愛の座敷牢

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Catcher in the spyに捧ぐ

 UNISON SQUARE GARDENというカッコイイバンドがいる。

 今年で結成15周年になる、東京・中野にて結成されたスリーピースロックバンド。年々外見が若返る帰国子女のイケメンハイテクギターボーカルと、偏屈・偏執・変態を兼ね備えた人間のふりをした変種フラワーロックンロールのベーシストと、手の本数が年々増えているため千手観音の親戚を噂されている本業イカのスーパードラマーが、何の因果か手を組んだ結果生まれてしまった奇蹟のようなロックバンドと僕が出会ったきっかけは、忘れもしない2014年のとある冬の日、YouTubeという魔境探索に勤しんでいた最中に、とある曲と出会ったことだった。

 

 

 

(これはショートバージョン 当時はフルが公開されてた)

 

 衝撃的だった。

 伸びやかなハイトーンボイス、の裏で容赦なくなり続けるエッジの効いた演奏、好き勝手気ままに暴れまわるメンバー、意図は分かるけど意味が分からないアヴァンギャルドなPV、の中で女性用下着を懐にしまい込む坊主頭、一昔前の雑誌の頭悪い広告欄にありがちな水晶を買った人が入る札束風呂に入る坊主頭、「OK,people one more time」……すべてが新しく、すべてが謎めいてて、すべてが暴力的なまでにカッコよかった。なんなんだこの人たちは、なんなんだこのバンドは、とすぐさまインターネットの海に飛び込んで情報をかき集めた。

 ぶっちゃけると「天国と地獄」を聴く前から、UNISON SQUARE GARDEN(以下便宜上「ユニゾン」とする)の名前は知っていたが、「タイバニの主題歌を歌っているバンド」程度の認識だった。当時、今ほど音楽に貪欲でなかった僕はなによりボカロに夢中になっており、かろうじて聞いていたバンドといえばラッドかワンオク程度だったように思える。平均的な当時の陰キャ高校生のラインナップ。カラオケはおろか、友人との些細な会話の中でも「ユニゾン」の単語が出てくることはなかった。

 もったいないことをしたなとも思うが、これもまあ必然だったのかなと今では思う。

 

 その後いろいろあって邦楽ロックという曖昧かつ広大かつ業と奥の深いジャンルに手を染めてしまい、とりあえず何も知らない知りたいものだらけ聴きたいものだらけ、自分の好きも何も確立できてない赤ちゃん時代にて、手当たり次第にいろんなバンドの紡ぐ音楽を乳房のように吸い漁っていたときに出会った無数のバンドのうちの一つに、ユニゾンはいた。ある種変哲もなにもない偶然のような必然の出会いを運命だと決めつけて、寒空の下、近所のレンタルショップにベビーカーに乗ったまま走った。

 その時手に取った1枚が、その後の僕の音楽人生を(たいそうなことを言っているが要は財布のひもが緩む方向性である)変えることになる、個人的大名盤の一つ

 

Catcher in the spy』である。

 

 僕という人間の好きな音楽の偏移、嗜好、移り変わりその他諸々、僕にまつわる音楽のすべてを語る際に絶対に外せない、何からどこからいつからどのように語ってもどこかで絡んでくる、本当に大事な1枚である。

 もし今、最悪に性根のねじ曲がった弁天から「お前は明日から生涯1枚のアルバムの曲しか聴けない身体になる」と言われたら、死ぬほど迷った挙句おそらく、このアルバムを選ぶと思う。それくらいに大事な1枚だし、このアルバムが聴けない人生を選ぶくらいなら聴覚なんて捨てたっていい。そう思えるくらい大事で大切で大好きな作品。なんか書いてて恥ずかしくなってきたな…… とにかく好きなんですよとても

 ちなみに、これは彼らの5thアルバムにあたる。当時最新のアルバムである。

 ということは当時彼らのアルバムは5枚あったわけだが、その中でこれを選んだ理由は至極単純で「『天国と地獄』が入っているから」である。結果的にこの選択は大正解だったわけだ。僕は過去にいろいろ現実でやらかし過ぎてて中高の同級生とか死んでも会いたくないしタイムマシンを手に入れたら真っ先にやりたいことは見学旅行中の自分を通潤橋から蹴落として殺すことだけど、ユニゾンを聴き始める際にこれを最初に選んだことだけは褒とめてあげたいと思う。これだけ。これだけだよ

 

 さておき、この記事の本題である。私はかねてからTwitterなどの形而上的空間に想いや糞便をまき散らすツールにて、このCatcher in the spyへの溢れんばかりの愛を徒然語ってきたつもりなのだが、こういうのは一度長々とでもまとまりがなくてもいいから思い切り愛を吐き出すべきものだと何となく思い至ったので、とりあえず書く。

 Catcher in the spyと出会ってそろそろ5年が経つわけで、この間に募った愛は未だ飽和しきってないけれど綴れるほどには貯まった自覚はある。誰から求められているかとか一切なければ金銭も発生しない、完全に自分のためだけの慈善行為かつ自己満足を、思う存分気が済むまで愛すべき一枚のアルバムに捧げようと思う。

  

 

【アルバムについて】

  

 本作Catcher in the spyは、現在7枚出ているユニゾンのオリジナルアルバムの中でも割と尖った構成となっている。主にロックな方向に。逆にポップに振り切ったのが4枚目のCIDER ROAD、というのがファンの間の見解となっている(まあCIDER ROADの中にもセレナーデが止まらないみたいな強めのロックチューンはあるけどあくまでおおよその話)

 

 ユニゾンは「邦楽ロックはこう」みたいな教科書どおりのスタイルを真摯に持ち前のストイックさで極め続けた結果、歳を重ねるにつれて磨き上げられまくったテクニックと、それに追随して指数関数的にレベルの上がる楽曲のクオリティを筋肉にして「邦楽なんてつまんねえ」とぼやいてる人たちを残らず教科書でなぎ倒してしまう実力を付けてしまったバンドだと、基本的には思っている。のだが、僕の知らない時代、知った時、その後も一筋縄では到底上手くいかない闇期や迷走期も一緒に乗り越えてきたおかげか、古き良きニッポンの地で、教科書通りのロックをやるバンドです、みたいな30㎝物差しでは測りきれないのだ。というかまず彼らが持ってる教科書が分厚過ぎる。辞書。ぼくらのゆとり教育が尻尾巻いて逃げる。

 

 アニメを軽快なポップチューンで彩ったかと思えば鬼のようにバキバキのギターロックを持ってきたり、ちょっととぼけたような歌詞と曲調で油断させておいてものすごくジャジー(言葉の意味が分からんけど多分セクシーとかの類語)な曲で殴ってきたり、やさしいバラードで懐の広さを見せた二秒後に思わずファンがズッコケるような振り切ったお遊び曲(無論とてもいい曲)を炸裂させてリスナーを煙に巻く。

 とにもかくにも手札が多く、しかもその手札の一枚一枚が強い。近年はさらに「歌詞の情報量」と「各々のソロ活動及びバンド外活動による経験値の蓄積」に加えて「ホーンだろうがストリングスだろうが変拍子だろうが面白いもの・使えそうなものはなんでも使ってみる」なチャレンジ精神も合わさり、ますます手が付けられない。スポーツマンシップに乗っ取った上で隙間を見つけて大暴れしている。人生が充実しすぎている34歳(執筆当時)のおじさんが三人集まると無敵のトライアングルが出来る

 

 そんなわけで、彼らのアルバムは基本的に曲が横並びにいろんな方向を向いていて、大きめのふり幅でいろんな表情を見せてくれるものが多いのだが、そんな中Catcher in the spyは珍しくソリッドなギターロックを中心にかなり攻め切った曲が揃っており、とりあえず威力の高い曲でぶん殴ってくるという、極めてオフェンシブかつ猪突猛進的な、潔いほどに割り切った構成となっている。強いカードばっかり握ってる人を前にして「どんな搦め手で攻めてくるのか」と身構えてたら、至極単純に強いカードで殴られて負けました、みたいなアルバム。超端的に言うと。

 ただもちろんそんな単純なことではなく、クール偏重、カッコよさ特化と思わせておいてその裏側でこれまた粋な工夫や技巧を凝らしているのがこのアルバム最大の特徴であり、「サイレンインザスパイ」や「シューゲイザースピーカー」「流れ星を撃ち落せ」のようなこのアルバムを象徴するバキバキのギターロックを中心に、「桜のあと (all quartets lead to the?)」のようなユニゾン節ばりばりのポップサウンド、「君が大人になってしまう前に」や「黄昏インザスパイ」といった優しく包み込むようなバラードまで揃えたかと思えば、必殺技の代名詞のような俺たちのライブアンセム「天国と地獄」が待ち受けている……といったように、とにかく山あり谷あり、波乱万丈と富士急ハイランドをそのまままとめてMP3に変換したかのような、脳髄と鼓膜と精神を揺さぶることに長けすぎたアルバムなのだ。

 とにかく初めて聴いたときの衝撃が半端じゃなかった。「なんだこれ、なんだこれ、すげえ……」と小便を漏らして白目向いてる間に一周終わってしまった。すぐにCDからスマホに音源を落として聴きまくった。ほんとうに聴きまくった。具体的に何回かなんて数えてないからわからないけど、親の声よりサイレンインザスパイ冒頭の幼女の笑い声を聴いている自信がある。

 前述の簡単な曲紹介のとおりCatcher in the spyにもたくさんの表情があり、大きめの懐とふり幅をもって僕らリスナーを迎えてくれる度量の広さは充分にある。あるのだが、優しさも楽しさも美しさも何もかもすべてまるっと仲良く不変不動の「カッコよさ」に包んでもたらされるため、とりあえず最初に出てくる感想が、いろいろ考えたうえで「なんか超カッコイイ」で収まる。それでもうメチャメチャデカくて頑丈なフックが出来て、それをとっかかりにリピートする。さらにドツボにハマる。これを繰り返していくことで1分間に60回「Catcher in the spyを義務教育にしろ」と呟く敬虔かつ迷惑なbotが出来るのだ。

 完全に私見で申し訳ないが、ユニゾンの中でもこのアルバムが一番好きという人たちは、おそらく初めて聴いた段階でドツボにハマって、聴きなおしてるうちに細々した魅力に少しずつ気付いてさらに深みにはまっていったパターンが多いと思うのだ。今現在僕の部屋の中で統計を取って見ても100%の人がそうだと答えるのだから信ぴょう性は高い。ユニゾンファンの中でもCatcher in the spy好きは偏食家が多そう。ファミレスとか行ってもいつも同じのばっかり食べてそう

 

 長々と書いたが要するに「初見時はカッコよさで殴ってくるけどよくよく聴けばいろんな感情・うまみに満ち溢れている聴きどころしかない必殺のアルバム」というわけです。全然関係ないけど、激辛党の人はよく「唐辛子には辛さの中に甘みがある」とかなんとかトチ狂ったこと言いながら、地獄のような色のラーメンを涼しい顔ですすってたりするじゃないですか。あんな感じだと思ってもらえればいい。Catcher in the spyは、甘い。

 そんな辛くて甘いアルバムを全12曲、もう名曲しかないので端折らず全部解説する。いいか、ここまでが前座だ、本文はここからだ、嫌になったのならもうここで引き返せ

 

 

【01.サイレンインザスパイ】

 

 書き始めてすぐ思った。もうほんとにすぐ思った。これが1曲目ってあまりにもずるくないか……?

 説明不要、このアルバムの方向性をバシッと決める一曲。このアルバムのシンボルと言っても過言ではない。わずか2分半のプレイタイムでリスナーの聴覚を根こそぎ奪い去る役目を負わされ見事それを完遂した稀代の天才スパイによる異次元のロックアンセムである。

 幼女によるタイトルコールから始まって「デーン」と鳴るギター、まるで地獄からせり上がってきたかのようなリズム隊の演奏は斉藤宏介の「ゴマーイメーッ」の合図により大爆発する。どういう手の動きをしているのかライブ映像を見てもよくわからないあの「テレレテレレテレ」みたいなあのメインリフ、好きすぎてたまにそれ自体を口ずさんだりしてる

「hey ララララーラーラー」の部分、ユニゾン好きなファンと一緒にカラオケでシンガロンしたら楽しいんだろうな、って200,000,000回くらい考えたけど未だ実現出来てないしこれからもその予定はおそらく一切ないので僕は人生をどこで間違えたんだろうと今パソコンの前で頭を抱えている。そんなことはさておき始めて聴いたときはこのシンガロン部分がサビだと思った、直後の、これまたピリッと辛いドラムから入る本命の

 

「正攻法担った現象 栄光をはらんだ幻想」

 

 の部分のメロディ、この音源が公開されている時代に生まれてきてよかったって何兆回思えばいいのか分からないんですけど、ともかくあまりにも良すぎてもうダメなんですよ、意味わからなくないですか? あまりにもかっこよすぎません? かっこいいって言葉はCatcher in the spyとサイレンインザスパイのサビを褒めたたえるためにとある流離の言語学者が作った言葉という説、明日も支持するのでよろしく

 爆裂の申し子のようなサビが過ぎ去った後の件のギター、何世紀先で聴いてもよだれを垂らして喜ぶ自信があるし、何より全編通して声が良すぎる。やろうと思えばとんでもないクオリティ・ブレなさの綺麗なハイトーンで歌える声帯を持った斉藤さんだけど、こういうバキバキのロック曲では本当に楽しそうに、がなるように歌う。超いいよね……オタクはギャップに弱い生き物なのでサイレンインザスパイ聴くたびにメロウなため息を漏らしてしまう オタクのメロウなため息ってめちゃくちゃ気持ち悪いな……

 歌詞もいい。このバンドのブレインである田淵智也はもう本当に音楽という概念が死ぬほど好きな男であり、本当に好きな音楽をすべて血肉に、糧にしてそこに立っていることを彼の作った曲を聴くたびに思い知らされるのだが、そんな彼の紡ぐ歌詞もとにかく良さ、なにより「らしさ」が詰まってる。隠しきれない語彙とルーツの分からない言葉選びのセンス。メロディを崩さないように歌詞は乗せているらしいが、それ故に敬体が唐突にまじったり多少無茶に言葉を省いたりというのがわりと起こりがちで、それが不思議と心地いい「違和感」となって中毒性を増強させているような気さえする。田淵節ともいうべきか。意図的ではないと思うけども。

「水晶とか乗っけて楽しそうですけど」なんかのパンチの効いた皮肉も、「そういっても拙者もフリークでござる」の何でもありな感じも、とにかくすべてぶっ飛んでいるけどそれでも曲を壊さず「カッコいい」できちんとまとまっている。ありえないバランス感覚。ほれぼれする。

 音作りも歌詞回しも怒涛の展開もとにかく何もかもエッジと胡椒が効いている。効きすぎている。ド頭一発目からお前のホイールを全速力で回しにかかってくる、その容赦のなさ。その容赦のなさを高めて高めてバチッとカッコよく終わったとこから間髪入れずこれまたカッコイイギターイントロから始まる核弾頭により

 

 

【02.シューゲイザースピーカー】

 

 はい号泣。サイレンインザスパイからのこの曲へのつなぎ、なんで特許取ってないのか分からないくらいに発明。

 こんな「お前の好きなものを全部乗っけてみました」みたいな曲がこの世に存在していいのだろうか。うなるギター、うねるベース、轟くドラム、落ちるところは落とし上げるところは上げるメリハリの効いた歌メロ、気持ちと内臓が爆発して大変なことになるサビ、そして歌詞、歌詞、なにより歌詞。「どんなヒットソングでも 救えない命があること いい加減気付いてよ ねえ だから 音楽は今日も息をするのだろう」の部分ほんと白眉。白眉中の白眉。全体的に攻撃力が高すぎて死滅しそうになる。

 歌詞に関しては全体的にかなり回りくどく書いてるけど、要は「周りを気にせず好きな音楽を好きなように聴け」という風なことを語る歌なのだろう。偏屈による偏屈のための偏屈を貫く歌である。どんな応援歌より胸に来る。

 僕はこの曲のぶっ刺さりポイントが多すぎる歌詞の中でも、何より「あなたのバランスなんて聞いてない」の部分が最高に好き。2曲目にしてここまで突っぱねるようなことを書いてしまえる胆力と意志の強さもそうだけど、特に「聞いてない」って言い方いい。「訊いてない」じゃなくて「聞いてない」。尋ねてない、じゃなくて聞こえてない。

 ユニゾンのライブで序盤に毎回言われる「自由に楽しんでいってください」の本意は「勝手にするから勝手にどうぞ」であり、別に君らが何しようと知ったこっちゃないの意思表示だというのはファンの間では周知の事実だが、そこにリンクしている気がするのだ。君がどうあれ、何を重視して何を大事にしているのであれそんなもん「聞いてない」よ、と。ファンとの温度感を大事にしてくれるバンドはいいバンド。

 とにかく展開も歌詞も音造りも最高過ぎる。初めてこのアルバムを通して聴いた時に、一番好きになった曲がこれだった。今でも大好き。

 この曲とサイレンインザスパイの時点で、このアルバムの方向性をリスナーが大体掴み始める。こういうバチバチでボコボコの、強めの演奏とロックテイストな曲調で鼓膜を掻っ切りにくるアルバムなんだな、と思わせられる。間違っては無い、というか合っている。合っているが、ユニゾンがそんなたった2曲程度で分かりやすく予想通りの展開を提示してくるバンドかと思ったら

 

 

【03.桜のあと (all quartets lead to the?)】

 

 

 大間違いなんだなこれが。

 ユニゾンファンにとってのカレーでありピザでありラーメンでありフライドチキン。ライブで演奏されれば間違いなくぶち上がるバンドを代表するキラーチューンの一つであり、アルバム内屈指のポップソングである。

 とにもかくにも個性と曲中からあふれ出る360度みんな幸せビームが強すぎて、ライブ中のシンガロン嫌いオタクも気が付いたら口から「all quartets lead to the say らーららっらーらっらっらー」が口から洩れている。本能が感情すらも抑えて口元の筋肉を自在に動かすという摩訶不思議な現象が起こる。人間の可能性に迫る一曲である

 ギターとベースとドラムとボーカル以外の音が(多分)鳴ってない純然たる四重奏のはずなのに、どこからこの多幸感は生まれてるんだろう。シンプルなはずなのに奥が深い、一番出汁みたいな音楽(こんな例えしか出てこなくて申し訳ない)。本当に音という音が全てみずみずしく輝いてる。キラキラしてる。のに、僕みたいな卑屈の権化みたいなリスナーでもその輝きに拒否感を覚えず聴くことが出来るのは間違いなく歌詞の組み立て方の賜物なんだろうなと。

 

「愛が世界救うだなんて 僕は信じてないけどね」

 

 こんな、世の中に蔓延る友情や愛や絆を歌った曲ににこやかに「否」を叩きつけるような一言で救われてしまうような、そんな普通には理解しがたいねじれた自意識を持った人間が、ユニゾンファンには本当にたくさんいるのだろうな、とライブに行くたびに思うんだよな まあ僕はそういう感動とか熱情とか胸からほとばしる熱いパトスとかをねっとりと交わせるようなそういう「熱」な友達なんて一人もいないからこれは単なる妄想なんだけども 多分間違ってないと思うよ

 ともあれ1曲目、2曲目でアルバムの方向性をバチッと決めたように見せかけて3曲目で平常運転に舵を切り、リスナーを持ち前の多彩な曲芸で揺さぶりに揺さぶるのだ。さあ次は何だ。4曲目でまた鋭利なロックを決めるのか、それともより強いポップチューンをかき鳴らすのか、はたまたバラードでいくのか、ワクワクと不安と期待が綯い交ぜになった心拍を抱えて僕らは神経をとがらせ張りつめている僕らを田淵智也はしてやったりな顔で見ている――――

 

 

【04.蒙昧termination】

 

 そして炸裂するCatcher in the spy屈指の問題児、蒙昧terminationの時間である。次はどうくるかのアンサーは至極明快、逆方向に振り切るだけ。桜のあとのポップの残り香を掻き消すように鳴り響く低め重めのギターから始まるちょっと大人な雰囲気のナンバー。必聴も必聴、これまた会心の一発である。

 この曲はとにかく斎藤宏介の声が他の曲に比べて3割増しでワルくてイイ。彼はもとからロックナンバーを歌う時とバラードを歌う時とでその声の印象をガラリと変えてくる多彩なボーカリストだけど、蒙昧terminationの時の彼の声はほんと、今でも異質。他のどの曲にも当てはまらない異様な妖艶を醸し出しやがる。1番Aメロ終わりの「隠したって無駄だって知っている」直後の吐き捨てるような「ハッ」や、「順を追って錆びる様がin your eyes」の妙にとぼけた雰囲気も極めてベネなのは間違いないがユニゾンファンは大体「れ、れ、れ、れ、れれれれギタァ」の最高にカッコイイ述べ口上のあとにいそいそと自分でギターソロを弾く斎藤宏介に殺されている。主に週に一回くらいの頻度で。

 だがこの程度ではアルバム屈指の問題児なんて形容詞は付けない。これで終わるんならこの曲はただの田淵智也主催による三分強の「ドキッ! 斎藤宏介くんカッコイイ祭り!」でしかない。この曲を単なる民間のお祭りで終わらせない最大のエッセンスはやっぱり歌詞にある。さっきから歌詞の話しかしてない気がするな……(音楽に関する専門的知識が皆無)

 僕も君もおそらく「田淵に言っといて」の部分、聴くだけでにやけちゃうくらい好きなのはもう重々承知なので割愛していいかな、と思ったけどちょっとだけ触れるとこの歌詞をハイと渡されたとき斎藤さんどんな気持ちだったんだろうな。めちゃ気になる。

 蒙昧terminationの歌詞は他よりも結構やりたい放題やってるので読んでいてとても面白い。単に「捨てる」ってことを「焼却炉」って書いたり「呆気にとられる」って慣用句を「とるぜ呆気に」って書いて主語を無理やりこっちに移したりととにかくルールがない。毒づき、煽り、皮肉みたいなエッセンスも多少なりとも感じるけど、そんな意味深もポップにどこかとっつきやすくまとめているのはこれもセンスだろうなと。「斜めに刺せるカウンターがちらほら 来るぞlike a ビショップでもっとやれ」とかインターナショナル過ぎて羽ばたきすら感じる

 余談だけどこれビーサイドの聴き比べ版のスタジオライブ音源もめちゃいいよね……いい……原曲よりボーカルが多少気だるげになってるのがまたたまらないんですよ……これは…………これ以上書くとCatcher in the spyくんから浮気とみなされそう

 

 

【05.君が大人になってしまう前に】

 

 Catcher in the spyのふり幅を広げるやさしいバラード曲。シューゲイザースピーカーとか後述する天国と地獄とか一聴目で心を根こそぎ持っていかれた曲ではなくて、じわじわと長めの期間を経てドツボにハマっていった曲である。例えるなら自分という名前の立体パズルがあったとして、その個体のどこか1ピースが何かの拍子にぱちんと欠けてしまった時に、そこかどんなピースでも埋め合わせてくれるような曲だと思っている。正直に言えばCatcher in the spyの中でも地味な立ち位置の曲という印象はあるけど、この曲がこの位置にこの歌詞であってくれないとCatcher in the spyは成立しない。ほんとに。

 

 背丈が伸びるたびに世界への目線や物の考え方が変わっていくように、違う思想に触れるたびに自分の中の常識を少しずつ修正していくように、自分というものは日々刻々と移り変わる世界の中で常に見つめなおし続け、他人の目から見れば無駄としか思えないような逡巡を繰り返して価値観を新たに構築して、いずれ放り出される厳しい社会に向けて研磨していくもの、なんて漠然と思っている節がある。けど、いつかふとその自分と向き合うが故に発生する悩みが、ふっと薄れたり消えてなくなったり瞬間が来るのかな、なんて考えてしまう。

 要は「他人は他人で自分は自分だ」ということを感覚で何となく理解できるようになって、変わらないものは変わらないし変えられないと、潔いまでの諦念をもって、自分の地盤というか、性格の背骨の部分をある時期で無理やり固めてしまうような、そういう瞬間。これがもしかすると本当の意味での自己の確立で、20歳を超えるとかそういう身体的な面ではなく、本当の「大人になる」ってことなのかなと、すごく漠然と思ったりするんですよ。

 僕は「人間とは、男と女とは、日本とはこういうもんだ」と神でもないのに分かり切った気になって他人に説教したり、何もかも自分基準の物差しで全部測定出来ると思ってて出来ないものは全部常識外れのまがいもの、みたいな考えをして、自分を中心に世界が回ってると思い込んでる天動説気取りの年寄りがものすごく嫌いなんですけど、いつか僕もその幼生を経てそういう年寄りとなって腫物のように扱われる羽目になるのかな、ってわりと本気でびくびくしてたりするんですよ。この曲はそういう目に見えない曖昧な不安を、ちょっとだけ柔らかくしてくれる曲なんですよ。自己肯定の曲。

 この曲を「素敵だ」と思えるまではまだ、僕はきちんと自分以外の人やもののために悩むことが出来る人間でいられるのかな、と思う。悩んでる僕を後ろからそっと見ててくれる曲。背中を押したり励ましたりはしないけど、ただ間違ってないとみててくれる曲だと考えている。

「これが好き、これは嫌い、もうこれは変わらない」と言い切ってしまって、とげとげしいまでに排他的になる前に、この曲が、このアルバムが、心の深いとこに刺さってくれてよかったなあと、有難い気持ちでいっぱいになる。まだ僕は面白いものが探せるのだ。焦ってくれてありがとう。

 

 それはそれとして、まじで学校の卒業式に歌う歌として一考の余地があると思うんですけど……やはりCatcher in the spyは義務教育……

 

 

 

【06.メカトル時空探検隊】

 

 ヒャッホー!(テンションが上がる音)

 ここからのジェットストリームアタック顔負けの三連星にてみんな死ぬ しんみりした後はかっ飛ばさないと始まらないんですよ というわけで待たせたな、Catcher in the spyぶち上がりタイムの時間だ(頭痛が痛い的な)

 その一番手はメカトル時空探検隊。かなり突飛で難解な歌詞が特徴だけどCatcher in the spy大卒でありCatcher in the spyの権威と呼ばれて久しい僕はこの曲に込められた意味が分かる。これは、外国の歌です。理由はアメリカって書いてあるから(小学生以下の感想)

 冗談はさておき、別にこれは歌詞についての考察をする記事でもないので別に無理に考察しなくたっていいんだけど、強いていうならなんだろうな、機材車というか、ライブツアー道中、全国行脚のことでもちょっと匂わせてんのかなって。インディーズ賛歌みたいなの感じない? デイライ協奏楽団との関係まで考えてたらそれだけでブログが終わるからしない。ていうかサビの「正論過ぎるパラドクス」とかいう矛盾のかたまりみたいな一文で考察なんて全てを投げ出して良い気すらする。

 すかっと抜けるようなバンドサウンドと各所のパーティめいたコーラスがとても良い。めちゃめちゃ楽しそう。地味に間奏がすごく好きなんだよな。ギターソロ後の三人で示し合わせてリズム刻んでる光景がありありと脳裏に浮かぶ。「セレナーデが止まらない」の間奏とか僕めちゃくちゃ好きなので……

「本能にはとっくに覚悟がある」って言葉、艱難辛苦を乗り越えまくってきたバンドの頭脳が紡いだ言葉だって思うとすごく心に来るものがある。あつい。

 

 

【07.流れ星を撃ち落せ】

 

Q.Catcher in the spyとはどんなアルバムですか?

A.(流れ星に撃ち落せのイントロを聴いて)こういうアルバムです!!!!!

 来世生まれ直すときに、産声をこの曲のイントロにしたいと思ってる

 Catcher in the spy学の権威でありCatcher in the spyの敬虔なる犬であり信者である僕はもう5年も前にはこの「流れ星を撃ち落せ」のイントロを聴くと全身からいろんな汁を噴き出しながら服従ポーズをキメるように躾けられているのだけど、このアルバムと言ったらこの曲みたいな側面もうむちゃくちゃあるんですよ。サイレンインザスパイの時に「このアルバムのシンボル曲」みたいなことを言ってたけどこれもだよ。アルバム屈指のロックンロール。さっきから屈指屈指と屈指の曲が多すぎる。僕には何本指があるんだ

 4カウントから間髪入れずに耳をぶっ刺しにやってくる星を撃ち落す勢いのギター。前作で月を穿ち落した次は星ですよ。星。光年、もとい距離が違う分軽やかさを捨てて威力偏重にしている。威力高くないと届かないからね、大正解です。

 蒙昧terminationとかシューゲイザースピーカーよりもサウンド的にはだいぶ重くずっしりと、もっとハードに振り切った感じに仕上がってるけど、声の気色が気持ち軽めになっているから、結果的にとっつきやすさが同じくらいに仕上がっている。少しトーンと言葉の発音が軽いよね。でも所々で入ってくる巻き舌やら「あーあ」の地声やらでゆさぶりを掛けられるのほんとずるい。自分の強みと良さが分かってるが故の遊び心と曲芸が心憎い……

 歌詞もいいけど何よりこの曲はサウンドです。Catcher in the spyという熱きアルバムの真ん中に添えられて、僕らの滾る熱情を聴くたびにどかーんと点火してくれる後半折り返しの着火剤にして、エンジンを緩めることを許さない鬼教官みたいな曲。メカトルが「hey!」でスカッと終わる分、この曲ド頭の4カウントがより際立つようにできてるのも、本当にアルバムの流れみたいなのを大事にしてるんだなと感じて余計にこのアルバムが好きになる。そしてこの曲のアウトロからほとんどまもなく快活なドラムが入り……

 

 

 【08.何かが変わりそう】

 

 あーーーーーーーーッ!!!!! 優勝!!!!!

 こんなんもうドラムの入りの時点で祝杯じゃないですか……なんですか、まだこの先怒涛が待っているんですか? それは本当に怒涛なんですか? そうですか……

 Catcher in the spyという強打者ぞろいで死ぬほどくせの強いアルバムの中で、正統派のロックという点で一際妙な異彩を放っている曲。しかもその精度がバチバチに高いために見劣りもしてない。アルバム後半、流れ星を撃ち落せにてエンジンが最高に温まった状態から繰り出される「何かが変わりそう」、これを聴くために生きていたのかな……みたいな気持ちに聴くたびになってしまうね(さっきもなった)

 流れ星を撃ち落した後に流れる星に「何かが変わりそうな夜だ」とそっと呟くのはサイコパスか何かとしか思えないんだけど(違う星という可能性は十分にあるが)それすらもどうでもよくなるくらいに端麗で壮大な風景が浮かぶ。ドラムの入りから入ってギター、ボーカル、ベースの順で音が厚くなり、本命のイントロリフの始まりと同時にぐっと世界に対する視界が広がる音造りがマブシイ。

 タイトルに違わず、とにかく「広がり」「開放感」のような、束縛を嫌い自由を求める形のないパワーを感じさせるポイントが随所にある。Bメロやサビに切り替わるところでぐっと音が厚くなるのも、窓を開け話した後に銀河を鉄道が走るのも、閉塞感を脱却するキーワードのように思える。何もなくても踏み出したくなるね、夜の公園とか。こんなに明るい曲調なのに夜が似合う曲ってのもいいなと。

 というか、桜のあとが入っているアルバムで「忘れてく 忘れてくよ」が入ってるの意図的なのかな……意図的だったら天才だし偶然だったら運命だよな、何でもこじつけてしまえ

 

「何かが変わりそう」の世界が実際に変わった後が幸か不幸かなんて分からないけど(少なくとも歌詞だけ読むと結構不穏)、次の曲があの曲であるのはやさしさというか、愛しか感じないよなと胸が熱くなってしまう。

 

 【09.harmonized finale

 

 もし僕が死因を選んでこの世を去れるのであればこの曲に溺れて死にたいと思う。死亡報告書にはharmonized finaleに対する度重なる耽溺による溺死って書いてほしいな。

 

 曲ごとに可視化されるパラメータのようなものがあるとすれば、この曲はマジで「うつくしさ」の項目が図抜けている。イントロのピアノからもうすでに、アルバムの中でも異質であり絶妙な存在感を放っているのがわかるね。流石シングルと言わんばかりの柔らかな、でも確かなカリスマ性に痺れる。

 僕は後述する三曲のことを考えると、Catcher in the spyというアルバムの終着点はとりあえずここで、この曲の後ろの曲たちはアンコール的なものだと思っている節がある。でもこの曲が「終わりが"近づいて"るのも 分かるよ」と言っている以上、この曲は絶対に最後にはなり得ないんだよな~こんなにfinaleにふさわしい曲なのにな~

 タイバニの映画を僕は観てないので(見る予定は今んとこない)この曲、もといこの曲の歌詞が映画とどんな素敵なリンクをしたのか分からないけども、どうせ田淵智也のことだから所狭しとニヤリポイントや涙ポイントを仕込んでいるものだと思うよ、どうせそうなんだろ

 

「君が大人になってしまう前に」とセットで考えると、どっちも時の流れを主軸のテーマにしている香りがする分リンクする部分が多くてすごくグッとくるんだよな。田淵智也はいつもとびきりセンチメンタルに物事を描写するし、時に直視できないくらいにポップでキャワイイ詩も書くけど、それと同じくらいシビアに物事をみてるし、それをさほど隠さずストレートに出してくるから(回りくどくしたりと濁しはするけど)、時折打ち込まれる重ためのジャブに打ち抜かれたりすることがある。「並行中の問題に悩んでみたり 偽善者を気取っては心を痛めたり 人間なんて皆目はそんなもんだろう」とか、こんな美しいメロディに乗せる詩じゃないのにあえて乗せてくるその手加減の無さが愛おしい。一番アルバムで浮世離れというか、ファンタジーが似合うサウンドなのに、強めに現実を書いてるよなーとこのブログを書きながらふと思った。

 

 2サビが終わった後の花が咲くような間奏にほれぼれする。主体だったピアノが裏に行くのがまた絶妙。鼓膜が喜ぶ音がする。バンドは無骨で荒々しくあるべき、みたいな価値観が根強かったせいもあって、僕は割と最近までバンドにピアノもといキーボードが入ることをあまり好ましく思ってなかったんだけど、harmonized finaleのような曲をたくさん聴いて、凝り固まりかけていた価値観を少しずつ溶かして、ピアノだろうがホーンだろうが電子音だろうが何だろうがどれも使い方でバンドサウンドを高次元のものに昇華できることを学んだ。そう考えるとこの曲は、僕の食指が届く先をグッと広げてくれた曲でもあるんだよな。感謝しかない。

  

 

【10.天国と地獄】

 

 好きすぎて上手く語れないが許してほしい。

 

 僕はこの曲を聴いてなかったらこの記事を書いてないし、Twitterのアカウントも作ってないし、年間5,000円を払ってファンクラブの恩恵を受け取ってもないし、7月に往復5万払って大阪舞洲にも行ってないわけで。つまるところすべての始まりの曲なんですよ、もうこれを聴いた前と後で世界の見え方というのは540度変わってしまったわけで。音楽への執着も、ライブの見方考え方に関するこだわりも、財布のひもが緩む方向性も、後々に試していき好きになっていく音楽たちも、深夜自販機前で身体の澱を掻きだすように吸い込む酸素の味も何もかもこの曲が無ければなかったし、何も変わらなかったわけで。この曲を耳にした以前と以後で世界があまりにも違いすぎる。カンブリア爆発さながら。隕石級の衝撃。

 

 後から思い返した時に、あの日あの瞬間人生が変わったなって思う瞬間って、実際字面ほどたいそうなものでもなく割とそこらに転がってて、例えばいつもと違う帰り道を使ったとか、例えば表紙とタイトルに惹かれて本を買ってみたとか、例えば自炊をしてみようと思い立ったとか、そういうふとした、本当に何気ないきっかけが線路を切り替える分岐器のように働いて未来は変わっていくわけで。そういうのを後から思い返して「そういえば」と、さも大事そうにその時の思い出を語るのだろう。僕が今必死で書き綴ってることも、僕とこの曲の出会いも、傍から見れば本当に些細なことだと思うし、実際そうだと思う。YouTubeの再生欄に出てきただけだしな。

  でもそんな些細な出会いが熱を産んで熱を呼んで、結果的に僕という人間を構築しなおしてしまったのもまた事実であるわけで。僕のこの曲に対する思いは一際強い。なにもかも好きすぎる。間違いなくユニゾンの曲の中で一番聴いてる曲です。

 

 語りたいところを全部語っているとそれだけで腱鞘炎になりそうなので適度に省くが、とにもかくにも威力が高い。歌詞もサウンドもボーカルも。持っているパワーをすべて攻撃に振り切って殴ってくる。「Who is normal in this show?」から最後まで須らくカッコイイ。カッコ悪いとこがない。投げつけられるフレッシュトマト君もカッコイイ。

「想定外の謎は起きる」のとこといい、Bメロといい、いちいちギターがめちゃくちゃカッコいいんだよな……ライブ中はマジでフロント二人の手元ばっかり凝視してる僕だけど、天国と地獄に関しては固定カメラでもなんでもいいから手元をリアルタイムでずっと見せてほしい……「余りある 殿方に おまかせ」の「おまかせ」の部分で裏の演奏がピタッと止まるのも最高にセクシー。歌い方は相当熱が入ってるのに演奏が重たくも小気味よくテンポを刻んでくれるから、サウンドに反してとっつきやすさがすごいんだよな。

 

 そして何よりも「OK,people one more time」ですよ。これ思いついたの田淵智也なのかな……「OK,people one more time?」って言ってラスサビぶっぱなす斎藤君かっこいいな、とか思って入れたのかな、その判断間違ってないよ……菅田将暉すらも虜にする一節、最高

 そしてライブ版はさ、「デーデーデーデーデーデーデーデー」みたいなオリジナルのイントロというかセッションから入るんだけどそれもまたカッコいいんだ……なんなら僕はこのセッションから斎藤さんの「天国と地獄!」を合図に演奏になだれ込む数秒間のためにライブ版の音源やDVDを繰り返し見てるのかもしれない……

 メインリフのギターの裏でドカドカ乱打しまくるタカヲスズキのボッコボコドラムとか、「ご回答召しませ」の語尾の伸ばし方とか、イントロのギターをかき鳴らす斎藤さん、に殴りかかるようにして左右の横幅目一杯に振り切る田淵智也とか、ライブならさらに見どころ聴きどころ満載のまさにライブの番人のような立ち位置の曲。音源も果てしなくカッコいいのにライブ版でもう一段階化けるからずるい。

 

 こんなもん盛り上がりは個々で最後だろ、これ以上なんてどう考えても蛇足だぞ、とか初めて聴いた僕はもう汗だくになりながら残り二曲を睨みつけていたんだけど、まあ彼らの実力を知らないが故の猜疑心なんてすぐに爆裂四散するわけで。

 Catcher in the spyの骨頂はharmonized finaleもしくは天国と地獄だとして、じゃあ真骨頂は何? というお話になった時に僕らの聴覚をぶち抜いてくるボーカルイントロが

 

 

【11.instant EGOIST】

 

 これなんだよな~罪の匂いしかしねえ 反則

 ユニゾンファンとそれ以外で温度差がある曲はたくさんあると思うんだけど、この曲は間違いなくそのうちの一曲、というかその中でもトップクラスにファンから支持されれてる曲だと思う。ファンはみんなこの曲が好き(主語が大きい)。舞洲でやった時の「ですよねーやるよねー!!」感が半端なかった。

 ご機嫌な楽器隊、前曲とは一転ポップに振り切ったサウンド。この曲のギターが好きな人、等身大の地球のギターも好きでしょう、ああいうギターを聴くと無条件に体が踊りだすでしょう。わかる。フラワーロックンロールの血液が身体中を駆け巡ってる。

「退屈な 街で生きてくルールブックは」の裏で鳴ってるギター、わうわうしててすごく好き。全体的にとってもダンサブル。四つ打ち主体のご機嫌なドラムも、ちょこちょこ挟まれるクラップ音もいい感じにお祭り感出してて、音に合わせて揺れるだけでストレスが泥のように溶けるよな……セラピストはみんなこの曲をテーマソングにすればいいと思うの

  ライブでは「foo!」の部分とか間奏での田淵の狂ったようなステップとか叫びとか見どころが多くていい、とてもいい。23:25とのつながりは割とすぐに気づきはしたけど歌詞の方面でどっかリンクしてるか? って言われるとそれはどうなんだろうね。

 

 これも遊び心仕掛け満載でどこから切っても幸せしか見えない金太郎飴みたいな曲だけど、歌詞自体もこのアルバムの中で一番好きで。Catcher in the spyの中で一番泣ける詩の曲は何? って問われたら確実にこれを推す。こんなぶっきらぼうでやさしさに溢れた詩、好きにならないわけがない。協調でも、共感でも、肯定でもない、ただの「許容」の詩。等身大の自分をそのまま受け入れてもらえるのは尊いことね。

 僕はユニゾンの曲の中で好きな歌詞なんてそれこそ曲ごとにある自信すらあるけども、その中でもinstant EGOISTの歌詞が、僕はユニゾンの、ひいては田淵智也の今まで紡いできた歌詞の中で一番好きなのだ。もうどこを切りとっても良いが、特に「せいぜい明日もがんばって!」に僕は随分救われた。押し付けがましさのない励ましほど安心して心の支えにしていいものもない。裏切られないことが分かっているから。

 どこもかしこも甘すぎない幸福感に満ちてて泣きたくなってしまう。これを、ひいてはCatcher in the spyを聴いてる間だけは世界から認められている気がする。あれ僕とCatcher in the spyの関係はなんだ、ホストと貢ぐ女か?

 僕はユニゾンを好きになった時期に関して「もっと早くはまっとけばよかった」みたいな後悔は特段ないんですけど、10周年記念のDUGOUT ACCIDENT付属の、Catcher in the spy tourのライブ映像を見たときは流石にちょっと後悔したね……でもいいんだいいんだ、舞洲で聴けたからいいんだ

 

 

【12.黄昏インザスパイ】

 

 舞洲で、聴けたから、いいんだ……(滂沱)

 何度でも何度でもいうよ、天国と地獄→instant EGOIST→この曲の流れ、人類史に残る構成。エモーショナルが総動員で僕を殺しにかかる。もっと世間はこの曲順を褒めたたえるべき。圧倒的”””賛”””の構成であることはもう明確

 ぶっとび駆け抜け心の芯も体の先も震わせる嵐のごときこのアルバムのラストを飾るにふさわしい、満を持して放たれる会心のバラード。見えない夕景が眩しくて世界が霞んで見えてしまう。嵐の後の雲一つない茜空のように五臓六腑に染み渡る澄み切った演奏の良さ、花丸じゃ足りない。

 この曲のこともいくらでも語れるんだけどまずは何といっても曲初めのドラムですよ。あの一発からどーんと始まることによって、なんというか、坂道を登り切った直後に、一番高いその場所の景色を橙が埋める錯覚すら覚えるんだよな……。ワンカウントのドラムで曲が始まるの考えたの鈴木貴雄だとしたら僕はもうこれは生涯称賛したいんだけどさ、ほんとに口座を教えてほしい……「その発想に用があるで賞」と題して細やかながらポケットマネーを進呈したい 美味しいものでもたべてほしい

 そしてさ、ボーカルが入ってそのあと1サビ終わりの「車にひかれちゃう」の前まではギター一本なわけでさ、歌詞の「今日がつらいから~」のあたりの、歌詞を向けられた相手のどことなく感じる現状のナイーブさも相まって、一度開けた景色がまた少し翳りを帯びるのも心憎いんだよな……そう簡単に光が心を満たしたらこの世に応援歌なんていらないんですよ。ここはそっと肩を貸してくれるやさしさに溢れてる。ダメだな、聴きながら書いてるとほんとに泣きたくなってきた

 

 マスターボリュームとかでも出てくる「健忘症」っていうのは知識や技術的なことではなく、出来事ととかエピソードの方を忘れてしまうことらしいんだけど、まあ年を取っていくとその健忘と隣り合わせの毎日を送ってんだよなって思うんですよ。年々一年が早くなって、やったこと試したことが新鮮味を帯びなくなって、仕事は覚えれるのに何気ない会話を覚えてない。昨日食べた晩御飯のことも、観ようとしていた映画のことも、寝て起きて働くサイクルの狭間に置き忘れて時間に持ち去られてしまう。

 何かそういう、短期記憶に振り分けられて確認もなく「不必要」と切り捨てられる記憶の中に大事なものがあったとしても気付けない切なさみたいなものを、いろいろ考えてはいつもこぼしてしまう。特に最近は。世界のスピードについて行こうと躍起になってる自分に大事なことってきっと一回立ち止まることだってのは分かるんだけど、止まれないんだよな、焦ってしまってな。そんな自分に「車にひかれちゃう」と教えてくれるのは優しいよ、本当に優しい。

 話がガラッと変わるけど、昔深夜に車を運転してる途中に滅茶苦茶な勢いでフロントガラスが水浸しになって、うわこりゃすごい雨だな大変だな、早く帰ろうとアクセルを強めに踏み込んで、車通りの少ない国道をひとりぶーんと突っ走ったことがある(危険なのでやめましょう)。アクセルを踏み込むたびに雨の勢いは強まって、おいおいこれはとんでもない豪雨だぞ大丈夫か、と河川の心配をしたりしてたんだけど、赤信号で止まった瞬間に雨の勢いがガクンと落ちた。なんだったんだ、と思ったけど、僕が車をぶっとばしてたが故に結果的に雨の勢いも強くなったように感じたのかな、とか考えた。

 頑張らないと至れない境地があるように、立ち止まらないと気付けないことがあるのかな、なんてその時はぼんやりと考えたりしたんだけど、なんてことはない、僕が免許を取るころにはすでに、ユニゾンは同じことを語ってくれていたわけだ。生きてる中で気付いた些細なこと、感じたささやかなこと、そういうものの中に大事なことがたくさん紛れ込んでるって、頭の中では少しは分かってるつもりだけど全部は拾えないんだよな……そういうことに後からでも気付かさせてくれる詩だと思う。

 

 そしてここからリズム隊が加わってまた違う景色を見せてくれるんだけど、ここで「地位や名誉だって手に入れたいんだよ」と語るの、最初おっ? と思うけど、そのあとの「聞いてほしい声がある 届いてほしい人もいる」で意図がふんわり分かるのいいよね。ロックバンドがいくら素晴らしかろうとそれなりの地位と知名度が無ければ届くべき人に届かないもんね。カッコ悪くなんてない。

 言語化しにくい感覚をその独特な言語センスで僕らの目から鱗を落とすことに長けてる田淵智也だけど、この曲はそれが本当に顕著。その中でも特に「震えだしちゃって 動けなくなった 言葉に出来ない現実感情」の部分、あまりにすごいとしか言えない。得も言われぬほどに美しいものをその目で見た時の、どうしようもなさで動けなくなってしまうあの感じの表現として極めて秀逸。ユニゾンのライブ見た時もだいたいそんな気持ちになるよな

 走れって語ってくれる曲は巷にあふれてるけど、一回立ち止まってみようぜって言ってくれる曲はそんなにない気がする。酸素が足りないこの世界で、うまく呼吸する方法を教えてくれる。いい曲だよねほんとね、掛け値なしにね。

 僕はこの曲を辛かった時期の依り代にし過ぎたせいで、この曲を聴くとそのつらかった時期を思い出してまともに浸れなくなるから、Catcher in the spyを通して聴く際もinstant EGOISTで切り上げてしまうことがままある。げに憎きは前職。でもそういう僕の感情も全部ひっくるめて奮い立たせてくれるのが「どうせ君のことだから」なんだよな。あの一言で死なない程度に頑張る活力は湧いてくる。

 さんざん語ったけどこの曲はもう、シンプルに大好きです。

 

 

 きっと僕なんかが頑張って語るよりも音楽理論とかそういうのをきちんと学んだ人が書いた文章の方が、もっと突っ込んだことも書けるだろうし、音楽的にどうすごいのかをもっと端的に分かりやすく羅列出来たりすると思う。僕の愛は理論的からかけ離れてるしどっちかと言えば紹介と言うより鳴き声に近い気すらする。でもそんな鳴き声しか発せない僕でも、ここまで文字を連ねてでも語りたいと思えるほどの魅力が、このアルバムにはあることが分かっていただければ幸いである。

 好きなアルバムなんていくらでもあるし、何なら今年も去年もいろんなアーティストが満を持して出した自信作を、やれ「神作」「傑作」だと毎日のように騒いでいた記憶しかない。おそらく来年もそうだ。けどこれから先も、このアルバムほどに聴き込む作品はそうそう現れないと思うし、このアルバム以上の衝撃をもたらされたとして、それを享受する元気がその時の僕にあるかもわからない。現状、僕の心はこの曲が占めてる割合が圧倒的にデカい。

 

 何度でもいう。Catcher in the spyは、いいぞ。

 

 

 最後にちょっとだけ真面目な話をさせてほしい。

 

 恥多くもこの世に生誕して20数年、趣味にお金をつぎ込む生き方をしていて何となくわかったことがある。物事のハマり方にはいろんな角度や方向からのアクションやアプローチがあって、そのとっかかり次第ではハマれるものがハマれなかった、ハマるはずのないものにハマってしまったりするのだ。これを研究するのがたぶんマーケティングとかなんとか言われるもので、今はそれがYouTubeのおすすめとかそういう、レコメンド機能の方向で進化しているのだと思う。

 日々移り変わる精神状態と価値観、体感0.数秒でジェットコースターのようにころっとかわる周囲の環境、それによって変わる自身の求めているものの変化。多種多様な娯楽に溢れた現代で生きる僕らはいつも新たな刺激に飢えながら、その無数の娯楽からいつも本当に欲しいものに近いものをつかみ取って、その細やかな刺激を享受し依り代にあるいは呼吸器にし、「これが自分の求めていたものだ」と担ぎ上げて、必要のない起伏にだけ富んだ現代を這っている。そうしていつしか新しい刺激を探すことも忘れて、鈍化した感覚のまま昔好きだったものだけを摂取し続けるようになるのだろう。

「ハマった」という、僕もだけど現代人がほとんど毎日使っているかもしれないこの汎用性のかたまりみたいな言葉は、本当はものすごくハードルの高いものなのかもしれない。白と黒どっちかで決めろと言われがちなこの狭量な世界において、その白と黒の間にある無限に限りなく等しいたくさんの色の中から自分の好きな色をチョイスして、それとばっちりかみ合うものを無数の娯楽の中から探し出していく、そんな果てのない旅こそが自身の嗜好と向き合うことで、「ハマる」という言葉は、その自分が選んだ色に、寸分の狂いもなくばっちりかみ合うものを見つけたときにだけ、はじめて使えるものなのかもしれない。そうでなければ使ってはいけない言葉なのかもしれない。

 そう考えると本当に、自分が今「好きだ!」って言い張ってるものは本当に好きなのかと悩んでしまうし、自分はそれを「好き」と言っていいのか、「好き」って伝えていいのか、僕なんかよりもっとその色を求めている人がいるのに、と迷ってしまう。そうやって悩んで、あれ、僕は何が好きなんだっけ、と自分に疑問を抱いてしまう瞬間が来る。Catcher in the spyはそんな無駄な、でも趣味を求め続けるうえで大切な、切っても切り離せない禅問答に陥ってもがいている僕を助けてくれる1枚なのだ。

 恥の多い今までの人生の中で、2014年のあの日、あの夜、あの瞬間、退屈をまぎらわすためにディスプレイ前にぼんやり座って何かを求めていた僕の聴覚をぶち抜いて、僕が何気なく、なんとなく、されど何かしらの確信をもって選んだいくつかの自分の色の一つをしっかりとつかみ取って、僕の聴くべき音楽の背骨を、指針を作り上げてくれた1枚なのだ。泣きたくなるほどに素敵なもので溢れすぎてる世の中に溺れてしまいそうになる僕を助けてくれる命綱なのだ。

 Catcher in the spyがあれば、僕はどこへだって行ける。邦楽だろうが洋楽だろうが何だって聴ける。なんでも試せる。迷ったら帰ってこれるから。何が好きだったかを見つめなおせるから。そうして僕は少しずつ自分の食指を伸ばして、広げて、もっともっとたくさんの素敵なものを自分の血肉に変えて、いつしか見えない地平の先に立ってずっと向こうを見据えてどこまでも行く。そこで今の自分では到底思い至らない趣味に行きつくかもしれない。今までのすべてをひっくり返されるような体験をするかもしれない。それでもCatcher in the spyはずっとずっと、僕の背骨であり続ける。

 

 UNISON SQUARE GARDENというカッコイイバンドがいる。

 気が抜けるほど剽軽で、掴みどころがなくてどこか謎めいていて、しかし真摯でとてもストイックな3人が集まった、奇蹟のようなロックバンドだ。今年も、おそらく来年もその先も、好き勝手に僕らの街までやってきて、好き勝手にこっちを振り回して、好き勝手に僕らの街から去っていく。そんな彼らから、そしてそんな彼らの生み出した最高のアルバムから、せいぜい明日も頑張って! と投げやりな言葉を受け取って、彼らから物好きと称される僕は今日を、おそらく明日も生きている。

 

 Catcher in the spyに捧ぐ。

 出会ったあの日からこの5年でもう数えきれないくらい通して聴いたし、君を追いかけるよ 多分死ぬまで、って言えるくらいには愛を注いできた自信も流石に付いた。それでもまだ多分掘り下げ足りない部分があるのだろう。これからも何度も何度も聴いて、その度に依り代に、希望に、生きがいに、その時々の自分によっていろんな形に変えながら支えてもらうのだと思う。勝手にするからこれからも、いつでもどこでも容赦なくその最高さで鼓膜をぶち抜いてほしい。

 

 いつもありがとう、これからもよろしく