的な爽快感! 

 

Flight Simulator

Flight Simulator

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「電影回帰」がこのアルバムにおける数少ないバラード枠ということもあって、輪をかけてこの疾走感が身に染みる。やっぱりヒトリエと言ったらこの有無を言わさず演奏力と情報量と勢いで殴りつけてくるサウンドの暴力である。実家に帰ってきた感じがする。この曲も最高に好き。右腕に歌詞全部彫りたい。

 サウンドもそうだけどこの曲は本当にメロディに対する歌詞のあてはめ方が本当に良い。特にラスサビ前の「不条理、大義、真理、勧善懲悪に正統性」は天才的である。あとサビの「フ~ゥ~」めっちゃ好き。文字に起こすとなんかバカみたいでやりたくないけど、好き。この曲もライブで披露されるのが待ちきれない。本当に楽しみである。絶対カッコいい。

 そしてその勢いを殺さずに繋がるは7曲目の「3分29秒」! この流れを初めて聴いた時はあまりのカッコよさに頭を抱えてしまった。

 


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 この曲については歌詞も音も当時のがむしゃらだった彼らをそのまま表しているので、あくまでアルバムレビューであるこの記事で特別に何かを語るのも無粋だと思うし、いずれ「wowakaがいたヒトリエとその思い出」については単品で記事にする予定である。その時にまたこの曲についても存分に記述すると思うのだが、アルバム収録曲としてのこの曲を考えると、「風、花」とこの曲が同じアルバムに違和感なく収録されているのもよくよく考えればとんでもないことだよな、と改めてこのアルバムのサウンドの幅広さ、多彩さに舌を巻く。

 どちらもアニメタイアップ曲として考えれば同じなのだが、サウンドの有する雰囲気としては正反対と言っていいほど違う。現体制におけるポップとロックの両極端が違和感なく並んでいる。聴いていて両曲の温度差で風邪を引くこともなく、さもそこに並ぶのが生まれた時から決められていたかのように馴染んでいる。これは紛れもなく「風、花」から「3分29秒」までの流れの秀逸さが為せる技であり、この周到に練られた曲順も間違いなく、このアルバムの完成度を高次元のものとしている要素の一つであろう。それを如実に表しているのがこの流れからの8曲目、先行配信もされた「ステレオジュブナイル」である。

 


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 この曲は単品で聴くのとマジでアルバムの流れで聴くのでは別物なので、これを踏まえてもう一回聴いてほしい。この記事で一番言いたいのはここです。このアルバムの流れで聴く「ステレオジュブナイル」は相当ヤバイ。「Flight Simulator」→「3分29秒」→「ステレオジュブナイル」の流れはすばらしいと古事記にも書いてある。古事記はもうオタクに余計なこと書かれ過ぎて原文読めなくなってそう。かわいそう

 この位置での「ステレオジュブナイル」は本当に大団円感が素晴らしい。前二曲で綺麗に弾け飛んだフラストレーションの隙間に、違和感なく入り込む良質なポップス。こんなん聴いてくれんの俺だけじゃないよ、俺だけであっていいはずがないよ 世間がおかしいよ

 

 この大団円で終わっても何の文句も無いのに、このアルバムは贅沢なことになんとあと2曲も収録されている。あまりにも豪華すぎる。アルバム名を「振り込めない詐欺」に変えたほうがいい

 9曲目「strawberry」もまた一筋縄ではいかない曲である。初めて聴いた時の印象は、「5~6曲目っぽい」だった。というか今でもあまり変わらない。最後から二番目、って感じはしない。ただあの怒涛の連撃のクールダウンとしてこの曲を聴くとめちゃくちゃしっくりくる。

 この曲からは三人体制になってようやく出来た「余裕」のようなものを感じる。ここまで肩の力を抜くことが出来ました、ということをリスナー側も実感することが出来る一曲。伸び伸びとした雰囲気が心地いい。他の曲よりもかなり隙間が印象的であり、そういう意味でもとても聴きやすい感じに仕上がっている。それでも間奏のギターは変わらずいいソロを弾いているし、メロディそのものも手抜きは無い。この先のライブで、ふとした瞬間に不意打ちで披露されて静かに上がりそうないぶし銀な一曲である。

 

 そしてアルバムの最後を締めくくるのは、どこか夕暮れのような寂寥感を感じさせながらも、視界が隅から隅まで開けるような開放感、壮大さを内包するロックバラード「Quit.」である。このアルバムでは唯一のイガラシ作曲のナンバー。前作「REAMP」に収録された「イメージ」も相当な名曲だったが、この曲も甲乙つけがたい傑作である。改めてこのバンドが化け物揃いであることを思い知らされる。

 

Quit.

Quit.

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 僕がこの傑作揃いのこのアルバムの中で、敢えて好きな曲を3曲あげるのなら、「Flashback,Francesca」「Flight Simulator」そしてこの「Quit.」である。ただ、前二曲は完全にサウンドで選んでいるが、この曲に関しては歌詞のウェイトがかなり大きい。

 

スピードに魅せられて

燃え尽きてしまえばいいさ

何もかもが過ぎ去ってゆく

それでも君に夏は来る

泣けど叫べども

僕達の影すら残さないよ

残さないよ

Quit.――ヒトリエ

 

 今作で一番好きな歌詞がこの曲のこのサビ部分である。ロックバンドの書く歌詞として、これほど理想的だと感じるのも珍しい。どことなくハヌマーンの名曲「RE:DISTORTION」を思わせる諦念も感じるが、あちらと違ってほんのりと希望も見られるのがミソである。これは個人の解釈だから何とも言えないが。

 この「PHARMACY」は全部通しても36分と、フルアルバムとしてはかなりスッキリとした再生時間となっており、これもこのアルバムが聴きやすい理由でもあるのだが、通しで聴いた体感では表記された時間以上に早く聴き終わる気がする。「Flashback,Francesca」を流し始めたと思ったら、いつの間にかこの「Quit.」にたどり着いている。それでも確かな満足感とともにこのアルバムを聴き終わることが出来るのは、それぞれの楽曲の密度の高さもさることながら、この曲の一際強い存在感も大きい。

「目眩」や「MIRROR」「ウィンドミル」などとはまた異なる、新たなフィナーレを味わわせてくれる曲が増えたな、という印象を受ける。これも生で聴くのがとても楽しみ。

 

 

 ロックもポップもダンスもEDMもバラードも貪欲に詰め込んだ上で、非常に無駄のないすっきりとした構成で纏められており、その多彩なジャンルによるふり幅の広さの両極端をアニメタイアップ曲の「風、花」「3分29秒」がそれぞれ適度に離れた位置で担うことで、全体の主軸がブレることのない、芯の通った一枚へと仕上がっている。

 再生時間のコンパクトさも相まって空いた時間にも気軽に聴けて、通して聴いた際の満足感も申し分なし。それでいて収録曲もそれぞれ個性に溢れていて聴きごたえのあるものばかりが揃っている。取り上げるべき瑕疵が一つも見当たらない快作である。

 

 前作の「REAMP」とこの「PHARMACY」、どちらが好きかと言われると非常に悩ましい。双方ともにCDが擦り切れた後も聴ける大作である。だが、あえて言うなら、今の3人体制のヒトリエの象徴として相応しいのは「PHARMACY」の方かなと思う。

「REAMP」はヒトリエというバンドを、三人体制となったこれから先も続けていく、の決意表明のアルバムだとすれば、彼等にとってはこの「PHARMACY」こそが、本当の意味でのスタート地点なのではないだろうか。

 

「IKI」「アンノウン・マザーグース」そして「HOWLS」と続く中で、ヒトリエというバンドはwowakaという1人の人間の作品を出力するデバイスの一つではなく、4人がそれぞれの個性をぶつけ合い昇華させる一つの群体へと進化してきた。単に「ひとりアトリエ」を略した「ヒトリエ」ではなく、あらゆる「一人」に向けた音楽を創り出す存在へと。

 だから現体制のヒトリエの「全員が楽曲そのものを作成する」というスタンスには、たとえwowakaが現在も生きて変わらずバンドを続けていたとしても、遅かれ早かれたどりつくことになっていたと思う。それがあまりにも早くやってきてしまった現在だからこそ、改めて3人の音楽のセンスと素養、そしてこれまで積み重ねてきた経験値と、これから先の覚悟を思い知らされる一枚に仕上がっている。その事実がまるで自分のことのように誇らしい。

 

 wowakaの夭折を呪縛とせず、忘れもせず、彼と音楽をやっていたこれまでを地力にして、これまでのヒトリエとは違うまったく新しい境地に至っている。そんな彼ら3人の姿に敬意を表して、このアルバムを「祝福されるべきリスタート地点」と評したい。間違いなく、今年を代表する傑作であると確信している。

「イヤホン半分こ」とかいう行為を考察したら、人生の意味が分かった

 諸君はあの「イヤホン半分こ」をご存じだろうか。

 

「イヤホン半分こ」とはその名の通り、一つのイヤホンを二人でシェアするあのシチュエーションのことである。別にこのシチュエーションに正式名称があるとは思わないが、なぜかpixiv百科事典にこのシチュエーションについての記事があるので、それに習ってこの記事では「イヤホン半分こ」と記載する。

 

dic.pixiv.net

 

 遅刻遅刻と慌てながらパンをくわえて走る女子校生と同じく、フィクションではおなじみだけど現実では見たことないの代表格、もしくはあんまり流行ってない音楽を聴いて悦に浸っているキモイ男子高校生の妄想の代表格みたいな印象があるが、そんなことはないのだろうか。世の中のリアルが充実している系の方々からすれば日常茶飯事なのだろうか。羨ましい限りである。

 真面目な話をすると上のpixiv百科事典の記事で藤原基央も語気を荒げておっしゃっている通り、ステレオ音源は左右で違う音が鳴っているので、こういう聴き方をすると曲本来の魅力が半減したり、音源によってはそもそも何の曲かもよくわからないということにもなりかねない。ただ今回はそういうのはどうでもいい。そもそもこういうことする奴はそんな無粋なことを考えない。彼らにとって何より大事なのはマイ・ベスト・ミュージックをシェアすることをダシに、意中の相手と濃厚接触することである。なんだこいつら 速やかに何らかの流行り病の餌食になっていただけますと幸いです

 しかしまあ、流石に御年27歳のわたくしである。もう「リア充爆発しろ」とかそんな、大正時代の流行語をこん棒にしてこの甘酸っぱいシチュエーションを破壊しようとするパッションも失ってしまった。むしろ微笑ましいと思う。イヤホン半分こはすばらしい。最高だ。令和のカップルの義務教育にすべきだ。日本の少子化対策への希望も込めて、そういう慈愛の心をもって生きていきたい。ラブアンドピースの象徴、イヤホン半分こを皆で愛していこうな。目指すは無形文化遺産

 

 

 というちんけな感想で終わるのなら別にこんな記事は書かなくていいのだけど、この行為を漫画やイラストで見るたびに、ちょっと思うことがあるのだ。別に大した疑問ではない。ただ「イヤホン半分こ」って衛生的にどうなの? という、非常に、極めてシンプルなものである。

 

 普段あまり深くは考えないが、他人の耳である。他人の耳の中に日常的に突っ込んでいる物体を自分の耳に突っ込む行為と言うのは、果たしてイラストで描かれる胸キュンな雰囲気で誤魔化せる程度のものだろうか。

 病院に耳鼻科、耳鼻咽喉科とあるように、耳と鼻と喉は繋がっていることを思うと、耳って実質鼻みたいなところないだろうか。イヤホン半分こってもしかして、他人の鼻かんだティッシュで鼻をかめるかどうかみたいなレベルの行為なのではないか

 さすがにそれは論理の飛躍が過ぎるとしても、その日の耳の中の状態によっては、まあその、なんですか。耳の̪̪中の固形物だったりとか、そういうのが付着する可能性というのも否定できないのではないですか。よくわかんないけどロマンチックとか、胸キュンとか、そういう薄桃色の言葉とは一番遠い位置にある存在なのではないですか、耳クソって

 何聴いてんの、って訊かれた恋人が無言で差し出したイヤホンの片側に異物が付着していたらそれはもう、聴いていた音楽が、なんだろうな、なんかofficial髭男dismみたいなやつであろうと破局確定である。グッバイ 君の運命の人は僕じゃない~がガチの意味になる。

 つまりはこの胸キュン☆シチュエーションに身を染めるこの世の勝ち組達は、そういう、外からは見えないところにも気を配って生きていると言える。俺たちが必死で前髪の具合を気にしている最中、耳の中の状態という不可視の領域に常に気を配るその精神こそが勝ち組になる秘訣。学生時代の俺たちに足りなかったのはコミュ力でもメンズノンノでもヘアワックスでもない! 良い耳かきと良い耳鼻科だったのだ! 衝撃の事実

 

 

 と、ここまで書いて一つの仮説にたどり着いた。

 思うにこの「イヤホン半分こ」とは、一種の試練なのではないかと

 

 

 僕はこれまで「日常的に他人が耳に入れてるものを自分の耳に詰め込むのって冷静に考えて衛生的にどうなの?」ということについて語ってきたが、そもそも、このシチュエーションを好き好んで行う人たちの真意はそこではないのではないか。この人生の勝ち組達は、そのろくに洗っても無いイヤホンを渡した時の相手の反応を見て、人としてのレベルを見定めているのでは

 イヤホンに異物が付着している可能性など織り込み済み、むしろ何か付着していても、例えそれがイヤホンじゃなくて針だろうと、差し出されたものを何とも思わず耳孔という人体のパーソナルスペースに挿入する、その様子を見て対象の「度量の深さ」を計っているのではないか? 書いていて、あまりに高度な心理戦過ぎて眩暈すらしてきた。

 君の耳垢も含めて君のことも愛すと、言葉語らずとも伝えるイヤホンの挿入。君の耳垢も含めて君のことも愛す。なんという殺し文句な告白だろう。かの有名な「月が綺麗ですね」が裸足で逃げ出すレベルの威力。英語で言うとI love you including your ear糞 

 こうしてはいられない。今度からこういう構図のイラストを見た時は脳裏で三回唱えて、いつか来るその時に備えたい。物憂げな美女にイヤホンを差し出されたら「君の耳垢も含めて君のことを愛す」と一言告げた後にそのイヤホンを自分の耳にぶっ刺す。完璧である。

 

 

 ただここで僕は思った。この「差し出されたイヤホンを自分の耳に入れるかどうかで相手の度量を計る」という仮説を正とするならば、「耳に入れる」よりも模範的な解答があるのではないか?

 そもそも大前提として、イヤホンは耳に入れるものである。別に差し出してきた相手が意中の人間ではなかったとしても、何も考えずとりあえず耳に入れてみる、ということは充分に考えられる。特に、脳裏で高度な心理戦を繰り広げないタイプの、勘と本能と快楽中枢で生きている人間が対象だった場合は、この度量測定の精度は信用できない値となる。「勘と本能と快楽中枢で生きている人間」というのは、あれだ。ちびまる子ちゃんに出てくる、語尾に「~だじょ」を付けるキャラみたいな

 そこまで織り込み済みで自分を試そうとしてくる相手の前では、ただイヤホンを耳に入れるだけでは自分の愛が伝わらない可能性もなくはない。こいつは脊髄と股間でものを考えている、と見切りをつけられてしまったら終わりである。何かもう一段、ワンランク上の、愛を伝える手段が欲しい――――

 

 

俺「何聴いているの?」

美女「……ん」(黙ってイヤホンの片方を差し出す)

俺「イヤホンジュルルルルルルルルルルルルル!!!!!! ジュポ!!ジュポ!!!!!!ジュブブブブブブ!!!!!!!!グッポ!!グッポ!!!」(差し出されたイヤホンを咥えてものすごい勢いで前後にストロークする)

 

 

 そう、食べてしまえばいいのだ

 

 耳ではなく、口内に入れるのだ。か細いイヤホンの断線など気にしない怒涛のストローク運動。君の耳の中ごと食べてしまえるほどに愛する、愛している。その思いを乗せて腕を時速300キロの速度で前後させる。これ以上ない意思表示である。キスよりペッティングより、その先の行為よりも圧倒的・本能的な愛情表現。この行為を見た美女は一言ただ「素敵」というのだ。貴方はやっぱり私の見定めた男だったわ、と

 君の聴いている音楽ごと俺のものにしたい、俺は君の聴く音楽で自分を構築しなおしたい、心も体も君色に染まりたい、自身のすべてを君に捧げる、そういう愛の言葉を一言も発さずともに何もかもが伝わるこの模範解答。これこそ新時代のラブ。これからの胸キュン。令和の恋愛におけるスタンダードの、そのワンランク上を行くモテ・テクニックである。俺がananの表紙になる日もそう遠くは無い気がする。

 差し出されたイヤホンは、耳に入れるのではなくて、しゃぶる。SNSに跋扈する恋愛アドヴァイザーたちの手によって、これが恋愛の常識になる日もそう遠くはあるまい。僕にもいつか、意中の方に自分のイヤホンをおもむろに唾液でぐちょぐちょにされてしまう日が来てしまうかもしれない。音楽を聴くために存在するイヤホンを、良かれと思って咀嚼され、足元にぺっと吐き出される未来がくるのかもしれない。それを黙って拾い上げ、再び耳に詰め込むのかもしれない。その時僕は思うのだ。

 

「くたばれ」と。

 

 何が新時代のラブだくそくらえそんなもん。渡したイヤホンをおもむろに唾液まみれにされたら脳裏に浮かぶのは「愛」でも「素敵」でもなく、ただただ純粋な「殺意」か「破局」か、或いは「弁償」である。たとえそれをやられた女の子の愛する彼ピが2歳だとしてもギリ許されない。強めにビンタされる

 

 この際知らなかった人もいい機会なので覚えておきましょう。イヤホンは耳に入れるものです。口でも鼻の孔でも肛門でもありません。耳です。earにputするものです。勉強になりましたね

 

 

 話を戻して「イヤホン半分こ」についての考察である。

 これまで渡す側が試す前提で考えてきたが、逆に渡す側が「試される」行為だとしたらどうだろうか。

 この考察のきっかけとなった「日常的に他人が耳に入れてるものを自分の耳に詰め込むのって冷静に考えて衛生的にどうなの?」という疑問に対する一種のアンサーと言える。要は渡した側が「自分は耳の穴の中まで清潔な人間です」ということをアピールするのだ。いわばこれはラブレターやプロポーズと類似したものと言える。

 ここで相手がイヤホンを受け取り、自分の耳に入れればハッピーエンド。二人は子宝にもめぐまれ幸せに暮らしました、となるわけだ。いいですねそういう告白のシチュエーションもね。この価値観が一般的になったら日常の一コマにスパイス程度の甘酸っぱさが満ちるかもしれない。要るかと言われれば要らないけど

 

 ただここで、もしも相手が「度量の深さを計られている」と、自分が試されていると思っていたとしたら。お互いに「試されている」状況が生まれたとしたら。

 自身の度量を計られている、と感じている男。清潔な自分をアピールする女。差し出されたイヤホンの片方が一つのドラマを生み出す。そのイヤホンを受け取った側が耳に入れるまでの数瞬の間に、双方のあらゆる思いが込められる音楽と、恋愛と、思惑と、感情と、思い出と、緊迫と、未来と、拳と、魂が――

 

 

 ――――激突する

 

 

 顔の良い男たちの拳と運命が交錯し、激突する最高の不良映画『HiGH&LOW THE WORST X』が来月9日に公開予定です。

 顔の良い男が最高のカメラワークと最高の演出と最高のアクションと最高のセットで大スクリーンの中、血糊と鉄パイプを散らして暴れまわる、血液沸騰毛穴爆増間違いなしの最高の映画です。人が殴り合うことに愉悦を覚える、不良が殴り合うことに快楽を覚える、銃で撃ちあうより鉄パイプで殴り合うのが最高だ、集団で殴り合う男の映像を見ると何故だか知らないが股間が隆起する、そういう面倒な「癖」をお持ちの方はもう、観るだけで最高になるのでぜひ劇場で熱き男たちの激突(クロス)を観ましょう。EXILEに興味がないとか前作観てないからわからないとかそういう言い訳はマジで要らないので。不良映画にストーリーなんてあってないようなものです。大事なのは顔が良くてアクションが上手い男たちが互いの肉体で鎬を削り合う姿そのもの よくわかんねえけどなんかこいつらには因縁があってそのために戦ってるんだな、よくわかんねえけどこいつの足は長いからきっと回し蹴りをすると映えるな、よくわかんねえけどこの塩野瑛久顔が良いな、もう、それだけでいい そういう理由で良い そういう理由で見て何もわからなくても、この不良たちの殴り合いにはきっと2000円をお支払いする価値がある

 こんな記事はもうどうでもいいので、みんなで『HiGH&LOW THE WORST X』を観よう。重ねてお伝えしておきますが9月9日公開です。多分見なくてもまあ殴り合ってる不良を観るだけで楽しいと思うけど、余裕があるなら前作の『HiGH&LOW THE WORST』を見ておくともっと楽しめるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 余談だが、この記事を書いている中で一つ思い出したことがある。最初に「イヤホン半分こ」をあくまでフィクションの産物だと思っている、みたいな記述をしたが、よくよく思い返してみれば僕はこれを一度だけやったことがある。短期大学生時代に、同級生の男と。講義が暇すぎて二人並んで一つのPCでニコニコ動画を漁っていた時に、何も考えず自分が持っていたイヤホンの片割れを手渡した。彼は何も躊躇うことなくイヤホンを自分の耳に入れた。

 そんな僕らが見ていた動画がこれである

 

 

 人生とは、時間の浪費である

クソみたいな日のためのプレイリスト

 ビンゴ記事である。前回はこちら

 

 基本的に真面目に生きてないので、人生設計にはことあるごとにいろんな不具合が生じる。大抵暑くて湿気の多い日はろくなことがない。雨降ってる日はろくなことがない。野球部がはばを利かせる時期はろくなことがない。もうこの時期は本当に昔からろくなことがない。碌なことがない月、を略して六月と読む、と書いてて思ったけど今は七月である。質の低い月と書いて七月とでも読んでやろうか。

 ともかく夏という季節は性に合わない。暑いしジメジメしてるし暑いし冬に比べて美味しいものも無いし暑いし蝉が道に死んでるし暑いし窓開けたまま寝てると朝には部屋の中羽虫だらけになるし暑いしもう本当に暑い。

 27年間生きる中で心と身体の細胞の死滅した部分を少しずつ削ぎ落し、空いた隙間に機械油と鉄くずを詰め込むような自己修復を繰り返した結果、心を持たぬ機械と成り果てたわたくしは、鋼鉄の心と体を有し耐久性に優れる反面、水分と暑さに致命的に弱い。ゆえに夏は意図してないバグが他の時期と比べても格段に起こりやすく、この時期はいつも縁石に蹴躓き、深めの水溜りにスニーカーを沈めるような、些細でしょうもない失敗を繰り返している気がする。こないだは車のワイパーのゴムが切れて、もうかれこれ2週間くらい放置している。カー専門店に行くのも億劫である。めんどい

 

 そんな中でも、失敗の一つ一つがボディブローのように重たいものばかり重なり、その上でSNS等で見知らぬ他者の充実ぶりを覗いてしまい、隣の芝の鮮やかさと自己を比較するなどという生産性の無い行為の果てに、ああ自分には生きる価値が無い、死のう、と地の底まで落ち込んでしまう日がたまに来る。その場にとどまっておくとぬかるみに両足を掴まれて地の底まで引きずり込まれかねない、いやむしろ引きずり込まれて何も考えられなくなることを、いっそ望んでしまうような日が、来る。

 そういう日は感情に任せて潔く死んだってかまわないのだけど、生憎ワールドトリガー宝石の国もワンピースも、そして最近ようやく再開したチェンソーマン第二部の結末も見届けられていないのはこの世に未練が残りかねないので、おいそれと命を絶つのも気が引ける。なのでそういうときはただすべての情報を遮断して音楽を聴いて寝ているか、音楽を聴きながら夜中行く当てもなく車か自分の足で彷徨っているか、いずれにせよ音楽を聴きながらぼーっとしていることが多い。別に音楽に自分の人生を快方に導いて頂こうなんて思ってはいないが、強いて言うなればつよすぎる地球の重力とそれに付随する希死の引力から、ほんの2、3センチ浮いて逃れるために聴いている。

 

 前置きが長くなったが本題である。今回は「クソみたいな日に聴く音楽」についての回答となる。当初は何か1曲についてそれなりに語ればいいかな、と考えていたのだが、それより何曲かまとめて語る方が楽なことに気付いたので、簡単にプレイリストを作成していくつか紹介することにする。

 というわけでこちらがその曲目である

 

クソみたいな日のためのプレイリスト 2022年版

・HAVEN/CRYAMY

不眠症/Syrup16g

・劣勢/plenty

・circle depict/lical

・コヨーテエンゴースト/ヒトリエ

・豚の貯金箱/バズマザーズ

夢遊病者は此岸にて/キタニタツヤ

みんなのうた/yeti let you notice

・風待ち/GRAPEVINE

・樫の木島の夜の唄/THE PINBALLS

・instant EGOIST/UNISON SQUARE GARDEN

リボルバー/ハヌマーン

 

 

 まあ各々言いたいことがあるのは分かるが、僕の気持ちが地の底まで落ちて、マジでこの世クソだな~生きてるのいやだな~って時に通して聴きたいアーティストをピックアップするとこうなっちゃうのだからしかたがあるまい。だったらお前が作ってくれ

 ぶっちゃけ好きなアーティストの好きな曲をただ並べただけのプレイリストではあるのだが、なんとなく、コンピレーションアルバムみたいな感じで聴けるといいなあという願望、感覚で曲の選択は行った。順番も通しで聴いた際のメリハリをそれとなく意識している。

 

 というわけで以下曲の紹介

 

 

・HAVEN/CRYAMY

 

 

 好きすぎる。もうこれだけでいい、これ12回聴いて終わりたい

 最近も特に理由もなく、聴くものに困れば最新のミニアルバムである「#4」を聴いているが、大抵「CRYAMY聴きたいなあ」となるときはむしゃくしゃした時が多い。蝉がうるさくてイライラする、という理由で再生ボタンを押している。とにかく口ずさみたくなる歌が多い。中でも「HAVEN」のサビは本当によく歌っている。1人で。

 CRYAMYの歌はだめな自分を突き放すような、ぶっきらぼうに許すような、辛辣と無情と絶望で何層も丁寧にコーティングを重ねた希望に満ちているが、この「HAVEN」も例外ではない。そもそもまず曲名がとてもいい。避難所。安息所。

 

ああ、どこかに行きたいのに どこにも行けない らららららら
でもね こんな気持ちは誰にも 言えないままなんとなく生きるのさ

HAVEN――CRYAMY

 

 どこにも行けないと歌うカワノの歌を避難所にしている。

 自分が負の感情に圧殺されそうになっているときにCRYAMYの音楽を聴くと、とりあえず今の心情は一旦そこに放置した上で「いい曲だなあ」という純粋な感情だけが残り、ある種フラットな心の状態となる。たとえ自分の周りのことが何も解決して無かろうと。

 どんなに嫌な気持ちの時に聴いてもいい曲は色褪せないのだなあと、本当に当たり前のようなことを思う。本当に良い曲。なんかもうだめだ~って日はこの曲から始めたい

 

 ちなみにこの記事で紹介する曲の中で唯一これだけサブスクが無い

 

 

 

不眠症/syrup16g

 

不眠症

不眠症

  • provided courtesy of iTunes

 

 とにかく即座に死にたい、この世に強制的に自分の居場所を無くしたいときに聴きたいsyrup16gの中でも、それがとくに重たいときに聴きがちなHELL-SEEの中から一曲選んだ。世界一愛すべき地獄のアルバム

 正直HELL-SEEは通して聴いてこそみたいなところはあるが、もうそれを言ってしまうとこれから紹介する曲全部当てはまってしまってこの記事の存在意義すらなくなってしまうので仕方があるまい。ただHELL-SEEは一曲目の「イエロウ」から最後の「パレード」まで通して聴いた時のあのカタルシスを味わうためのアルバムのような気がしないでもないので、まだ聴いたことない人はぜひ通して聴いてほしい。

 目を瞑っても嫌なことや上司の顔ばかり思い出してしまってろくに眠れないときに、縋るように爆音でこれを聴くともう眠る気すら失せる。反対に極小音で聴くと不思議なほどに眠れる。

 

この間俺はまた
でかい過ち犯したんだ
それはただ時が経ちゃ
忘れてく問題だろうか
それは無いな今もまだ
空っぽのままで生きてるよ

不眠症――syrup16g

 

 語彙も使う比喩の質も関係なく、ただ受け手側がしっくりくる「正解」を綴る言葉がすべての概念に対して存在するとして、自分にとってはsyrup16gは「どうしようもなさ」に対する正解なんだろうなと思う。目には見えない「救い」を歌にしたら多分こんな感じ。

 まあそんなことはどうでもいいんだようるせえてめぇ、聴け

 

 

・劣勢/plenty

 

 ここからほんの少しだけプレイリストのテンションを上げる。

 

劣勢

劣勢

  • plenty
  • ロック
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

 

 本当にほんの少しか?

 plentyの「this」というアルバムがすごく好きで、今でも落ち込んだ時や心につよいダメージを受けた際に聞き返しているのだが、聴き返すたびに感情の比重の大部分を音速で奪い取って流れ去ってしまうのがこの「劣勢」という曲。個人的にplentyはミドルテンポな曲がめちゃめちゃ上手いバンドのイメージがあるが、聴覚が小学生なので劣勢のような重たく鋭い演奏の曲がどうしても耳に残る。ドラムのイントロだけでじわじわとテンションが上がってしまう。生まれ落ちた瞬間から劣性だった自分の劣勢時に特に突き刺さる魂の一曲である。

 the cabsが切っ掛けで知ったバンドだが、plentyはcabsと違ってわりと好きになるのに時間が掛かったバンドだと思う。「人間そっくり」から入ってリリースされていたアルバムを過去作から順繰りに聴いていくうちに自然と、徐々に好きになっていった。聴いた時間がだいぶ違うが、自分にとってはGRAPEVINEのような存在である。

 青臭さも達観も隠すことなくすべて内包した詞世界と、スリーピースならではの余計なものをそぎ落とした音楽、そして独特な佇まい。好きなところしかない。このバンドがもう生で観ることが出来ない事実が本当に悲しい。

 僕のような、交友関係や広い人脈の構築といった、自分の外側にセーフティネットを張り巡らせる手間を惜しんでしまった人たちは、自分がいつか滑り落ちない様に自分の中に縋る糸を張り巡らせるしかない。きっとplentyのようなバンドは、そういうどうしようもない僕らの目の前に垂らされた、か細くも強靭な糸になり得るのだろう。

 きっとこれから先もこの曲とこのアルバムにお世話になることがいっぱいあるんだろうな、と思う。

 

 

・circle depict/lical

 

circle depict

circle depict

  • provided courtesy of iTunes

 

 一曲くらい女性の声が欲しかったので、演奏ごりごりで明るくない歌詞を紡ぐバンドということでlicalをチョイスした。改めて考えるとlicalって変えの利かない唯一無二のバンドなんだなと改めて思う。今でも活動再開を願っている。

 何年か前に偶然観たlicalのライブで衝撃を受けて一瞬でファンになってから、はじめてリアルタイムでリリースされたEPが「metamorphose」だった。作品として一番好きなのは「filmeld filament」だけど、一番聴いたのはおそらくmetamorphoseだと思う。「circle depict」はそんなEPのリード曲である。licalならではのキレキレすぎてもはや何やってるか分からん演奏に、似合わないほど儚く痛々しい詩が乗っている。それでも歌モノとしてちゃんと聴けるのが本当にすごい。何度もいうけど年下だと思いたくない。

 licalが紡ぐ歌詞に滲み出る、痛々しいまでに鋭利さを帯びた憂鬱は、もう今の時代では結構普遍的で、カジュアルに受け入れられてしまうものなのかな、と思ってしまう。

 せめて普遍的なものでなくあってほしい。鮮やかな憂鬱くらいは自分のものだけにしたい

 

 

・コヨーテエンゴースト/ヒトリエ

 

 

 プレイリスト、もといコンピレーションアルバム風となると、多少なりとも分かりやすい山場が一つ欲しかったのでチョイスした。大好きなヒトリエ、それもかなり強い曲である。それ以外に何も語ることがない。もうそれだけでいい。

 鬱屈した感情はある一定以上のBPMにはついていけないので、これを聴いていると嫌なことは全部自分の身体の外側に溶けて流れ出てしまう。あの、雨上がりの道路にたまに、虹色の液体が滲んでることがありません? あれ実はコヨーテエンゴースト聴いて流れ出た僕の鬱屈です。踏むと嫌な気持ちになります。

 もう「彼」の声で聴くことの出来ない最高速のこの曲を大音量で聴いていると、自分の身体からセメントのような憂鬱がぼろぼろと剥がれ落ちる解放感と、一番カッコいいコヨーテエンゴーストを生で聴くことが出来ない事実の辛さに眩暈すら覚える。死ぬほどイライラした時に、深夜のほかに誰もいない高速道路を法定速度ガン無視してぶっ飛ばしながら聴きたい。もう人生のすべて。本当に大好き。最高

 俺は青眼のコヨーテなので未だに泣きじゃくったまま

 

 

・豚の貯金箱/バズマザーズ

 

豚の貯金箱

豚の貯金箱

  • provided courtesy of iTunes

 

 コヨーテエンゴーストのテンションを受け継いで、くすぶったままの自分をさらに芯からぶっ壊せる曲をもってきた。正直ワンナイト・アルカホリックとかでもいいかなと思ったけどまあ、都合上ハヌマーンは最後にしたい。

 噂によるとこれはバンドの売り上げを横領したバンドの元マネージャーに向けた曲らしいが、こんなバカ強い曲を個にぶつけられたらこの世に身体どころか未練すら残らない気がする。万象一切ごと焼き切る火力をただの一個人に向けられる贅沢。あまりに壮絶だと心中お察しする気持ちもあれば、向けられた側に羨ましさすらも感じてしまう。感情のグラデーションが極彩色の坩堝と化す、どこまでもストレートなエイトビート

 

同じ雨に濡れたろう?

同じ苦渋を飲んだろう?

同じ歓声を聴いたろう?

同じ痛みが無いのはどうして?

豚の貯金箱――バズマザーズ

 

 CDに残された怒りの感情のほんの一欠片ですら、触れたら火傷しそうなくらいの熱を帯びている。それが音源として存在していることの尊さに眩暈すらしそうになる。何も考えずにただ音に殴られて失神したいときによく聴いている。自分の淵底に素手で触れるような鮮烈さと、魂を鉄パイプで砕き割るような激烈な威力を秘めた、慈悲も休息も与えないバンドの渾身の一撃。僕はおそらく一生こういう音楽が好き。

 

 

夢遊病者は此岸にて/キタニタツヤ

 

 

 暗い四畳半の隅で同じ過ちを犯し続けているのでこの曲が入る

 ここ2~3年の間で、単純に時間換算で一番聴いているアーティストは彼かPK shampooだと思う。それくらいにハマって聴いている。なんでこんにちは谷田さんの時からちゃんと聴いてなかったのか悔やんでしまうことが何回もある。錯蒼のベースやってたころにちゃんと認知してくれ過去の俺

 彼の作る曲は例え音が不気味であろうと、不思議なくらいに耳心地か良い曲ばかりである。どんな曲でも問答無用で「良い」となってしまう。彼の曲の気持ちよさはどこから来るんだろう。こういう時にちゃんと理屈で音楽を咀嚼したいなあと思う。

 最近は意図して「もっと大勢に届くこと」を意識して歌詞を書いているらしいが、ボカロPとシンガーソングライターの狭間で活動していた時期の曲は本当に質のいい絶望に満ちていてとても肌馴染みがいい。

 

水銀で満ちた浴槽、浸かってしまった僕の軽忽さを
そう、誰も彼もが笑っている
抜け出せないんだ ずっと
この人生はもうお終いにしよう
僕が僕を許してしまう前にさ

夢遊病者は此岸にて――キタニタツヤ

 

 彼自身の性根が明るいこともあって彼の鬱屈した歌詞はなんというか、大変にお行儀が良いが、故にその卓越した語彙と言葉選びが前のめりに出てくるので、逆に彼のセンスを見せつけられる気がする。東大卒ってすごい!

 どうでもいいけど、比較的心が元気な時にキタニタツヤを聴いていると、キタニタツヤは東大出てこんなすばらしい音楽作ってるのに、俺は……みたいな気持ちになって心が死ぬことがたまにある。それだけが彼の欠点と言える。当たり屋の思考か?

 

 

・みんなの歌/yeti let you notice

 

みんなの歌

みんなの歌

  • provided courtesy of iTunes

 

 ブレーキ。ここで一度地に落ちる。そのための曲。

 このバンドはもうどうやって知ったか詳しくは覚えていないが、記憶が正しければ、何年か前に入っていたインターネットのコミュニティ経由で偶然知り得たバンドだったと思う。その時に初めて聴いたのがこの「みんなの歌」だった。

 何年も前のことなのではっきりしたことは言えないが、当時はYouTubeにこの曲のライブ映像があった。狭いライブハウスの、ほとんど暗がりのような照明で演奏している姿を何度も観返した。ある時期を境に動画自体が非公開になってしまったが、あれはいつか復活したりするのだろうか。僕は未だにあのライブ映像が観られないことが残念でならない。

 

置き忘れた新聞を読む人もいて

僕も見ないできたものと向き合おうと思うんだ

棄てられたゴミを拾う人もいて

僕も忘れてきたものを拾って来ようと思う

みんなの歌――yeti let you notice

 

 歌詞も音も落ち込んだ身体にシンプルに効く。シンプルに沁みる。それだけ。ただそれだけなのに、これまでの生の中でひたすらに自由落下する僕の受け皿となっている、かけがえのない曲である。サビの歌メロがいつ聴いても良い。

 最近yetiのギターの人がキタニタツヤのサポートで弾いてることを知って、世界って自分の知らないところでいくらでも繋がってるんだなあと思った。いつか一度、生のライブで見てみたい。キタニもyetiも

 

 

 

・風待ち/GRAPEVINE

 

 

 いいよもうこの曲は、何も語らなくて

 

 クソみたいな日、なので最後は強がらずにきちんと救いを設けるべき、ということでそのとっかかりにGRAPEVINEから大好きな一曲を選んだ。もう国歌にしろ

 僕の身体は僕が食べたもので出来ているが、僕の肉を切り骨を絶った神経の最奥、原初の階層に刻まれた螺旋にはGRAPEVINEが随分濃く染みついており、川魚が誰からも教わることなく遡上するように、人生設計に致命的なミスを感じた日はとりあえずGRAPEVINEに回帰している。その中でもこの風待ちは特に帰ってくる回数の多い曲である。実質親

 

あれ? いつの間にこんなに疲れたのかなあ

まだいけるつもり? ちょっとは辛い

また花は咲き枯れました

たまには貴方の顔 見れないもんかなあ

風待ち――GRAPEVINE

 

 いつ聴いても良い曲を、敢えてクソみたいな日に聴く勇気、と書こうと思ったが、その神経はキャバ嬢に職場の愚痴をこぼすオッサンに近いことに気付いて何も言えなくなった。いいんだよ良い日もダメな日もGRAPEVINEはなんにも変わらん。いつ聴いても最高。

 どうでもいいけど未だにこの謎MVの解釈が分からん なんで車をひっくり返す? なんで車を落とす?

 

 

・樫の木島の夜の唄/THE PINBALLS

 

樫の木島の夜の唄

樫の木島の夜の唄

  • THE PINBALLS
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 プレイリストにTHE PINBALLSを一曲は入れたかったのだが、何を入れるか本当に迷った。特にあなたが眠る惑星、299792458、DUSKあたりと迷った。結果自分にとっての救いとは何かと考えて、その回答と一番マッチしている曲を選んだ。

 僕らが観ている世界は広大に思えて両手で覆えるほどに手狭なもので、自分の生き方全てを自分で取捨選択したように思えても、その実あらゆる物事がほとんど強制的に決められるように出来ている。井の中の蛙大海を知らず、と宣う自分が思う大海すらも、実際のところは井戸の中でしかない。頭の良い人たちが作ったシステムという神の手のひらの上で、姑息にマウントを取り合って生活をしている。今更これを否定する気も無いが、抱く願望や夢や幻想のほとんどはその想像と変わらない虚像、オープンワールドゲームの世界の端のような張りぼてに過ぎないのだろうな、などと、そういうことを思って虚しくなることがある。

 ただそれをすべて総括してこの世の全てはまがい物だと言い切ってしまうことを躊躇う程度には愛は点在しており、それを思うこと拾い集めることは無粋でも、無駄な事でも何でもない。「樫の木島の夜の唄」はそれを改めて教えてくれる救いの曲である。

 

夜が星を語るたびに

彼は思い出している

流れ星の正体が 綺麗な石じゃなくても

流れ星が消えるときの

その美しい最後も

だから今 夢を見ること

樫の木島の夜の唄――THE PINBALLS

 

 何気に15周年ライブで披露されて一番驚いたのはこの曲だったかもしれない。

 1~2分の潔いくらいの短さの曲が多いTHE PINBALLSには珍しく、5分越えという結構なボリュームのバラードであるが、それが気にならないほどにずっと聴いていられる強度のある曲である。眠らない男が樫の木を眺めている間に俺も眠りたい。

 古川氏は新しいバンドを組んで相変わらずカッケー声でカッケー曲を作り歌っておられるが、僕は夢を見ることを無駄だって思わないのでいつまでもTHE PINBALLS活動再開を待っているぜ

 

 

・instant EGOIST/UNISON SQUARE GARDEN

 

instant EGOIST

instant EGOIST

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ストップモーション この時間そう君のなすがまま

忙しい人生の隙間で

嫌になるたびに呼び出しボタン押して良いから

せいぜい明日も頑張って!

instant EGOIST――UNISON SQUARE GARDEN

 

 せいぜい明日も頑張るための曲。この曲に関しては何も語らなくていいだろ、これまで散々いろいろ語ってきたんだから。はい、最高に好きです。

 永遠の最後から二番目。この曲を最後に聴くような人生だけは送らないようにしたい

 

 

リボルバー/ハヌマーン

 

リボルバー

リボルバー

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弾倉には一発 共犯者になってやるよ俺が

ぼーっとしてんなよ 行け リボルバー

リボルバー――ハヌマーン

 

 というわけでラストトラック。RE:DISTORTIONにはこれまで本当にお世話になっております。これからも末永くよろしくお願いいたします。

 どんなに会社に行くのが嫌な日でもどんなに憂鬱な朝でも、幸福のしっぽからのこの曲で、どうなったっていいから、どうにかこうにかその日一日は凌いでやろうという気になる。アッパー系ドラッグとか精神へのブースターとかいろいろ言葉を考えたけど、率直に言うならもう、自分に向けた一番の応援歌である。

 自分の懐に入ったろくに狙いも定められないちんけな銃の弾倉には一発、この曲が込められてる。その事実だけで全てなんとかなりそうな気がする。何とかならなくても俺には最強の共犯者がついてる

 一日の終わりに聴きたい曲はその日によるけど、今の価値観で行くなら人生の最後に聴きたいアーティストはハヌマーンである。自分以外に誰もいない狭い部屋で、ハヌマーンを1人聴いて悪くない人生だったと笑って死ねたらそれだけで幸せだと思う。

 まだ聴いたことない? ぼーっとしてんなよ、聴け!リボルバー

 

 

 

 というわけでこれがわたくしの選ぶ「クソみたいな日のためのプレイリスト」である。もう少しだけ続く嫌な季節のなかで、色の黒い野球少年が黄色い声援を受ける姿を、指のついでに臍を噛んで眺めている僕のために作った。自分で言うのも何だがとてもいいプレイリストだと思う。

 ただまあ、ぶっちゃけ通して聴いたってクソみたいな日は結局クソで変わらんよ 臭いが多少マシになるだけでクソはクソ いいから定時で上がらせろ

 

 死にたいな、呼吸するの飽きたな、明日ミサイルが落ちてきて学校或いは家庭もしくは職場が吹き飛んでくれないかな、と思っているあなたの心が少しでも癒せたらいい、とはこれっぽっちも思わないが、良い音楽を知るきっかけになったらなによりである。

 どれだけ生きるのがつらかろうと、死ぬのが怖ければ結局は生きることしか出来ないのだから、せめて沈み落ちてしまう前に縋れるものをどうにか、低空をギリギリ飛べるだけの揚力に変換出来たら、多少は楽になるのではないか。

 今回はお題ありきなのでこういうテーマで書いてみたが、僕以外の人が何かしらのテーマで選曲したプレイリストも聴いてみたいし、それについて綴る文章があればそれも合わせて読んでみたい。出来ればでいいので。

 

 

中田裕二になりたかっただけなのに指名手配された

 ビンゴ記事である。前回はこちら

 

 

 今回取り上げるお題は「ベストオブ顔がいいボーカリスト」である。

 

 ロックバンドが売れるために、バンドマン、特にフロントマンに一番必要なものは何だろうか。

 歌唱力? 演奏スキル? 人間性? カリスマ性? 魅力あるMC? Twitterで面白いこと言う力? そりゃどれもあって困るものではないが、売れる素質として一番手っ取り早いものは間違いなく優れた容姿であろう。

 この世がルッキズムに支配されている以上、一定以上の容姿はその音楽の出来に関わらず、バンドの知名度や人気を向上させる。早い話、100万円使って機材揃えて音源のクオリティにこだわるより、その100万でボーカルを整形外科に放り込んだ方がバンドは売れるのだ。

 だって考えてもみてほしい。もしも斎藤宏介氏が清潔感の欠片も無いブ男だったらUNISON SQUARE GARDENは間違いなく今のような売れ方をしていないし、川上洋平氏のお顔の右半分が機械むき出しの改造人間だったら[Alexandros]のファン層は間違いなくSF研究会の集まりになっている。

 メンバーお三方共にもう30代後半にもなるユニゾンが未だにティーンエージャーに人気なのは彼らが身だしなみに気を使って清潔感のある容姿を維持し続けているからだし、川上洋平氏は実は皮膚の裏側が全部機械なのでどれだけ月日が経ってもずっとあの塩顔イケメンのままだ。あの人は異次元。多分あと10年経っても顔変わらん。

 

 そう、売れているバンドの人間は得てして容姿が優れている。たとえお世辞にも優れている容姿では無かろうと、それなりに優れているように見せている。そのためにスタイリストやメイクアップアーティストが裏についており、主要なメディアに出演する際はバンドマンの魅力を最大限に引き上げるべく尽力しているのだ。

 不快感を与えない容姿というのは一部の特例を除いて、推奨するものではなく義務である。ダサいロックスターなど誰も憧れはしないのだ。

 もちろん僕が好きなミュージシャンおよびボーカリストも、それぞれの個性は有れど、ほとんど全員が僕自身が憧れてやまない容姿をしている。

 故に非常に悩ましいお題である。みんなカッコいい。俺だって金とそれが可能な骨格さえあるなら、今すぐにでも整形外科に飛び込んで、医者に小林私の画像を見せながら「頼むからこの顔にしてくれ」って懇願したいし、今から飛び降りて死んだら5%の確率で水野ギイの顔面に転生できるチャンスを得られるなら迷わず東尋坊へ向かう。

 

 

 とはいえ、正直考えるまでもなく答えは決まっている。僕の中で1番顔がいいボーカリストは斎藤宏介氏でも川上洋平氏でも水野ギイ氏でも谷川正憲氏でもなく、元椿屋四重奏、現在はソロで活動しているミュージシャン、中田裕二氏である

 

 

 信じられるか? この人御年41歳なんだぜ……?

 

 この動画を観ても分かる通り、現在でもきわめて端正な、尋常ではなく色気のある、鬼のように魅力的なお顔をされているが、椿屋四重奏というかつて活動していた鬼カッコいいバンドが大好きな僕としては、やはり椿屋時代の中田裕二氏につよい憧れがある。もうマジのマジでカッコいい。どれくらいカッコいいかって、彼のドアップが1stアルバムのジャケットになるレベルである。

 

 

 僕はとっくに解散してからこのバンドの存在を知って、悔しがりながらYouTubeのMVを貪りつくした側の人間なので、当時の椿屋にどれだけ彼の顔ファンがいたのかは知らないが、画面の向こうでマイクを握り妖艶に歌う椿屋時代の彼の顔面の端麗さは、なぜ当時無形文化遺産に登録されなかったのかを疑問に思ってしまうレベルの美青年ぶりで、はじめて「いばらのみち」のMVを見た時の衝撃といったらない。

 

 

 このお顔で、こんなにエッチな声で、文学的色気をムンムンと放出する歌詞を紡ぐなんて、それはもう放送倫理検証委員会にひっかかっても仕方ない。これはテレビ局に同情する。 法に触れるレベルで顔がいい。YouTubeの動画が削除されていないことが奇跡と言える。この世がエンタの神様だったら間違いなくキャッチコピーに「歌うR-18」ってつけてる。質問来てた! 中田裕二の顔の良さは犯罪ですか? 結論 犯罪

 そもそも楽曲がどれも最高なので顔面関係なしにYouTubeにアップロードされているMVを全て観尽くしてほしいが、個人的な顔面ベストテイクは上に挙げた「紫陽花」とこの「恋わずらい」である。

 

 

 顔のいい男が無造作に襟足を伸ばすな 

 もはやこれはなぜかめちゃくちゃ妖艶でカッコいい音楽がバックで鳴っている、中田裕二主演の4分52秒のイメージビデオである。ハンドマイクで口元が隠れた瞬間の色気がヤバすぎる。口紅を頬に付けられた時の所作が性的過ぎる。僕が女だったら間違いなく彼以外の男の顔面が全て丸めたティッシュに見えるようになると思う。それほどまでの顔面偏差値の暴力。

 ここまで語っててなんだけど大丈夫か? この記事今までの記事で一番気持ち悪くないか?

 これ以上語ると流石に後戻り出来なくなりそうなのでここらでやめにしたいのだが、この恋わずらいのMVには、学生時代の僕のちょっとした苦い思い出が有る。それを紹介して終わりたいと思う。

 

 

 忘れもしない高校三年生のある夏の日、秋に入試を受ける予定の短期大学への願書に貼る顔写真を撮るために、僕は近所のスーパーの前に設置されている証明写真機に訪れていた。

 今以上にちゃらんぽらんな性格だったが故に、願書も何もかも提出期限ギリギリになって顔写真が必要なことが判明し、全てにおいて足りていない自分を心底呪いながら必要最低限の荷物だけを持って自転車をかっ飛ばし、生まれて初めての証明写真を撮影した。

 そこまではいいのだが、何を血迷ったか僕は撮影の直前にスーパーのトイレで髪をわりとしっかり目に濡らしてから撮影を行ったのだ。そう、動画のサムネイルでもお分かりの通り「恋わずらい」の中田裕二に憧れたが故の奇行である。

 今思えば満場一致で果てしなくバカなのだが、その時の僕は大まじめに、どうせ映るんなら少しでもカッコいい方がいいだろうと思ってやったらしい。

 そうして写真機の指示に従って得られた写真には、当然濡れ髪で色気抜群の中田裕二ではなく、どっかの指名手配犯のような風貌の自分が映っていた。服装は乱れて目はうつろ、謎の顰め面に謎にずぶ濡れの髪。あまり自分の容姿に関心の強い方ではない自分でも「これはダメだろ……」と青ざめてしまう出来だった。なぜそれを印刷してしまったのか、撮り直しは本当に出来なかったのか、未だにあの時の自分の愚かさが信じられない。

 そもそも当時から自分の写真を撮られることがあまり得意ではなく、写真写りがあまり良くないこともあるが、その時はタチの悪いことに全力で自転車を濃いだ後、息も整わないまま撮影を始めたので着ていた制服もぐちゃぐちゃという、考えられる限り最悪な状態で写真を撮っていた。

 その上で髪をびしょびしょにしているのだからもう救いようがない。街角アンケートで当時の証明写真を見せながら「この人物は受験生か、それとも犯罪者か」と問えば、9割以上の人間が犯罪者と応えるであろう特級の呪物がそこにはあった。

 ただその時は撮り直すお金も、加えて時間も無かったので、その写真をその場で切り取って願書に貼り付け、そのまま学校に提出してしまったのだ。

 結果的に僕はその短大に合格し、春から実際に通うことになるわけだが、後日学校から貰った学生証には件の指名手配犯の写真が貼ってあって、思わず膝から崩れ落ちた。

 こうして僕は短大を卒業するまでの2年間、信じられないくらい不細工な写真の貼られた学生証を使い続けた。というかこの件がきっかけで、自分が本当に容姿に優れていないことを自覚した気がする。

 

 今でも「恋わずらい」のMVを観ると当時の痛々しい思い出がよみがえり、羞恥の果てにところ構わずそこらじゅうに頭をぶつけて回りたくなる。もしかすると俺の先祖はパキケファロサウルスなのかもしれない

 

 

恋わずらい

恋わずらい

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 代えのない代物だ 顔は……

MODE MOOD MODEとかいうただの最高傑作

 ビンゴ記事である。前回はこちら

 

 

 タイトルの通りである。これ以外に何も書くことがない。

 

 

 一応これは「Catcher In The Spy以外で好きなユニゾンのアルバム」というお題についての解答なのだが、本当にこれ以外に書くことがない。

 書くことがないのでもう一回書いてやろうか? MODE MOOD MODEはUNISON SQUARE GARDENが今までリリースしたすべてのアルバムの中で一番クオリティの高い最強のアルバムです。

 間違いなく最高傑作です。今後これ以上の作品は出ません。以上! この話終わり! こんなブログさっさとブラウザバックしてタワレコでこのアルバムを買いなさい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ本当にこれだけならTwitterで良いので、手短に。

 そもそも、毎回毎回しつこいほどに何度も何度もCatcher In The Spyは最高至高とさんざっぱらCatcher In The Spy様をコスっているこのブログで今更何を申すかと言われればこちらは平謝りするしかないが、一応弁解しておく。2022年7月現在、UNISON SQUARE GARDENが出しているすべての作品の中で僕が一番好きなのは「Catcher In The Spy」である。この先これが変わらない、という保証は無いが、限りなく低いと思われる。というかそんなアルバムが出てきたら僕のこれまでの価値観が全て狂いかねない。

 いくつも存在するUNISON SQUARE GARDENのアルバムの中でCatcher In The Spyが一番好きな理由は、僕自身がロックなユニゾンが一番好き、ドンドンうるさくてスピーディで攻撃的でカッコいい曲をやってる彼らが一番好き、というのがやはり大きいが、それ以外にも初めて聴いた「天国と地獄」の衝撃とか、その衝撃を受けてダッシュで近所のTSUTAYAに駆けこんで借りてド頭一発目に聴いた「サイレンインザスパイ」からの「シューゲイザースピーカー」の超威力とか、それらを全て何もなかったかのように過去にする「黄昏インザスパイ」の圧倒的なエンディング感とか。49分という、長針が一周もしない時間の中で受けたいくつもの衝撃と、そこから幾度も幾度も聴き返して魅力を深掘りしていったことで、自分の音楽に対する価値観の根源に作用するくらいに大きな存在になったことがとても大きい。

 だから、ぶっちゃけ言ってしまえばこのアルバムを聴きまくって価値観や嗜好や思想がそれ専用に凝り固まってしまい、ひいき目にしている部分も少なからず有る。楽曲単体で考えたらこのアルバムに収録されている曲と匹敵するくらいに好きな曲もいくつもあるし、収録されている曲の演奏や構成、歌のクオリティでも引けを取らないどころか凌駕するものもたくさんある。僕がCatcher In The Spyを好きな理由は、このアルバムの有する魅力がその根幹ではあるが、僕自身の価値観にまで影響を与えてしまったが故の「補正」のような部分がかなり強いことも自覚している。

 

 で、そういう余計なひいき目や補正を一度全て取っ払って、限りなくフラットな観点で彼らのこれまでのアルバムを再評価した場合、または自分が全くユニゾンというバンドを知らない状態で、彼らがこれまでの活動の中でリリースしてきた作品を全て聴いたと仮定した場合、何も知らない自分が最もクオリティが高いと評価するのは、おそらくこの「MODE MOOD MODE」だと思う。それほどまでに完成度が高い。

 もしも僕がCatcher In The SpyではなくこのMODE MOOD MODEを先に聴いていたら今の僕にとってのCatcher In The Spyの立ち位置は全く違うものになっていたと思うし、UNISON SQUARE GARDENという存在に自分が求めるバンドとしてもあり方も全く異なるものになっていたはずである。

 兎にも角にも全方位にクオリティが高い。本当にクオリティが高い。クオリティが高い、という誉め言葉はMODE MOOD MODEの特徴を具体的に説明するために生み出されたのですか? その通り。クオリティが高い、の元祖がこのアルバムである。どれだけ考えても悪いところが一個も無い。

 一体何がそんなにクオリティクオリティとお前を狂わせているのか、と思っている方も多いと思うので、一度改めて収録曲を確認したい。

 

01.Own Civilization (nano-mile met)
02.Dizzy Trickster
03.オーケストラを観にいこう
04.fake town baby
05.静謐甘美秋暮抒情
06.Silent Libre Mirage
07.MIDNIGHT JUNGLE
08.フィクションフリーククライシス
09.Invisible Sensation
10.夢が覚めたら(at that river)
11.10% roll, 10% romance
12.君の瞳に恋してない

 

 改めて見ると正気の沙汰じゃない

 何これ 総選挙の結果ですか? ベストアルバムですか?

 

 この曲の並びを改めて見て「尋常ではないほど豪華」「頭がおかしい」となるのは、UNISON SQUARE GARDENのファンとしては仕方のないことだと思う。大盤振る舞いにも限度がある。メインディッシュしかないコース料理。曲それぞれの火力があまりにも高すぎる。捨て曲、どころか「この曲良いとはおもうけど好みではないな……」みたいな曲すら一切ない。

 シングル曲はもちろんのこと、アルバム曲も一曲一曲が単品で1記事書けるくらいに言いたいことがあるのだが、そんなことをしていると死ぬまで書き上げられないので、断腸の思いでアルバム曲を3曲ピックアップして紹介する。

 

 

05.静謐甘美秋暮叙情

 

静謐甘美秋暮抒情

静謐甘美秋暮抒情

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 他のアルバムの信者として先に一つ言わせてほしい。ズルくない? この曲の存在

 このアルバムがリリースされて早4年(!)が経過しているが、未だにこの曲の立ち位置はUNISON SQUARE GARDENの全楽曲の中でも異質なものとなっている気がする。本当に独特な雰囲気だけどとにかくオシャレ。

 ギターの音作りといい歌詞に使われているワードのセンスといい、どこをとっても「アダルティ」という言葉が本当によく似合う。UNISON SQUARE GARDENの重要な個性の一つでもある「多面性」というものを、最も如実に表している曲の一つと言っても過言ではない。現存するUNISON SQUARE GARDENの曲を対象に、何らかの項目を設定して散布図を作成したら、間違いなくどこかの端に位置する。

 A→B→サビで段階的に歌のテンションをあげていく構成となっているが、メロディとギターのサウンドが本当にどこを切っても一級品であり、小節ごとにあの、相席食堂の「ちょっと待てぃ!!」ボタンを押して止めて戻りたくなるため、そこまでテンションが高い曲でもないのにこちらの感情は大変忙しくなるという魔性の一曲である。

 余談だが、この曲の歌のレコーディングの際に我らがギターボーカリスト斎藤宏介氏は風邪を引いていたらしく、それも相まってか知らないが余計にセクシーなテイクとなっており、なんというか「悩殺!」という雰囲気である。この情報をネットのインタビュー記事か何かで初めて読んだ時、僕は率直に「これから毎回レコーディングの前の日だけ風邪ひいてくんねえかな」と思った。不謹慎

 他にもド頭の派手なベースと言い、Dメロ前のセッション風間奏と言い、どこをとっても聴きごたえ抜群なのに、まるで水でも飲むかのように嘘みたいにするりと味わえてしまう後味すっきり感と言い、「叙情」ではなく「抒情」をチョイスするセンスの良さと言い、本当に上質な「淫靡」と「癖」を詰め込んで最高の調理をした結果出来上がった満場一致のウマい奴がこの曲である。耳から流すタイプの吉沢亮、ヘッドフォンに転生した世界線本郷奏多、もう何でもいい、お前の思う健全な範囲の「エロ」をイメージしろ。それが現代に顕現したのが「静謐甘美秋暮叙情」だ

 Own→Dizzy→オーケストラ→FTBという、UNISON SQUARE GARDENの全アルバムの中でも、屈指の無敵感のあるこの4連打を一撃でがらりと雰囲気を変える威力を持つ、このアルバムの裏エース的一曲である。これまでもこれからも、どんなライブのどんなタイミングで披露されようと、観客は静かに、されど確実にアガる。こんな曲他にない。欲を言うならこんな感じの雰囲気の曲がもう一曲くらい欲しい。カップリングでも全然良いので。

 

 

08.フィクションフリーククライシス

 

 

 挙げておいてなんだが、未だに「フィクションフリーク」なのか「フリークフィクション」なのかが分からなくなる。なんとなく後者の方が読みやすい気すらする。「最初にくしゃみをするようなタイトルの曲」と覚えておこう

 UNISON SQUARE GARDENの数多の楽曲を語るうえで、個人的にかなり信頼している一説に「名前が全部カタカナの曲は大体好み説」というものがある。近年の田淵氏の楽曲命名のトレンドが「それっぽい英単語三つ並べる」のような気がしているが、僕の心臓を撃ち抜くパワーを有する曲は、大抵カタカナだけのキュッとした名前のものが多い。

「サイレンインザスパイ」「シューゲイザースピーカー」「マスターボリューム」「カラクリカルカレ」「マーメイドスキャンダラス」など、ちょっと挙げるだけでも本当にThe Powerの権化のようなラインナップで笑ってしまったが、このフィクションフリーククライシスもそれらに匹敵する威力の高いソリッドで大変にカッコいい曲である、とはならない。残念だったな! そう、こいつは

 

 

 メカトル枠である

 

メカトル時空探検隊

メカトル時空探検隊

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 ――――瞬間、おまえの脳裏を過るポンコツで無様なタイムマシンに乗ったバスケットシューズを履き潰してピッチャーマウンドに立ちながら華麗に倒立を決める傍若にフレンチをフライする光景(in Madagascar's capital)――――

 

 

「フィクション」「フリーク」「クライシス」と、イケメン度の高い単語を三つも拝借しながら、それらを雑に融合、いや縫合召喚して出来たこの自意識がクライシスした迷子は、歌詞も展開もやりたい放題の大問題児である。融合というよりはもはや交通事故のほうが印象としては近い。そりゃ迷子にもなる。

 ま~リリースされて4年経っても未だに意味のわからん歌詞。やりたい放題な曲調も相まって理解を放棄するレベルの煩雑さで、正直考察とかするのも馬鹿らしくなる。とかいうと真面目に考察している人に失礼なのでこれは取り消すが、ぶっちゃけ僕はこの曲になんか深いメッセージ性とか込められてる方が無粋な気がする。この子はきっとメカトル時空探検隊の生き別れの他人です。

 どう弾いているか分からないけどおそろしく難しいことだけは分かるイントロのリフから始まり、サビさえちゃんとしてればあとは何してもだいたい許されると言わんばかりの詰め込みっぷり。間奏開けの「自意識がクライシス迷子!(迷子!)×7」を初めて聴いた時は、「正気か?」と耳を疑った。カッコよさで誤魔化されそうになるが、冷静に考えて「迷子!」のコールはだいぶキモい。えっキモくない? イケてる? フィクションにもフリークにも騙されてるよそれ ござる口調のフリークに騙されてる

 

 ぶっちゃけこの曲がMODE MOOD MODEの中で特別好きというわけでもないのだが(もちろん良い曲だとは思うけど)それを踏まえた上で敢えてチョイスした理由は、この曲がMODE MOOD MODEというアルバム全体を通して語るうえで非常に重要な存在だからです。なんかヴェルタースオリジナルみたいな語り口でウケる

 インタビューか何かで田淵が「本当は違う曲が入る予定だったけどふざけ感が足りなくてこっちに変えた」と語っていて、このバンドのスタンスが垣間見えた気がしたというか、アルバムを出すことを単に曲が貯まったからやる行為として捉えず、全体の構成や雰囲気を大切にして、一つの楽曲と同じく、一つの作品として昇華することを当たり前にやってる姿に感銘を受けたというか。別に曲が溜まったから出しますでも悪くは無いけど、やっぱり一本芯の通った、きちんとしたコンセプトのあるアルバムは強い。

「MIDNIGHT JUNGLE」というこれまた中毒性の高いジャンキーな曲と、収録されたシングル曲の中でも随一の人気と主役感を誇る「Invisible sensation」の間を取り持ついぶし銀な問題児である。この曲からの「Invisible sensation」の繋ぎは本当に美しい。「高らかに」が大変よく映える。

 余談だが、この曲に取り替わる前の「別の曲」とはどうやら「ラディアルナイトチェイサー」だったらしいが、そりゃ賢明な判断である。あんなハイボルテージな核弾頭を間に嚙ませたら何もかも分からなくなる。書いてて思ったが君もカタカナ曲だな この際次のアルバムは全部カタカナ曲にしないか? 

 

 

12.君の瞳に恋してない

 

 

 気付けば一千万再生間近

 個人的なMODE MOOD MODEというアルバムの唯一の欠点、それはこの曲をアルバム発売前に先行公開してしまったことである。本当に本当にもったいない。これはアルバムを通して聴いた最後で初対面を果たしたかった。この失敗以降、僕はアルバム発売前の先行公開曲はなるべく発売されるまで聴かない、と自制を心がけている。そのおかげもあってか、Patrick Vegeeはほとんどのアルバム曲を前知識0で味わうことが出来た。

 僕は「シュガーソングとビターステップ」よりも「オリオンをなぞる」よりも、この曲が彼らの代名詞になってほしいと願ってやまない。彼らの各分野に突出したパラメータの中から、「楽しさ」「多幸感」を丁寧に抽出・精製・研磨し、最高の味付けを施した名曲である。曲もMVもきらびやかでとても良い。

「Dizzy Trickster」「fake town baby」「MIDNIGHT JUNGLE」といったかなりパンチの強いロックな楽曲を複数収録しながら、聴き終わった後の印象がしっかりとポップにまとまっているのはこの曲の存在がとても大きい。史上初のシングル曲4曲収録をはじめ、ロックもポップもバラードもジャジーも何でもありのジェットコースターのような面々に好き勝手思うがままにやらせたうえで、アルバムの感想を「この曲への感想」に書き換えてしまうほどの存在感を放つ。

 我らが「harmonised finale」や同アルバム収録の「オーケストラを観にいこう」と同じく、かなり前面にピアノやホーンの音が出ており、特にメインのリフはギター聞こえる? と疑ってしまうほどに大胆に使っている。それでもUNISON SQUARE GARDENらしさが消えず、むしろ要所要所での三人それぞれの見せ場をより強く引き立てるバランスになっていることに編曲の巧みさを感じる。情報量の多さに反して、聴き疲れることもない。

 歌詞については特段好き! ってほどでもないが、それでも曲名でも分かる通り、バンドとファンとの一定の距離感を意識していることが伺える。毎回、色んな言いたいことを独特な語彙と絶妙なワードチョイスで水彩画のインクのようにぼかし、その上でメロディーに無理をさせないように詞を乗せている、彼しか紡げない歌詞である。

 とにかく聴いていてとても「楽しい」、これに尽きる。ライブでも観客のテンションを上げるためのブースターのような位置や、ここぞ、という大事な場面、そしてライブのフィナーレなど、ライブ全体の雰囲気を決める大事な場面で披露されることが多い。今のUNISON SQUARE GARDENを語るうえで欠かすことの出来ない一曲である。

 本当に全方位に隙がない優等生な曲であり、これにタイアップが無いのが信じられないよな~と思って改めて検索したら、サジェストに「君の瞳に恋してない アニメ」だの「君の瞳に恋してない ドラマ」だの出てきて、ああそうだよね、そう思うよね……とつよく頷いた。今からでも良いので主題歌起用とかないんですかね?

 

 

 このほかにもド頭に視聴者を噛み千切りに来る狂犬こと「Own Civilization (nano-mile met)」、正統派爽やかなのに歌詞が俺たちに刺さりまくる「Dizzy Trickster」、ライブツアーで披露された時のインパクトがえげつなかった「オーケストラを観にいこう」、その中毒性抜群のサウンドテキーラで密林に永住するゴリラを多数生み出したと専らのウワサの「MIDNIGHT JUNGLE」、そしてこのアルバム唯一のバラード枠にしてつい最近になってようやく満を持して披露されることとなったこのアルバムにおける真の虎の子「夢が覚めたら(at that river)」など、アルバム曲と言えど個性的通り越して個性の殴り合いのような面々が揃っている。

 最後の「君の瞳に恋してない」のせいでポップで華やかな雰囲気を醸し出してはいるが、有無を言わさず威力でリスナーを殴りに来るその本質は、エンターテイナーというよりも極道に近い。かくいう僕も有事の際はぜひ、MODE MOOD MODE會 君の瞳に恋してない組にケツ持ちを頼みたい

 

 これだけアルバム曲が派手だとシングル曲が食われてるんじゃない? 血界戦線ボールルームへようこそブイブイ言わせてた彼らも面目丸つぶれなんじゃない? と思ったそこの貴方、安心してほしい。そうならないように、むしろアルバム曲を食わないように、MODE MOOD MODEは技巧を凝らした極めて繊細な曲順を実現している。

 個人的に、このアルバムで一番評価すべき点がこの曲順である。何度考えてもケチのつけようのない芸術的な曲順。この曲順に関してはいろいろ言いたいことがあるので、改めて収録曲一覧を紹介する。

 

01.Own Civilization (nano-mile met)
02.Dizzy Trickster
03.オーケストラを観にいこう
04.fake town baby
05.静謐甘美秋暮抒情
06.Silent Libre Mirage
07.MIDNIGHT JUNGLE
08.フィクションフリーククライシス
09.Invisible Sensation
10.夢が覚めたら(at that river)
11.10% roll, 10% romance
12.君の瞳に恋してない

 

 正気の沙汰じゃねえよ……(2回目)

 分かりやすいようにシングル曲だけ色分けをしている。正確に言うならSilent Libre Mirageだけは他の三曲と違って配信限定シングルという違いはあれど、4曲という、過去類を見ない数のシングル曲が収録されている。

 MODE MOOD MODEの曲順において特筆すべき点がいくつかあるのだが、まずは何と言っても「シングル曲が隣り合っていない点」だろう。ここが本当に大きい。絶妙にバラしてあることで、それぞれの個性が強く味の濃いシングル曲によるフックが多く出来ており、アルバム全体として捉えた時のメリハリがとても心地いい。とくにSilent Libre Mirageの位置がもう、ここしかない! って感じでほれぼれする。

 そういえば、記憶が正しければ当時、UNICITY会員限定で収録されるシングル曲の曲順だか何だかを当てよう! みたいな企画があった。MODE MOOD MODEは曲名も発売日当日まで分からないという、今までにない試みの中リリースされたアルバムということもあって発案された企画だと思われる。先に提示された情報をもとにあれこれ考えるのが結構楽しかった記憶があるのだが、この曲順を全部当てた人はいるのだろうか。

 僕は「Silent Libre Mirage」が4曲目だと思っていた。で「Invisible Sensation」がシングル最後の位置だと思っていた。結果的に全部外したうえで自分の考えの大きく斜め上をいかれて、このバンド最高だと感動した思い出がある。「静謐甘美秋暮抒情」で一旦区切りをつけて「Silent Libre Mirage」で再度ブーストをかけて、夢が覚めたら(at that river)で本編を終わらせた後の、ダメ押しとなる「10% roll, 10% romance」と「君の瞳に恋してない」のアンコール。シングル曲がばらばらに配置されてることでアルバム全体がいい感じにブロック分けされており、通して聴いても途中から聴いても満足感のある仕上がりとなっている。ここが本当にえらい。

 

 また「3曲目までにシングル曲を入れない」というのもかなり強気だけど、結果的にこれもアルバムのカラー、雰囲気を強めに一つのシングルで印象付けないことに成功しており、どの曲にも適度に主役感がある。すべての収録曲が一つのアルバムを綺麗な円形にするいい仕事をしており、これだけ個性の強い四曲なのに全体的にまとまりのある、誰からも愛される一枚になっているそのバランスの手腕がすさまじい。

 そしてなんといっても、UNISON SQUARE GARDENのアルバムでは毎回当たり前とはいえ、最後の曲がシングル曲ではないのも本当にえらい。だからこそ「君の瞳に恋してない」を先行で公開したのは惜しいなあと思うんだけど……

 収録曲の個性の強さを理解したうえで、それぞれを際立たせる緻密な構成と、それをサポートする内外の粋な演出の数々によって得られた、アルバムを一つの作品として捉えた時のまとまりと完成度。これがMODE MOOD MODEの魅力の根幹であると信じてやまない。面倒なリスナーへのサポート体制が手厚すぎる。

 

 その曲順と一緒に語るべきなのが、収録曲における「手」を意識した歌詞の数々だろう。これはもう数万人のリスナーが何度も何度も何度も語っている以上、このブログで長々と言及するのは野暮なので簡単に取り上げて終わるが、

 

差し出された手は噛み千切るけど

Own Civilization (nano-mile met)――UNISON SQUARE GARDEN

 

どうしようも馴染めないから 差し出された手は掴まなかった

Dizzy Trickster――UNISON SQUARE GARDEN

 

高らかに 空気空気 両手に掴んで 咲き誇れ美しい人よ

Invisible sensation――UNISON SQUARE GARDEN

 

テイクミーアウト! 照れながら手を握ったら

10% roll, 10% romance――UNISON SQUARE GARDEN

 

僕の手握っていいから

君の瞳に恋してない――UNISON SQUARE GARDEN

 

 シングル曲である「Invisible sensation」および「10% roll, 10% romance」を中心に「手を掴む」ことをどこか意識したような歌詞が随所に仕組まれており、アルバムの終盤に近付くにつれてその距離感が縮まっていく、という構成になっている。これをツンデレととらえるのは解釈違いなのでさておき、こういう一本通ったコンセプトがあるのはとても好みだし、「差し出された手は噛み千切る」と「照れながら手を握ったら」が同じアルバムで収録されていることも嬉しいポイントである。

 ロックバンドの距離感を大事にしている一リスナ―としては、ともすればちょっと近くなりすぎる歌詞、というのはあまり好みではないが、アルバムに一本芯が通っているといくつか有しているバンドとしてのスタンスの一つと納得がいったりする。こういう細かいこだわり、気配りもこのアルバムの魅力と言える。

 

 

 そもそもの楽曲のクオリティ、楽曲それぞれのふり幅の広さ、緻密に練られた曲順の構成、そしてひとつ芯の通ったコンセプトを有する歌詞。

 これだけの聴きどころを詰め込みながら総再生時間がなんと50分を切っているという意味の分からなさ。フルアルバムは総再生時間が50分を切るか切らないかで聴きやすさが大きく変わるという定説を、高校の先生が従姉妹にいるわたくしは提言しているが、このアルバムもその定説に違わず、この中身の濃さでも非常に通して聴きやすい一枚となっている。冷静に考えてこのアルバムが1時間超えてないの相当ヤバい。何この圧縮ぶり。通販で売ってる布団圧縮する機械ですらもうちょっと手加減する。

 

 ロックもオシャレもコミカルも全て超威力で内包したうえで間違いなく「ポップ」という異次元のバランス感覚、どんなUNISON SQUARE GARDENが好きなファンも誰も置いてけぼりにしないクオリティ、それぞれの楽曲のポテンシャルの高さ。何度も何度も繰り返すようで申し訳ないが、総括してあまりに完成度が高すぎる。

 そもそものこのアルバム発売の前年である2017年のタイアップ及びメディアへの露出機会の多さ、そして発売までの数々の粋な演出も相まって、この年までのUNISON SQUARE GARDENの勢いの集大成のような、正当な実力で順当に掴んだミラクルが最高の形で開花した、まさしく「最高傑作」の名が相応しい一枚である。現在最新アルバムであるPatrick Vegeeも、僕が愛してやまないCatcher In The Spyも、伏兵・脇役どころか4番バッター勢揃いのベスト盤ことDUGOUT ACCIDENTも、このアルバムの盤石かつ説得力のある無敵感にはかなわない気がする。

 正直、今後これ以上のオリジナルアルバムが出るとは思えないが、彼らならもっととんでもないアルバムを出してきそうな気もする。彼等ならやりかねない、そんな期待もしてしまう。もしも、そんな一枚を出せてしまったら、間違いなく邦楽史に名を残すとんでもない1枚となることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあいろいろ書いたけど、それでもCatcher In The Spyが一番強くてすごいんだよね

 そこは譲らん

 

Catcher In The Spy(初回限定盤2CD)

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ラバーバンドと首狩り族と輪投げ屋さん

 もうずいぶん昔、どれくらい昔かというとそう、地元の小規模なサーキットにてKEYTALKがインダスの源流を探し、BLUE ENCOUNTがもっと光を君に届けたくなっていたころの話である。今よりも元気に人生と、そして音楽と向き合う短期大学生だったころの僕はその日、地元のそれなりの規模のサーキットイベントを見に来ていた。

 

 今となっては比べ物にならない規模のフェスの、冗談みたいにデカい会場で歌っているロックバンドたちも、そうなる前は地元の小さなライブハウスや色んな地方の色んなサーキットにて演奏し、そういう場所で名を売って大きくなっていく。当時は4つ打ちダンスビート全盛期、マッシュ頭で高い声のボーカルが中毒性のあるリフとサビを繰り返す感じのバンドがもうびっくりするくらい流行っていた。かくいう僕も、そういうのが好きで邦楽ロックをよく聴くようになったと言っても過言ではない。あの頃の俺はどうかしていた。

 このサーキットイベントには、後に邦楽ロックというジャンルの中で最前線で音楽をやるバンドが揃っていた。KEYTALKBLUE ENCOUNT、WANIMA、ヒトリエパスピエフレデリック。何気に僕が初めてアルカラやGRAPEVINEのライブを観たのもこのイベントだったりする。今となって考えると、自分の音楽人生においてもかなり大事な位置にあるイベントだったのかもしれない。

 ただ、今回の記事においてここから先、これらのバンドの話は一切しない。もう一切しない。1ミリたりとも、しない。今上に出てきたバンドの名前はもう全部忘れてもらって構わない。KEYTALK? 新鋭気鋭のアパレルブランドかな?  そのくらいの知識で読んでもらっても問題ない。今から俺はラバーバンドの話をする。

 

 そのサーキットイベントにて、確かフレデリックか何かの出番を待っていた時に、ひょんなことから自分の隣にいた同年代くらいの、名前も知らない青年と少し会話をした。丸眼鏡が特徴の、純朴そうな顔をした青年だったように思う。それなりにレベルの高い私大から地元の有名企業に入り、良妻賢母な奥さんを貰って庭付きの一軒家を建てて子供二人と幸せな人生を送ることが確約しています、みたいな顔でにこやかに会話をする彼に、特段目立って変なところは無かった。

 

 彼が背負っていたリュックサックを除けば、の話だが。

 

 その青年の背負っていたリュックサックは、ラバーバンドの極彩色に埋め尽くされていた。いや、もはやリュックサックにラバーバンドが付いているとかそういう次元ではなく、ラバーバンドの集合体にリュックサックが隠されている、そんな状態だった。リュックサックのチャックすら見えないし、もっと言えば彼が背負っていなければリュックサックだと認識すら出来ない可能性がある。例えるなら、まわりにラバーバンドしかないという奇抜な環境で育ったクソでかいミノムシから無理やりミノを剥ぎ取って我が物にしたような、そんな感じである。純朴そうな顔をした彼は、顔に見合わず追い剥ぎの可能性があった。

 生まれ変わったらリュックサックになりたい、と思ったことは無いが、もしリュックサックに生まれ変わるとしても彼の背負うリュックサックにだけはなりたくない。機能性をかなぐり捨てたある種狂気的とも言える密集したラバーバンドの圧は、僕にそう思わせるだけのリュックサックに対する圧倒的なまでの人格否定と人権無視があった。

 別に僕は彼の行動にケチをつける権利も無いし、ましてやこのリュックサックに温情など欠片も無い。ただ、カラフルなオウムのように目を引くその集合体が気になって仕方なく、ついに我慢できなくなって恐る恐る切り出した。

「めっちゃラバーバンドついてますね」

 あまりに常軌を逸したビジュアルであるそれに関して、どう尋ねて良いのか悪いのかの判断がつかなかったが故に多少身構えてしまったが、彼は特に気を悪くした様子も無く、「ああ」と自分のリュックに視線を向けた。

「まあ、けっこう付いてますかね」

「いやすごいっすね。僕はラバーバンドあんまり持ってないですけど、やっぱり、ラバーバンドって買っちゃうもんなんすかね」

「まあ、自分が参戦したライブの記念に買ってるとこありますよね~」

 

 参戦した、記念に、買っている。

 さささ、参戦……?

 

 今となっては特に何も思わないが、当時はTwitterもろくにやっておらず、#日曜日なので邦楽ロック好きと繋がりたい、みたいなハッシュタグも知らなかった僕は、「参加」や「鑑賞」ではなく「参戦」という剣呑な言葉をチョイスする彼に、ささやかなど肝を抜かれた。僕が「YouTubeでしか見たことないバンドがたくさん来てる~ッひゃっほ~~~ゥ」と呑気に突っ立っている横で、彼は戦に臨む心持ちでライブを観ていたのだ。

 バンドのライブに「参戦」した記念にバンドのラバーバンドを買い、それをその激ヤバ・リュックに付けてまた他のライブに行く……そのサイクルを繰り返しているという彼のその純朴そうな顔に、百戦錬磨の戦を制してきた歴戦の侍の如き風格を感じた。リュックサックについたラバーバンドが、落とした敵将の首のようにすら思えた。

 いや、そのリュックサックの醸し出す圧倒的な"圧"からして、もはや彼はライブではなく、ラバーバンドを集めることが目的となった可能すらあった。その疑念に応えるように、彼はさらに言葉を続ける。

 

「ライブ終わって家でラバーバンドをリュックに付けているときが、一番楽しいかもしれないっすね」

 

 疑念が、確信に変わった瞬間だった。こいつ首狩り族みたいな思考回路だ。

 首狩り族が本来どういうものなのか、どういった過程でその残虐な風習を行うことになったのか、それがどういう意味合いを持っていつまで続けられていたのか、その風習が弊社にどんなイノベーションをもたらすのか、そういったことは何も知らないが、とにかく、こいつは首狩り族の末裔だと確信した。

 

 その後もそのサーキットイベントにて、目的のバンドが合えばなんとなく一緒に観ていたが、結局互いにろくな自己紹介しないままサーキットの波に吞まれるように挨拶もなく別れ、その後は一度もどこかのライブばったり会う、なんてことも無かった。ただ、今でもあの異様なリュックサックは自分の記憶の中に鮮明に残っている。もはやサーキットイベントそのものよりも鮮明に残っている。未だに、大量のラバーバンドを見に付けている人をライブハウスなどで見かけるたびに脳裏に首狩り族というワードが浮かぶので、彼のことを畏敬の念を込めて首狩り族と呼んでいる。

 

 

 あれからもう、10年近くが経った。元気な短期大学生だった僕は社会というクソみたいなノンフィクションによって鼻と足と心とささやかな自信をへし折られ、身体や精神を壊しながらもアホみたいな時間外労働をこなしたり退職して半年くらい無職をしたり転職先で上司に違法マイクで怒鳴られたりとしている中でも、好きなバンドのライブを節目節目に刻みながら、ニポンとかいうヤクザ国家に何とかかんとかクソ高い税金を納めて頑張っている。

 Twitterという、最近イーロン・マスクと名乗るヤバイ外国人に買収されたSNSを始めるようになって、「参戦」という言葉にも随分慣れたし、邦楽ロックが好きな方々がどうやって同じ趣味の同志を見つけているのかが分かった。Twitterのフォロワーが「今日は○○のライブに行きます!」と手首にラバーバンドを巻き付けている写真を見て、僕はときどき、あの首狩り族の背負っていたリュックサックを思い出す。

 

 首狩り族は、今でもバンドを追い、ライブを観続けているのだろうか

 

 観ているとしたら、未だにあのリュックサックにはラバーバンドが増え続けているのだろうか。約10年前にあれだけの”圧”を放っていたのだから、今はもう香川県くらいは圧殺出来るくらいの規模になっていると考えてもいいかもしれない。彼が、この世に存在するラバーバンドの何割かを所有していると考えてもいいかもしれない 彼が、ラバーバンドの代名詞となったと言っても過言ではないかもしれない

 

 彼が、彼自身が、ラバーバンドになってしまったと考えても問題ないかもしれない

 

 無数のラバーバンドに覆われた彼はさながらカラフルなム○クのような風体で、ラバーバンドで埋めつくされた香川県を卓越した筋力によるクロールで縦横無尽に泳ぎ回り、ラバーバンドを食べて、ラバーバンドのベッドで寝て暮らしているのだ。ラバーバンド伝道師である彼の尽力によって、今や香川県はラバーバンドの一大産地となり、段々畑や養殖場からは毎日新鮮なラバーバンドが収穫されている。

 彼の影響で近年、香川県の名物であるうどんすらもその素材を小麦からゴムへとシフトしつつあり、ラバーうどんのコシのレベルは小麦の時代と比較してももはや別次元の境地へと進化したとされる。現地の人ですら噛み切れない圧倒的な弾性は「もはや食べ物ではない」と大変好評である。観光客カップル向けに作られたラバーうどん、その名も「loverうどん」も一日におよそ数億杯売れるほどの大ブレイクを見せている。噛まずに呑み込むことが出来ればその恋は末永く続くらしい。なんてすばらしいうどんなんだloverうどん。ああloverうどん。すばらしきかなloverうどん。loverうどんって何?

 一体自分は何の話をしているのだろうか。この世にラバーうどんなんてものは存在しないし、ましてやloverうどんなんてもってのほかだ。ラバーバンドは腕に付けるものであって食べるものではない。何がloverうどんだ、そんな突飛なもの食べるやつがまともなわけないだろう。寝ぼけるな 水素水で顔でも洗ってこい

 だいたい香川県はラバーバンドで埋め尽くされてはいないし、丸眼鏡の純朴そうな青年がラバーバンドの代名詞となった事実もない。ありもしない妄想で文字を連ねるのはやめろ こういう人間が陰謀論にハマったり人を殺したりするのだ

 

 

 ではもうライブを観ていないとしたら、あの大量のラバーバンドはどこに行ったのだろうか

 ラバーバンドほど、ライブに行かなくなった後の人生において、今後の活躍が一切見込めない物体もないだろう。バンドのグッズは普段使い出来てナンボと考えている僕にとっては、あの謎にふにふにとしたアクセサリーはライブ以外で何に使えばいいのか分からない、という理由で買う気にもならない。髪でも結ぶのか?

 となるとラバーバンドはゴミとして捨てるか売りさばくかするしか処分の方法が無くなるわけだ。首狩り族がもうバンドや音楽ライブは卒業したとして、メルカリに今まで集めてきたラバーバンドをせっせと一つ一つ写真に撮り、バンド名を明記してメルカリに放流していく彼を思い、僕はふと、あることに気が付いた

 

 もはやそれはもう「輪投げ屋さん」ではないか?

 縁日の輪投げ屋に輪投げの「輪」を卸売りする「輪投げ屋さん」ではないか?

 

 これまで、縁日の輪投げ屋はどこであの、人生において他のどこにも活躍シーンの無い、小人用のフラフープを買っているのか長らく疑問だったが、ようやく理解出来た。あの輪投げは、首狩り族を引退した輪投げの卸売り業者から買い取っていたのだ。またひとつ賢くなってしまった。

 いや、待て、子供の頃の記憶をたどったが、縁日の出店の中でも他の娯楽に一歩劣る輪投げなんて極めて単調な遊戯、数えるほどしか遊んだことがないとしても、それでもなんとなく覚えている。あの輪っかは結構硬かったはずだ。それで殴ったら部位によっては血が出る程度の硬度は有していたように思う。ラバーバンドはラバーというだけあって、それなりに柔らかい。

 食べ物でも布団でも何でもそうだが、基本的に柔らかいものは硬いものより高級な傾向にある。ラバーバンドの柔らかさから考えて、普通の輪投げの輪っかと比較すれば和牛とアンガス牛くらいの差はありそうだ。なにせ一個あたり約500円である。首狩り族の輪投げ屋が卸売りである以上、利益を出すために2~3倍の値段は余裕でつけるであろうことを考えると、一つあたり1000円から1500円クラスと考えても良い。まさしく、最高級の輪投げである。

 最高級の輪投げ屋は、上流階級専用の遊興施設にて不定期に店を開く。広大な敷地面積をふんだんに使った、縁日ではまずお目にかかることの出来ない規模の輪投げである。客は定位置から自らの手で輪を投げるのではなく、ある一定の高さに滞空しているドローンを使って、遠隔操作で狙った位置にラバーバンドを投げる。

 肝心の景品は、庶民の縁日に出されるよく分からないこけしや麩菓子といったような、しょぼいものではない 。例を挙げるとするなら、ニンテンドースイッチ、PS5、iPad、防音室、BMW、土地、ソープ嬢著作権などなどなど。おおよそ庶民の縁日ではまずお目に掛かれない景品が並ぶが、これらはすべて外れとされる。この世界の勝者である富豪たちがこの最高級輪投げで狙うものは他でもない、庶民の「思い出」である。

 欲しいものは何でも手に入り、庶民の感じる種類の苦労を知らずに生きて来た彼らからすると、庶民の素朴な身の上話の一つ一つがちょっとしたフィクションのようなものだ。それも、経済的な力の無さゆえに、負の感情に苛まれた人間のエピソードが人気が高い。これは富豪に限った話ではないが、人間は時折、他人が不幸に見舞われることを上質な娯楽として楽しむことがある。所謂「シャーデンフロイデ」と呼ばれる感情である。世の中に悲惨なノンフィクションを書き綴った本が途絶えないことがその証左と言えるかもしれない。

 金がない、地位がない、権力がないというのは、物心ついた時からそれらを持ち合わせていた彼らからすれば、手足がないようなものだ。故に彼らは、彼らが生まれたその時から手に入れていた優位を持ち合わせていない人間の、境遇や生活や懊悩の想像が出来ない。故に、彼等は庶民の悲惨な現実が生み出したエピソードを、子供が寓話の読み聞かせをねだる様に欲する。

 今日もまた一人の富豪が、そんな庶民の思い出を欲して輪投げに興じていた。

 

 滞空するドローンから射出されたラバーバンドが、立てかけられた一本の古びたボールペンをくぐる。それを確認した輪投げ屋が、手元の鐘を鳴らした。

「おめでとうございます、それは数年前にある学生が失くしたボールペンです」

 庶民の「思い出」は、その「思い出」の詰まった景品をゲットすることで、輪投げ屋の口から語られる仕組みとなっている。

「このぼろいボールペンにはどんな悲惨な思い出が詰まっているんだ?」

 興味津々といった様子を隠し切れない富豪をじらすように、二、三度咳払いしてから、輪投げ屋はゆっくりと語りだした。ごくありふれた、庶民のささやかな、実ることの無かった恋愛劇だった。

 富豪は激怒した。富豪が求めていたのは、例えばお金がなかった故に転落人生を歩み、最後はそのボールペンで首を突いて自害したとかそういう、悲惨で救いの無いエピソードだったのだ。そんなくだらないものを景品に入れるなど客商売失格だと、口角泡を飛ばして罵倒する富豪に、輪投げ屋は涼しい顔でこう言った。

 

「僭越ですが、あなたは道端に咲いた花を見たことがありますか?」

 

 その突拍子もない返答に思わず怪訝な顔をする富豪を気にすることなく、輪投げ屋は続ける。

 

「自分語りになりますが、私はもともと貴方達のような、いわゆる恵まれた家庭に産まれました。物心ついた頃から底の無い財を湯水のように使える生活は極めて幸福なものでしたが、或る時両親の経営する会社で大きな不正が発覚して信用は地に落ち業績は急激に悪化、それからは転がり落ちるように生活のグレードは下がり、私が高校に上がるころには財産のほとんどを手放しておりました。世間からは「没落貴族」などと揶揄され、歯がゆい思いも経験したものです」

「一般的な高校に入学し、庶民と同じグレードの生活をするのは、はっきり言って苦痛でした、特に、リムジンを使わない通学を続けることが本当に苦しかった。毎日重い荷物を持って、長い帰路を歩くあの苦しさはとても耐えられるものではありませんでした。世間のバッシングと長く険しい登下校を繰り返す毎日に、肉体も精神も限界を迎えたある日、募った疲労に負けるように道端の花壇に腰を下ろした私は、そこで一輪の小さな花を見たのです」

「寂れた路地裏、人々の喧騒、投げ捨てられたゴミと乱雑な落書き。猥雑な大都市の中で、その小さな花びらを誇らしげに開くその花のなんと美しいことでしょうか。しばし見とれた後、私は思ったのです。ああ、リムジン最後尾からはこの花をみることは出来なかっただろうと。気付いたのです。お金で買える幸せだけが全てじゃないと。これに気付いてから、私の人生は大きく変わったのです」

「確かに庶民は貴方達に比べて恵まれてはいません。いつもお金に困っているし、何かを妬み、僻んでいる。けれど彼らは道端に咲いた花の綺麗さを知っている。素朴で、ささやかで、しかしかけがえのない小さな幸せを拾い集める術を知っている。私はそんな庶民たちが紡ぐエピソードを愛しています」

「私が今回景品として用意したのは、貴方達が望むような、言葉にすることもはばかられるような悲惨な思い出ではありません。彼らの中にきらめく、ささやかでピュアで、それでいて明日への希望を抱けるようなものです。そのものに込められ、託された儚くも美しい思い出です」

 

「貴方が今輪投げに使ったそのラバーバンドにも、思い出が詰まっているのですよ」

 富豪はハッとした顔で、足元に落ちたラバーバンドを見る。薄汚れてぼろぼろのそれには、富豪の知らないロックバンドのロゴが刻まれていた。

 

「そのラバーバンドの持ち主は、有名無名関係なく多種多様なロックバンドのライブを観賞すること、そしてその会場でラバーバンドを手に入れることを至上の喜びとする青年でした。飽くなき探求心で様々なロックバンドを知り、チャンスさえあれば欠かさずライブに行き、ラバーバンドを買い、自身の背負うリュックサックに付ける……それを繰り返し、異様な物体となったリュックサックを誇らしげに背負う彼は、畏敬の念を込めていつしか「首狩り族」と呼ばれるようになりました。貴方が今放ったラバーバンドは、そんな彼が有していたうちの一つです」

「Tシャツやタオルなどとは違って、ラバーバンドは使用用途が非常に限られています。この世で一番要らないものは音楽に飽きた後のラバーバンド、という格言もあるほどです。しかし、殆どのアーティストはラバーバンドを作り、売っている。それはラバーバンドが安価で作れて、手ごろな値段で売れるからです。懐に余裕のない学生でも、ライブの思い出を、分かる形で残すことが出来る」

「だからこそ、彼らはラバーバンドに思い出を託すのです。思い出を詰めるのです。そしてそれをつけてまたライブに行き、誇らしげにそれを掲げるのです」

 

 形あるものを手元に残すことで、記憶されるささやかな思い出がある。これまで膨大な、途方もない単位でしか物事をみたことがなかった富豪は、自分の見えていなかった小さな幸せの尊さに気付き、愕然とした。

 気付けば富豪は涙を流していた。懸命に生きる彼らの中に、素朴ながらもひっそりと輝き続ける思い出を使い捨ての娯楽のように粗末に扱っていた、これまでの自らの行いを恥じた。そして泣き顔のまま、ラバーバンドを握りしめてこう言った。

 

 

 

「このラバーバンド、ください」

 

 

 

 

 輪投げ屋は、変わらず涼しい顔をしてこう言った

 

 

 

 

 

「3000円です」

 

 

 

 

 

 これが

 高額転売の実態である