愛の座敷牢

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ライブ自粛が長いので、とてもつらい

 邦楽ロックは酸素! だとかNo Music No Life! だとか、そういう誇張極まりない妄言を放つつもりは毛頭無いが、こう自粛が続くとあり余るフラストレーションの矛先をどこに向ければいいか分からなくなってくる。今年最後にライブ行ったの2月の頭なんですよ。もうかれこれ5か月はライブに行ってないことを考えるとちょっと信じられない。

 何もかもにっくきコロナウイルス君のせいであるこの一連のイベント自粛の波は収まることを知らず、どころか東京を中心にまさかの再拡大の雰囲気すら匂わせている。重症者数がどうとか検査数の増加によるものとか、意見は人の数ありTwitterは今日も炎上しているが、ライブハウスの門扉が未だ固く閉ざされていることは間違いない。来年に延期されたオリンピックの開催すら危ぶまれている現在、ライブイベントの完全復活などまだまだ先の話だろう。憂鬱である。

 邦楽ロック趣味を確立してから今の今まで、これほどまでに供給が滞ったことは無い。僕の好きなアーティストはライブが延期や中止の憂き目に遭ってもライブ配信などといった形で音楽を届けてはくれるものの、やはり生のライブが恋しい。一度ナマの快感を知ってしまったら、もうゴム、もとい画面越しには戻れないんですよ。

 こういうドストレートな下ネタを突っ込むのもコロナ自粛による精神の摩耗のせいです、という華麗で安易な責任転嫁をしつつも、実際問題自粛期間が長すぎて、僕は自粛前はどうやって退屈をつぶしていたのかを忘れている節がある。ライブという非日常、に触れられないのが長すぎるが故の非日常。嫌すぎる。

 

 このままではつもりにつもった退屈に押しつぶされて死んでしまうわけだが、そもそもコロナに関してコメンテーターが朝のニュースで騒ぎ始めた今年の頭では、僕はわりと楽観的に考えていた。感染が本格的に拡大し始めて、2月に行く予定だった米津玄師のライブが延期になった時も、阿呆の申し子たる僕は事の大きさがあまり理解できておらず、むしろ世界が混乱しているさまに小学生のころ台風が上陸し休校になった時のあの高揚感みたいなものを感じて勝手にワクワクすらしていた。

 そんな僕だが、3月に行く予定だったライブが全滅したことでこれは本当にマズいのでは、と脂汗をかきはじめ、今年に入って一番楽しみにしていたユニゾンヒトリエの対バンが延期になってしまったことで完全にバグり、嘔吐し、失意の念に駆られながら異物を産みだし、ついにコロナ絶対殺す教の信者になってしまったわけだ。だれにも言ってないからここで告白するが、通販で藁人形と五寸釘を買いかけたのは初めてである。注文直前にコロナウイルスには髪の毛がないことに気付いて、人生初の丑の刻参り決行は未遂に終わったのだが。

 

 ライブ観戦の自粛が2か月続くと人は妄想でライブに行ってそのレポートを書くことが4月の僕によって証明されているわけだが、はたしてこれ以上続くとどうなってしまうのか。自粛から5か月が経過した現在僕の身で言えることは、「倦怠感がヤバい」である。

 ライブに行かないのであまりに日々の生活にメリハリがない。起きて仕事に行って帰ってYouTube見てTwitterやって寝て起きて仕事に行って、を繰り返すだけの機械と化している。そのYouTubeに関しても最近よく観ている動画がアーティストのMV以外は「よく知らんオジさんが堤防で釣りする動画」か「怪しい整体師がよく知らんオジさんの関節を鳴らす動画」か「よく知らんオジさんがDIYに挑戦する動画」な時点でわりと人として終わっている気がする。どこにも行けないのでとりあえず視覚だけでも異世界に行こうとしている様子はなんとなくうかがえるのだが、その「異世界」のレベルは格段に落ちている。まず「異世界」ですらない。バチバチに日本

 職場で見知ったジジイの面を観ながら業務をこなし、帰宅してTwitterを触りながら見知らぬジジイの面を拝む作業を繰り返している。諸行無常ここに極まれり、みたいな精神状態。日々のストレスで体内につのる毒素をデトックスする手段をライブ以外にろくに持ち合わせなかったゆえの弊害が、健全な25歳を敬虔なるジジイ・ウォッチャーの道へと引きずり込んでいる。

 そもそも釣りも整体もDIYも僕にとっては全くと言っていいほど関心の無いジャンルであり、時間を割いて試してみよう、という気概すら現状一切ない。ただ一生使う当てのない豆知識を披露しながら一喜一憂するジジイを眺めているだけである。精神状態としては動物園でロバなんかを眺めているときに近い。この世で一番無駄な時間を過ごしている気がする。ユニセフとかが僕の今の姿を見たら怒るんじゃないか、「あなたがアホ面晒してジジイを眺めているこの時間にも、アフリカでは恵まれない子供が亡くなっているんですよ?」とか言って。

 こうして使う当てのない無駄知識を蓄え、名前もろくに知らないジジイの趣味嗜好を無駄に理解しながら、湯水のようにプライベートな時間を消費している。心機一転、何か違うことに時間を費やそう、という気分にもならない。ただただジジイの顔を見ている。YouTubeに生息する日本全国のジジイを、ただ凪いだ心で片っ端から眺めている。

 

 これがライブ自粛5か月目の男の精神状態である。自分で書き起こしてげんなりしてしまった。いっそのこと資格取得の勉強とか、筋トレとか、そういう後々の自分のためになることに費やすべきでは? と思ってはみるものの、結局職場から戻ればジジイの顔を眺める日々が続いている。知らないジジイに依存している。この男性はもしかしたら知らぬ間に精神でも病んでいるのではないだろうか。

 YouTubeで知らないジジイの動画を観始めたときと比べて、明らかに1日の視聴時間が増えている今日この頃のことを考えると、この自粛状況があと1、2か月ほど続けば、計算上僕の1日の3分の1をジジイ・ウォッチングが占めることになる。1日の予定を示す円グラフの内訳、仕事・睡眠・ジジイ。もはや生きるためにジジイを観ているのではなく、ジジイを観るために生きている。深刻。取り柄が「YouTubeに生息するジジイに詳しい」だけの成人男性が爆誕してしまう。まさにジジイ・フリーク

 ジジイ・フリークはYouTubeにて収益を得ているジジイのことなら何でも知っている。釣り、整体、DIY、キャンプ、カードゲーム、雑談生放送、炎上芸エトセトラエトセトラ、貴方の今の気分に合わせて最適なイキのいいジジイを選んでくれる。ジジイ・フリークは生きるジジイ辞典であり名誉ジジイ博士でありあなたに寄り添うジジイ・アドバイザーである。

 退屈にあえぐ人を活発なジジイで助けてくれるジジイ・アドバイザーは知る人ぞ知る、という形で密かに人気を博していたが、次第に国民全体の関心を集めるようになる。国民が「ジジイ」という退屈を紛らす金脈に気付いたのだ。

 高齢男性特有のおおらかさ、カラッとして開けっ広げな立ち振る舞い、そこから微かに醸し出されるダンディズムと、全てを包み込むような柔和な雰囲気。自粛に次ぐ自粛、ギスギスする国際関係、日夜争いの続くSNS、終わらない責任問題に疲れ果てた国民が、この世で最後のサンクチュアリたるジジイにたどり着き、飛びつくのは必然だった。瞬く間にYouTubeの急上昇ランキングは素人高齢男性の映ったサムネイルで埋め尽くされ、今まで人気だった若手YouTuberは一気に凋落の時を迎えた。

 活性化するジジイ・コンテンツ。持て囃されるジジイ・カルチャー。ジジイ動画は伸びに伸び、チャンネル登録者数は破竹の勢いで上昇し、ジジイ・グッズは飛ぶように売れた。最初は固い脳みそに違わず懐疑的だった素人ジジイ共も一気に富裕層のスターダムを駆け上がる同年代のジジイを目の当たりにしたことで、2匹目のドジョウを狙わんと我先にYouTubeに手を染め、日本YouTuber界隈は劇的に高齢化が進んだ。この加齢臭立ち込めるジジイ・レボリューションを、後世のインターネットでは「ジジイ・カンブリア・エクスプロージョン」と呼ぶ。なお、この空前絶後のジジイ・ブームに乗っかるように「YouTu婆」というアバターを用いたおばあちゃんYouTuberが一瞬話題になったが、特に根付くこともなくすぐに国民の意識から消失した。おはぎと筑前煮と演歌で伸びるほどYouTubeは甘くなかった。

 その影の立役者となったジジイ・フリークも一躍時の人として名を馳せ、ジジイ・ブームの火付け役として各種メディアに引っ張りだことなった。テレビやラジオではジジイ・エキスパートとして昨今のジジイ・ブームについて言及し、新聞や雑誌にはジジイ・コラムを寄稿し、ジジイ文化を題材にした映画製作が決まればジジイ・アドバイザーとして監修を行う。まさに八面六臂の大活躍。人は彼のジジイに対する圧倒的な知識量と全身から醸し出されるカリスマ性を称え、敬意を表して彼をジジイ・マスターと呼んだ。

 

 

 眠らない街・東京の六本木ヒルズ屋上、両脇に傾国の美女を侍らせ、札束のプールの中でぶっとい葉巻を吹かすジジイ・マスターは、恵まれた現状に満足しながらもどこか虚しく、満たされない日々を過ごしていた。

 日本全土の60%の富を独占し、アメリカ大統領ともタメ口で話せる絶対的な権力を有した日本最高峰のジジイ・フリークたる彼は、おおよそ体験できるすべての贅沢を堪能しつくしたつもりだった。否、仮にもし堪能していない娯楽があったとしても、指を一つ鳴らせば世界各国どこの娯楽でも一瞬で手元に持ってこれるほどの絶大な権力とコネクションを、彼は有していた。

 その気になれば今この場でライオンと白熊をバトルさせることも、ジャニーズに鼻フックをさせることも出来るほどの金と権限を持っているにも関わらず、彼のこころはどこか満たされない。両脇の傾国が彼の頬に唇を寄せようとも、彼の心はどこか空虚を抱えている。まるで、ここに至るまでに大切なピースを一つ落としてしまったかのような……

 何が足りないのだろう。悲しいほどに満たされたこの世界で、何故まだこころは体験したことのない刺激を求めるのか。夢を見るのか。何を欲するのか。人間の欲求とはかくも根深いものなのか。ジジイ・マスターは口から紫煙をくゆらせながら、人間の業の深さ、欲深さを憂いていた。

 

 ふと、何かが彼の鼓膜を微かに揺らした。

 

 クラクションでも、都会の喧騒でも、札束が擦れる音でも、鈴虫の声でも金糸雀のような両脇の美女の声音でもない、どことなくざりっとした、硬質の音。夜風に乗ってどこからともなく聴こえてきたその音は、次第に輪郭を帯びて彼の鼓膜を震わせる。

 一定のリズムで鳴らされる打楽器の音、腹に響くような重低音、ソリッドで硬質、しかしどことなく懐かしい響きのする、件のざりっとした音色。ほんの微かに、誰かが歌っているような声も聞こえた。各々どこか歪で、無骨で、粗のある音。それらが混ざり合い、互いに調和し合い、一つの音楽を形成している。

「やれやれ、今時ロックですか」かれこれジジイ・マスターとは20数年の関係となるベテラン使用人が、グラスを拭きながらため息交じりに呟いた。

「ロック?」

「一昔前に流行っていた音楽形態ですよ。ギャンギャンやかましいギターと指の動きが気持ち悪いベースとズンズンうるさいドラムをバックに、別れた恋人とのセックスの思い出を歌うだけの、野蛮人の音楽です」

「へえ……どうして廃れたんだ?」

「致命傷となったのは10数年前のコロナショックです。世界的な感染症が原因で各地のイベントが自粛を余儀なくされ、稼ぎ口が無くなってそのほとんどが滅びました。ついでにそのロックバンドの演奏の場だったライブハウスも多くは度重なる自粛期間の延長によって資金難に陥って廃業し、そこを縄張りとしていたロックバンドは音楽発表の場を失い、バンドだけでなくロック・ミュージックそのものも急速に滅びていきました」

「自粛…………」

「所詮は後先考えないことを美学とし、猪よりも方向転換の利かない、頑固で不器用な人間が集まった界隈だったのでしょう。あんなものにお金を払うなんてどうかしていたんですよ当時の人間は。換気扇の音でも録音したCDを聴いている方がまだマシです。……それにしても本当に騒がしい音楽ですね、いっそ排除を検討……」

「………………」

「…………マスター? どうかしましたか?」

  首を傾げる使用人の声が自身の心臓の音に紛れ、とても遠く、遠く聴こえた。

 両脇に傅く美女二人の豊満な肢体をゆっくりと払いのけ、札束の海の上立ち上がるジジイ・マスター。その筋骨隆々としながらもどこかしなやかさすらも感じさせる、圧倒的に均整の取れた完璧な肉体が、東京を煌々と照らす満月によって露わになった。ほう、と漏れたため息は美女か、使用人のものか。ジジイ・マスターにはもはや何も聴こえていない。今聴こえているのは自身の「魂」の声だけだ。

 皮膚をめくり、肉を切り裂き、骨を砕いた神経のその最果ての階層、らせん状に連なる自身の設計図が、微かに、しかし確かにその音を覚えている。つむじから足のつま先まで張りつめた末梢神経が、急速な電気信号を送っている。つま先から脳へ、脳から心臓へ、心臓から全身の筋肉へ。常識を超えたインパルスの応答。

 

 肉体が叫んでいる。魂が求めている。音が、彼を、

 

「――――呼んでいる」

 

 微かに唇を震わせる程度の呟きは、札束の舞い上がる音に掻き消えた。

 突然の風圧に悲鳴を上げる美女と、思わず顔を両手で覆う使用人。三人が目を細めてかろうじて捉えた視界には、ひらひらと月下に舞い落ちる無数の紙幣と、もはや見飽きた眠らない街の夜の姿、そして上空238メートルから飛び降りる一糸まとわぬ完璧な肉体美。呆気に取られる三人をよそに、ジジイ・マスターは空を飛んだ。その目からは涙があふれていた。思い出したのだ、全てを。

 マッハ2を優に超える落下速度の中完璧な受け身にて無傷の着地に成功した全裸のジジイ・マスターは、その音の鳴る方向へ夜の港区を全速力で駆けだした。まもなく上がる甲高い悲鳴と不躾な笑い声、轟く怒声、投げつけられる空き缶。一斉に向けられるスマートフォン内臓のカメラ。まもなくジジイ・マスターの醜態はSNSで爆発的に拡散され、世界中の笑い者となり、彼はこの一夜にて築き上げた富も地位も名誉も、ジジイ・マスターの称号もすべて失うだろう。だが、彼にとってはもうどうでもいいことだった。

 

 かつての相次ぐ自粛によって奪われた原初の快楽、落としてしまったピースのひとかけらを彼はようやく手に、いや、耳にしたのだ。鼓膜を貫くソリッドな鋭角サウンド、心臓にまで響く重低音、ステージごと魂を揺らさんばかりの大迫力の轟音。そうだ、生のロックバンドのライブはこんなに素晴らしいものじゃないか。なぜ今まで俺は忘れていたのだ。何がジジイ・マスターだ。あんなつぼ型通り越して逆ピラミッドのお先真っ暗な界隈で、俺は一体何を偉そうに振舞っていたんだ。随分と、無駄な時間を過ごしてしまった。

 

 まもなくサイレンが鳴り響く。警官の怒号が東京の夜を揺らしている。だが彼の目には一点の曇りも、一縷の迷いもない。煌々と輝く満月が照らす不夜の街で、彼はその音だけを聴いている――――