愛の座敷牢

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祝!愛の座敷牢100000記事突破記念 愛の座敷牢ベストセレクション

 いつもご愛読ありがとうございます。

 

 いきなりこれまで欠片ほども見せたことの無い感謝の気持ちで始まる記事、怪しさ一番搾り以外の何物でもないが、いつもと異なり今回は至って平和な記事である。

 先日投稿した「MCでスベるバンドマンのためにMC専門学校を開校したい」で、この「愛の座敷牢」はなんと、投稿数100,000記事を突破しました。本当にありがとうございます。嬉しくて涙が止まりません。嬉しくて涙が止まりませんって初めて言いました

 2019年に記念すべき1記事目を投稿してからもう4年。一年間の間におおよそ25000記事のペースで投稿するわたくし及びこの「愛の座敷牢」は、SNS上で「TL汚染」「寝耳にゴリラ」「低学歴のChat GPT」「ミュート状態で聴くMIDNIGHT JUNGLE」と絶えることの無い称賛を浴び、史上最底辺のインタネットミームとして、電子空間の下水道に名を馳せつつある存在となりました。絶えず理論武装で突撃をかます高学歴アンチの怒涛の罵詈雑言に日々心を擦り切れさせそうになりながらも、ここまで続けていられるのはひとえにブログを読んでくださる皆様のお陰です。心から感謝申し上げます。

 それにしても10万記事である。いつかこのブログで「面白いからといって読んだことの無い人に、100巻くらいあるワンピースを薦めるのは気が引ける」と書いたことがあったが、この言葉はこのブログにも適用されるのではないか、ということを最近になって心配し始めた。今Twitter上に無数に存在するこのブログへのリンクから、何らかの興味を持ってこのブログを閲覧した方が、読者として定着することは、もう今となってはあまりにもハードルが高いことになっているのではないか。

 この圧倒的な文量、記事が記事を呼びさらにその奥地へといざなうこの無限回郎は、そのボリュームだけで言えばワンピースにすら匹敵する。ということは俺は尾田栄一郎といってもそれはさすがに過言 このブログはワンピースなどではなく、例えるならコンビニの書籍コーナーによく置いてある、所在不明のおバカ画像を適当に集めただけの極厚ペーパーバック本に近い。この世の出版物の中でも純粋な「紙の無駄」と評されるタイプの、あの黄色い背表紙の本

 というわけで今回の記事である。今回は記事数10万記念として、これまで書いてきた記事の中で思い入れの強い記事を、厳選に厳選、選りすぐりに選りすぐって5記事紹介したいと思う。これさえ読めば昨日このブログを知った君も今日から立派な愛の座敷牢フリークである。受講さえすれば取れるタイプの資格。愛の座敷牢フリークになったことを何にも知らないTLの人たちに自慢して煙たがられたりしよう! 

 前置きここまで、以下本文

 

 

1.Catcher In The Spyに捧ぐ

 

 記念すべき1記事目。すべてはこの記事から始まった。いつか書いたと思うが、もとはフォロワーとの空リプが切っ掛けである。ここから99999記事を連ねたことを考えると、ずいぶん遠くまで来たものだと思う。

 せっかくブログを開設したのにこの記事だけだと寂しいからもうちょっと書くか、が4年も続くと流石にこうなる。完全に過去記事に埋もれている。歴史、というものの途方の無さを感じさせる

 とにかくシンプルにこのCatcher In The Spyというアルバムに対する愛を詰め込んだものなので、特筆して語ることも無いが、流石に今読み返すと青臭くて読めたもんじゃない。が、この時の自分がめちゃくちゃ頭を捻って文字を紡いでいたのは誰よりも知っているので、まあ頑張ってるなとも思う。熱量のこもったいい記事です。

 未だにこの記事から知ってもらえることがあってビビる。というか未だに宣伝ツイートで、この記事の宣伝をしたツイートのいいね数を超えたことがない。俺はこの4年間何をやってたんだ 精進します

 

 

 

2.突然の闖入

 

 51記事目。今現在も細々と続いているわたくしの自己満足「愛の座敷牢SF」シリーズ化のきっかけとなった記事である。ちなみにここでいうSFは決して「サイエンス・フィクションではない。特に定義は無いが、強いて言うなら「すべて・フィクション」である。愛の座敷牢は9割くらい嘘しか書いてない。カスのネットニュースと一緒

 普段から「形の無い娯楽である音楽を語ることはこの世で最も不毛な、無駄な行為である」と言って憚らない僕ではあるが、この記事はこの価値観から発展した「存在すらしない音楽を語る行為は、その不毛さすらも上回る、この世で最も無駄で、故に全てのしがらみから解き放たれた、新時代のカルチャーとなるのではないか」という仮説の下に書かれた、存在しないバンドの、存在しないディスクレビュー集である。

 バンド名、楽曲、アルバム名、その全てに付随する事柄のすべてが僕の創作であり、故にこの記事から得ることの出来る生産性のある情報は1つも無いと言っていい。一言一句違わずすべてが創作であり、すべてが虚構である。

 僕自身の音楽の素養がたかが知れているので、その虚構に地に足のついた強度が有るかと問われればそこはNoと評せざるを得ないが、それにしても書くのがとても楽しい記事であった。バンド名とそのアルバム名を考える時間が至福だった。

 何にでも意味を求められ、コスパを最優先し、徹底的に無駄を嫌うこの世の中ではあるが、無駄というのはあくまで主観的なものであって明確な基準が設けられているわけではなく、何が無駄にあたるかは人による。本当に効率的な生き方をするのであれば音楽を聴く行為は勿論無駄だし、そもそも娯楽を嗜むというその思考そのものが無駄であり、もっと突き詰めれば究極的は生まれてから死ぬまでの時間も無駄である。その無駄をどれだけ楽しむことが出来るか、それが各々の人生の輝きに密接に影響してくる。

 どうせ無駄ならせめて楽しくあれ。この記事は現代社会において忌避される無駄の、無駄による、コスパや効率性に対するカウンターパンチのつもりで書いた。熱い。

 ちなみにここまでの数行は何の意味も無いタイプの無駄である。

 

 

3.Catcher In The Spyを聴くと、なんやかんやあってモテる

 

 709記事目。このブログに無数に存在する、Catcher In The Spy過剰評価記事の一つである。「Catcher In The Spy過剰評価記事」というのは僕が付けた名前ではなく、気が付いたらそう呼ばれていた。過剰評価しているつもりは毛頭ない。どう考えても適正評価である。血が滾るだろ、聴くと

 この頃の僕はこれ以外にも「Catcher In The Spyを聴くと肌がすべすべになる」「デキるビジネスマンは皆Catcher In The Spyを聴いている」「Catcher In The Spyこそが腐った国家を転覆させるためのマスターピース」といった、若干スピリチュアルを感じさせる方向にまでこのアルバムを激押しする記事を連発していたこともあり、当時のあだ名が「CITS界の大川隆法」だった。今思えば完全に蔑称

 この記事はその中でも特に「やりすぎ」と批判されたものである。平凡な生活を送っていた男がCatcher In The Spyと出会ったことをきっかけに、風が吹けば桶屋が儲かるみたいな理屈で一気にモテ・スターダムを駆け上がり、最終的に年収が3000億円になってトップアイドルの女を嫁にもらい幸せな家庭を築くという、その人生大逆転劇を克明に、精緻に、そして何より臨場感あふれる筆力で書ききったこの記事は、あまりに誇張が過ぎると散々批判された。

 今だから告白するが、まあ確かに誇張はあった。それは認めざるを得ない。ただCatcher In The Spyを聴くことが潜在的なモテ・オーラを高めるという事実は変わりないし、世の中のモテ男と呼ばれる人間のほとんどが日常的にCatcher In The Spyを嗜んでいるというデータもある。むしろCatcher In The Spyを摂取せずにモテの極致に立っている人間こそがマイノリティであることを自覚すべきだろう。確固たるモテ・ベースの形成、効率的なモテ・ヒエラルキーの向上には、Catcher In The Spyの力は決して欠かすことが出来ない。この記事はそれをただ、純粋に書ききっただけの記事である。

 このアルバムは2000円ちょっとで買える、もっとも信用度の高いモテ・バイブルなのだ。それをみんなに教えてあげるための記事である。多少の誇張くらいは、目を瞑るべきではないだろうか。自分で記事を読み返して、改めてそんなことを思った。

 

 でもあの、女の子を暴漢から守るためにCD投げで応戦するシーンは無いな。あれは無い。女よりCDの方が大事だろうが そこを間違うなよ

 

 

4.第一回 福岡偕老同穴 ライブレポート

 

 5286記事目。愛の座敷牢は音楽専門のブログである関係上、ちょくちょく行ったライブの感想をライブレポートとして記事にまとめることがあるが、この記事はこれまで赴いた中でもベストライブだった、第一回福岡偕老同穴についての感想をまとめたライブレポートである。未だにこのライブを現地で観ていた自分を夢に見て、目が覚めた後に羨ましく思ってしまう自分がいる。

 今となっては邦楽ロックを聴いていれば名前を知らないことはないであろう大規模フェスではあるが、せっかくなので一応説明しておく。この「福岡偕老同穴」は2023年から始まった福岡県の大規模な音楽フェスであり、毎年秋ごろに開催されている。

 このフェスの特徴は「ライブ中のMC禁止」「現地でのバンドグッズ・フードといった物販の出店一切無し」と、演者・観客双方に相当な縛りを設けられている点であり、バンド側はただ混じり気なく100%音楽に力を出し切ること、観客側は余計なことを考えずにステージを見ることが求められる。この要項が発表された時は、従来の音楽フェスの重要なファクターである要素の排除に相当な物議を醸した。

 しかし蓋を開けてみればMC全カットによって、純粋に、一切の混じり気の無いバンド本来の格好良さ、佇まいを感じられたこと、第一回目の様子をYouTubeにて全編無料生配信するという太っ腹な試みも相まって、開催前の物議は何だったのかと言わんばかりの盛況ぶりを見せた。かくいう僕も出演メンツに惹かれて現地で観ていたがこのイベントは本当に最高だった。ヒトリエも、CRYAMYも、PK Shampooも、GRAPEVINEも、UNISON SQUARE GARDENも最高だった。今でもGRAPEVINE前に鬱陶しくない程度の小雨が降って、ユニゾンの一音目が鳴ったと同時にその雨がぴたりと止んだあの瞬間のことを覚えている。あれは本当に音楽の奇跡だった。

 第一回目の大成功もあってが今では全国屈指の超人気音楽フェスとなってしまい、チケットがろくに取れなくなってしまったこともあってとんと御無沙汰なのだが、機会があったらまた行きたい。余談だがこのフェスが開催されるようになってから、MCが長いバンドに対する風当たりが多少強くなった気がしないでもない。

 

 

5.これで命を請え! 宇宙人に聴かせるべき邦楽ロックの名盤10選

 

 36580記事目。この年に宇宙人が地球に攻めてきたときに、切羽詰まって書いた記事である。結果的にこの記事がこの星を救ったようなものだ。宇宙人が「邦楽ロックバンドがカッコよかったので地球潰すのやめます」と記者会見で発表した時はさすがに目頭が熱くなった。この記事を書きあげた際はさすがに国の内外からありとあらゆる言語で称賛を浴びたが、この記事の後に自分に酔いすぎて自分を褒めたたえまくる記事を50000記事くらい連発したのは本当に良くなかった。あれで随分読者が離れた。

 マジで本能的な危機感に任せて書いた記事ではあるので多少の粗も見受けられるのは仕方がないとはいえ「宇宙人はピュアだからあなたが眠る惑星を聴くと涙で前が見えなくなって死ぬ」とか「トラベルプランナーは銀河共通のボロ泣きソング」とか「サイレンインザスパイにはこの世の全ての知的生命体の神経に作用する力がある」とか、今思えばよく殺されずに済んだなと思わんばかりのワードの羅列で顔が引きつってしまう。こんな記事、こんなブログに世界の命運がかかったのどうかしてるぜ

 しかし、今となってはワールドワイドを超えてスペースワイドなムーブメントとなった国産ロックンロールであるが、当然ここで紹介したアルバムがリリースされたころの当事者はきっと、比較的近い未来に宇宙人が地球に攻めてくることなんて考えもしなかったわけで、そんな中で作られた音楽が今や銀河の外まで響き渡っているのは本当にロマンのある話である。そういう音楽の持つ力を感じられたこともあって、この記事への思い入れは大きい。

 余談だが僕は今度GRAPEVINEの惑星渡航ツアーの木星公演に行くつもりである。防寒対策をしっかりして臨みたい。宇宙空間で「小宇宙」とか「Asteroids」とか聴いたらどうなっちゃうんだろうな

 

 

 

 終わりに

 

 というわけで、これまで書いてきた中で思い入れのある5記事を紹介したが、いかがだっただろうか。改めて振り返ると本当にろくな記事を書いてなくて困る。

 おおよそ4年前にCatcher In The Spyに捧ぐ記事を書いてから、特にスタンスも何も変わらずに、チラシの裏に書きなぐるようなクオリティの記事を量産している。音楽でき知識も何も養わず、書くといったものから逃げて、ひたすら自分が好きなものを書いて悦に浸っている。そんなゆるい感じで続けられたのも、ひとえに読んでくださる方がいたから、とは言わないものの、まあやっぱり読んでもらえるのは嬉しい。いつもありがとうございます。これからも頑張ります!

 こういう記念すべき記事が上がったことだし、この記事を読んでくださった方もよかったら愛の座敷牢で好きな記事をおしえてほしい。とはいえ10万記事もあるのだから自分で自分の記事が把握できていないこともある。書いてない記事をよかったと言われても気づかないかもしれない

 

 次の振り返りは1,000,000記事を突破したらやります 今後ともよろしく~~~