愛の座敷牢

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いつか未視聴ライブDVDに埋もれて死ぬ

 

STRAY SHEEP (アートブック盤(DVD)) (特典なし)

STRAY SHEEP (アートブック盤(DVD)) (特典なし)

  • アーティスト:米津玄師
  • 発売日: 2020/08/05
  • メディア: CD
 

 

 とにかく「初回限定盤には○○で行われたライブDVD付属!」の文言に弱い。もう本当に弱い。脊髄反射タワーレコードオンラインの予約ボタンをプッシュしてしまうくらいに弱い。つくづくロックバンドにとって自分はただのしゃべる機能の付いたATMであることを自覚する瞬間である。

 もう本当に僕は、というか好き好んで音楽みたいな形のない娯楽を追っている連中はみんなきっと、とにかくライブを収録したものが好き。映像媒体が大好き。三度の飯を削って音楽に金を使っているような生き方は間違っているとは分かっていても、新譜の発表がされれば特に何の疑問も抱かず反射で高い方を予約してしまう買ってしまう。明日の飯より今日の快楽。身体全てが脊髄で出来ているような行動原理である。今仮に空から2億円降ってきたとしても、チンパンジーより有意義に使える自信がない。サブスクを導入しているにも関わらず、ライブDVDの文言だけでカートを埋め尽くしてしまう悪癖はきっと、この趣味に見切りをつけるまで治らないのだろう。

 

 ライブ音源をその場の雰囲気や空気感ごと贅沢に音楽ファイルに変換して、どこでも気軽に持ち運べるようにしたライブCDも偉大だが、やはりライブDVDの存在感は別格だ。時間的に、地方民的には場所の関係で行けなかったあの日あの時の最高の舞台、最高のステージング、最高のセットリスト、最高の演出を、完璧に不足なく切り抜いたカメラワーク、そして編集。手のひらサイズの円盤に宇宙のすべてが詰まっているといっても過言ではない。まさに神盤。神が宿る円盤と書いて、神盤。好きなアーティストのライブDVDは最高だ。どうでもいいが2020年10月現在ウチにはBlu-rayを再生できる環境がないのでBlu-rayの話はしない。今年買うつもりではいる。いるだけ。

 立てば浪費、座れば散財、歩く姿は一擲千金と呼ばれて名高いワタクシは、不興に悩む音楽業界のために今日も今日とて緩すぎる財布のひもをちぎり捨てる勢いでタワーレコードオンラインとAmazonのページを行き来しながらせっせと新譜の初回生産限定盤の予約に励んでいるわけだが、日に日に少年漫画のごときインフレを繰り返すクレジットカードの請求料金を見て背筋と脳髄が冷えたのが切っ掛けで、最近ついに気付いてしまったのだ。

 

 買ったライブDVD、観てなくね?

 

 よくよく思い返してみれば、米津玄師のアルバム(アートブック盤)についてきたライブDVDは観てない、フレデリックのEP(初回盤)についてきたDVDも観てない、ヒトリエのベスト(初回生産限定盤)についてきたDVDも、こないだ発売されたUNISON SQUARE GARDENの新譜(初回限定盤)に付属していたDVDも、年始に買ったKing Gnuのアルバム(初回生産限定盤)のライブBlu-rayも観てない。最後のKing Gnuに至っては、鑑賞できる環境を整える前提で買ったくせに、結局今でもBlu-rayドライブの一つすら買わないまま棚の中にずっと放置している。ろくに開封してないから分からないが苔とか生えてるんじゃないか、僕のCEREMONY

 そもそも、僕は未だに去年行われたユニゾン舞洲のライブDVDもまともに見終わってない。発売日を確認したらまさかの去年だった。おいおいおいまってくれよ、俺たちの15周年はまだ終わってねえよなあそうだろ、斎藤さん、田淵、タカヲ…………大体何なんだLIVE(on the)SEATって、俺に隠れて新しいライブツアー始めるのやめてくれ、ずっとあの煌びやかな15周年の記憶に浸らせてくれ、それはそれとしてさっさとfth8を再開してくれ、俺をユニゾンvsヒトリエの妄想から解き放ってくれ

 あの米津玄師も満を持して今年からサブスク解禁し、最早サブスクやってないアーティストの方が珍しいのではないかとすらも思ってしまう今日において、そもそもCDとかいう前時代的媒体をいつまでも買いあさっている方が滑稽であるという思いはぬぐい切れない。単純に考えて毎月1枚以上CDを買うなら、定額のサブスクに登録した方が金銭的には絶対に得なのだ。音源をデバイスにインポートする手間もCDとは比べ物にならないほどに楽。僕自身サブスクに登録してから、買うだけ買って開封すらしてないCDが多々ある。最近ならヨルシカの「盗作」とか。今年に入って間違いなく一番聴いてるアルバムなのに、開封してないんだぜ。ホラーかよ

 なので今僕がCDを買うのはそのアーティストに対する純度の高い応援のこころ(という名のお布施)という意味合いが以前よりも強いのだが、それなりの額のお金を払った人間に相応、いやそれ以上の見返りを付けてくれているロックバンドには本当に頭の下がる思いだ。人より多く金を払ったらライブDVDがついてきた。ありがたし、と感謝の意を示したのちに身を清め、服装を整えてディスプレイの前に正座し、画面越しのロックバンドの一挙一動を網膜に焼き付け、表情一つ変えず暗い部屋で一人尊さに耐えきれず涙を流し活力を得て、来る日のために厳しき現代漂流に再び飛び乗ることこそが、音楽ファンたるもののあるべき姿なのではないか。

 だが俺はその見返りを求めることなく、単に他の人より高い金を払っているだけのただの「散財が趣味の人」となり果てている。まあ、見方を変えれば敬虔であるとも言えなくはない。あまりにも無駄だが。せめてビル・ゲイツくらい稼いでるなら格好も付くかもしれないが、低所得者層の僕がやったところでそれは緩慢な自殺でしかない。スーサイド散財。己の命と引き換えに音楽業界の経済を回している、と息巻いているだけのただのバカ。ドン・キホーテが風車に挑みながら僕を指さして笑っている。おのれ蛮勇め、と憤るも、結局今日も僕がDVDを見ることはない。明日もない。

 理由はただ一つ。もうびっくりするほど面倒くさい

 

 なんかもうね、CDを詰め込んでる棚とDVDを鑑賞するためのノートパソコンがね、それぞれもうびっくりするくらい定位置であるベッドから遠いの。1歩にも満たない距離のはずなのに天竺くらい遠く感じる。ついでに言えば身体をベッドから起こすだけでその日一日の体力を使い果たしてしまう。刮目してくれ、現代社会に蝕まれた成人男性の憐れなる姿を

 わかる、わかるよ、好きなアーティストのライブ映像を見ると元気が出るのはめっちゃ分かるよ! リポDよりアリナミンより身体に強いブーストを掛ける存在だってことは分かってるんだよ! 分かるんだけどその見るための元気が出ないんだ。元気を得るための元気すらないというジレンマに陥っている。元気があれば何でもできる、は本当にそうだ、元気さえあれば何でもできる。あくまでもあれば、の話だけど。

 仮にめちゃくちゃ頑張ってベッドから動いたとしても棚が汚すぎて何がどこにあるか分からない。さっきチラ見したが、ラノベと雑誌と漫画と学生時代に使っていた教科書に侵食され過ぎて各種の初回限定盤特典どころか目的のCDケースの影も形も見えない。迷宮みたいになってる。もし異性がこんな収納棚してたらそれだけでお近づきになりたくないポイント高得点間違いなしの、人として終わってる収納である。A型の人が見たら白目向いてぶっ倒れるんじゃないか

 そんな迷宮にてヒイヒイ言いながら目的のDVDを見つけ出したとしても、棚を元通りに片付けて一息ついた僕に体力が残っているはずもなく、もう明日でいいや……と思って床に就き翌日には忘れている。運よく思い出したとしても、ノートパソコンの前まで来て開いて電源を入れるのが面倒くさくて結局諦める。数々の艱難辛苦を乗り越えて電源を点けたとしても結局Twitterを開いて二束三文に鼻で笑われるようなツイートを量産して時間をドブに捨てて満足し、当初の目的を綺麗に忘れてパソコンの電源を切っている。税金を納める機能の付いたウンコ製造機のような生活をしている。

 もうなんだろうな、いっそのこと感情とか捨てたらどうだろう。もっとシステマチックに、出来る限りでいいので無駄を省いて生きてほしい我が身体ながら。この星の支配者の階級に産まれてこの醜態は生態系を侮辱している気すらしてくる。他のすべての生物に謝罪をしたい。ミミズだってオケラだってアメンボだって、皆さんあくせく生きてらっしゃるんだ、怠惰なわたくしですが今更友達面をしてもよろしいでしょうか、申し訳ございません

 とにかく探す→準備する→観るまでの手間が、なんかもう役所の手続きくらいめんどくさいのだ。面倒な工程全部すっ飛ばしてスマホ片手にピッとしてパッとやったらサッと観られればいいんだけど、例えお金を払っていたとしても、CDケースを開いてパソコンの電源を入れてDVDをドライブに挿入する、そこまでは頑張らねばならない。その最低限が頑張れない。力が出ない。顔と心が汚れているからかな?

 このままではダメだ、と一念発起して今日はDVDを観るぞ! エモーショナルにぶん殴られて死ぬぞ! と決死の覚悟を決めたところで、まずはライブDVD鑑賞のおともにと近所のコンビニでポテトチップスやジュースを買い込むも、帰ってきたころには何のために買ったか忘れており、結局何も考えることなくそれらを貪ってライブDVDに手を付けることなく寝てしまう。揶揄されるカウチポテト族ですらポテチを食べながらテレビを見るというご立派過ぎるマルチタスクをこなしているというのにも関わらず、俺はただ目的を見失ったままギトギトのポテチを部屋の壁を見ながら食べている。こんなもんカウチもクソもないただのポテト、イモ野郎である。そのうち身体中の毛穴から毒芽が出てくるに違いない。

 

 実際のライブや配信ライブ映像は、その日(まで)に観ないと観れないという分かりやすい制限がついているから、どれだけ移動や待ち時間や準備が億劫だろうと何だかんだ頑張れるのだが、一度買ってしまえば自分の好きなタイミングで観ることの出来るライブDVDというのは本当に扱いに困る代物で、時間がある時に観ればいいやみたいな考えでいるととうとう観るタイミングがない。多分上に挙げなかったもの以外にも、僕の記憶からすら抜け落ちて収納棚の奥底で泣いている未開封のライブ映像があったりするのだろう。泣きたいのは俺の方なんだが?

 まあ年がら年中積読に頭を抱えて「新刊が買えない~」とほざきながら、本屋に行くたびに何か仕入れている身分の僕が、音楽でもこういう悩みに行きつくのは当然と言えば当然の帰結に思えるが、こういうことを繰り返してるといずれ「気持ちの問題ではなく、単純に時間的な問題で購入したものを死ぬまでに嗜めない」という本末転倒な展開に陥ってしまいそうな気がする。人生の残り時間をどう使っても買ったものを消化できないのは流石に嫌だ。

 ジジイになった僕がよぼよぼの身体を軋らせながら、20代で買ったライブDVDを前にして嘆いている姿が見える。しんしんと雪の降るの夜、地方都市の古びたアパートの一室にて、若いころの怠惰を無情な瞳で消化している老後の自分が見える。もはやなぜ好きだったかも覚えていないカラフルなポップソングを鼓膜に擦り付けては、おぼろげな20代の面影を薄れゆく記憶をたどって追いかけても、事細かなことは霞の様に消えてしまう。自分はなぜこれが好きだったのか、何故これを買ったのか、なぜ買ったのに観なかったのか、自分はなぜあんな無駄な時間を過ごしたのか、そんなどうしようもない後悔の念に苛まれながら、衰え行く聴覚のために際限なく音量を上げた結果隣人トラブルに発展しいろいろあってアパートを追い出されることとなり、荷造りをしている最中に未視聴のライブDVDを詰め込んだ段ボールが脳天に落ちてあえなく死ぬ、そんな未来が見える。

 

 こうしてはいられない、栄えある未来のために今日こそ溜まりに溜まったライブDVDを観るのだ!! と、先日意気込んでこないだ買ったPatrick VegeeのライブDVDをドライブに挿入したのはいいものの、観ている途中でディスクの振動によってドライブがテーブルから落っこちてしまい、めちゃめちゃいいところで映像が途絶えて気持ちが過去一番と言っていいほど萎えて現在に至る。

 

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 いつか未視聴ライブDVDに埋もれて死ぬ。

 そんな未来が見える。本当に。