愛の座敷牢

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『恋する惑星』とかいうよく分からないチャラい曲と向きあった日々【Ninth Pencil】

 

 

 

 

 

【4/2】

 最高のスペースシャトルの行先がこんな記事で悪かったな

 

 

 

 

 

 

 

 Ninth Peel 1周年記念非公式企画“Ninth Pencil”2日目、序盤も序盤だが関係あるかこの野郎

 曲決めルーレットに大敗したオジサンの腹いせ・ノンフィクション・激こゆ・特大ボリューム・毒(ドキュ)メンタリーを食らえ

 無論皿まで、とは言いませんが、お付き合い頂けるところまでは、よろしく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  遡ることだいたい1か月ちょっと前のこと

 

 

【2/10】

 今回の(というかこういう企画はほとんど毎回だが)主催であるナツさんから、今回の企画であるNinth Pencilの発表が為される。

 今年は我らがCatcher In The Spyの企画もやると公言しているのにも関わらず、これである。いくら奴らの20周年だからと言ってあまりに気合が入り過ぎてはいないだろうか。バイタリティが服着て歩いてるとしか思えない

 この時は「以前記憶が正しければ、Catcher In The Spyの方に誘ってもらえるとかなんか言ってたし今回はパスでいいかな~」などと思っていた、思っていたのだが……

 

 

 

【2/12】

 

 なにがまかセロリだよ いい加減にしろ

 一時のノリで参加表明したことをここから1か月ちょっと後悔することになるというのに、なんだこの思い切りの良さは。脳みそがヘリウムで出来ているとしか思えない

 

 

 

【2/15】

 ここで一つ、参加者ではない読者の方のために、今回の企画"Ninth Pencil"の概要について、ナツさんのツイートから引用させて頂く。

 

 

 目玉となる今回の企画の特色だが、担当する楽曲が希望性ではなく、抽選で決まることにある。つまりロックなUNISON SQUARE GARDENが好きな人がバラードについて書くことになったり、その逆が起こったり、常日頃「上司の机にウンコしたい」みたいなことしか呟いていないようなカニが茶化すのを非常に躊躇われるような曲について書くことになったりとか、そういう化学反応、もとい交通事故が起こる、いや起こりかねないおそろしい企画である。考えた人は前世でデスゲームの主催をしていたとしか思えない。

 参加表明をしてしまったものはもう仕方がないので、現実逃避の一環として、とりあえずどの曲が無難かを考えることにした。

 

 

★【当たり】ロック調軍団の方々

・ミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂ

・カオスが極まる

・Nihil Pip Viper

・アンチ・トレンディ・クラブ

 

 個人的な当たり枠。

 というものの、曲そのものが誤魔化しが効くくらいには元気なので、最悪当日までに何のネタも浮かばなくても、ノリとパッションでゴリ押せばそれっぽくなる気がしている。

 本当にどうにもならないならそれはそれで、自分に限って言えば以前MODE MOOD MODE の企画にて書かせて頂いた、MIDNIGHT JUNGLEの記事の天丼でもやれば(記事としてのクオリティはどうあれ)おそらく丸く収めることは可能なので、他の楽曲と比べればぶっちゃけイージー。もしもの時のために、そういう分かりやすい逃げ道を一つ用意することが出来ることもあって、記事の大枠やプロットの組立に割く思考のリソースがその分減るのは素直にありがたい。

 

 

★【頑張ればなんとか】オシャレ担当組

・City peel

・Numbness like a ginger

 

 一見無謀にも思えるが、他と比べればまだどうにか出来そうな2曲。

 確かにこの有無を言わせないオシャレ半角アルファベットの並びには一瞬怯みそうにはなるものの、逆に僕がオシャレから程遠い存在なので、それを自虐するネタで記事を9割埋めることが出来れば、実質的に曲を語る部分は140字くらいで済む。我ながらド最低な手法だが、これが一番楽なのだから仕方あるまい。

 来客に出すカルピスと、自分とタイプが違いすぎて語りにくい曲への語りは極限まで薄めろ――――これが当ブログ、愛の座敷牢での執筆における必須テク・自虐水割り論法である

 

 

★【まあ……】王道を行く三銃士

スペースシャトル・ララバイ

・kaleido proud fiesta

・フレーズボトル・バイバイ

 

 考えるだけで荷が重いので出来れば引きたくはないものの、引いたら引いたでまだどうにかは出来そうではある3曲。どの曲も現UNISON SQUARE GARDENニュートラルな部分を体現するマスターピースという印象。

 はっきりいって自分の性には合わないし、変に茶化すようなネタも組み込みづらいので、おふざけ方面に舵を切るのが難しいことは明確にしんどい。が、それはおそらく読み手側の感覚も大体同じなので、期間内にそれっぽいことを書いてまとめあげることさえ出来れば、他の参加者の方が自分では見当も付かなかったIQの高い解釈をしてくださることで、どうにか丸く治ってくれそうな感じはする。些か他人任せが過ぎる気がしないでもないのは気のせい、ではない

 上の二枠とは異なって誤魔化し、という名の飛び道具が効きづらいのでそこは難しいが、まだやれそう。ただどう足掻いてもとてつもない難産と格闘することになるのは着手する前から目に見えているし、混ぜられるおふざけの濃度も限界がありそうなので、出来ることなら避けたい。

 

 

★【☠】勘弁してください

もう君に会えない

 

 流石にキツい。

 歌詞が歌詞なので、これのことを詳細に語るくらいなら体調不良を理由に辞退するのが真面目に選択肢に上がるレベル。ネタがあるとかないとかそういう次元ではない。嫌。 

 ぶっちゃけこの曲の存在を考慮する脳があったら、参加表明すらしてないと思う。というか参加表明してからこの曲の担当を引いた時のことを考えて「終わった……」となった。それくらいキツい。曲決め当日も「この曲だけは当たりたくない」と願っていた。ハリー・ポッターを未だにちゃんと読んだことはないが、スリザリンは嫌だってこんな気持ちだったんだろうな、きっと

 ここまで散々言っているものの、楽曲単体としてはこのアルバムの中でも1,2を争うレベルで気に入っている。だからこそ、余計に難しい

 

 雑だが、各曲についての印象はこんな感じ。

 元気でカッコいい曲の担当になれたら多少は楽だな〜と、漠然と考え始める

 

 

 

【2/18】

 曲決め当日。

 参加表明をした後から、何度か通してNinth Peelを聴き返し、なんだこれ良いアルバムだな〜とあまりに遅すぎる再認識をしながら、いくつかの楽曲でなんとなく記事の筋書きが浮かぶ。

 ロック調な方々の担当になれますように、とささやかな願いを胸に、この日の夜に行われた主催の曲決めスペースをリアルタイムで拝聴する。

 しかし改めて思うけど主催声いいよな ルーレットの才能は皆無だけど……

 企画参加を表明している他の方と一緒にもくりという作業通話アプリを使って、主催のスペースの実況をしていたのだが、本当に色んな意味で阿鼻叫喚だった。

 そんなスペースにて、わたくしに割り振られた楽曲は

 

 

主催「2曲目、恋する惑星は樒さんになりました(笑)」

 

 

 ??

 

 

 恋する、惑星…………?

 

 

 どちらさまでしたっけ……

 いやちょっと存じ上げないですね……スペースシャトル・ララバイの次の曲……? どうしようもなく生きてみたくなったフェーズを通り過ぎたら、速攻で制御不能になるのが俺たちの知っているNinth Peelでは? 

 流石にこれは冗談だとしても、真面目な話初めてアルバムを通して聴いた時に、一番印象に残らなかったというか、微塵も琴線に触れなかった楽曲がこれである。どれくらい関心が湧かなかったかというと、MVすら観てなかったレベル。この際正直に白状しますが、今回の企画がきっかけで初めてMVを観ました。

恋する惑星 君はユニバース」という、どう考えてもそんなわけないサビの歌詞と、Ninth Peel tourのセットリストでは非常に良い位置にいたこと、それくらいしか印象がない。噂によるとこのアルバムのリード曲らしいが、本当に信じられない。少し個性的な居酒屋の謎のお通しとか、ポジション的にはそんなもんじゃないの?

 とはいえ当日は後程あれほど苦労するなんてことはつゆ知らず、無邪気に「俺がuniverse……」などと呟いていた。アホである

 

 

 

【2/19】 

 一夜明けて冷静になってから事の重大さを思い知り、頭を抱える。

 この頃から「何やねんこの曲」が口癖になる

 

 

 

【2/21】

 決まってしまったものは仕方がない、と腹を括り、改めてこの『恋する惑星』と向き合う覚悟を決める。改めてなんだね、このハッピーセットなイントロは あんたをそんな子に育てた覚えはありません もっと殺伐としなさい と、心の中のオカン・オルタナティブがアラフォーの御三方に説教をしている

 そういえばMVを通して観たことなかったな、と思ってMVを観ることにする。

 なんか途中でムゲンダイナが出てきそうなシーン有るのおもろいね

 曲の雰囲気としては『君の瞳に恋してない』あたりと近しいものを感じるが、あちらがMODE MOOD MODEという大傑作アルバムの大トリを飾る大団円のようなポジションなのに対し、こちらは2曲目、序盤も序盤である。その割にスケールがデカ過ぎる。某cher In The Spyだったらまだ足元確認をしているころだというのに。

 こういう、アルバム全体の雰囲気を定義しかねない位置に置くには少し勇気のいるタイプの曲だと思うのだが、どうだろうか。そうでもないのだろうか。like coffeeのおまじない、君の瞳に恋してない、春が来てぼくらを経た彼らからすれば、こういった楽曲も「ロックバンドは、楽しい」の範疇に入るのだろうか。入るんだろうな。

 しかしまあ、世界はファンシーとか天国と地獄とか、あの辺のあからさまにどうしようもない系とはまた違った系統でツッコミどころの多いMVだなと。大体何で開幕から回転ステージの上で演奏してるんだよ。中華料理屋か?

 それと、どう見ても太陽ではなさそうな天体の周りを、土星っぽい星が回ってるのも違和感がすごい。あまりに相容れないこの曲の歌詞は、もしかすると違う惑星系での話なのかもしれない。あと途中で観葉植物が唐突に中央に鎮座するのもジワジワくる。めちゃくちゃ居心地が悪そう。「エッ、俺すか?」みたいに思ってそう。

 これから1か月近く、自分がこの曲と向き合い続けることが信じられない。どうにか頭を回し続けるしかない。コマのように、惑星のように、バレリーナのように、因果のように――――

 

 

【2/22】

 昨日からあまりにこの曲と自分が仲良くなれるビジョンが浮かばず、もう「この曲を理解しようとしたこの期間のことを日記っぽく書いて終わるか」と思い始める。そうです、今皆さんが読んでいるこの記事は、そういうことです

 この担当が決まってから毎日この『恋する惑星』を聴いているが、毎日聴いているだけで一向に好感度が上がる気配がない。そもそも近年はオルタナティブロック大好きおじさんに傾倒しつつあるこのわたくしと、このハッピーハッピーハーッピー♪なイントロから開幕するLOVE♡惑星では文字通り住む世界が違う。違い過ぎる。おそらくだが日常的に使用する言語から違う。ヒロインがアラビア語でしか喋らないギャルゲ―でもやってる気分 مهلا، أنا لا أحبك بشكل خاص.

 どこを切ってもどう聴いても、どうしようもなくおじさんもといオタクに厳し過ぎる気がしてならない。もう俺には『恋する惑星』が『オタクに優しいギャル』の対義語としか思えない。 何が『恋する惑星』だよ、贅沢な名前だね本当に お前のことを今日から『現実』と呼びたい。お前は、ただの現実

 鮮烈な『スペースシャトル・ララバイ』直後に突きつけられる『現実』、そして炸裂する『ミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂ』 これが俺の求める真の、新時代のNinth Peel、言うなればNinth Peel next

 何の話?

 

 

 

【2/24】

 Q.UNISON SQUARE GARDENのオリジナルアルバムで一番好きなアルバムはCatcher In The Spyですね?

 A.そうです

 

 僕は、UNISON SQUARE GARDENという存在にはその瞬間のスリーピースバンドの限界地点を超えた、完全無欠のロックンロールを求めている。逆に言えば、それ以外をあまり求めていない。何の変哲もない希望を歌っても別に構わないが、それはそれとして最高にカッコいいギターと、すっげえ動くべ―スと、世界ごと叩き壊すようなドラムは、余すことなくちゃんと添えてほしい。

 何が言いたいのかと言うと、この『恋する惑星』という曲は、僕がUNISON SQUARE GARDENに特に求めていない成分をそこら中から集めて煮詰めて抽出して、致死量の甘味料とゼラチンを入れて冷やし固めたような曲なのだ。こういう曲に真正面から向き合おうと奮闘しても、仲良く出来るわけがない。 当たり前の話

 何回も言うがなんだこのド頭のご機嫌なホーンバリバリのイントロはよ。日曜日のお昼に放送してるバラエティ情報番組のオープニングBGMくらいだぞこんなん使うの。明らかにライブキッズより、茶の間で寝転がりながらせんべいを食って尻を掻いているマダムに向けた音のチョイスな気がしてならない。

「君はユニバース」とかいう、どう考えてもそんなわけないワードチョイスも、テレビの向こう側のマダムへの口説き文句と思えば筋が通る。そう思えば、及川光博あたりがカバーするのはちょっと面白いかもしれない やってくれミッチー

 

 

 

【2/25】

 毎年2月25日は、愛の座敷牢ぷちコラムの日

 

 独断と偏見・Nintn Peelにおける個人的な各曲の印象

 

 スペースシャトル・ララバイ⇒シンプルに善人。同期との飲み会では率先してサラダを取り分けたり、さりげなく全員に話題を振って会話を盛り上げてくれる。端正な顔立ちで、足が速い。

 ミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂ⇒一見無口で不愛想だが、話してみるとよく笑うしノリも良く面白い。ワイルドな見かけに反してやたらと語彙力が高く、ツッコミのワードチョイスにそこはかとない知性を感じることも。趣味は筋トレと映画鑑賞。

 カオスが極まる⇒鉄分補給と称していつもナイフをペロペロ舐めている、街で噂の危ない奴。話せば分かるが話さないと何も分からない。一人っ子。靴紐を結ぶのが苦手。

 City peel⇒都市部在住の営業マン。オフィス街から少し離れた良い感じのバーでマイナーなカクテルを嗜んだり、スタバのプリペイドカードを有していたり、Androidユーザーを内心見下したりしている。少し前にコーヒーミルを買ったが、おそらくすでにほこり被っている。有名私大出身だが、指定校推薦での入学であることはそれとなく隠してそう。

 Nihil Pip Viper⇒一見快活で人当たりはいいが、本性は腹黒く意外と根に持つタイプ。他人に彼のことを尋ねる意味で誰に似てる? と訊くと、高確率で糸目関西弁キャラの名前を挙げられる。毎回物事に対してメリット・デメリットを一旦考えはするものの、その結論はノリで決めがち。

 Numbness like a ginger⇒メガネが似合う。非常に似合う。メガネを外すとメガネ側が本体扱いされる、という友人間でのお決まりの流れには内心うんざりしている。電車の中で足を開いて座席に座っている男を見かけるたびに、Xにて日本の将来を憂うポストをする。梅干しが好き。

 もう君に会えない⇒寂寞。斑雪。晩夏光。ペトリコール。踏切の向こう側。色褪せた飛行機雲の写真。テトラポットの隙間から見える海面。静まり返った図書館でシャープペンシルを落とした時のあの感覚。SNSによってパターン化された情緒にカモフラージュされた慟哭。

 アンチ・トレンディ・クラブ⇒南米からやってきた助っ人外国人。持ち前のパワーで特大のホームランを量産する。内角低めの変化球に弱い。

 kaleido proud fiesta顔も性格も良い人気者だがパーソナルスペースが広く、必要以上に距離感の近い相手には内心神経をすり減らしている。人生生きてさえいればどうにかなるとは思っているが、どうにかなるだけだとも思っている。ふるさと納税と積み立てNISAをちゃんとやっている。老後のことを考えて眠れなくなりがち。

 フレーズボトル・バイバイせっかち。カップ麺にお湯を入れてから3分の待ち時間が苦手。物事は計画的に進めたいタイプではあるが、計画にアクシデントが起こってもリカバリーが早い。睡眠時間は短いが眠りが深い。興味のない話への相槌が下手。

 

 恋する惑星⇒疎遠になりかけていた友達が、久々に会った際に連れてくる他人。よく自分を陰キャだと自称するが、その度に場が微妙な雰囲気になる。飲食店の店員にタメ口を使うが、最低限の気遣いは出来る。カラオケでは85点くらいのドライフラワー/優里を歌う。俺が歌ってる時はおそらくスマホを触ってる。米津玄師と須田景凪と神山羊を横に並べた時、誰が誰だか区別が出来ない。LINEのプロフィール写真が自分の幼少期の写真。

 

 

 

【2/26】

 恋する惑星を聴きながら踊っていたら自室の本棚に足をぶつけて悶絶する。

 なんやねんこの曲

 

 

 

【2/27】

 

 

 

【2/28】

 職場にて、業務時間の殆どを恋する惑星のことを考える時間に費やしている。仕事だと? 仕事なんてやってる場合かバカたれ、さっさとこの曲との決着を付けないと、わたくしのApple Musicにおける今年の年間再生数ランキングが大変なことになるのだ。その年にリリースされた殺伐としたオルタナ名曲がずらずらと並ぶ中に、明らかに足並みを揃えようとしない、協調性の欠片もない曲が鎮座することになる。美しくない

 寝ても覚めても家でも外出先でも、この曲を理解しようとして再生ボタンを押すたびに鼓膜を揺らす「ウーウーウー!アーイヤイヤー!」で、今にも頭がおかしくなりそうである。今は移動中や部屋の中で何かしているときくらいしか聴いてはいないものの、このまま自分の生活にこの曲が侵食していくと、そのうち日常の些事すべてに紐付く気がしてならない。

 食事の時も風呂の時も、トイレの時も寝る時も、病める時も健やかなるときも、その全てにちらつくウーウーウー!アーイヤイヤー! そのうち恋する惑星を聴いている時間が自分のニュートラルで、この曲を聴いていない時間が異常、という、傍から見れば常軌を逸したような状態と化す。自分の人生は恋する惑星を聴くためにあり、仕事やその他の遊びは恋する惑星を摂取するためにこなす”ノルマ”となるのだ 

 大げさ? 馬鹿言うなお前 Catcher In The Spyも通ってないのか

 

 

【3/3】

 そろそろ真面目に恋する惑星と向き合うか……と思いながらも、一向にパソコンに向かわない、向かえない自分に驚く。パソコンを起動する、ただそれだけの動作なのに、信じられないほど煩わしい。身体がこの曲を拒否しているとしか思えない。逆麻薬

 通勤時間中にこの曲を延々とループさせていると、自分というものが崩壊していくような錯覚にすら陥る。決して好きなタイプの曲ではないのにだんだんクセになっている自分がもう、分からない。今日はついに車を運転しながらイントロで横揺れしていた。どうでもいいけど、もしこれで事故ったらなんて説明するんだろうな 星が回る理由を考えてましたとでも言うか? バカか?

 とはいえうだうだといつまでも嘆いていても仕方がない、ということで今日は音楽ナタリーのNinth Peelリリース時のインタビューを読んだ。

natalie.mu

 改めてこの曲がリード曲、ということに慄く。家族でも人質に取られていたとしか思えない。

 当方音楽の知識が浅いため、ここで語られている「5管」が分からなかったのだが、どうやら単純にホーンセクションの人数らしい。5管なので、そのまま5人での演奏。実際にアルバム付属の歌詞カードの末尾、各曲のAdditional Munsicianの箇所にも、恋する惑星(M2)についてキーボードを除いた担当者5人の名前が記載されている。トランペットが2人、トロンボーンが1人、アルトサックスが1人、テナーサックスが1人らしい。こう聴くと頭から尻尾までお祭り感のある伴奏に納得はする。

 田淵氏の「こんなキュートな曲書いちゃっていいの?」というくらいポップな曲にしたい、という命題、コンセプトに関しては、これ以上の無い模範解答だとは思う。これがもし、声優とかVtuberに提供されていたら良くも悪くも何も思わなかったんだろうけど、彼らのオリジナルアルバムのリードという扱いが未だにしっくりこない。

 あとこれは本当にどうでもいいんだけど、このインタビューの斎藤氏、ちょっとだけヨビノリたくみに似てる気がする

 

 

 

【3/4】

 リアルの仕事が忙し過ぎてこんなハッピーな曲に構っている暇がない

 自分にとってこの曲は、テンションが高いときに聴くとものすごく気分が上がるが、反対に自分の精神が終了しているときに聴くとただの煽りにしか聴こえないという、気分に掛け算をするような曲だということに最近気が付いた。どうりで日常生活の殆どを鬱々として過ごしている僕とは相性が悪いはずである。楽曲へのアプローチの仕方を初手から致命的に間違えている。もっと言うなら人選が不適すぎる。

 残業を重ねに重ねた這う這うの体で気分転換にと少しだけスプラトゥーンをやって、これ以上ないほどにぼろ負けした後に聴いたこの曲は世界一ムカつく曲だった。マジで。

 自分の為にも、そしてこの曲を正しく愛する為にも、日ごろからアゲアゲを心がけるべきだと思いました。もしかして恋する惑星、ある意味では人生の教科書なのかもしれない 。ねえよバカ

 

 

 

【3/6】

 レジ―さんという、Twitterに各地で行われたユニゾンのライブのセットリストを毎回共有してくださる(個人的な印象)御仁による、Ninth Peelリリース時の田淵氏へのインタビューnoteを読んだ。

note.com

 前に読んだナタリーでのインタビュー、公式スペシャルサイトでのインタビュー、そしてこちらのインタビューを読むと、Ninth Peelというアルバムが今までのアルバムと違い、これまで田淵氏がこだわっていた「アルバムを通して聴くことのロマン」みたいなものを考えないで作っていることを幾度となく強調しているように感じる。良い意味で相当肩の力を抜いて作っているというか、あえて言うなら実験的、挑戦的な印象も受ける。

 前作のPatrick Vegeeが通してアルバムを聴いた際のカタルシスを極限まで突き詰め、追い求めたものだったことを踏まえると、同じバンドとは思えないコンセプトの振れ幅。しかし、敢えてこれまで大事にしてきたものを一旦無視することそのものが武器になるのは明確な強みだなとも感じた。何をやっても面白く、様になるのはロックバンドとして本当に強度が高い。ほれぼれするぜ

 そして肝心の恋する惑星に関してのお話。ナタリーのインタビューにも同じような話があったが、田淵氏がこれをリードに据えようと個人的に推したわけではなく、あくまでディレクターが気に入ったものをリードに据えたらしい。こういう判断も含めて、構築のロマンみたいなものをあまり考えずに作った、なのかもしれない。

 このインタビューには、恋する惑星を正面からちゃんと咀嚼して味わうために大事な情報がたくさん詰まっている。あくまで僕個人の話ではあるが、これを読む前と読んだ後ではこの曲への印象がずいぶんと変わった。

 特に

・「もう何でもいいかな!」みたいなモードが反映されているという意味ではこのアルバムらしい一曲

・『MODE MOOD MODE』の時はなぜオーケストラなのか、なぜホーンなのかを田淵氏自身が全部説明する、みたいな感じだったが、今回はわあ面白い! 最高!くらいのもの

・「どうでもいい」がちょっと投げやりに聞こえたとするならば、自分たちに自信もついてきたので嘗められることもないだろうから、曲作りに制約を課したりその狙いに言葉を尽くす必要もない

・「こんなのでいいんだっけ?」を投げ込んでみて、それが評価されたら嬉しいし、されなかったらこんなもんかで終わり

 あたりの情報を知ってから今一度曲と向き合うと、この曲が2曲目という大事な位置に配置された背景が見えて来るような気がする。この年数で培われた実力と、リスナーとの距離感を今一度再確認したうえで、ある程度の信頼と遊び心を持って配置された楽曲がこの、どこまでもキュートで小粋でちょっとだけ小憎らしい『恋する惑星』だとしたら、ちょっとだけこのバンドに対する愛しさ、湧きませんか? 僕は別にそんなでもないけど……

 ただこの曲をリードに据えて、ここまでポップなアレンジにした理由が、これまでで培ってきた地力と自らのバンドへの信頼からきたものだとしたら、その姿勢は間違いなくロックでカッコいいと思う。少なくとも、ちょっとだけ「なんだよこのチャラい曲は……」と彼らの変化に顔をしかめていた初対面時の自分が恥ずかしくなった。

 

 

 

【3/7】

 恋する惑星を聴きながら即席みそ汁を作っていたらお椀が倒れ、すべてがシンクと台拭きに吸われる

 なんやねんこの曲 

 

 

 

【3/10】

 無意味グラフbotを眺めていて、ふと頭に浮かんだものを作った

 

 

 で?

 

 

 

【3/18】

₍₍⁽⁽🌎₎₎⁾⁾

 見て!恋する惑星が空前のスケールで踊っているよ かわいいね

  🌎

 インターネットは全方位落とし穴だらけなので、恋する惑星は踊るのをやめてしまいました

 わきまえようぜ

 ラララ

 

 

 

【3/20】

 〆切が近づいていることに気付き、流石に焦り始める。

 僕の筆の進みがナメクジ以下なのも事実は事実だが、歩み寄りもくそもない恋する惑星さんサイドにも問題がある気がする。わたくしはなんとか近づこうとしているのに、お前は近づくどころか一向に遠ざかっていくばかり。まるで年々地球から離れゆく月のように

 ……宇宙? 惑星?

 

 

 

【3/22】

 ふと思いたって、UNISON SQUARE GARDENの楽曲の中で、歌詞に「惑星」のワードを用いた曲について考えてみる。

 

 2024年3月現在で歌詞に「惑星」の単語が用いられているのは以下の5曲。

・さよなら第九惑星

・ライドオンタイム

・さわれない歌

・弥生町ロンリープラネット

恋する惑星

 曲によって読み方は「わくせい」だったり「ほし」だったりする。

 

 挙げてみて率直に、思ったより少ないと感じた。「星」を使っている曲はもっとたくさんあるとは思うが、困ったら宇宙ワードを使っておけば何とかなると思っているのでは? と訝しんでしまうくらいに頻出する印象があったので、「惑星」なんてワードはそれこそ、1アルバムに2曲くらいで用いている様な印象だった。

 上記の5曲の歌詞を読み比べると、「さわれない歌」だけは明確に「惑星」を地球と捉えたような表現をしている。

 

 だから僕は今日も惑星(ほし)のどこか

 誰にも触れない歌を歌う

 近づき過ぎないで 丁度いい温度感であれ

 さわれない歌/UNISON SQUARE GARDEN

 

 世界一良い歌詞だなあ めっちゃ好き

 

 では他の4曲はどうなのかと言うと、どうも「惑星」というワードを人間の隠喩、もとい代名詞として用いているように感じる。
 例えば『さよなら第九惑星』は曲中に出てくる「君」を「九つ目の惑星」に置き換えると、その(そこに存在するかも分からない)人物に振り回されている「僕」の様子が浮かぶし、ライドオンタイムは元気

 その中でも特に分かりやすいのは「弥生町ロンリープラネット」だろう。

 

 僕らは孤独な惑星(ほし)だから

 お互いにきっとそうだから

 理由は上手く言えない方が

 大切の理由になれそうだ

 弥生町ロンリープラネット/UNISON SQUARE GARDEN

 

 これに関しては隠喩もくそもない。

 この曲に関してはアルバムのリリース当初、Patrick Vegeeを聴いた自分が曲の感想を述べるためのテキストライブをやった時の文章がふせったーにそのまま残っているので、これまでの本文とのアンマッチを起こさない程度に校正を行いつつ引用するが

 

・世の中の有形であるものはすべて輪郭を持ち、輪郭によって明確に分断されている。

・輪郭という壁を超えることが出来ないから、人は自分以外の他者との交流のために四肢を、五感を、そして言葉を用いるわけで、それを踏まえて考えると人間は本質的にはどこまでも孤独な生き物で、本当の意味で他者と一つになることは出来ない。

・生まれ落ちた時が一人なら死ぬ時も一人である人間は、結局どこまで深いところで繋がろうとずっと一人だと思うが、だからこそまばゆく見えるのが、けして届かない位置にある他者であり輪郭の外で起こる事象なのだろう。その極めて言語化しづらい無情感というか、虚しさ、そこに内包された愛しさのようなものを詰め込んだ曲

 

 おおよそこのようなことを書いていた。一生懸命だネ~

 世界、という抽象的な言葉で呼ばれる空間に、輪郭というある意味この世で最も強固な壁で括られた状態で生まれ落ち、そのままその輪郭を決して破ることなく死にゆく我々は、宇宙という広大な闇の中で漂い、瞬き、そして言葉なく朽ちる星とよく似ている。

 田淵氏は公式のブログでツアーの告知をする際、よく「なるべく近くの街に行くから、1人で見に来てくれ(意訳)」のようなことを書いているが、彼のそういう言葉や『弥生町ロンリープラネット』の歌詞を思うと、田淵氏は「人間はどこまで行ってもひとりきり」という価値観を、自分の根っこの深い部分に据えているように感じてしまう。自分以外の誰かについてあれこれ考えることと同じくらいに「ひとり」ということを大事にしているように思う。

『惑星』が歌詞の中で、どこまでも本質的に孤独な人間を示す単語だとして、『弥生町ロンリープラネット』が『恋する惑星』の一つ前のアルバムに収録されているのは、何となく運命めいたものを感じる。全然違っても軽率に紐付けていけ 運命は所詮後天性なので

 

 

 

【3/23】

 昨日に引き続き、弥生町ロンリープラネットと並行して恋する惑星のことを考えている。

 

 唐突な話で恐縮だが、ロッシュ限界という言葉をご存じだろうか。

 ja.wikipedia.org

 宇宙に興味を持った健全な中学生男子が、ダークマター、プロミネンス、シュワルツシルト半径あたりと並んで憧れる言葉として有名なこれは、簡単に言うと天体が他の天体に近づける限界距離のことである。これを超える、すなわち近づきすぎると、潮汐力によって近づいた天体は破壊されてしまう。地球の衛星である月も、地球のロッシュ限界を超えると破壊されてしまうという。もっとも、月は近づくどころか年々、地球から少しずつ遠ざかっているわけだが。

 上に挙げた『さわれない歌』のラスサビの歌詞にもある通り、UNISON SQUARE GARDENはファンとの距離感を大事にしているバンドである。ライブでのMCも最低限、煽りも無ければ手拍子をすることもない。観客との一体感で会場のボルテージを高めていく、なんてことに特にロマンを求めることなく、ステージとフロアで明確に線引をし、こっちは勝手にやるからそちらもご勝手にどうぞ、のスタンスが原則となっており、多くのファンもそれを心地よく感じている。

 

 僕らは孤独な惑星(ほし)だから

 お互いにきっとそうだから

 あんまり近づき過ぎたら

 どうしたって 惹かれ合ってしまう

 弥生町ロンリープラネット/UNISON SQUARE GARDEN

 

 近づきすぎると、壊れる。

 惑星と惑星の距離感も、人と人との関係性も、バンドとファンの関係性も同じである。それが分かっているからこそロックバンドは一定の距離感を死守し、神秘性を担保し続けている。月とは違って最近は徐々に近づいているような気がしなくもないが、これはバンドのスタンスの変化というよりは、世間の変化に合わせたもののように感じる。

 さておき、『惑星』の言葉が、人が他の全てと一定の距離感を保つ存在であることを示すために用いられているものだとして、それでも、だからこそ互いに惹かれ合ってしまうものだと語るのが『弥生町ロンリープラネット』だとしたら、『恋する惑星』は?

 

 

 

【3/24】

 おおよそ15年くらい前、かつて週刊少年ジャンプで連載されていた「こち亀」にて、セルフアレンジメントなる自己分析を両さんたちが行う回があった。

 漫画をそのまま貼るのは抵抗があるので、実際にこの「セルフアレンジメント」をやってみた方の記事を載せるが、要は自分を中心として自分を形成する・かかわりのあるものを並べていくことで、それらとの関係性を可視化するとともに、自分を客観的に見つめ直すことが出来るのだと言う。実際に「こち亀」で多趣味かつ交友関係の広い両さんが行った際は、用紙に描き切れないほどに関係性が広がっていた。

www.excite.co.jp

 このセルフアレンジメントにて、両さんの上司である大原部長は、配置した自身の趣味の中心に置かれた自分を視て「まるで太陽だ」と表現した。ただ他の三人の趣味の幅と人間関係が凄まじすぎて相対的に凡庸なものとなってしまい、両さんからは「部長のは工場の地図記号(現在は廃止)みたいだ」と揶揄われていたのをよく覚えている。

 

 いきなり何の話を、と思ったかもしれないが、『恋する惑星』にはこんな歌詞がある。

 

 数多あるうちの一個に過ぎない それも分かってますが

 さりとてスターダストじゃ困る まだ光っていられるかな

 恋する惑星/UNISON SQUARE GARDEN

 

 大原部長が趣味に囲まれる自分を「太陽」と表現したように、自分という中心をおいてその周りに好きなコンテンツを置いた図は、一つの恒星を中心とした惑星系のようにも見える。

 どこまでいっても一人ぼっちである人間は、茫漠な宇宙空間にて周回軌道上をさまよう惑星に似ている。そういう趣旨の話を上の方でしたが、見方を変えればあらゆるコンテンツや人間関係に囲まれる我々は、1人1人が無数の惑星に囲まれた恒星とも捉えられる。無数の関係性が絶えず蠢いているこの仮想の銀河系を、便宜上「世界」と呼んでいる、とも言える。

 僕にとってUNISON SQUARE GARDENという存在は自分の近くを回る惑星の一つではあるが、それは今現在の話であり、5年後、10年後にはどうなっているかは分からない。彼らを、ひいてはCatcher In The Spyを知った当初は「これが俺の生きる道」くらいの勢いで彼らの音楽を堪能し、自分を形成する核とさえ称していたような気もするが、今は自分にとっての生きる理由の一つ、くらいの位置においている。くらい、と言えるほど軽い感情ではないと思うが、少なくともUNISON SQUARE GARDENと同じくらいに何も考えることなく純粋に音楽を求められる存在は、彼らを知った当初よりは増えた。

 近年、UNISON SQUARE GARDENに限らず、ミュージシャンへのインタビューの中で、流行する音楽の消費サイクルの速さについての言及が増えたように思う。昨年のことを思い返してみても、その局所局所で流行った曲はいくつか思い当たるものの、2023年はこの曲の年だった、と言えるほど、ずば抜けた存在感を持った曲はなかなか思い当たらない。強いて言うなら「青のすみか」かな?

 今やボカコレ1回で数日間のうちに数千曲ものボーカロイド楽曲が投稿され、毎日のようにApple music公式のプレイリストは更新され、Xを覗けば50ツイートに1つくらい知らない曲が流れて来る時代。そんな中で明確な存在感を放ち続けるのは並大抵の所業ではない。これは、今年で結成20周年を迎えた大ベテランバンドであるUNISON SQUARE GARDENも例外ではない話である。

 この入れ替わりの激しい世界で20年、強固なファンベースを築きメンバーも変えることなく、コンスタントにアルバムをリリースしライブで全国を回り続けている彼らですら「数多あるうちの一個に過ぎない」のだ。今はまだ、ふとした瞬間に夜空を見上げた時に、一番に視界に入るほどにはきらめいているのかもしれないが、それがいつまでも続くとは限らない。ジジイになっても変わらず近所のライブハウスまで足を運んでいるのかもしれないし、来年金に困って手持ちのCDを全て売っているかもしれない。数年前のコロナ禍といい、本当に何があるのか分からないのだから。

 近づきすぎると惹かれ合ってしまい、適正な距離感が担保できずに神秘性を損なう。さりとて離れすぎると夜空に浮かぶ星の一つとして認識すらされない。曲作ってライブやって楽しいね、で万事上手くいくのであればそれで良いのだろうが、というかUNISON SQUARE GARDENはそれで割と上手くいっている数少ないバンドだとも思うが、水面下では本当にいろいろ考えているのだろう。

 

僕の周回軌道に意味なんかなくても

一緒に存在できるのなら 解析でもなんてもしてくれ

恋する惑星/UNISON SQUARE GARDEN

 

 この部分の歌詞も、初めて聴いた当初よりずいぶん弱気なものに聴こえないだろうか。

 壊れない程度の距離感は保つ。それはそれとして、まだまだ貴方の大事な存在でいたい。貴方の視界で光り輝く存在でありたい。その為だったら解析でもなんでもしてくれ。そういう、いじらしい意思表示が込められている曲だとしたら、この歴代でも上位のパリピ陽キャ・御用達ソングである恋する惑星さんにも、こんな一面があったなんて……と、彼の意外な一面にトキメキを覚えたり、しないだろうか。胸がキュンとしたり、しないだろうか。僕はしないけど

 キュンとはしないが、僕らが周りの人間関係や趣味嗜好との付き合い方で日々頭を抱えているように、ロックバンドも移り変わりゆく世間に、ファンとの距離感を保つために日々奮闘していることは、この曲に散りばめられたフレーズから何となく読み取れる。これをバンドの意思表示とも、何かに恋をする人間の心情にも当てはまるような言葉選びをし、違和感なく聴かせるソングライターの手腕に舌を巻く。

 

君と同じ世界に居たい

まだまだ光っていたいのだ

恋する惑星/UNISON SQUARE GARDEN

 

 好意的に捉えている何かとの距離感で懊悩することを「恋」だとすれば、恋する惑星とは、悩めるロックバンドであり、そのファンであり、周りの人間関係に悩みつつも一歩を踏み出そうとする人間であり、一歩踏み出した先で同じように悩んでいる人間であり、或いは田淵智也自身であり、そして――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ””だ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんだ……俺、最初から分かってたジャン……お前のコト……

 よく分からないチャラい曲とか言ってごめんな……今日からお前が、俺の、1等星──────💛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【4/1】

eow.alc.co.jp

 universeは惑星じゃなくて銀河だってことくらい分かってるよ

 じゃあなんやねんこの曲 

 なんだったんだよ、おれのツイート

違法アップロードがなかったら、僕は

 散らかり放題の部屋の中から、「20歳の自分へ」と題された手紙を発掘した。大晦日だった。

 

 

 中高の卒業アルバムすら祖母の家のドラム缶に放り込んですべて燃やし尽くした自分が、こんな若気の至りの搾り汁のような、後世に残しておいても自身の弱みにしかならない文書を残しているとは思わず、発掘した際は随分と驚いた。即刻処分した。

 即刻処分したので大体の記憶で書くが、ご丁寧にラミネート加工されたA4サイズのそれには「1/2成人式」という、いかにもピースでハートフルな題名がデカデカと鎮座し、その下にはこれを書いた同時の僕の写真があった。笑顔と控えめなピースサインがあまりにブサイクすぎて可哀想だった。

 1/2成人式と言うのはその名の通り、20歳の半分である10歳をお祝いする会である。今日日教育番組でもやらなさそうな陳腐さだが、当時は年配の担任が至極真面目に「10歳になることのすごさ」を語っていたように思う。曰く、発展途上国の子供は多くが5歳までに命を落とす、上の年代の方も戦争を経験した世代は子供の死亡率が云々、故に貴方達は非常に恵まれている、など、など、など。当時の僕はきっと、んなこと言われましても……とか思っていたように思う。今でも思う。

 とはいえ表向きには真面目だった僕は、そのラミネート加工された「1/2成人式」の紙に、将来の自分に宛てた文章を書いていた。10行くらいのスペースに、みっちりと。当時の僕は祖父の影響か魚釣りにハマっていたらしく、漁師になった20歳の自分のことを夢想していた。残念ながらそこから先のわたくしは、漁師はおろか、魚釣りすら中学生以来行った記憶がない。この頃から将来設計能力は欠如していたらしい。

 

 この紙はおそらく一度集められ、10年後、つまり自分が20歳になった時に合わせて学校側から各家庭に送られたのか、とりあえずは20歳をだいぶ前に通り過ぎた、昨年の僕の手元にはあった。

 20歳の時の自分はこれを見て何を思ったのだろう、と考える。学生時代に使っていたノートや参考書の間に無造作に挟まれていたのだ、大事に扱っていないことくらいはすぐにわかる。というかそもそもこんなもんを最悪な管理状態とはいえ取っておくな 捨てろ 迅速に

 まあ思うのは、思い描いた将来のビジョン、というものがあやふやなまま、年齢だけを積み重ねてしまった末路というのは相応に重く、きっと自分は何となくそれなりに上手くいく、という少年の何の根拠のない自信は、冷酷な現代漂流の前でははりぼてに過ぎず、今や高い税金と何をするにも金のかかる社会構造に辟易しながら、好きなVtuberの配信と週刊少年ジャンプを糧に生きている、強者男性にも生粋のオタクにもなれない中途半端な生物と成り果ててしまった。マジでさ、こういうこと書きたくてブログやってるんじゃないんすよ 本当に

 

 10歳の自分に(おそらく)ろくに目を向けることをしなかった、20歳の自分を回想する。20歳といえば就職が決まり、そこで正式に働くまでの間、家の近所の書店でバイトをしていた頃である。当時の全国最低賃金(時給700円)でこき使われていたとはいえ、16歳から19歳まで月5000円のお小遣いと年一回のお年玉でやりくりしていた自分が、月数十時間程度の労働で3万以上の収入を得るのだ。アルバイトは革命であった。初めて何の躊躇も、葛藤もなく欲しかったゲーム機を買ったように思う。

 いつかの記事で書いたと思うが、そんな僕が自分のお小遣いで初めて買ったCDは嵐の「Believe」だが、初めて"自分でアルバイトをして稼いだお金"で買ったCDはヒトリエの「IKI」である。

 

 

 今でも、三年坂のTSUTAYAに無造作に置かれていた初回生産限定盤の「IKI」を買い、中に封入されていたアルバム購入者向けのライブ抽選先行シリアルコードからライブチケットを手に入れ、福岡DRUM LOGOSで初めて彼らのワンマンを見た時のことを覚えている。このバンドの話は本当に腰を据えないといけないのでここでは長く語らないが、このワンマンをきっかけに今に至るまでずっとライブハウスに通っているのだから、自分の中でも相当大きな出来事であったのは間違いない。

 それまでの自分は、テレビでは聴けない音楽≒ボーカロイド、といった中高生の頃の価値観からようやく飛び出し、YouTubeでひたすら(世間的には)マイナーなロックバンドのMVを漁っては、その沼の深さに慄いていたように思う。何でも聞いたし何でも刺さっていた。

 そう、何でも。

 たとえそれが公式ではない、どこの誰がアップロードしたのか分からない音源でも。

 

 

 今ではだいぶ聞かなくなったが、結構前に「Music FM」という、無料で音楽をダウンロードし聴くことが出来るアプリがSNSにて話題に上がったことがあった。言うまでもなく違法である。X(旧Twitter)で検索すると今でもそれに関するツイートが出てくるから、話題に上がらなくなっただけで使っている人はいるのだろう。

 今使っているXアカウントを作成した時期は、このアプリを使っている人を揶揄したり、犯罪だからと咎めるようなツイートがちらほら散見された。そういうツイートをしている方が、日曜タグでどこから持ってきたのか分からない漫画のキャラの画像を使って、バンド名を所狭しと並べたシャレオツな紹介画像を作っていたのは、厳密に言えばものすんごい高度なブーメランなのではないかと思ったりしていたが、その辺りは今回は深掘りするまい。

 かくいう僕は実際にこのアプリを使ってはいなかったものの、それを咎めるようなツイートもしなかったように思う。いや本当はロックバンドの努力を無視して自分の欲求を満たすだけのモンスターなんぞくそくらえと、上からボロクソに言いたかったのだが、出来なかったのだ。それもそのはず、過去にバリバリ違法アップロード音源のお世話になっていたからである。はいもうここからは懺悔 懺悔 ときどき開き直り 後にまた懺悔です。史上最悪のセットリスト

 2024年はこういう記事から始まります。先が思いやられる

 

 当たり前の話だが、基本的にコンテンツを楽しむのは金が要る。音楽はCDを買うか借りるかするか、サブスクに加入しないと聞けないし、漫画も小説も単行本か電子書籍を買わないと読めない。アニメもそうだしライブもそう。だからこそオタクはいつも金に困っている。そしてオタク以上に困っているのが学生諸君である。10代のころの僕もまあ、金がなかった。金はないのにインターネットは覚えるもんだから、際限なく欲求は過熱していった。

 月のお小遣いが年齢×100円だったのが中学生終わりまで続いた僕が、初めて手を出した違法アップロードが「けいおん!」である。アニメなんてキッズかニートが観るもの、というねじ曲がった固定観念を、正面から破壊する平沢唯京都アニメーション。当時の友人の家のPCで見せられた1期3話が俺をおかしくした。家に一台しかなかったパソコンを使って、明らかに非公式な、どこの国の言語かも分からない字幕の付いた「けいおん!」のアニメを、親の目を盗みながら全話観た。1期も2期も。

 当時はアニメの名前で検索すると、そのアニメをアップロードしているあらゆる動画サイトに飛ばしてくれるリンクがたくさん書かれたサイトがあったのだ。anitubeやDailymotion以外の動画サービスの名前はもう覚えてないが、本当に色んな手段を使って無断転載のアニメを観ていた。そして合法か非合法かも分からないような怪しいソフトをインストールして、そういった無断転載アニメをダウンロードしてはiPodにインポートしていた。この頃の経験が切っ掛けでパソコンに興味を持って多少詳しくなり、自作のFlashを作ったり、高校は情報系に進んだりした。ものの見事に挫折した。即堕ち2コマか? 無断転載アニメがきっかけで超速で人生躓いてるのあまりに滑稽すぎる。何なんだろうね せめて大成してくれ

 アニメのサブスクやBS放送がまだそこまで(後者は僕があまり知らなかったこともあるが)一般的になっておらず、加えて九州の片田舎在住となると合法的に見る手段が「アニメDVDが発売されてからレンタルで借りる」という、気の遠くなるような手段しかなかった。じゃあ違法で観よう、となってはいけないのは分かってはいたが、やりました。やってました。もうこれは言い訳のしようも無い。このあたりの事情は僕なんかよりアニヲタWikiに書かれたこちらの記事の方が断然詳しいので、興味があったらこちらも合わせてご覧いただければと思う。

 

 これはアニメの話だけではない。音楽でもだ。むしろこっちの方が業が深い気がする。

 今だから言うが、今僕が大好きなバンドであるハヌマーンsyrup16gも、ハマったきっかけはYouTubeにアップロードされた、どう見ても非公式な動画だった。厳密に言えばハヌマーンで初めて聴いた曲は「猿の惑星」だが、ハマったのは「ワンナイト・アルカホリック」である。あの真っ青な背景にMP3TUBEのロゴが入っただけの動画に全てを狂わされた。ちなみにsyrup16gは「生活」でした。

 僕が知った頃には解散どころか再結成していたsyrup16gはさておき、解散して時間が経ち、世に出たCDの全てがプレミア化していたハヌマーンのほとんどすべての楽曲を、彼らが全曲サブスク解禁する前に僕がすでに聴いていたのは、YouTubeニコニコ動画にアップロードされた非公式音源とライブ映像のおかげである。「おかげ」という言葉が正しいとは微塵も思わないが、ここでは敢えて使わせてもらいたい。邦楽ロックにハマりたての頃によく行ってたTSUTAYAにWorld System KitchenとRE DISTORTIONが置いてあることに気付くまでずっと、動画サイトの非公式な音源でハヌマーンを聴いていた。

 この二つのバンドだけではない。GRAPEVINEに関しても過去のライブ映像の殆どはニコニコ動画で観たし、UNISON SQUARE GARDENに関しても今は無き赤坂BLITZにて観客を煽っているイケイケの斎藤宏介さんを観たことがあるし、ヒトリエに関してもどこかの誰かが勝手にアップロードしたワールズエンド・ダンスホールローリンガールのバンドカバー版を拝みながら観ていた。特にGRAPEVINEに関しては「GRAPEVINEのシングル曲以外で好きな曲流れたら終了」みたいなタイトルの、20曲くらいのサビ部分だけをまとめた動画に滅茶苦茶お世話になった。一応確認したが、2024年現在もまだ削除されていなかった。

 

 今パッと書き出すだけでもこれだけあるのだ、自分が忘れているだけでもっと他にも前科はあるだろう。本当に、呼吸をするように無断転載の恩恵を受けていたように思う。

 著作権法が改正され、以前よりも厳しくなった今でも違法なアップロードは行われており、それを視聴し、あまつさえ無断転載した人間ではなく、違法アップロードの被害を受けたオリジナルに向けて、心無いコメントを残す不届きな輩すら散見されている。この世の地獄。インターネットスラム街。正論を暴論で圧殺する混沌には、今でもGoogle検索から2クリックで飛ぶことが出来る。

 別にこれは音楽に限った話ではない。アニメでも漫画でも何でもそうだ。ただ、音楽に関してはYouTubeというどでかいプラットフォームの存在がある関係上か、昔から他の娯楽よりハードルが相当に低い。月に何十万回もアクセスされる音楽サイトにおいても、非公式な音源をもとにアーティストを紹介していた、なんてわりとザラにある話だ。なんなら僕がStereo fabrication of youthというバンドを知ったきっかけは、ヒトリエのシノダさんへのインタビュー?記事にて紹介されていた、「戦場の遠距離恋愛」の謎の非公式(なのかもよく分からない謎の)聴き比べ音源である。というかこの曲に関しては未だに聴く手段がプレミアついたCDを買うか違法アップロード音源に頼るかしかない。勘弁してほしい。はやくサブスク解禁してくれ。

 

 こんな感じでろくでもない音楽遍歴を歩んできたわたくしだが、その根底には「金が無かった」という、本当にどうしようもない事情がある。CD1枚シングルで1000円ちょっと、アルバムはだいたい2500~3000円。TSUTAYAの旧作CDレンタルも10枚1000円になるまでは4枚で1000円だった。サブスクなんて便利なものが今ほど一般化していない当時、正当な手段のみで手に入れられる音源で到底賄えるわけがない。今でも金がないと嘆いてはいるが、学生の頃の僕は自販機のコイン返却口を見つけるたびに手を突っ込んでいたろくでなしなので、比較にすらならない。

 そんな、無様な苦労をした立場から離れて時間が経つと、そのことをきれいさっぱり忘れてしまうのが人間という生き物である。よく言いますねよく聴きますね、最近の若者は~ってね。コロコロコミックを1冊買えばその月のお小遣いがほとんどパーになる幼少期の頃など、時間が経てば忘れてしまうものだ。

 そりゃまあ、違法アップロードなんかに頼らなくてよいのであれば頼りたくはない。当たり前の話だ。ただ自分の手元に、自分の興味関心をすべて満たせるだけの元手がなければ、そしてそれを抑えられなければ、いけないことをしているかもしれない、なんて葛藤は軽いスキップで超えてしまう。お金がないことを言い訳にしているようで心苦しいが、よほど偏屈というか、好きなアーティストに金を落としたくないという尖った思想の持ち主でもない限り、正当な手段で聴けるなら正当な手段で聴くだろう。

 だからそういう需要があり続ける限りおそらく今後の違法アップロードは無くならないし、それを利用する人もいなくならない。どれだけ規制で縛ったとしても、だ。アーティストがこれで不利益を被るのはまあ、理不尽だと思う。

 

 とはいえ、である。理不尽だとは思いつつも、じゃあすべて正当な手段で楽しめと言うのは、その人の立場によっては別種の理不尽な気がしないでもない。ああ何を言ってるんだと、アーティストの不利益になる行為を助長するのかと言いたい気持ちは分かる。分かるけど、俺に開き直りのターンをくれ。

 というわけで以降ここから下は、違法アップロードによって沢山のカッコいいロックバンドを教えられた自分が、かつての自分に、そして今やむを得ずそうやって音楽を聴いている人に向けて伝えたいことだ。長いので適度にスライドしながら読んでくれればいい。

 

 まず前提として、2024年1月現在の著作権法の規定に従えば、違法アップロードされたコンテンツをインターネット上で「閲覧すること」自体は犯罪にはならない。いつか警察に捕まるんじゃないかとビクビクしながら、明らかに非公式な音源を聴いているちびっ子はとりあえず安心してほしい。ただしそれを自分の何らかの手段でスマホやPCにダウンロードしてしまうとアウトなので、広告などが煩わしいとしても我慢してブラウザ上でだけ楽しむにとどめておこう。まあこれがもし刑罰の対象になるんだったら、数年前の漫画村の騒動でどんだけの人間が逮捕されてんだよって話になるから当然と言えば当然だけど。

 ちなみに上で書いたMusic FMのような、ダウンロードを介するものは残念ながらアウトです。やめときましょう。

 ただ、当たり前の話だが本当に褒められたことではないので、出来ることならちゃんと正当な手段でCDを手に入れるなりサブスクに加入するなりして聴いた方がいい。収入を得ている身なら尚更である。皆が皆違法アップロードの音源で賄うようになったら、創作を生業にしてるアーティストの方々はすべて飯が食えなくなってしまう。お父さんお母さんに養ってもらっているキッズも小遣いを貯めるとか、親にたかるとか一応そういう工夫、足掻きをするといい。僕は無理だったので違法アップロードのお世話になったが。

 違法アップロードのお世話になるのは、もう本当にお金が無くてどうしようもないとか、非公式なものに頼るとかしないとそもそも触れることすら出来ないとか、そういうのに限る、みたいな精神は欠片程度にでもいいから持っておくといい。持っておくといい、というだけで、我慢できずに結局違法アップロードのお世話になっても、それはそれで仕方がない。罪悪感を持つこと自体が大事だ。

 だからSNSなどで、明らかに非公式と分かる動画を「超いい」とか言ってホイホイとリンクを共有したりするのはやめた方がいい。好き好んでマイナーな音楽探して聴いてるやつなんて大抵めんどくさいので、下手をすると仲が拗れかねない。積極的に虎の尾を踏みに行くような真似はやらない方が賢明である。ちなみに僕は無自覚にやらかしたことがある。気まずかった。やるならなるべくバレないようにこっそり楽しもうぜ。

 

 これはあくまで僕の見解だが、ある程度インターネットに触れていて、そういうグレーな行いをしたことの無い人の方が少ないものだと思う。意識的・無自覚関わらず。だからと言って開き直ってやっていい、というわけではないが、あまりに強く罪の意識を持ちすぎて、自分の興味に蓋をしても仕方がないとも思う。

 ずっと上で書いた通り、過去に数多くの違法アップロード動画で興味を満たしていた僕も、今となっては音源を買ったりサブスクに加入したりライブに行ったりと、自分の出来る範囲ではあるがお金を払う形で応援をすることが出来るようになった。それと同じで、もしも今応援できる資金が無くて、我慢できずに非公式な音源に手を伸ばしたとしても、それと同じでこの先ずっと興味を抱くことになるのなら、応援のきっかけになるのであれば、もしかしたら長期的に見ればプラスかもしれない。この考えはさすがに楽観的が過ぎるようにも思うけど、投稿から10年近く経っても一向に削除されることなく、未だに放置されている音源が少なくない数現存しているあたり、そんなあえかな願いが込められているようにも思えなくもない。

 

 本当に恥ずかしい話になるが、見知らぬ誰かがGRAPEVINEのライブ映像を、ハヌマーンsyrup16gの音源をYouTubeニコニコ動画に投稿してくれなかったら、僕はきっと今のTwitterアカウントを作ることも、このブログを開設することも、今仲が良い(と勝手にこっちが思っている)フォロワーと関わることも、今のようにチケットを握りしめてライブハウスに遊びに行くことも、そしてそれらの楽しみを知ることも無かったと思う。違法アップロードのお陰で人生を狂わされたけど、それのお陰で知れた楽しみの方がずっとずっと多い。反省も後悔もそれなりにあるが、全て間違いでしたとは口が裂けても言えない。

 出会いが例え違法アップロード音源だろうと素晴らしいものに変わりはない。それを負い目に感じたとしても、それでも自分の好きを突き詰めていけばいいと思う。それが巡り巡って、自分の好きなアーティストを応援することに繋がれば、決して間違った出会いではないのではないか。

 

 こんなことを実績のあるアーティストではなく、ただの1リスナーが語ることによる正当性なんて絶無なのは百も承知ではあるが、何となく負い目を感じていた過去の自分のような人が少しは楽になるのかなと思って書きました。

 何はともあれ音楽はめっちゃ楽しいし、負い目を感じて聴きたいものも聴けないくらいなら今謝っておいて将来稼いで倍返そうぜ、くらいの気持ちでいればいいと思います。少なくとも、僕は。

診 断

 先日のお盆休みに行われた会社の飲み会にて、一回りくらい年上の先輩が「禁煙を考えている」という話をしていた。煙草を吸いながら。

 

 禁煙を志すこと自体は立派だが、すでに山盛りになった灰皿を前に、人差し指と中指の間に煙草を挟み、紫煙をくゆらせながらそんなことを宣って誰が応援するんだろうと思った。説得力の欠片も無い。案の定飲み会の終わり際には「家にカートン単位でストックしてある煙草を吸いつくしてから考えるか……」とか言ってた気がする。ここまでくると依存症を治すより人生の幕を閉じるほうが易しいと俺は思うよ

 話によるとその先輩は16歳で吸い始めてからこれまでの約20年間、3日以上喫煙の間隔を開けたことがないらしい。面倒なので計算はしないが、それでも相当な金額を煙草に費やしたのだろう。何もこの先輩だけでなく、弊社に勤務する中高年の方は大体同じである。

 器の狭さは灰皿に押し付けられた吸殻の本数に比例する。三度の飯よりニコチン・タール・一酸化炭素。世界平和より単車・パチンコ・キャバクラ・アルコール・プロ野球。真っ当に閉鎖的な田舎の保守派・頑固・井の中の蛙おじさんをやっているのを見ると、辟易を通り越してたまに羨ましさすら覚える。吸って飲んで打たないとやってられないことが募りに募ると、人間誰しもこうなってしまうのだろう。明日は我が身

 

 しかし「煙草を吸うという理由がないと休憩にすら行けなかった」と語る何十年前の世代とは違い、その辺の法整備が労働者に有利になって2時間おきの休憩が義務化され、同様に煙草の危険性や有害性についても広く知られた世代の僕らは、学生時代に嫌というほどその手のものが「身体に悪い」「依存性が高い」「カッコ悪い」と教えられてきた。それでも喫煙に手を伸ばす同級生は全然いたが、全体の推移としてはやはり減少傾向なのだろう。今はどちらかと言うとスマホ依存の方が強いか。

 先輩のニコチンへの執着を見て、馴染みの薄くなりつつあるニコチン依存症のおそろしさを垣間見ると同時に、ふと、自分にもそういう、これ以上なく依存しているものって果たしてあるのかなと考えた。

 

 

Catcher In The Spy(初回限定盤2CD)

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 予 定 調 和

 

 

 ニコチンとか雑魚乙 時代は天国と地獄から黄昏インザスパイまでの流れ

 そう信じてやまないわたくしは、Catcher In The Spyの依存症なのかもしれない そう思った矢先に、Twitterでこんな画像を見つけた。作者から許可は取ってあるので転載します

 

 

(このアルバムと9年近く向き合ってきて作った画像がこれなの何?)

 

 やはり俺たちの愛するこのアルバムには、煙草とかいう貧弱ドラッグもどきとは比にならないくらいのヤバ・成分が含有されている そう思いませんか? 思いますよね? 思うって言え

 このCatcher In The Spy研究、という名の自己陶酔に耽るキモ人間が作った画像から分かるように、今日で生誕9周年に至るこのアルバムの中毒性は凄まじい。中毒性? 依存性? もうどうでもいいが、このアルバムでしか味わえない「何か」があり、その何かにわたくしはかれこれ9年弱、ずっととらわれたままである。いや僕だけではない。詳細を語ると国から税金をかけられそうなのであまり大きな声で言えないが、少なめに見積もっても日本人の何人かに1人は、このアルバムで日常生活に支障をきたしている。

 

 そんな自覚は無い? 安心してほしい そんなあなたのためのこの記事である。

 

 タイトルからある程度察しているとは思うが、今回我々はこのアルバムへの依存具合を診断するための診断シートを作成した。Catcher In The Spy狂(自称)による監修のもと作られたこの診断シートに掛かれば、貴方の人生にどれだけこのアルバムが侵食しているかが一発で丸わかりって寸法である。超便利

 この世に爆誕して今年で早9年。このアルバムはそれはもうおびただしい数の信者を、数多くの取り返しのつかない過激派を生み出し、そして今でもシンパを増やし続けている。自覚のないあなたもそんな一人なのかもしれない。酒が百役の長ならこのアルバムは万薬の長と言っても過言ではない。だが同時に、付き合い方を知らなければ煙草と同様、百害あって一利なしになりかねない。うんまあ別にそんなことはないんだけどそういうことにしとこう そっちの方が話が早い とっととやれ

 

 前置きここまで 以下診断シート

 

 

 

 Catcher In The Spy依存度チェック診断シート(全50項目)

 

 診断の際のポイント

・1項目ごとにあまり深く考えず、できるだけスムーズに回答しましょう。まよったらチェックを付けていいです。どうせ全人類いずれ全チェックになる未来なので

 

 

□Q1.聴くものに困ると無意識に再生ボタンに手を伸ばしている

□Q2.UNISON SQUARE GARDENのアルバムについて、「Catcher In The Spy」と「それ以外」で完全に分けて考えている

□Q3.Catcher In The Spyの総再生時間が8000時間を超えている

□Q4.Catcher In The Spyを通して聴いている時間が1週間に3回以上ある

□Q5.Catcher In The Spyを聴いていないと目眩、ふらつき、イライラなどの症状が現れる

□Q6.Catcher In The Spyを聴くことを「キメる」と呼んでいる

□Q7.Catcher In The Spyを聴くと血が滾り、闘争本能が刺激される

□Q8.Catcher In The Spyの聴き過ぎで脳みその大部分が筋線維と化している自覚がある

□Q9.”UNISON SQUARE GARDEN”の文字列を見た時に最初に思い浮かぶのが「Catcher In The Spy」である

Q10.聴くとテンションが高ぶり過ぎて思わぬ事故を引き起こしかねない、という理由で、"敢えて"聴かない選択肢を取るシチュエーションが日常において存在する

 

□Q11.中野区への礼拝を毎日欠かさず行っている

□Q12.このアルバムの為だけに存在する脳の部分がある

□Q13.Catcher In The Spy tourに実際に参戦できた方が羨ましくて仕方ない

□Q14.Catcher In The Spy tourで披露されたCatcher In The Spy収録曲以外の楽曲にも並々ならぬ感情がある(オリオンをなぞる・WINDOW開けるなど)

□Q15.サイレンインザスパイの2サビ前に「こんばんは東京!」が自然と入る

□Q16.crazy birthdayの「おしまい」の後に「……はこの曲!」が自然と入る

□Q17.Revival tour”Catcher In The Spy”を心待ちにしている

□Q18.というかもうすでにRevival tour”Catcher In The Spy”に行った気になっている

□Q19.なんなら上記について行った気になってライブレポートが書ける

□Q20.Catcher In The Spyを聴くためだけに音質に拘り始める

 

□Q21.もはや崇拝に片足突っ込んでいる

□Q22.特定のCatcher In The Spyワードを見ると身体が勝手に反応する(メカトル・あーあ・fresh tomatoなど)

□Q23.他人のCatcher In The Spyに関するツイートに飢えている

□Q24.新鮮なCatcher In The Spy感想は何よりも尊い

□Q25.「このアルバムを聴いたことがない人間が許せない」と「初聴感想が欲しい」の矛盾した感情の狭間でいつも苦しんでいる

□Q26.X(旧Twitter)で「CITS」と検索して、徒労に終わったことがある

□Q27.Catcher In The Spyに関して語ることは全世界の義務であると考えている

□Q28このアルバムで知り合いを沼に叩き堕としたことがある

 

□Q29.来世はサイレンインザスパイの冒頭でタイトルコールをするキッズになりたい

□Q30.シューゲイザースピーカーのイントロを聴くと脳みその後ろの方からスパークを感じる

□Q31.「愛が世界救うだなんて僕は信じてないけどね」で救われる命である

□Q32.「蒙昧terminationと」いう存在そのものに焦がれている

□Q33.「君が大人になってしまう前に」を大人になる前に聴きたかった

□Q34.「メカトル時空探検隊」を完全に理解したと宣う人間をとりあえず疑う

□Q35.流れ星は祈るものではなく、撃ち落すものである

□Q36.Dr.izzy tourのアンコールで披露された「何かが変わりそう」に何もかも変えられたことがある

□Q37.人生のfinaleに流れる曲はharmonised finaleであってほしい

□Q38.天国と地獄でしか摂取できない「何か」がある

□Q39.EGOISTは半角大文字でなければ許せない

□Q40.黄昏インザスパイを聴くと涙が止まらなくなる


□Q41.12曲を擬人化したことがある

□Q42.Catcher In The Spyを食べたことがある(直接的・間接的問わず)

□Q43.厚生労働省が定める「1日の栄養摂取量目安」にCatcher In The Spyに関する記載がないのは怠慢だと思う

□Q44.日本の誇れる文化"寿司・天ぷら・富士山・Catcher In The Spy"

□Q45.一富士二鷹三茄子とか古い 時代は1~12までCatcher In The Spy

□Q46.一万円札の肖像画はよく知らんジジイではなく、電球持ったミミズクにするべきだと思っている

□Q47.このアルバムのヤバさはもっと広く認知されるべきだと思っている

□Q48.と思いつつも心のどこかで「このアルバムの良さを一番わかっているのは自分」という根拠のない謎の自負がある

□Q49.未だにこのアルバムが分からない

□Q50.色んな意味で来年が怖い

 

 お疲れさまでした!

 

 

 

 

 

 どうだっただろうか。いくつ☑はついたかな?

 人によっては「何を言ってるんだこいつは……」と思うような項目もあったかもしれないが、聴いていくうちにいずれ「理解」するので安心して沼に墜ちてほしい。

 というわけで以下結果

 

 

 チェック数0:無

 なんで診断した? とお尋ねしたいところではある。

 依存というか興味すらなく、何なら存在すら知らないレベルと言ってもいい。ある意味最も幸せである。そのままの感性で行けば天寿を全うできる。早世な偉人は皆、このアルバムのヘビーリスナーだったことがCatcher In The Spy大学救えない命学部の研究で示唆されていることから、このアルバムの長期的な服用は身体や寿命に少なからずよろしくない影響を与えるらしい。

 むしろこのアルバムを「知らない」あなたは、これから先のCatcher In The Spy依存症溢れる世の中では貴重な存在となるのかもしれない。いっそこのアルバムを「聴かない」「知らない」ことを己の強みに、アドバンテージに出来るのであれば、よく分からないけど就活とかに強く出られるかもしれない。

 今後回復センターで苦しむ依存症の人々を助けることが出来るのは、何も知らない貴方である。そのつよい心を是非世の中のために使ってほしい。今のうちに重度の依存症の方に「せいぜい明日も頑張って!」とにこやかに言う練習だけはしておこう。

 

 

 チェック数1~6:軽度

 まだまだ依存度としては低いけど、このアルバムの深淵をのぞき込む覚悟をした気概、もしくは無意識のうちに片足を突っ込んでしまった雰囲気だけは伺える。どちらにせよ、一度惹かれてしまったらあとは堕ちるだけである。下の段階に行くのも時間の問題だろう。人も、流れ星も、Catcher In The Spyも堕ちるもの――――

 まだまだ普段の気配からその傾向が垣間見えるわけではないが、アルバムの曲順に芸術性を感じたり、収録曲のあらゆるフレーズにため息を付いたり、DUGOUT ACCIDENT付属のライブDVDが何故単品で販売されていないのか疑問に思い始めたりし始めるころである。鋭敏なヘビーリスナーはこの段階で同胞の匂いを察知し始めるので、貴方はもう色んな意味で逃げられないと思っていい。深淵が見えるか? 見えるならそれで十分だ

 

 

 チェック数7~13:中程度

 大体の人間に「でもこいつより俺の方がCatcher In The Spy好きだしな……」と謎のマウントを取れる。おわりの始まり、と言って良いでしょう。

 日常生活の節々にCatcher In The Spy語録が混じり、Twitterで日々誰の目にも止まらない考察という名の妄想を繰り返し、無意識的に再生ボタンをタップしている貴方はもう立派な依存症である。仕事始め、終わり、飯を食った後、風呂に入った後、記念日エトセトラエトセトラ、人生のささやかな節目節目にこのアルバムを刻み込んでいるに違いない。深淵に飛び込んだ心地はどうだろうか。

 ただの夕食を「破廉恥なディナーショウ」と言い、サスペンス映画の血糊を見ては「いいfresh tomatoだ」と宣い、路地裏の占い師を「水晶とか持ってて楽しそう」と煽る貴方は、もうとっくに周りから引かれていることをまずは自覚すべきだろう。自覚があるのとないのでは大間違いである。この段階が一番このアルバムに根拠のない無敵感を覚えている頃なので、仕方がない部分はあるが。

 どんなヒットソングでも救えない命がある。この言葉を胸に刻み、周りに配慮した言動を心がけましょう 大丈夫今だけです そのうち誰もが、今のあなたと同じ轍を踏む

 

 

 チェック数14~24:重度

 もうこの辺りから「手遅れ」と言っていい。深淵での生活はいかがだろうか。

 起きている時間に思考している物事の大体をCatcher In The Spyに占められている生活を送っていることが良く分かる。朝起きて洗顔しながらサイレンインザスパイ、朝食を摂りながら流れ星を撃ち落し、instant EGOIST STYLEで出勤。完全に生活にCatcher In The Spyが融け込んでいる。きっと業務上の失敗も全て田淵に押し付けているのだろう。

 ここらへんからもう「Catcher In The Spyと出会う前の自分が思い出せない」「母親の胎内にいたころからこのアルバムと出会っていたのではないか」みたいなレヴェルに信じられないような気持ちを抱くこともあるだろうが、世の中はそんなにクレバーではないし、貴方が思っているより歩みが遅いものなので、問いただしたくなる気持ちはグッとこらえよう。世界には色んな人間が存在する。万事に対して微動だに微動だにしない気持ちが何より大切

 ただ沼落ちした人間は逃がすな 死ぬまで追いかけろ 同じステージまで引きずり込め それがお前が生きやすくなる秘訣

 

 

 チェック数25~34:かなり重度

 このあたりで、回復センターの職員が笑顔で匙を投げる。

 一日の内訳、仕事・睡眠・Catcher In The Spy。何なら仕事中も眠っている間も隙さえあればこのアルバムを刻んでいるので実質的な割合は他二つとは比較にならない。Catcher In The Spyのために働き、Catcher In The SpyをBEST CONDITIONで拝聴するために質のいい睡眠を心がけている。さながらプロアスリートである。打ち込むものがもっと有意義なものだったらいいとこまで行けたのではないだろうか。は? Catcher In The Spyを聴きこむことが有意義でないと? 表に出ろ

 この辺りになるとこの世のすべての事象に対してCatcher In The Spyを関連付けて喋るようになる。なんなら常人には分からないようなレベルで、日常会話にCatcher In The Spy収録曲のフレーズの数々を執拗に混ぜ込みながら会話をする。というか本人もそれに気付いていない。脳が知らぬ間にこのアルバムに侵食されている証拠である。手遅れも手遅れ。アドバイスする気も起きない。君は君で居ろ

 またこの辺りからCatcher In The Spyの有する圧倒的攻撃力が身体に刻み込まれ、人間の常識を逸脱した身体能力を有するようになる。この状態のリスナーを敵に回すと冗談抜きで捻りつぶされるので、そっとしておいたほうがいい。山の中などで出会ったらクマなどと同じような対処をしよう。勝てない、どうせ奴のことだから

 

 

 チェック数35~44:まずい

 マジでヤバイ 人間界の最深部へようこそ

 ここまでくるともう普通の生活はしていない。生活の合間にCatcher In The Spyを刻むのではなく、Catcher In The Spyの合間に生活を仕方なくこなしている。

 もはや聴覚はその音楽を聴くためだけに存在し、脳髄はこのアルバムのことを思考するためだけにある。生きとし生けるものすべてを自分と同じ沼に引きずり込む、ことにはもう欠片も興味がなく、ただ永久に自分とCatcher In The Spyの二人きりで居たいがためにそのほかの雑務を必要最低限にこなす、どこまでもストイックなバーサーカー、それがこの段階である。

 この段階ともなるとまともな対話は不可能であり、どれだけ対話を求めても「お前のバランスは聞いてない」の一言で切り捨てられる。純粋化した思考回路こそすべてだと信じてやまないため、このアルバム以外からもたらされる情報の全てを「雑念」だとなによりも嫌う。近くによる際は遺書を書くか保険に加入しておくかしよう。

 

 

 チェック数45~49:怪物

 こんにちは、Catcher In The Spy以外の全てをかなぐり捨てたEGOISTよ

 ここまでの境地に至るのに一体何度の天国と地獄を数えたのか、何度銀河を走ってく鉄道を見送ったのか、何度僕が歌えば四重奏、を陰から見守ったのか。その途方も無さに俺は涙が止まらない。アルバムに人生を狂わされ過ぎている。

 もうおおよそ人間の姿は保っていない。その身体はミミズクと忍者と天秤と焼却炉とアメリカが合わさった、未だロックにご執心な電球である。何を言っているか分からないと思うが安心してほしい。僕ももう分からない。明らかにこの境地に至った人間は、生物の挙動を超えている。

 このアルバムはその底知れなさから、かの縲後い繧ォ繧キ繝?け繝サ繝ャ繧ウ繝シ繝峨?阪→蜀苓ォ?コ、縺倥j縺ォ豈碑シ?&繧後k縺薙→縺後@縺ー縺励?縺ゅk縺後?√?後Α繧キ繝ウ縺ィ縺薙≧繧ゅj蛯倥′謇玖。灘床縺ョ荳翫〒蜃コ莨壹≧縺薙→縺悟ョソ蜻ス縺・縺代i繧後※縺?k繧医≧縺ォ縲√ヰ繧ケ繧ア繝?ヨ繧キ繝・繝シ繧コ縺ィ蛟堤ォ九′繝斐ャ繝√Ε繝シ繝槭え繝ウ繝峨〒蜃コ莨壹≧縺薙→縺ョ鄒弱@縺輔′鬲疲ウ輔r蜻シ縺カ縲阪↑縺ゥ縲√%縺ョ蠅?慍縺ォ閾ウ縺」縺滉ココ髢薙?遯∵牛蟄舌?辟。縺??∫焚谺。蜈??險?蜍輔r郢ー繧願ソ斐☆縺薙→繧定??∴繧九→縲√&縺ェ縺後i髢馴&縺?〒繧ゅ↑縺??縺九b縺励l縺ェ縺??

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 チェック数50:おしまい

 満点、そしてCatcher In The Spyとの結婚おめでとう

 ところで鏡でも見てくれ

 

 お前は、いや、俺たちは、どうしてこうなっちまったんだろうな

 

 

 

 チェック数51以上:近寄らないでほしい

 お前が手遅れなのは分かったから勝手に項目を増やすな

 

 

 

 終わりに

 

 いかがだっただろうか。なんだこれは 冒頭の煙草の話は何だったんだ

 何はともあれ、Catcher In The Spyというアルバムがいかに恐ろしいかが伝わったら幸いである。そして依存した末が視界に入ったものすべてを「ゴマァイ‼メ――――!」する狂戦士になることも分かったと思う。よいこのみんなはこうならないように気を付けよう 俺はもう手遅れだ

 そんなクレイジーで超エキサイティングなアルバムであるCatcher In The Spy、本日でリリース9周年です。おめでた過ぎる。追加で9枚買おうかな。Catcher In The Spyのアルバムなんてなんぼあってもいいですからね

 

 あらためまして9周年おめでとうございました! 10周年にむけて今後とも愛聴し続けます

 

Catcher In The Spy(初回限定盤2CD)

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 一応書いとくか 全部嘘だよ

 良いアルバムなので9回は聴いてね

UNISON SQUARE GARDEN、「神様」に当たり強くない?

 

 

 その率直な疑問のきっかけは「僕らのその先」という、最近のユニゾンではあまり見られない、5分越えの長尺バラードでのワンフレーズである。

 

僕らのその先

僕らのその先

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 哀愁、切なさ、ノスタルジー、そういった抒情的なエッセンスが詰め込まれた歌詞に、ゆったりと、しかし厚みのあるメロディラインが寄り添う名曲ではあるのだが、曲のエモーショナルなラストに向けて一段階グッと盛り上がる部分に

 

神様となら昨日話してきたけど

君と話してる方が200倍くらい楽しかったな

 

 ひどくね?

「神様」を自分に置き換えてみろよ 自分が陰でこんなこと言われていたら泣くだろ、シンプルに

 

 何がひどいって、この曲の歌詞において「神様」が繰り返し出ているのではなく、この部分でのみ、いきなり、ピンポイントで「お前と比べて話がつまんねえ」とディスられているのである。こんな唐突に他者を貶める形で褒められたって、引き合いに出された「君」だってどうしていいかわかんないだろ 困るよ

 なんかよく分かんねえけど甘酸っぺえな~~! と歌詞世界に浸っていた神様に、突如極低温の冷や水、いや液体窒素をバケツで浴びせるかのような、暴挙。あいにく天界の法律にはそこまで詳しくないが、おそらくは結構な大罪だろう。ベーシスト氏はそういうのを気にするような質とは思わないが、一応死後には気を付けたほうがいい。強めのビンタくらいは覚悟しておくべき

 

 しかしこの「僕らのその先」もだが、よくよく考えればユニゾンの歌詞に出てくる神様はどうにも不憫というか、ろくな目に合わないというか、「神」という大層なワードからは考えられないほどに威厳がないのが多いように思う。崇められない・奉られない・お願いされないの三拍子が揃っている。いきなり引っ張りだされたと思ったら強めの言葉で殴られるだけ。同じソングライターによって書かれた歌詞でも、まだ「人類」の方が扱いが良い気がする。

 というわけで今回は、今年なんと19周年(!)を迎える、東京・中野区発のハイパーご長寿ロックバンドUNISON SQUARE GARDENがこれまで生み出した数々の楽曲の中から、「神」「神様」もしくは「God」といった単語が使われているものだけを抽出して、あれこれツッコミを入れたりかわいそがったりする記事である。ソングライターが神に厳しいのなら他でもない俺様が神に優しくしてあげなきゃ、の一心で筆を取った次第だ。愛の座敷牢は純度の高い優しさで運営されているブログです

 

 前置きここまで 以下不敬罪

 

 

 

 というわけでまずは、歌詞の中に「神」を宿した、選ばれし崇高な楽曲の紹介をしよう。

 2023年7月現在、正式にリリースされているUNISON SQUARE GARDENの楽曲において、歌詞の中に「神」「神様」および「God」を含むものは全部で12曲存在する。それがこちら

 

 2月、白昼の流れ星と飛行機雲

 サンポサキマイライフ

 WINDOW開ける

 23:25

 Kid,I like quartet

 僕らのその先

 シグナルABC

 8月、昼中の流れ星と飛行機雲

 fake town baby

 春が来てぼくら

 ラディアルナイトチェイサー

 Micro Paradiso!

 

 一応「神経」など、「神」を含んだ他の熟語を含めるともう少しだけ増えるが、あくまで今回は神を神として扱っている楽曲に絞っている。

 並べてみて思ったが、順序次第ではそのまま対バンとかのセトリにしても問題なく盛り上げられそうな気がしてくる。ひとつのワードで抽出したにも関わらずこれである。楽曲の層が厚すぎる。特定のワードで抜き出した楽曲を用いて、架空のセットリストを作って遊ぶのもちょっと面白いかもしれない。

 普段から超火力のユニゾン楽曲に丹念に炙られ、焼け野原にされているヘヴィリスナーの皆々様の中には、これだけ高威力な楽曲陣が揃っているのだから別にこき下ろされたって仕方がないだろう、むしろ本望だと思うべきでは? といった、ハイレヴェルなドМの滲み出た感想を抱く方もいらっしゃるのかもしれない。気持ちは分かる。ただあくまでそれは人類の立場での感想である。今回はこころを鬼にして、神様の立場で不届きな歌詞をばっさばっさとさばいていきたい

 

 

今日が寒いのはきっと女神様が

悲しい喧嘩をしたから

 

「ばっさばっさとさばいていきたい」からいきなり判断に困るのがきちゃった

 

 というわけで1曲目、インディーズ2作目のミニアルバム「流星前夜」から2月、白昼の流れ星と飛行機雲

 

 

 おそらく全楽曲の中でも、ライブで披露される機会の恵まれなさで言えばトップクラスであろう。調べたら最後に披露されたのは2011年らしい。12年前。僕がまだユニゾンの「U」の字も知らなかった頃だ。

 改めて聴き直すと、当たり前だけど今とサウンドもボーカルも歌詞のテイストも全然違う。若い。ちなみにサブスク音源も無い。こういう曲が一番めんどくさいファンを産んでそうで、下手に言及するのがめっちゃ怖い。

「神様に当たり強くない?」というきっかけで考察を始めたのに、最初からちゃんと神様してる曲が来てしまうと調子狂うからやめてほしい。企画が倒れる。寒さを女神さまのせいにしている、と捉えられなくもない……いや苦しいか。認めちゃえ。こちら正当な神です。おめでとう!

 というわけでいきなりタイトルをひっくり返されてしまった。いやはや意外とユニゾンは神様をリスペクトしてるバンドだったのかもな~

 

 

全知全能神様も知ったもんか

付ける足あとが最良のアンサー

 

 と思ったらこれだよ。なにが最良のアンサーだ0点だよこの野郎

 

 というわけで2曲目、1stアルバム「UNISON SQUARE GARDEN」より、サンポサキマイライフ

 

サンポサキマイライフ

サンポサキマイライフ

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 初期の楽曲の中でもライブでも披露される機会の比較的多い定番曲であり、どこをきってもノリノリなビートを生ライブで聴いた日には問答無用で口角が成層圏を超えるが、それはそれとして不敬罪。とりあえず二歩下がれ

「神様」が含まれる曲の中では下の「WINDOW開ける」と並んで結構な古株の楽曲であり、よって「神」ソングの中ではだいぶ先輩ともいえるが、それでこの扱いである。「全知全能」という、まさに神か大谷翔平くらいにしか使わないであろう大層な肩書きが付けられているにも関わらず、その直後に「知ったもんか」で一刀両断される姿には涙を禁じ得ない。むやみやたらに上げるだけ上げて地底まで叩き落とすな。神だぞ

 何より「全知全能神様」より足あとが上だと語るその精神に開いた口が塞がらない思いである。あまりにも傲慢すぎる。足あとから無数にチューリップが生えるくらいしないと到底納得できない。

 ただまあこの曲は初期も初期、あの斎藤氏が観客を煽っていた時代のものである。まだまだ若気の至りで許せる範囲ではあろう。神様も神様で当時から嘗められ過ぎだろう。この時ちゃんとベーシストをシメずに醜態ばかりを晒しているから、のちのちの後輩神様もあんまりうだつが上がらないのではないか。責任が問われる。

 

 

神様の思し召しならおしまいおしまいさよならよ

 

 3曲目は上記サンポサキマイライフと同じく1st収録WINDOW開ける

 

WINDOW開ける

WINDOW開ける

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 楽曲の知名度に反して、ライブで披露される機会は比較的多い隠れ名曲である。いや別に隠れてはないか。あのCITSツアーでもセトリに組み込まれていたのだから。これから先、こういう妙にダサい命名をされた曲が出てくることはあるのかな

「思し召し」と、しっかり敬う語を付けて語られているあたり、サンポサキマイライフの神様よりは扱いがまだマシな気はする。ただまあ前2つの同じメロディに使われているフレーズが「終わりの鐘が鳴ったから」と「流行りモノが廃れてく」なあたり、どうも「ああはいはい」みたいなニュアンスに捉えられるような気がしないでもない。あーまた始まったわ、話し始めるとマジで長いんスよね〜神様、みたいな目で見られてそう。そう思うとこれまた不憫である。校長先生か?

 あとこの後に続くのが「響くもの全部持って来いよ 俺はそんなに厳しくないぞ」なのが、見方によっては神様を使って自分の器のデカさをアピールしているように捉えられるのも可哀想ポイントが高い。雑に引用されたかと思えば当て馬にされている。ちゃんと怒れ

 

 

望遠鏡からつながった あさきゆめみし神の力で

今握りしめて走り出せば 空も飛べるような年頃です

 

 お次は2nd album「JET CO.」から23:25

 

23:25

23:25

 

 楽曲単体の威力ではかのCatcher In The Spyにも引けを取らないハードパンチャー揃いのアルバムである「JET CO.」のトリを務める御大ロックナンバーであり、未だにわたくしのなかでは武道館ライブで披露された際の格好良さの印象が強い。こういう曲こそ「知る人ぞ知る」なのかもしれない。タイアップもMVもないし。

 なんだか前2曲よりはだいぶ壮大そうだが、「あさきゆめみし」は直訳すると「浅い夢を見ていた」らしいので、見方によってはバカにされてる感はある。浅い夢見んな。ラマヌジャンみたいな夢見ろ。そしてしれっと「神様」ではなく「神」と、さりげなく敬称を省かれている。もう泣いていいよ

 それにしてもこの「神」は何らかの力をふるっているらしいが、彼は具体的に何を司っている神様なのだろう。何かずっと前にTwitterで回帰線(23度26分)とのつながりを考察したツイートを見かけたような気がする(見つけられなかった)のだが、これがもしも的を射ていればこの神様は回帰線でも司っている、のかもしれない。だとすれば、広義では地理の神様と言えそう。道真の手下かな?

 

 

いつも理由なく神に背いて

 

 背くな

 

 というわけで5曲目は3rd album「Populus Populus」から会心のリードトラック、kid,I like quartet。ここにきて「神ソング」では初のタイアップソングである。初タイアップでシンプルに不敬罪。あまりに肝っ玉がデカすぎる

 

kid, I like quartet

kid, I like quartet

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 これまたライブの大事な部分で披露される、ストレートにカッコいい彼らを存分に味わえる見事なロックナンバーだが、もう何も語るまい。神様の不憫度で言えばトップクラスである。理由なく背反されるならたまったものではないだろう。ちなみにこれも呼び捨て。ここまでくるとダチなのかと疑ってしまう。もしかして余計なお世話か?

 一応言っておくと歌詞カードに載っている歌詞ではないので、たまたまそう聴こえるだけで非公式である、と主張することは出来なくもない。が、もとになっているのがおそらくカウンターアイデンティティ(旧名:神に背く/少し黙ってろ)なので疑う余地はほとんどない。神様には強く生きてほしい。

「背く」ってワードを使う以上、おそらく基本的な考え方として神様には「従う」というもの、というのはあるのだろう。それを踏まえた上で敢えて「神に背く」という表現を用いているというのは、ベーシスト氏が「神」という存在をどういうものとして捉えているのかのヒントに成り得るかもしれない。まあどう弁明したって敬意はないのは確かなので、有罪

 

 

神様となら昨日話してきたけど

君と話してる方が200倍くらい楽しかったな

 

 というわけで発端。上のkid,I like quartetと同期の僕らのその先である。

 

僕らのその先

僕らのその先

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 最初に書いたとおりであるが、あらためて本当にかわいそう。前後のつながりが特にないまま脈絡なく話題に出された挙句、遠回し、というほどでもないくらいに、雑な回りくどさで間接的にディスられている。「2億倍」とかそういうデカすぎてリアリティのない単位ではなくて、「200倍」という、まだギリギリ想像のつきそうな値なのも不憫さに拍車をかけている。南無

 これはポジティブな解釈としては「君」との話があまりに楽しすぎたが故に、勢い余って神様すらもバカにしてしまった、というのももしかするとあるかもしれないが、それでもやっぱり神様が不憫である。「僕」と一体何を話したんだろうね神様。頭良すぎて何言ってるか分かんないとかかな。そうだといいね。よくねえよ

 これといいkid,I like quartetといいカウンターアイデンティティといい、「Populus Populus」は全体的な傾向として神様への扱いがひどい。受験前とかに聴くとあんまりよくないかもしれない。おとなしくCatcher In The Spyとかにしとこう。

 

 

季節のプロパティは等間隔

それは神が作ったシチュエイション

大気圏に混ざったとしても結論はてんで動かない

 

 お次は7曲目、10th single「シュガーソングとビターステップ」からカップリング曲であるシグナルABC

 

シグナルABC

シグナルABC

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 未だに15周年のB面ツアー(FC公演)での、この曲が披露された時の盛り上がりを覚えている。さすがは彼ら最大のヒット作のカップリング。

 これはまともに神様してる神様な気がする。なんてったって季節作って管理してるんだぜ。さすがにこれは文句なしで神っぽい。大気圏を突破したとしても動かない、という表現も、宇宙が地球と同じ数理によって支配されていることを思うと、これまでの歌詞とは一線を画す絶対的な神の力を感じる。これよ、これこそが神 ただ、敬称は大気圏に行ったときにそのまま落としちゃったのかな? 

 ものすごく穿った見方をするなら「季節のプロパティは等間隔」という表現と、サビで繰り返し語られる「君が忘れていた桃源郷」というフレーズから、なんとなく「味気ない・つまらない」を想起させるワードチョイスに思えなくもない。流石にこじつけが過ぎるような気もするが、instant EGOISTやInvisible sensationの例からも分かるように、ユニゾンはわりと曲の冒頭で退屈や味気無さ、日常の鬱屈を匂わせつつ、後半でそれをスカッと解消するという歌詞の展開をやりがちなので、あながち間違ってもいない気もする。

 とはいえ「絶対的なもの」として描かれているのが明確な以上、今までの神と比べても格段に扱いが良いのは確実だろう。よかったね神様!

 

 

隣で君が黙ってる事に気づいてるのに傷つけてるよ

神様 いじわる

 

 バカたれ~~~次はお前が嫌な奴かよ

 

  ということで8曲目は6th album「Dr.izzy」収録の名バラード、8月、昼中の流れ星と飛行機雲。「2月~」とのつながりを考えれば神様への言及があるのは必然と言える。

 

 

 仮に「二次創作小説の題材にされがちなUNISON SQUARE GARDEN楽曲ランキング」みたいなのがあったとしたら、間違いなく3位以内には入りそうなくらいにピュアでスイートな一曲。これはもう捻りなく、田淵氏の甘酸っぱい部分が凝縮されているタイプの楽曲と言えよう。こういう曲を自分たちのバンドでも躊躇わずに出せるから、アニメや声優やVtuberへの曲提供が途切れないのかもしれない。信頼度が高すぎる。

 さておき歌詞。上の通り歌詞運びだけ見て「オイいじわるすんな神様」と問い詰めたくなる気持ちは分かる。分かるが、これは神様バカにし過ぎソングとして悪名高きあの「僕らのその先」と同タイプの歌詞運びだ。騙されてはいけない。これもまた神様は唐突に呼び出されていきなり「いじわる」呼ばわりされている。可哀想。

 甘酸っぱさに拍車をかけていく曲後半では神様に対する言及が一切ないことから見るに、1サビ前のこの「神様 いじわる」は本当に苦し紛れの神様への責任転嫁だと言わざるを得ない。2月~と比べるとだいぶ扱いが雑。君の幸せ公式を解く前に神様への懺悔をすべきです

 ただまあこの曲に関しては全体的にいじらしいから多めに見てあげたい気持ちもある

 

 

神様はいない 要らない いても 要らない

 

 ストレートに一番ひどいのきた

 

 7th album「MODE MOOD MODE」からfake town baby。この「神ソング」の中ではkid I like quartetに続いて2曲目のタイアップソングであり、何気に初のシングル曲でもある。おそらく次の「春が来てぼくら」と並び、ユニゾンの歌詞に出てくる神様の中でも特に有名なのがこの曲の神様だろう。MVもあるし。

 

 

 あの最高傑作と名高いMODE MOOD MODEの、ロック部分のエースを担当するバチバチにエネルギッシュな一曲。こんなに容赦のない炎が似合う曲はこの曲以外だと「天国と地獄」くらいだろう。聴くだけで汗が出るぜ

 アニメ主題歌の、よりにもよってサビの部分で、いないし仮に居ても要らないと断言されている。さすがにこれは同情せざるを得ない。今までで一番かわいそう。

 ただこれはタイアップ元である血界戦線という作品の性質上致し方ない部分があるので、これは田淵氏が作品に寄り添いまくった結果、めぐりめぐって神様にとばっちりが行ったパターンだと言える。ヘルサレムズ・ロットという不条理が跳梁跋扈する世界において、都合の良い神様はたしかに居ないし、例え居ても要らないのだ。

 だったら最初から引き合いに出さないでくれないかな、と僕が神なら思うが、ここで「神様」という万人が共通して「強い」「崇高」と感じるワードをあえてぶった切ることで、楽曲のインパクトを高めることに成功しているので、ある意味ではリスペクトと言えなくもない、気がしないでもないこともない

 しかしまあ、この曲をふと口ずさむときに毎回神様は要らないって言うのも、神様さんサイド的にはちょっとかわいそうなので、やっぱりサビでそんな言わなくてもいいじゃんとは思う もっと目立たないところでふんわりと言うべき

 

 

夢が叶う そんな運命が嘘だとしても

また違う色まぜて また違う景色を作ろう

神様が呆れる頃きっと 暖かな風が吹く

 

 さてさてお次は8th album「Patrick vegee」から春が来てぼくら

 

 

 前述の「fake town baby」と同じくこちらもアニメタイアップ曲である。タイアップで「神様」ワードを用いる機会が意外と多いという、本当にこれ以外で使うことの無い豆知識を知れた。このブログの存在自体そんな感じだから、なんだかシンパシーのようなものを感じる。

 とはいえこれは当たりが強い感じはそこまで無い。「呆れる」ということは、何かしら神様の思い通りにならなかったという事で、だったら本質的にはkid,I like quartetの神様とあんまり変わらない気もするが、それでも「神様」周りの歌詞の雰囲気がギスギスしていないのはポイントが高い。一体苦節何年なのかな、ようやく対等な感じになれたんだね、神様! もう威厳の欠片もねえよ

 それか自らが与えた運命に自らのカラーをどんどん付与して捻じ曲げていくその様に、呆れた、もう勝手にしてくれと匙を投げてしまったのかもしれない。神の世界に管轄のようなものがあるのなら、ユニゾンの担当になった神様は本当にしんどいだろうなと思った。総括、やっぱ不憫

 

 

突如舌を出す神様 question 集合知 てんで出鱈目

ふんぞり返るは神様question 科学的チャートも虚しい

一見陳腐な神様question アネクドート風刺 おあつらえ

尚も舌を出す神様question 僕らstep by stepが似合う

賛否篩 割く 神様question 不確定ヘイトまみれけり

 

 多い多い多い

 

 14th single「春が来てぼくら」から、カップリング曲ラディアルナイトチェイサー。

 

 

 かっちぇ~~~~

 曲者揃いのカップリング曲集団の中でも屈指の火力・破壊力・殺傷能力を誇り、2018年の彼らのロックンロール成分を大方担っていた核弾頭である。春が来てぼくらで油断していたリスナーを、問答無用で張り倒すエッジの聴いた演奏とメロディライン。この曲に狂わされた方も多かろう。Catcher In The Spyにぞっこんな身としては、このロックテイストの強いゴリラの存在はたまらないものがある。大好き。

 それはさておきなんだこの世界ふしぎ発見みたいな神様は。まずなんでこんなにたくさん出番があるんだ、Aメロがくるたびにしゃしゃり出やがって

 矢継ぎ早に質問を投げかける割にその質問の内容も大してよくわからず、当の本人は舌を出してふんぞり返っている。これまでで一番性格が悪い。サンポサキマイライフからここまでやたらと虐げられた恨みを、ここですべて発散させようとしているのか。今宵の神様は気合が違うぜ ただ惜しいね~カップリングなんだよね 謙虚!

 あらためて歌詞を見ると「お前がダサいだけ」をボーカルに言わせたいという作者のどうしようもない癖と、当時心配になるくらいのハイペースで曲を出していた彼の「もう出し尽くした しばし待たれよ」という心の叫びを上手い具合にマリアージュしたものになっているように思うが、それを接合する言葉の節々に「周りじゃなくて自分で決めろ」というメッセージが込められているような気がしないでもない。そうなると必然的に神に頼んな! みたいな話にならないか? 兎にも角にも歌詞を掴むのが難しい

 あとこれ神様が出したquestionなのか、神様に問うためのquestionなのかで解釈ががらりと変わってくるからわからない。一見陳腐なのが神様か質問なのか問題 不憫かどうかの解析は一生続く oh no~~

 

 

ほっといてmy God

その啓示は今じゃ通じない

 

しーですよ、my God

真理も渋滞しちゃしょうがない

 

 ここにきて初めての「God」表記。international

「My God」は本来「なんてこった」とか「さあ大変」とかそういう意味で捉えるべきで、ここで言う「神様」という意味ではあんまり出さないとは思うが、いろいろ思うところがあって一応出した。大体この歌詞運びなら絶対隣にいるもんなGod 距離感近すぎ

 

 というわけで「神ソング」ラストは上記ラディアルナイトチェイサーと同期、14th single「春が来てぼくら」からMicro Paradiso!

 

 

 ちなみにMicro Paradiso!の「!」は1個だから気を付けよう。僕はここ4年くらいずっと「Micro Paradiso‼」だと思ってた。まあエクスクラメーションマークなんて何個ついてても良いですからね。バカのミルクボーイ

 数あるカップリング曲の中でもド直球に問題児。故に大人気。ここまでハッチャケられるともう何も言えなくなる。楽しそうで何より。

 肝心の歌詞だがもういいでしょう。シンプルに「ほっとけ時代遅れ」言われてます。大して回りくどくも無い。ラディアルナイトチェイサーで少しは仕返しできたと思ったら即座に200倍くらいのパワーでコテンのパンにされてる。後半でも「静かにしろ」言われてるし。昔多少偉かったおじいちゃんくらいの扱い。だんだん神様がかわいく思えてきた。がんばれ

 あと何気に「春が来てぼくら」のシングルは、収録されている3曲の歌詞すべてに神様が含まれていることに気付いた。神含有率100%。すご 文字通りGod singleじゃん

 

 👆God single👆

 

 神秘的なジャケ写も相まってより神々しく思えてきて仕方ない。なんだか後光が差して見える。ただ肝心の収録曲が神様をリスペクトしているかと問われると微妙である。願掛け目的で聴くのはおすすめしない。

 

 

 

 終わりに

 

 というわけで、それぞれの神様を簡単にまとめたものがこちら。

 

 2月、白昼の流れ星と飛行機雲→威厳あり

 サンポサキマイライフ→不憫

 WINDOW開ける→やや不憫

 23:25→まあ不憫

 kid,I like quartet→不憫

 僕らのその先→不憫

 シグナルABC→威厳あり

 8月、昼中の流れ星と飛行機雲→ギリ不憫

 fake town baby→不憫

 春が来てぼくら→結局不憫

 ラディアルナイトチェイサー→性格が悪い

 Micro Paradiso!→かわいい

 

 この記事を書いていて思ったのは「不憫は不憫だけど思ったよりは……」である。さんざん言ったが、ぶっちゃけ思ったよりひどい扱いではなかった。「僕らのその先」のワンフレーズからここまで膨らませてこの結論に至るのもどうなんだと思わなくも無いが、あの曲の当たりが強すぎるだけである。あんなにやさしい曲なのに神様への当たりの強さだけ異常。頼むから200倍の根拠を持ってきてほしい

 あとこれだけ長いことバンドやってて、リリースされた楽曲に一度たりとも「神様お願い」みたいな歌詞が無いのにも驚いた。1個くらいあるだろと思ってたら、無かった。神様に一切媚びを売らずに、むしろ神と殴り合いながらここまで来てる。ストイックすぎるぜロロノア・ゾロかよ

 ちなみに今回対象としたのはあくまでUNISON SQUARE GARDENの楽曲だけで、田淵智也氏が他アーティストに提供・プロデュースした楽曲についてはノータッチである。ついでにQ-MHzもTHE KEBABSも同様。もしかしたら余所行きだとバチバチに神に媚び売ってるかもしれないね。それはそれで面白い。

 

 ということで、ここ数日ユニゾンの神様についてばかり考えていたのでくたびれました。目が覚めるまでそっとしていてほしい とくにオチも無い 終わり終わり この記事はご覧の神様の提供でお送りしました

 

7/1

 近所にあったTSUTAYAが閉店した。

 

 そのTSUTAYAは、書籍とCDが別の建物になっているタイプのTSUTAYAで、潰れたのはレンタル館の方だった。閉店の知らせを聞いて、レンタル館の方にトイレを借りる以外の用事で入ったのは果たしていつだろう、と考えてしまうほどには足が遠のいていた。自分の家から徒歩5分圏内にあるというのに。

 内情をよく知らないので適当なことは言えないが、一昨年に最大のフランチャイズ加盟店である「トップカルチャー」がレンタル事業からの全面撤退を発表したことからもわかるように、これだけサブスクが隆盛を極めている時代に、わざわざ店舗に訪れてCDやDVDをレンタルする文化は流石にもう流行らないのだろう。二度と時間が巻き戻らないように、人は一度得てしまった利便性をそう易々と手放すことは出来ない。

 かくいう僕もそうである。指先一つで自在にダウンロードが出来る快適さに心を奪われ、今やもうすっかり敬虔なApple Music信徒に成り果ててしまった。もはやCDを開封する手間すら惜しい。CDを借りてPCを立ち上げてiTunesを立ち上げてCDドライブを繋いでインポートしてスマホに同期して、ああ考えただけで実家に帰りたくなる。無理無理。

 

 閉店前に、一度だけその店に赴いた。

「閉店のお知らせ」と書かれた紙が店の前の自動ドアに張り出されていて、数日間閉店セールを行っていた。もうとっくにお店でアーティストのCDを予約することも、まだ聴いたことのないバンドのCDをレンタルすることもなくなっていた僕には、レンタル館に特に目的も無かった。単に書籍館で漫画を購入したついでだった。

 セールスランキング順に並んだCDの品揃え自体は最近のヒットチャートに沿っていたが、入店して向かって右側がCDコーナー、左側がDVDコーナー、奥に行けばR18コーナーという商品の配置は、僕がこの店に初めて訪れた時から全く変わっていなかった。書籍館の方は体感数か月に一度くらいのペースで配置変更をしているのに。

 

 右奥側のトイレ近辺にある、J-ROCKと銘打たれたコーナーを何となく眺めた。

 あいうえお順に並べられたバンドのCDは年季が入っているものばかりで、全体的に傷が多く、薄汚れている。同じくかすれかかった仕切り板に書かれているのは、かつての僕がこの店でCDを借りたバンドの名前の数々。andymoriUNCHAIN、アルカラ、クリープハイプGRAPEVINE椿屋四重奏NUMBER GIRLヒトリエフレデリック、そしてUNISON SQUARE GARDEN

 何を隠そう、YouTubeで偶然聴いた「天国と地獄」に衝撃を受けた僕がCatcher In The Spyを借りたお店がここである。ある意味では僕にとっての聖地と言って良いのかもしれない。もう聖地消えたが

 僕が高校生の時は4枚1000円、そのうち何を血迷ったのか10枚1000円という、破格の値段で旧作CDをレンタルさせてくれたこの店で、長時間吟味して借りたアルバムを、かつての僕はいったい何枚自分のPCにインポートしたのだろう。どれほどの楽曲を自身のスマホに同期させたのだろう。スマートフォンの容量内訳を示す棒グラフがほとんど「オーディオ」で埋まっていることを、かつての僕はどこか誇らしく思っていたような気すらする。

 この店がなかったら知ることの無かった音楽がたくさんある、とまでは言わないが、この店がなかったら聴くきっかけがなかった「かもしれない」音楽はたくさんある。10枚1000円という価格設定が、自分がまだ触れたことのないバンドに手を出すきっかけになっていた。時には余った枠でジャニーズのアルバムを借りてみたり、ボカロやアニソン、はたまた洋楽に手を伸ばしたりしていた。その中には自分には合わなかったもの、難しかったもの、全くもって琴線に触れなかったものといった残念な出会いも多々あったが、そういうミスチョイスを通じて自分の好みを固めていったという見方も出来なくはない。

 懐旧と寂寥とほんの少しの後悔が綯い交ぜになった心を抱えたまま、結局何も買うことなく店を後にした。思い返せばお世話になりっぱなしだったな、とマスクの下で独り言ちる。晩春、店の前の駐車場には、どこからか吹いてきた薄桃色の花びらが滲んでいた。

 

Good bye my JAM

Good bye my JAM

  • provided courtesy of iTunes

 

破壊しても壊れない場所だと思っていた

ずっとそこで俺を待っているって

子供みたいに疑いもしないで信じていた

ずっとそこで俺を待っているって

 

Good bye my JAM――バズマザーズ

 

 人の目には、いつか失われてしまうものしか映らない。

 この世に「不変」などなく、在ったとしてもそれは人間の目には映らず、人間がそれを概念として認識することは出来ない。人間の目に映るこの世の全ては、いつかすべて変化し、そして消えてなくなっていく。そういう風に出来ている。近所のTSUTAYAも、それを衰退させたサブスクリプションも、この文章を映し出しているデバイスも、それを眺める貴方も、この文章を記述する僕も、それらを包括するこの世界すらもそうだ。

 しかしそれはあくまで客観的・俯瞰的な視点にて語るから言えることであって、主観的な立場となると話が変わってくる。現在の自分は、これまでの人生の過程ですでに完成されたものであって、ここから先余程のことがあっても変わることは無い、と思ってしまいがちだ。加齢や経験によっていくらでも変化する余地はあると、これまでの過程で痛いほど分かっているはずなのに、自分の思想とあまりに乖離する言論を、半ば罵倒でもするように、強く拒絶してしまうことがある。

 例えば、価値観とか。

 

 僕個人の話である。

 僕はこれまでアーティストに対して、作る曲さえ良ければ当人の人間性は二の次で良い、と考えていた。ぶっちゃけ今でも少なからずそう思っている。

 さすがに懲役が付くレベルの犯罪を犯したとかだと考えるが、基本的にどれだけ人間としてどうしようもなくても、作る曲が良ければそれだけで評価されて然るべきだと思っていた。罪を憎んで人を憎まずとまでは言わないが、人間性と楽曲の良さは切り離して考えるべき、という価値観があり、今でもその価値観の根本は変わらない。

 本当に好きなアーティストなのでこういう例えに出すのもちょっと気が引けるが、たとえばPK shampooのヤマトパンクス。僕が言うのも何だが、人間として彼はわりとダメな方だと思う。思うが、それでもPK shampooを聴いているのは、ひとえにヤマパンのアウトなエピソードによる好感度低下を差し引いても彼の書く楽曲が素晴らしく格好良く、美しく、そして銀河巡礼概論が死ぬほど面白いからである。あれで曲もラジオもダメだったらアンチになってる。間違いなく。

 些細な火遊びが文春砲で白日の下に晒されたり、SNSでしょうもないことを呟いて炎上したり、そういったちょっとした事件とそれへの対応を見てダサいと思うことはあれど、その当人の作った音楽そのものの素晴らしさが揺らぐことは無い。異論があることは承知の上だが、これまでの僕はあくまでそれを別々のことだと、切り分けて考えることが出来た。

 世の中に星の数ほど存在する表現者の中のトーナメントで勝ち上がって、まばゆいスターダムに上り詰める一握りの人間はみな、どこかしら普通の物差しでは測れない強烈な個性があって、その個性がほんの少しよろしくない方向に傾きがちな人もいるのだろうと納得できた。

 

 反対に、どうしても拒否感のあるものもある。昔から政治的なステートメントを公に発するアーティストが本当に苦手である。これはミュージシャンでも小説家でも漫画家でも絵師でも俳優でも何でもそうだ。政治への積極的な参加は大いに結構だが、それを目に見えるような形で出さないでほしい、という思いがある。自分勝手な我儘だというのは重々承知だが、何というか、水を差されたような気分になるのだ。

 アーティスト、という存在を過度に神格化してしまうが故の弊害だというのは分かっているのだが、苦手なものは苦手なので仕方ない。極めて庶民的な例えで恐縮だが、焼き魚も刺身も好きだとしても、魚の小骨は本当に邪魔に感じることと同じである。鍵垢で言えとまでは言わないが、出来れば「選挙に行ってきました」くらいにとどめてほしい。僕が未だにアジカンをまともに聴けないのは、ゴッチがそっち方面で非常にめんどくさいから、というのがある。一昔前なら言い訳乙って言われてたな、実際言い訳です

 岸田はクソ! うんち! と小学生男子のように茶化すならまだいいのだが、長いアーティスト生活で自ずと鍛えられた豊富な語彙と、世の中の澱みを的確に捉えしその慧眼と、センシティブな話題故にどうしても過激に聴こえがちな語り口と、無駄に大きく強くなり過ぎた発言力が合わさった時が非常にマズい。大抵の場合、年中Twitterしかやっていない暇人どもに袋叩きにされ、見たくもない自分のTLにまで話題が波及するという七面倒臭い展開に陥る。自分の好きなアーティストがそのやり玉に挙げられ、ろくに曲も聴いたことも無いであろう人から、心無いバッシングを受けているのを見ると本当に死にたくなる。俺が。

 繰り返すが、政治的な話題を出すのは悪いことではない。政治的な話題をカジュアルなものにせず、反対に「政治」という生活の根幹を為すものを語る、という当たり前のことをタブーな雰囲気にしてしまった、この国のこれまでが悪い。それを変えていくのが影響力のあるアーティストの、ひいてはインフルエンサーの務めだと言うのも、大いに結構である。ただその旗振り役は僕の好きなアーティスト以外にお願いしたいというだけの話だ。

 

 まあ矛盾してるな、と自分でも思う。

 作る曲さえ良ければ当人の人間性はどうでもいい、と語りながら、政治的なステートメントを公に発信することは嫌う。政治観は人間性の勘定には入らないとでも言うのだろうか。むしろ中心軸寄りだろう。思想なんだから。

 ただ、本当にバカらしいが、これが音楽を聴くことが生活の少なくない部分を占めるようになってから、少しずつ醸成されてきた僕の価値観である。そこに嘘はつけないし、この根幹はこれから先も変わらない。そう思っていた。

 が、その価値観が少しゆらぐ出来事があった。出来事というか、情勢が。

 AIの急速な隆盛である。

 

 

 今やインターネットで一日たりとも見ないことのない、AIの話題。ここ数年で一番分かりやすく「人間の技術もついにこの粋に達した」を体現した概念ではないかと思う。

 例えばイラストの分野では、今更自分で練習するのも馬鹿らしくなるような高いクオリティのイラストを一瞬で生成できるAIが開発され、pixivにはそれを用いて作成されたイラストが氾濫し、絵師のモチベーションを岩壁を削る波のように蝕んでいる。

 例えば文章創作の分野では、chat GPTなどの文章生成AIの発展により、極めて短時間で任意の文章を精製できるようになった。仕事でのメール文書を作成する際に使っている例もあるどころか、自治体によっては正式に業務に取り入れている所も出始めているらしい。創作関連でも昨年、AIを使って執筆された小説が星新一賞受賞したそうな。

 業務で用いる文書やマニュアル化された作業など、ある程度形式化された物事への浸透は予想していたものの、ここまでクリエイティブな方面への浸透も早いとは思わなかった。このままのペースでAIが進歩するのであれば、人間が何かを創って提供することそのものが「酔狂」と言われる時代も、そう遠くはないのかもしれない。野崎まどの「タイタン」みたいな世界。

 

 では、イラスト、文章ときたら音楽はどうだろうか。

 こちらも負けじと目覚ましい進歩を遂げているらしい。2015年ではまだまだ稚拙な音楽しか作れなかった音楽制作AIだが、今ではその将来への影響を危惧され、海外ではAIに音楽を学習させないことを要求する声明が出されるほどの脅威と化している。自分自身が使用したわけではないので詳しいことは言えないが、その技術の進歩はとうに想像の域など超えているのだろう。すでに海外には、自身の作品にAIを積極的に取り入れているアーティストも存在する。きっと自分が観測できていないだけで、この国にも同じアプローチをしているアーティストはいるはずだ。すでにAI技術の数々は知らぬ間に我々の日常に溶け込み、我々は意識せずともその恩恵を享受しているのだから。

 

 音楽の中でも、我々(ここで言う「我々」とは、邦楽ロックやそれに準じるポップスを好んで聴く人間を指す)が常日頃聴いている邦楽に関して言えば、「コード進行」なる楽曲の雰囲気を決めるベース部分はもうとっくに開拓され尽くしているらしい。それでも毎日新しい快楽を開拓してくれる邦楽に音楽素人のワタクシは驚かされっぱなしだが、音楽識者からしたら似た曲ばかりに聴こえて退屈なのかもしれない。

 もう3年近く前の話になるが、ヨルシカの「盗作」をリリースした際のインタビューで、既存のポップミュージックについてn-bunaがこう語っていた。

 

僕のなかで思っているのは、そもそもメロディに関していえば、ポップ・ミュージックという枠組みの中ではオリジナリティというものは存在しないと思っているんです。今の世の中に生まれているメロディは、音楽の歴史の中ではどこかで流れたメロディである。もはや全てのメロディは十二音の音階の中でパターン化されて出尽くしている。

ヨルシカ『盗作』オフィシャルインタビュー<前編>より

 

 まあ天下のn-buna様が語るのであればきっとその通りなのだろう。だとすると、現代ポップスにおける表現と言うのはある観点から見ればすでに「底のあるもの」であり、これからの音楽生成AI技術の進展によっては、その辺の作曲家を吹いて散らすようなクオリティの「既存の焼き増し」を、従来では考えられないペースで量産する未来もあるのかもしれない。

 人間の仕事の大部分がAIにとって変わられる世界は、もうすぐそこまで来ている。前述の通り、イラストや文章制作の分野ですらそうだ。それに関する諸問題はさておき、音楽に関しても近い未来、まったくの素人が、自分の好きな曲を自分の好きなように作ることの出来る未来が訪れるとしたら、自分を取り巻く音楽は一体どう変わっていくのだろう。ミュージシャンの存在価値は、どこに見出せばいいのだろう。

 

 

 ずっと前から疑問だったことがある。

 果たして自分は何を持って、曲を「良い」と判断しているのだろうか。

 

 

 こちらはソードアート・オンライン主題歌でお馴染みの「Catch the Moment」である。歌唱は今をきらめく歌姫LiSA氏で、作曲は我らが田淵智也氏。これ以上ない、と言っても過言ではない黄金コンビである。もう6年前の曲らしいぜ

 この曲を例に挙げたことに別に他意はない。素晴らしき楽曲である。ただ、この曲を「良い」という心は本当に、楽曲に対する評価だけなのだろうか、ということがずっと疑問だった。もっと言うのであれば、自分は「曲」を単体で聴いているのではなくて、それを作ったアーティストが好きなことを前提として聴いているのではないかと。まったく同じ音・歌詞・構成の曲を、自分が全く好きではないアーティストが作っていたとしたら、そこまで好きではない歌手によって歌われていたら、本当にその曲が好きになっただろうか、と。

 もしこの「Catch the Moment」を歌っているのが、例えばYouTube shortでキモい声出しながらオムライス作ってるあの謎の男で、作曲者がまったく自分の好みの範囲外にある人だったら、まあおそらく好きになることはなかっただろうなと思う。

 ハヌマーンの元ボーカルがやっているバンドという情報を知らなかったら、バズマザーズを聴くことはあっただろうか。フィッシュライフのボーカルのソロプロジェクトということを知らなかったら、多次元制御機構よだかを聴くことがあっただろうか。トーマの別(新)名義という前情報がなかったら、Gyosonを聴くことはあっただろうか。

 

 

 なかったかもしれない、と思う。ハヌマーンに、フィッシュライフに、トーマにそれぞれ執着がなければ、彼らの今を知り得ることは難しかっただろうし、在ったとしても好きになるのは今以上に難しかったのではないか。僕は自分が思う以上にその曲を作ったアーティストを重視しているし、それそのものが音楽を取捨選択する際の基準になっている。

 自分の心の琴線を揺らす音楽に出会って、それを作ったアーティストのことを知る。細部の音を聴きとり、紡がれた歌詞の解釈をし、そこから価値観や大事にしているものを読み取り、自分なりに音楽を咀嚼する。それを何度も繰り返して、言葉と音の幻影を追い続けて、そのアーティストのどの曲を聴いても身体が揺れるようになった時、本当の意味で初めてそのアーティストが好きになるのだろう。普段何気なく発される「好き」とはきっと、様々な要素が幾重にも複雑に、多層的に、ねじれ、絡まっているものだ。自分が思っている以上に、ずっと。

 自分が有していた「作る曲さえ良ければ当人の人間性は二の次で良い」の価値観が、根本的に間違っていた、とは言わない。だが、そのアーティストの書く音楽に、詩に、それを出力する根源に惹かれた瞬間から、その音楽と人間性はどうしても密接に紐付いてしまうものなのだろう。自分が気にする、しないに関わらず。

 

 上で引用したn-bunaのインタビューには、実は少しだけ続きがある。

僕のなかで思っているのは、そもそもメロディに関していえば、ポップ・ミュージックという枠組みの中ではオリジナリティというものは存在しないと思っているんです。今の世の中に生まれているメロディは、音楽の歴史の中ではどこかで流れたメロディである。もはや全てのメロディは十二音の音階の中でパターン化されて出尽くしている。それでも僕は表現方法までは出尽くしていないと思っていて。メロディの動きだけじゃなく、歌詞や楽器や構成のような複合的な要素が組み合わさった中で、偶発的な美しさがそこに生まれると僕は思っているんです。

ヨルシカ『盗作』オフィシャルインタビュー<前編>より

 

 人間には到底追いつかない、ものすごいスピードで学習とアウトプットを繰り返す人工知能でも模倣できないものが、そのアーティスト自身が楽曲を創るまでに歩んできた中で、自らの中で育んできた言葉選びや思想、価値観なのだと思う。

 歌う言葉と紡ぐフレーズ、そして何よりそれを彩り、それに彩られる音楽を構成する一つ一つの要素を味わうこと、「なんだか気持ちいい」を自分の言葉で言語化して、飲み込み、自分を構築する一片とすること。これから先、音楽生成AIの技術進歩によって、素人でもある程度自在に自分の「気持ちいい」と感じる音楽を創ることが出来る時代が来たとして、それによって単なる表面的な「好き」が駆逐されるとしたら、その中でアーティストの価値を見出す解答のひとつが、自分なりにそのアーティストの深部を覗きこもうとすること、楽曲の根源を紐解こうとすること、自分なりの「解釈」を持つことなのかもしれない。このインタビューを読む中で、そんなことを思った。

 

 

 

月曜日の夕暮れ、海岸でコーヒーを
飲む魔法使いのアルパカは、
雪の結晶でピアノの曲を奏でた。
雨の中で眠る紫色のヘリウム風船は、
透明な猫の歌声に導かれて、
木曜日にカレーを食べる夢を見た。

これはGPT-4で生成された、
なんら意味性をもたない文章ですが、
音楽というフィルターだけでヒトはきっと、
ここに比喩性を求めてしまう。
その推測こそ、人間らしさの根幹なのだ。

 

 これは椎乃味醂の「あなたにはなれない」という楽曲から引用した歌詞である。

 ボカコレ春参加曲として投稿されたこの曲の、ポエトリーリーディング部分として書かれた上記の歌詞を見て、本当に痺れた。この時代でもうこんなにAIを上手く使いこなすアーティストがいるのなら、AIの隆盛にそこまで怯える必要もないのかもしれない、と思ってしまう。最高。

 邦楽ロックを好んで聴くようになってから、この"一見意味のない文字列にどうにか意味を見出す"という、極めて厄介な性にずっと振り回されているような気がする。これをこじらせて、気付けば結構な数の記事を連ねた。まあこういうのは例外だとしてもだ。その節は本当に申し訳ありませんでした。この記事でバカみたいに熱弁した「ラバーバンドはいらない!」の価値観も、いずれ変わっていくのかもしれない。

 すべては変わりゆく。音楽の在り方も、それを聴く自分も、それらを内包する世界すらも。変わることがないのは過去だけで、未来は失われるために存在する。やがて訪れるかもしれない、果てしなく大きなシンギュラリティの奔流に呑み込まれた時に、今と同じように好きな音楽と付き合っていくのはきっと難しいだろう。だからこそ思考を止めないこと、そして出来れば自分の言葉で言語化し、取り込み続けることが大事なのだと思う。

 

 そう考えると、一時のノリでブログという媒体を選んだにしては、わりと自分の性に合っていたのかもしれない。そんなことを思った50記事目でした。

 いつもありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

ラバーバンドを売るのをやめろ

 

 頼む

 

 あんなよく分からんわっかに俺様のかわいい給料を費やすわけにはいかない

 

 

 

 

 ロックバンドの厳しい財政状況には大いに同情するのだが、それはそれとしてロックバンドの物販での買いたいと思わせるようなグッズの少なさには毎回辟易するばかりである。

 ライブの物販に並ぶたびに何を買うか迷いに迷った挙句、ユニクロだったら半額以下で変えそうな、バカたけえシャツばかりを毎回買っている。ちなみにこないだは珍しくパーカーを買ったのだが、その値段なんと4500円。吉野家に行ったら牛丼10杯に豚汁まで付けることが出来る。牛丼10杯と豚汁……と着用のたびに呟く持ち主に袖を通されるパーカーの物悲しさと言ったら察するに余りある。

 よくバンドは金にならないだの、売れないだの、バンドマンは生活が苦しいだのと言った言葉をインターネット上で見かけるが、これは別に演者側だけでなく観客側も同じである。文筆業でもそうだが、提供する側の厳しさにばかりフォーカスがあたって、見る側である我々のお財布事情は基本的に蔑ろにされている気がしてならない。

 Twitterのタイムラインを眺めていると「もっと金を払わせろ」やら「推しへの投資は(おおよそ理解できない理屈)だから実質無料」やら、万札で尻を拭いている富豪か、もしくは「推し」とやらに脳みそを木端微塵に破壊された悲しきモンスターの呟きばかりが目に入るが、世の中の大多数は昨今の物価高と実質賃金の低下の煽りを受ける、ある程度の理性を有したかよわき小市民である。そうだと思いたい。そうであってほしい。そうだよな? 頼むよ

 

 だからその、法外な値段のグッズを買うなら買うで、もっと実になるもの、実用的なものが欲しいと思ってやまないまま、かれこれ10年近くが経過しているのだが、未だにバンドの物販には高いTシャツと中途半端な大きさのタオルと、邪魔にはならないが大して役にも立たないキーホルダーやラバーバンド類と、結局貼る機会を失くしてタンスの裏とかに落ちて忘れ去られる悲しき運命を背負ったステッカーなどしか売っていない。変わり種としてメモ帳とかもたまにある。だからなんなんだ 物販に対する文句でもメモしろと?

 好きなロックバンドをグッズを買うことでもっと応援したい、と思う気持ちはあれど、バンドへの好意的なフィルターが掛かった目で見ても、値段を見た時に、ファーストインプレッションとして購買欲より先に躊躇が来るグッズばかりが並ぶ現状はどうにももやもやしてならない。クレーンゲームの景品がいくら取れそうな位置にあったとして、仮にそれが取れたところでどうするかを考え、結局手を出さないことと同じである。デカいぬいぐるみとか興味ないキャラのフィギュアとか

 

 

 これを見てもらいたい。これは僕が数分で作った、定番のバンドグッズへの「許せる・許せない」を示した表である。

 ここでいう「定番」は別に何らかの定義が有るわけではなく、単に僕がライブハウスの物販を見て「よく売ってる」と思うものであるため、そこは了承いただきたい。もしかしたら僕が想像だにしないものを定番商品として売っているバンドが存在する可能性は全然否定できないので。

 表を見て分かる通りだいたい許せない。バンドグッズに文句があり過ぎる。ちなみにここで言っておくが、この記事において「嫌なら買うな」というカスみたいな意見はすべて無視する。わたくしだって好きなバンドのグッズは欲しいのに、バンド側が欲しいものを出してくれない現状に文句があるのだ

 とりあえず、許せないグッズひとつひとつに文句を言っていこうと思う。

 

 

 ラバーバンド

 許せないグッズ筆頭株。「とりあえず定番だからラバーバンドでも出す」ところから始めるそこのバンドマン、およびスタッフ正座 なるべくごつごつした地面で、正座

 高い、すぐ無くす、普段使い出来ない、それ以外の場面で活躍できないの四重苦を背負った曰く付きの定番商品である。僕が思いつかないだけであと36個くらい欠点がある。四十苦。シンプルにいらん。資源の無駄遣いだから今すぐにやめろ。お前らのその「とりあえず」が母なる地球を苦しめている現状に気付け

 多分安くて大量に作れるとかそういう理由で定番化しているのだろうが、あんなライブ以外の何にも役に立たない、というかライブでも大して役に立たない、多少の耐水性が有るだけの腕輪に割く金があれば、普通の感性をしていればその金で飯でも食っているだろう。顧客をバカにするのも大概にしなさい。

 これを大量に買うのは決まって自分の持っている鞄、もしくは自室の壁かけラックみたいなやつをデコレートすることに心血を注ぐ変態か、輪投げ屋に輪投げを卸売りする業者のどちらかである。おおよそ普通の人間ではない。こんな奴らに割く予算があるならもっと実用的なものを作れ

 

 

 リストバンド

 上のラバーバンドと大体同じだが、オシャレだと思えばオシャレで付けることもあるのだろう、ということで許せない度は若干ラバーバンドよりは低い。洗濯も出来るし。要るかって言われると本当に要らないけど。

 僕自身が「腕に何かを付ける」ということが苦手なので余計に毛嫌いしているのは否めないが、それを差し引いたとしても買う気はなかなか起きない。ラバーバンドと比べても値段がだいぶ高くなりがちなのも結構しんどいポイントである。

 リストバンドだけいらすとやにイラストがなかった

 

 

 ステッカー

 貼らない。例えば僕が缶ペンケースを使っている学生の身分だったら嬉々として貼ったのだろうが、そういうのはもう卒業してしまったし、そもそも学生のころに缶ペンケースを使ったことが無い。あとは自分のPCやswitchなんかに貼るのも何となく気が引ける。

 何かのグッズを買ったら付いてくるとか、CDを購入したら追加で貰えるとか、そういうのはまだ良いと思う。良いと思うが結局使い道は無い。僕は本を買った時などにたまにもらえるポストカードやリーフレットなどの特典をなかなか捨てられない質なので、そういうのをクリアブックでひとまとめにしているのだが、CDを買った時になどにおまけで貰ったバンドのステッカー類も同じでやむなくそこにため込んでいる。すすんで買うこともまず無いが、貰ったら貰ったで捨てるに捨てられない。厄介な存在である。

 

 

 缶バッジ

 付けない。

 

 

 キーホルダー類

 ラバーホルダー、アクリルキーホルダー、キーチャームなど、とにかく何かにぶら下げる系のグッズ全般を指す。

 前は肯定派で、好きなアニメキャラのラバーストラップのガチャガチャにそれなりのお金を費やしたりとかもしていたのだが、結構頻繁に外れたり、わりとすぐにぼろぼろになったりすることも多いことが分かって否定派に変わった。所詮は針金以下の細さしかない金具かヒモなので、何かの拍子に外れてしまって気が付いたらどこかに落としていることが度々ある。

 自分が今使っているベッドのフレームがわりと細いものなので、そこに引っ掛ける形で飾ることは出来るものの、出来るだけである。一番くじを引いた際に狙っていた景品が出ずにもらえた実質参加賞のラバーストラップが、ベッドのフレームのスペースを埋め尽くしつつある。

 

 

 タオル

 悪くは無いが大きさが半端過ぎて実用性が無いことが多い。以前はちょくちょく買っていたが、買ったはいいが結局開封しない、なんてことが多々あって買うのを止めてしまった。運動する人とかはいいかもしれない。僕は運動しないのでいらない。

 多分あれは最前列の人が柵に掛けたり、首から下げたり写真を撮る際に掲げたりして、ステージ側やインターネットに自身の存在を誇示したりするための物体なのだろう。顕示欲タオル

 たまに曲中でタオルを振り回すことを強いて来るバンドもいるにはいるが、まあその時はタオルを振り回すふりで誤魔化すか、漢の仁王立ちでやり切るしかない。そもそもこれを振り回すことを煽る様なバンドのライブに行くことが無い。

 

 

 トートバッグ

 小泉進次郎とかいうおもしろ政治家による愚策の効果もあって、今日のこの国での実用性は◎だが、毎回ツアーでデザインを変えて出しなおされても別にそんなに沢山は要らない。トムとジェリー一番くじで引き当てた大きめのトートバッグをずっと使ってる俺が言うから間違いない。

 

 

 

 

 という感じで、結局いつも消去法で無難なTシャツを買うことに落ち着いているのだが、見ての通り、わたくしはなにより実用性を重視しているが故に、既存の定番グッズとの相性が極めて悪い。やはり物は買う以上何らかの形で使用することが愛であると、そう唱えたい。

 じゃあお前はどんなものを出せば満足するんだ、と問うたそこの貴方のために、僕が作って欲しいバンドグッズ案を下記に並べた。もうこれさえ出してくれれば買うよ、俺が買うよ、ああ買うともさ、のオンパレードである。億が一このブログを見ているバンドグッズ開発担当の方がいらっしゃったら是非参考にしていただきたい。参考にして頂いた際は、僭越ですが「愛の座敷牢というブログを読んでひらめいたのだが……」の一文からグッズの宣伝を開始して頂ければ幸いです。何卒

 

 

 

 ブックカバー

 ザ・筆頭株。これよ。メモ帳よりこっちよ。時代は。

 布製でもハードタイプのものでもグッドだが、個人的には書店チェーンで本を購入した際に無料で貰えるタイプの、自分で折って使う紙製のものが欲しい。文庫本は出版社によって若干縦のサイズが異なるので、サイズを統一されると微妙に入らなかったりするのだ。特にハヤカワとか露骨に背が高い。

 数年前、角川か小学館あたりがコミックフェアか何かで、コミック購入者に自分で折って使うタイプの紙製ブックカバーを特典として付けていたキャンペーンが有ったのだが、僕はそれがめちゃくちゃ好きだった思い出がある。僕以外にはあんまり人気が無かったのか、うちの近所の書店では最終的に「ご自由にお持ちください」の箱に無造作に置かれていたので、漫画を数冊購入するついてに大量に持ち帰った。今でも余っている。

 歌詞の文学性を売りにしているバンドはそこそこの数いるわりに、ブックカバーを出してくれるバンドはマジで少ない。というか見たことない。歌詞に薫る文学性を売りにするならブックカバーを出せ。というかブックカバーを出してから歌詞の文学性を売りにしろ。順序が逆

 言ってしまえば、メモ帳が大量に準備できるならブックカバーもいけるだろう、という浅はかな思考なのだが、比較的本を読む時間の多い身分としては、ブックカバーほど大量にあって困らないものも無いのだ。ライブツアーごとにデザインも変えてくれたらそれだけでライブの楽しみが増える。出来れば四六判も欲しいが、A6判だけでも十分にありがたい。

 あと欲を言うならブックカバーの袖の部分は白系の色にしてくれると助かる。読んでいる本に知らない熟語が出てきたときに、袖にメモする癖が有るので。丸善の白いブックカバーとかメモしやすくて好き。

 

 

 クッション・座布団類

 最近ヨルシカがグッズとして出していたが(受注生産とはいえ)マジでグッズの模範解答過ぎて震えた。実用性が有って可愛くて何個あっても特に困らない。しかもわりと安いし。ナブナは俺たちのことをよくわかり過ぎている。ナブナが考えたかどうかは知らない

 小さいころから、どうして田舎の家はどこも座布団がうず高く積み上げられているのだろう、もしかして自分が知らないだけで、座布団がたくさんあるほど偉いみたいな、そういう風習のがあるのか? と思っていたが、あれはきっと通なバンドのグッズだったのだろう。そう考えれば遊びにきたちびっ子の大きめのフリスビーと化していたあの存在にも納得がいく。

 それは冗談としても、クッションや座布団は本当に盲点だった。革命的とも言える。うわさによれば某箱庭バンドは「しょくぱんくん」とかいう、キモカワイイという極めて微妙な名声を得ただけの、サイコに片足突っ込んだ食物への冒涜のようなキャラクターのぬいぐるみを出して小遣い稼ぎをしているらしいが、もう本当にヨルシカの爪の垢を煎じて、いやもう煎じなくていい。そのまま丸呑みしてほしい。ここからインスピレーションを受ける形でも何でもいいので、大人しくしょくぱんくん座布団~人気のアイツを尻に敷け~とか出してほしい。ケツで踏んだらものすっごいブサイクになる感じで

 難点としてはまあ、ライブ前に座布団を買う! みたいな気持ちになるかと言われれば微妙なことくらいか。あと、ライブハウスでのライブで開演前に買ったとして、もしロッカーが開いてなかったりしたら座布団抱えながらライブを見ることになるのは割ときつい気もする。逆にホールツアーとかだったらそのまま座れて良いかもしれない。

 

 

 カトラリー・調理器具類

 ずっと前に「ぐでたま」という、やる気というものを一切感じられない黄色いキャラクターの一番くじが行われていたことがあった。当時そのキャラクターに何となく親近感を覚えていたわたくしは、あぶれた小銭の捨て場に困ったこともあって一度だけくじを引いた。結果、直立するタイプの黄色いしゃもじを貰ったのだが、7年近く経った今でもそのしゃもじを使ってご飯をよそっている。直立するしゃもじというのが想像以上に便利なのだ。しかし考えるとほんとうに一番くじばっかり引いてるな 一番くじの回し者か?

 人間が基本的に毎日食事をする生物である以上、実用性という一点だけに絞ればこれほどつよいグッズ群もそうはないだろう。

 鍋、フライパン、木べら、フライ返し、計量カップ、お玉などなど、調理器具というものは基本的に相当長持ちする。というかぶっちゃけ買い替えるタイミングが分からない。計量カップのメモリが消えかかった時くらいか。

 このグッズは毎日のお食事を好きなバンドと楽しめる、というポイントももちろんあるが、真の強みは無理なく同居人やお客様に布教が出来ることだろう。オシャレでかわいい鍋やフライパンを見てカワイイと瞳を輝かせ、いったいこのシャレオツなキッチン用品はどこのブランドのものなのか、と問うてくる客人を前に、無言でテレビを指さすあなた。そこには、超かっこいいライブパフォーマンスをするロックバンドの姿が!  客人はグッズとその音楽のギャップに惚れること間違いなし

 難点は毎回同じキッチン用品を出されると困ることくらいか。おたまや菜箸くらいならまだいいが、ツアーのたびに新しいフライパンが出るとだいぶキツイ。料理屋でもないのに、家に両手足の指で数えきれないほどのフライパンがある人間は間違いなく変態である。

 

 

 爪切り

 前にTHE KEBABSが出していたことでも有名な爪切り。発表された時はわりとマジで感動した。

 ネイルに命を懸けているおなごはいいとして、男はどれだけ爪が短いかで、その身体に秘めたモテ度を測定することが出来るとされる。モテの第一歩が爪を切ることであり、故に爪切りは確実なモテへと近づくためのキーアイテムと言える。出来る男は爪が、短い。僕がそうだから間違いない。

 真面目な話「家にあるものの中でよくその姿を見失うものランキング」みたいなものを作ったとして、1位がリモコン、2位が耳かきだとしても、3位くらいに爪切りが来ないだろうか。あの欲しいタイミングでバニシングする驚異的なステルス性能、爪が伸びた瞬間に部屋のどこかに身を隠す能力を有しているとしか思えない。

 この爪切り抹消問題を防ぐためには、単純だが爪切りを大量に用意するしかない。どこの引き出しを開けても爪切りを一つ仕込んでおくことで、我々は安定したモテ度を手に入れることが出来る。そう、前に紹介した調理器具類とは異なり、複数個買うことに明確な意味が有るのだ

 戸棚にもクローゼットにも洗面台の下にも靴箱にもキッチン横の収納にも、至る所に仕込まれた爪切りの数々。あっちにも爪切りこっちにも爪切り、爪、爪、爪to many女 傷 ロックバンドが爪切りをグッズとして出す事で救われる爪切り難民がいる。美しいですね この世は助け合いこそすべて というわけでご検討のほど宜しくお願いいたします。

 難点としてはまあ、THE KEBABSの例しかないから何とも言えないけど、高いことじゃないかな 僕はどうにも値段がネックで買わなかったので あと別に爪切ったってモテない

 

 

 靴下

 前にTHE KEBABSが出していたことでも有名な靴下。発表された時はわりとマジで感動した。

 まあこれもよく失くすので大量に欲しいのだ。本当によく失くす。洗濯のたびに失くす。それに気付かず左右別の靴下を履いて、家に帰るまで気付かないこともある。かばんうりのガラゴか?

 そしてまたタチの悪いことに新品を失くすのだ。「あ~これ穴空いちゃったな、捨てるか」ってやつはなぜかずっと残ってる。失くさない。我ながら本当に自分が憎い。こないだついに嫌になって、同じ靴下を大量に購入した。片方失くしても他で補う戦法である。

 なぜ靴下を失くすかと言えば、それはもう、大して愛着がないからである。身に付けるものの中でも一番といっていいほどに消耗品だろう。心のどこかでなくなっても別にどうでもいいと思っているが故に、同じ過ちを繰り返すのだ。まあ同じ財布をこれまでに10回以上落としたわたくしがこんなこと書いても何の説得力もないが

 だからこそのグッズである。愛するバンドのグッズであればそれはもう大事に使うだろう。足を入れるときも足の甲から踵までを塩水で入念に清め、神聖な布で丹念に水分をふき取り、二礼二拍手一礼のちに北東の方に向けて感謝の念を述べながら片足ずつゆっくりと履くに違いない。洗濯をする際も、紛失していないことを指差しで確認した後に、たらいと洗濯板で丁寧に手洗いするであろう。バンドの出した靴下を通して、僕らはものの大切さ、ものを大事に扱うことの大切さを知るのだ。道徳……

 

 難点という難点も無いが、強いて言うなら僕は昔買ったユニゾンのリストバンドはもうとっくに失くした。もうお前は買うな、何も

 

 

 スリッポン

 前にTHE KEBABSがサンダルを出していたが、似たような発想である。ケバブズもしかしてグッズのセンスがめちゃくちゃ良い?

 スリッポンというのは、要は靴紐とか金具が付いていないスニーカーのことである。足を滑らせるように履けることからこの名がついているらしく、その言葉通り履く際に一切のストレスを感じない。紐を結んだり金具で留めたり、ああいうのが一切ないのだ。僕はもうかれこれ10年近くこればかり履いている気がする。欠点という欠点が歩き続けると踵が痛くなることくらいしかない。

 僕はあまり好んで色んな靴を買うことがないので、一度買ったものを履き潰すギリギリまで履いてから買い替える習性が有るのだが、それでもスリッポンはいつでも何足か揃えているし、気分によって履き替えている。それがグッズになってくれれば嬉しいだろうということで挙げさせてもらった。

 難点はまあ間違いなく高いことだろう。僕がいつも買っているものが大体5000円くらいなことを考えても、その数倍は間違いなくかかるだろうから、おおよそグッズにかけるお金とは思えないほどの額が飛んでいくことは容易く想像できる。よほど欲しいデザインだったら買うだろうが、それでも相当ハードルは高い。

 

 

 

 

 というわけでいくつかグッズ案を出してみたが、まあ……

 どれも実用性はある程度高くとも、実現性となると厳しそうなものばかりになってしまった。

 

 バンドのグッズがどういう企画を経てどのような工程の末に製作されるかの根本を知らないので詳しいことは言えないものの、一つのグッズを作るのに想像以上に多くの労力が掛かっている事実が間違いなくあって、そこから儲けを出そうとするとそれなりに攻めた価格設定になってしまうのは仕方がない。とはいえあまりに高いと今度はファンが買えなくなってしまう。

 売りたいグッズと、実際に出せるグッズと、ファンの需要の最大公約数を求めた結果がきっと、ラバーバンドやキーホルダーのようなグッズなのだろう。安価で大量に作れる上にデザインのバリエーションも比較的容易に増やすことが出来て、ファンが大量に集めてもそれほど邪魔にならない。考えれば考えるほど素晴らしいグッズである。酷評していたアホの顔を拝んでみたいものだ

 結局、バンドのグッズに実用性やコスパを求めること自体がある意味ではナンセンスである。どうしても実用性とコスパが恋しいのであればダイソーにでも行った方がいい。ラバーバンドはお布施に対するささやかな返礼品である。実用性とか、そういうのは根本から度外視しているものだと割り切ることも大事なのだろう。ラバーバンド最高! みんなラバーバンド買え!

 

 

 

 

 

 

 まあそれはそれとして好きなバンドのデザインのブックカバーが欲しい。ラバーバンドは要らん

カバーソングと言えば 他

 ビンゴ記事である。前回はこちら。

 

 ビンゴ記事を2022年中に全部埋める、と宣言してもう15か月が経過しましたが、どういうお気持ちでしょうか? はい、聡明なる皆さんはもうお察しのことかと思いますが、わたくしがこのビンゴを終えるまでは2022年は終わらないし2023年は始まりません。 2022年17月、皆さんいかがお過ごしでしょうか

 

 こないだの領域展開の記事で久々にビンゴカードを見直して、改めてびっくりしたんだけどなんかまだ半分も消化してないらしい。体感で勝手にあと8個くらいかと思ってたら何かまだ15個くらいある。おかしい。お題って放置してたら勝手に子を為すのか? 去勢しろ去勢

 とはいえ嘆いていても仕方がないので粛々と書くしかない。とはいえ最近のビンゴ記事はなんかボリュームが膨大になってきた気もするので、ここらで少し舵取りを変える意味合いも込めて、ちょっと短めの回答を詰め合わせた。

 もう最近は長い記事とか流行らないんですよ。YouTube shortとtiktokで義務教育を履修するZ世代の向こう側のティーンズにモテるためには、端的に、スマートに、簡潔に、それでいてエキサイティングな記事を書かねばならない。映画やアニメを倍速で見て、文学作品を「コスパが悪い」と忌避するのはもう、今の時代では自然なこと 世にあふるる娯楽を高速で消費する俺もまた、娯楽として高速で消費されている

 というわけでちゃっちゃか片していきますぞ~以下本文

 

 

 

【カバーソングと言えば】

 

 というわけで一つ目のお題は「カバーソングといえば」

 

 拙者カバーソングというのに大変疎いんですけど、あれですか、ミスチルの桜井さんがbank bandsyrup16gのRebornをカバーしたやつの話しとかすればいいんですかね。でもあれは桜井和寿のような覇道を行く人間が歌う歌ではない。まだ西成でホームレスがカップ酒を傍に置きながらただのコード弾きで歌う方が、映える。

 あの奇想天外なお題ズの中では比較的まともな(失礼)お題だと認識してはいたものの、それはそれとして解答にはめっちゃ困る。基本的に本家本元大好きマンなので、カバーソングというものにきわめて疎い。世の中にはカバーソングの名曲が本当はたくさんあるのだろうが、考えてみれば僕は「Thank you, ROCK BANDS! 」以外で、カバーソングというものに触れてきたことが殆どなかった。

 

「歌ってみた」を除いて。

 

 そうだ、よくよく考えなくても「歌ってみた」はカバーじゃん! と気付いたのは、こないだおかゆんの記事を書いた時である。お題のハードルがストーンヘンジから小石になった瞬間だった。歌ってみたなら語りたいこと沢山あるぞ

 邦楽ロックに本格的にハマる前の僕の高校時代は、ボーカロイドとアニソン、そして「歌ってみた」で出来ていたといっても過言ではない。特に僕は歌ってみたを聴き漁ることに捧げた時間がかなり多かったと思う。一歩間違えれば自分が歌ってみたを出していた可能性すらある。インターネットに消えない傷を刻むところだった。本当に踏みとどまってよかった。

 

 ボカコレなどで大量に参加曲を聴いていていつも思うのだが、最近のボカロ曲はどの曲聴いても調声がわりとしっかりしている。おそらく合成音声ソフトそのもののクオリティの向上が大きいのだろう。それこそ僕の高校時代、だいたい10年前のボカロ曲は、人気曲でも原曲で聴くとわりと洒落にならないレベルで歌詞が聴きとれない曲も珍しくなく、歌ってみたで興味を持ったはいいものの、肝心の原曲を聴いて「あれ……?」となることも結構多かった。ミクやGUMIは当時から比較的聴きやすい方ではあったが、鏡音姉弟やルカなんかは、言葉を選ばずに言うなら結構ひどかった印象がある。

 そういう事情もあって当時は今以上にボカロ曲の原曲に触れる、埋もれている良曲を探すということがやりにくかったのだが、そんな聴きにくいボカロ曲を(声や歌い方の好き嫌いはあれど)人の声で出力してくれる「歌い手」という存在に、僕は本当にいろんな曲を教わった。当時は本当に批判が多かった界隈ではあるし、僕自身も気にくわない歌い手は何名かいたとはいえ、そういう部分まで含めて僕の音楽趣味に多大な影響を与えた文化である。

 今となっては「ボカロ曲をカバーする」という文化を含めて、当たり前に受け入れられる文化となったこの「歌ってみた」は、今日の邦楽の「カバーソング」というジャンルにおいて最も手軽に、身近に触れることの出来るものだと思う。そういった敬意のようなものも含めて、今回は厳選して3曲紹介させてもらう。

 

 

【童貞が】きらいな人【歌ってみた】

 

 

 この石風呂をはじめ、奏音69、n-buna、ぬゆり、バルーン、koyori、翁、烏屋茶房、ナナホシ管弦楽団、ラムネP、稲葉曇などなどなど、この「童貞が歌ってみた」でおなじみのびす氏で知ったボカロPがもう本当に多い。この人のカバーに人生を狂わされていると言っても過言ではない。僕の音楽趣味の方向性をあらゆる方向にぶん曲げた歌い手です。一番好き。

 長時間聴いていても耳の疲れない、気だるげで澄んだハイトーンボーカル。ボカロ特有の鬼のように詰め込まれた歌詞にも難なく対応する滑舌の良さ。この二点だけに絞ってもこの群雄割拠の歌い手界隈で綺羅星のように輝く魅力の持ち主なのだが、このびす氏の一番の魅力はもう何と言っても「原曲リスペクトが素晴らしい」に尽きる。余計なアレンジをしない、キーを変えない、雰囲気を過度に自分色に染めない、こういった曲に対するリスペクト、アプローチの仕方が抜群に上手い。

 上に挙げた「きらいな人」は彼の一番ノーマルな声質が出ている(と個人的に思っている)カバーということで挙げさせてもらったが、曲によってはデスボを披露したり、ケロケロ加工を強めに入れたり、女性のようなキーで歌ったりと、曲によって声の雰囲気からがらりと変えるその多彩なアプローチは毎回驚くほどに原曲に忠実であり、他のだれよりも「お手本」らしく聴こえる。僕はおもにカラオケで歌うための練習目的でびす氏のカバーを聴きまくった結果、他の歌い手の同じ曲のカバーが「解釈違い」っぽく聴こえてしまうように調教されてしまった。調教されてしまった、って成人男性が書くのキモいからやめた方がいい

 今や歌い手の垣根を超えたスターとなったそらる氏・まふまふ氏などとかつてしのぎを削っていた大ベテランであり、今から約10年前くらい、ニコニコ動画が今よりずっと活発だったころにはそこそこの頻度で歌ってみたを投稿されていたが、今はもう第一線を退いたのか、数か月~1年くらいの頻度で投稿されなくなってしまった。それでもLanndo(ぬゆり)のアルバムにボーカルとしてガッツリ参加していたり、Vの身体を手に入れたりと、近年も何だかんだ精力的に活動している。ちょっと前に出たKICK BACKのカバーも最高だった。

 

 

 彼のカバーでほんとうにいろんなボカロPを知ったし、何なら椿屋四重奏やFACTすら彼のカバーで知った。もうお世話になり過ぎである。下手なバンドより人生歪ませられてる。勘弁してほしい。昔はごくごくまれにライブをやっていたらしいが(じん・トーマ・ゆーまおという激ヤバメンツを引き連れてバンドやった際の感想レポとかがpixivにあるのビビる)いつか彼の生歌も聴いてみたい。

 

 


あのこどこのこ うたった【SymaG】

 

 

 ニコニコ動画で1000万回再生持ってる歌い手に説明なんていらんだろもう。義務教育ですこのおじいちゃんは。

 とにかくパワー! なんにせよパワー!! 技術も魅力もその基盤は圧倒的なパワー!!! と言わんばかりの”力”を感じる。基礎的な歌唱力も小技も滑舌も聴きとりやすさも何もかも、「歌」というものを構成する何もかもがどこを切っても異常なほどにハイレベルなのだが、それよりなにより歌と元来の声質そのものの持つパワーが圧倒的に高い。聴くものを有無を言わさず黙らせる、圧倒的な歌の攻撃力。

 故にロックなボカロ曲との相性がえげつなく、特にナナホシ管弦楽団なんかの楽曲を歌った時の氏は鬼に金棒という言葉すら生ぬるい。上で挙げた「あのこどこのこ」をはじめ「MISTAKE」「才能シュレッダー」「真夜中の微笑み」なんかはもう、氏に歌われるためにこの世に生まれたのか? と思ってしまうくらいにマッチしている。そういう相性の良さゆえにこのコンビは公私で仲まで良いらしく、楽曲提供したりサポートギターを弾いたり、最近はついにユニットまで組んでしまった。これまた超かっこいいのでぜひ

 

 

 この歌唱力もさることながら彼は本当にどこから見つけてきたのか分からない曲を歌うことも結構多く、彼のお陰で知ることが出来た楽曲も非常に多い。特に氏の歌みたで知った「猫にオレンジ」なんかは、初めて聴いて10年近く経った今でもよくカラオケで歌っている。ただ最近は、わりとメジャーどころを選んで歌ってる印象がある。ボカロ曲の増えるペースが近年あまりにえげつないので仕方のないところではあるが。

 彼は上のびす氏とは異なってメジャーデビューしており、コンスタントにアルバムをリリースしては定期的に全国を回っているので、生の歌を聴ける機会はわりと多い。とはいえ時間の都合がなかなか合わず、まだ実際に行ったことはないので、機会があったら行ってみたい。

 

 

p.h. / 猫又おかゆ(cover)

 

 

 ああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~か~~~~~わ~~~~い~~~~い~~~~~~~~のうがとける~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~WOOOOOOOOOOOOOOOOOOO~~~~~~~~~~~~

 

 

 というわけで、3曲を紹介した。

 今でこそロックバンドに現を抜かし、ギターロック、オルタナティブロックこそ正義と言わんばかりにいろいろ手を出しては騒いでいる僕だが、その音楽の嗜好の根幹部分にボーカロイドとこの「歌ってみた」という文化があり、それは今でも揺らぐことなく、自分の指針を定める大事な基盤として今でも存在している。

「歌ってみた」はニコニコ動画、そしてボーカロイドというコンテンツの有するある種のゆるさ、色んな方面からカルチャーを作っていくという土壌が生み出した文化であり、そしてきっとそれはこれから先も変わることは無い。これから先もこの「歌ってみた」である種の衝撃的な出会いを果たして、音楽にのめり込んでいく未来のとんでもねえ才能とかいるんだろう。きっと。あの米津玄師もおもしろフラッシュ倉庫がきっかけで音楽にのめり込んだらしいし。今までもこれからも、インターネットはおもしろい。

 

 

 

 

 

【アイドルに名曲は存在するのか】

 

 

 物議を醸すようなお題である。問い方よ。

 

 するだろ! と言語道断にしたいところではあるのだが、まあ気持ちは分からないでもない。僕もだが、多分ナツさんもアイドルにハマる、というのがこれまでの人生でなかったのではないのでしょうか

 

 というのも、年齢こそ少し違えど僕もナツさんも年代的に、AKB48というアイドルグループが当時、かなり賛否の分かれる商法でオリコンチャートを席巻し、オリコンランキング、レコード大賞などといった、それまで指標として機能していたものへの信頼性・評価の正当性を問われるようになった時代に多感な時期を過ごしているため、アイドルという存在に対してあまりいい印象を抱けなかったのもあるとは思う。おおよそ10年ほど前の嵐とAKB48しか年間のアルバム売上ランキングTOP10に名が載らなかった時代である。あの時は本当にJ-POPに対して一切の希望が無かった。マジで。

 

 だからまあアイドルソング、というものに名曲が有るかと問われると結構難しいんじゃないかなあ、みたいな思いはある。きっとあるのだろうが、個人的に思い当たらない。みたいな。

 いやいや待ってくれよ今はあの我らが田淵智也氏が音楽をプロデュースしてる「DIALOGUE+」とかあるじゃん、そう思う気持ちも分かる。ただ僕に限って言えば、あれはアイドルとしてというよりは、田淵智也という才能の出力先の一個として認識している部分がある。なので彼女らの楽曲が好きというよりは、彼女らの向こう側に透けている田淵智也が好きといっていい。現に僕は、DIALOGUE+のメンバーの名前を誰も知らないし、この先ライブに行く気も全くない。

 

 他にも例えばでんぱ組.inc「Q」はwowakaおよびヒトリエが、私立恵比寿中学の「宇宙は砂時計」はキタニタツヤと笹川真生が関わっているから聴いたにすぎず、僕がアイドルの曲で「名曲」だと感じているのは結局その向こう側の制作者に興味があるだけで、それは果たして「アイドルの名曲」として聴いているのか、と問われると微妙なところがある。

 

「アイドルの名曲」として捉えたいのであれば、そのアイドルをちゃんと好きにならねばならない、みたいな思いがある。例え聴きどころも無ければ歌詞も極めて凡庸なしょうもない曲でも、ファンとアイドルが双方の関係性を深めていくなかで、少しずつ名曲に仕上げていくことがアイドルの音楽との向き合い方なのかもしれない。マジで失礼なことしか言わない

 という事情もあって、今回はそういう「作曲者が切っ掛けで聴いた」というのを無視して、単純にいい曲だな~と思ったアイドルの曲を3曲ピックアップさせていただいた。本当にアイドルというものに詳しくなくて申し訳ない。

 

 

くるかな/Especia

 

 

 今からおおよそ10年前に存在したアイドルグループEspeciaから一曲。インターネット・アンダーグラウンドの煮凝りのような音楽ジャンルである、Vaporwaveのエッセンスをふんだんに取り入れたサウンドが魅力的な一曲である。

 Vaporwaveというのは既存の音楽を切ったり貼ったり伸ばしたりピッチをブレブレにしたりとんでもなくスローテンポにしたりと、原曲の原形が分からなくなるほどにドロドロに加工した、文字通り蒸気、靄の中に包まれたようなサウンドと、石像やタイル、旧世代型PC、チラシ、プレステなどといった謎オブジェクトによる謎アートワーク、そしてかつて存在した伝説的な翻訳サイト、エキサイト翻訳にぶち込んだかのような、日本語と英語が入り混じった奇妙な曲名が特徴の音楽ジャンルである。

 真面目に耳を澄ましてもよく分からない、のに作業用で垂れ流すと気を取られがち、「何なの?」と問われても全体像すら曖昧で、曲によっては作者すら分からないなんてこともザラにある。とにかくインターネットの卑屈な部分、アンダーグラウンドな部分の空気感をそのままパッケージングしたような、郷愁、哀願、悲観、憂鬱。そういうのが好きな人間の、心の柔らかい部分にぶっ刺さる音楽と言える。僕は好きすぎてこないだとうとうディスクガイドブックを買った。最近はこのガイドブック片手にVaporwaveをひたすらに漁る妖怪と化している。

 

 

 僕がこの音楽ジャンルを知った時に、ネットサーフィンをしていてたどり着いたのがこの「Especia」である。メンバーの名前も何も知らなかったし、今でも1枚のアルバムとYouTube上に残された楽曲以外何も知らないが、それでもこの浮遊感と、何も分からないのになぜか強烈なノスタルジーをもたらす謎MVが恋しくなって、ときどきこの「くるかな」の再生ボタンを押している。本当に、それだけである。

 ぶっちゃけて言えばこの曲のどこにVaporwave要素が含まれているのかと言われると正確には分からないのだが、雰囲気的に似たような感じなのは分かる。愛の座敷牢はこの程度の音楽的知識てやっております。いい曲だよ、聴きな

 

 

広告の街/sora tob sakana

 

 

 今となってはハイスイノナサもsiraphも聴いてしまったので、今回のピックアップの条件に当てはまるかと言われればちょっと微妙な感じはするが、知った順番で言えば(多分)sora tob sakanaハイスイノナサ→siraph→照井順政なので許してほしい。知った切っ掛けはとある方のブログ記事だったのだが、今そのブログを検索したら非公開になっていた。こういうのは寂しい。

 これはもう聴けばわかる。こういうのが好きな奴にしか聴かせる気の無い音楽である。こういう音楽をアイドルがやっていて、しかも売れていたのが本当に良い。この国に希望が持てる。どうやって鳴らしているのか分からない変幻自在のギターサウンドと、当たり前のように変拍子。その間をきらきらと跳ね回るピアノの美しさ。インストだけであまりにもカッコいいのに、そこに乗っかる歌メロとボーカルの声の調和が素晴らしい。あくまでこの鬼のような演奏は彩りという贅沢さ。

 隔絶された位相にあるような、触れることの叶わない「美」が、アイドルという存在を通して、触れられる位置にあるような錯覚に陥りそうになる。アイドルというのはそういうイデア的なものを可視化する力があるのかもしれない。それっぽいこと言えば誤魔化せるかと思ったけどダメだな すいません 曲が好きです。他なんも知らん 

 惜しくも2020年に解散してしまったが、思えば僕はメンバーの名前もろくに知らないまま好きになっていた。よく考えたらバンドに関しても、ろくにバンドメンバーの名前すら覚えないまま好きになって、そのまま解散か活動休止まで追い続けていることも多い気がする。音楽を娯楽として聞く以上、それ以外の情報はある意味野暮なのかもしれない。

 

 いやアイドルは名前覚えて応援してナンボだろと思った貴方、正解です こういう低品質なchat GPTで生成したような文章に騙されてはいけない。

 

 

 

琥珀糖/猫又おかゆ

 

 

 神山 羊ッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!おまえは天才だ!!!!!!!おかゆ!!!!!!!!!!!!!!!!お前も天才だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!お前がThe cutest in the world!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!フォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 というわけで三曲紹介した。アイドルの好き曲紹介というよりはというよりは自分の癖の開示な気がしてならない。今日も無駄に元気なあけっぴろげ28歳

 これ書いていて思ったが、未だに僕は地下含めてアイドルのライブというものに行ったことがない。ライブというよりは「コンサート」になるのか?

 大昔にBIGBANGのライブに行ったことはあるが、国産の、オーソドックスなアイドルは全くないんだな、と思った。というかよくよく考えたらバンド・シンガーソングライター含めて、女性ボーカルのライブに行った回数がめちゃくちゃ少ない。強いて言うならパスピエとlicalくらいである。自分でも気づかなかった意外な事実。

 今年か来年か、どっかで一回爆音の女性ボーカルを浴びたい なんか良いアイドルでも探すか……

 

 

 

 というわけで、今回は二つのお題について回答した。まあ、無難に書きました。

 

 とても、無難に……

 

 無難に……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無難に終わるのもなんか癪なのでもう一個いくか

 

 

 

 

【この漫画のイメージソングはこれだ】

 

 突然ですがみなさん、あのおもしろサッカーアニメ、ブルーロックの主題歌は? 

 そう「カオスが極まる」ですね

 

 

 こないだリリースされたばかりの新アルバム「Ninth peel」にも収録され、今となってはもうユニゾンのカオティック枠として定着しつつある爆裂激ヤバロックナンバー。その疾走感と強烈なサウンドもさることながら、なによりサビの「ヤバすぎんだろ」というあまりにもテニプリっぽさのあるキャッチーなフレーズは、ユニゾンファンのみならずブルーロック界隈でも汎用性の高いワードとして定着しているらしく、Twitterやネットの掲示板などを見てると、結構な頻度で「○○すぎんだろ」という言葉を見かける。そういう意味でも改めて田淵氏のワードセンスの高さを思い知らされる楽曲である。

 この「カオスが極まる」は、今や空前絶後の大ヒットをぶっ放している鬼メンタルサッカー漫画ことブルーロックと、切っても切り離せない楽曲となったことは想像に難くない。ブルーロックといえばカオスが極まる。カオスが極まると言えばブルーロック。疑う余地もない。これぞ主題歌である。

 

 では、ブルーロックの「イメージソング」は?

 

 ナツさんが「まだアニメ化していない漫画の主題歌となる曲」という解釈でこのお題を書かれたのならこれから先の文章は正直ズレたものとなる気がしてならないのだが、もうこの際ご了承願いたい。俺はもうスキマスイッチの「ゴールデンタイムラバー」があまりにブルーロックにぴったり過ぎるって話をしたくてしょうがない。

 

 

 確信を持って言えるんですけど、この曲は10年以上前に、存在しないサッカー漫画に向けて作られたイメージソングです。そうとしか思えない。なんかハガレンの主題歌だった過去もあるらしいけど関係ない。そんなん知らん

 

 

 これまでUNISON SQUARE GARDENは本当にいろんな作品とタイアップをしてきたが、本当に初めてタイアップ先の作品にハマった気がする。夜桜四重奏血界戦線については一通り読んだものの、結局タイバニも三月のライオンもボールルームへようこそも、風が強く吹いているもろくに嗜まなかったが、ブルーロックは原作を全巻買うほどにハマった。絵が見やすくて上手くてストーリーがアホでも分かるほどに明快なのが本当に強い。コミックスの発売を楽しみにしながら生きている。

 アニメも漫画も見ていない人向けにブルーロックという漫画を簡単に説明すると、日本の弱小サッカーを憂いたサイコパスメガネが、どこか山の奥地にあるバカデカい閉鎖空間に集められた全国の高校生フォワード300人を集めて理不尽かつ過酷な篩にかけ、たった1人の最強フォワードを創り出すという、サッカーとデスゲームを掛け合わせたような設定のスポーツ漫画である。

ボールは友達」や「仲間のために頑張る」などといった、従来の少年スポーツ漫画では当たり前に踏襲されていた意識を真っ向から踏みつぶし、日本人選手に足りない「エゴイズム」をどこまでも重視するストーリー展開を構築することで、その作風によって個々のキャラの個性を際立たせた結果、サッカー漫画でありがちな「登場人物が多すぎて活かしきれない」という問題点を克服している点は画期的である。

 顔とサッカーの技量が良いけど他が全部だめ、みたいな登場人物がゴロゴロ出てくるのでいちいちワードチョイスが強かったり、サッカーのメンタル面や思考法に関する描写が多かったりと、どことなく自己啓発っぽい感じがするのも特徴である。読むと自分が強くなった気になれるサッカー漫画。あとあれだ、漢字にものすごい読み仮名を振りがち。

 そんなおもしろ読み仮名サッカー漫画、ブルーロックのイメージソングとして名高い「ゴールデンタイムラバー」だが、開口一番の

 

集中できてないな まだ身体が迷っているんだ

震えてたんだ コントロールしたってブレるんだ

 

 ここは入寮テストで他人にボールを当てようとしても上手くいかない潔世一(主人公)の姿が重なるし

 

状況は悪いがただ逃げだすんじゃ根性ないなぁ

展望はないが 度胸でクリアするしかないや

 

 ここは一次選考の「VSチームX戦」でどうしようもないほどに点差を付けられても、一矢報いようと奮い立つ潔世一蜂楽廻(潔の良き理解者。かわいい)の姿が重なる。

 

衝動は抑えたままターゲットとの間隔探れ

必要なもんは勝つプライド

 

 ここはパズル化(潔が成長するときに出てくる演出。身体がキャプテン・ミリオンパーツみたいになる)して思考を巡らせる潔世一を彷彿とさせるフレーズで

 

味わうのは勝利の美酒か

それとも敗北の苦汁か

そう全ては2つに1つ 操りたい運命の糸

 

 ここはどう考えても第一話、埼玉県大会決勝で勝利した松風黒王高校と、負けた一難高校(潔が通っている高校)の対比であり、その後のフレーズは「青い監獄」参加を決めて走り出す潔の姿とシンクロしている。

 

絶好のゴールデンタイム この手で掴め

渾身のポーカーフェイス 決めて仕掛けるよ

 

 ここは一次選考の「VSチームY戦」で、残り一分で総反撃を行うチームYの頭脳、二子一揮そのものと言っても過言ではない。

 

際限ないプレッシャーゲーム するりと抜けて

栄光のボーダーライン 飛び越えるために

ハウメニー? どれくらいの代償が要る?

手放したくないもんはどれ?

 

 ここは一次選考の「VSチームV戦」にて、チームメイトの制止を振り切って「自分のゴールで勝ちたい」のエゴを爆発させ、自分の有していた必殺技「直撃蹴弾」を開花させる潔の姿と完全にマッチする。

 

 

 1サビに行くまででこれだからもう大変である。その後もすべてのフレーズがブルーロックとドンピシャ。もはや原作の金城宗幸氏が、この曲が似合うサッカー漫画を作りたいと考えて設定とプロットを作り込んだとしか思えない。もちろんそんなことは一切無いんだけど、10年以上前に作られた楽曲が、今この時代にスポーツ漫画の最先端を走っている漫画と奇跡的なシンクロをしている。この事実がめちゃくちゃ気持ちいい。アツい。

 過去にKing Gnuの「壇上」の歌詞を読んだ際「宝石の国のフォスフォフィライトのイメージソングとしか思えない」と反射的に思った時もそうだが、ある創作作品、或いはその登場人物とドンピシャに重なるイメージソングを見いだせた時の快感というか、その曲への愛着の湧き方というか、あの感情はわりと何物にも代えがたい気がする。最近はキタニタツヤの「デッドウェイト」が、呪術廻戦の夏油傑のイメージソングのように思えてちょっとびっくりした。タイアップおめでとう! 青のすみかたのしみ!

 

 僕にとってブルーロックのイメージソングは「ゴールデンタイムラバー」だが、他にもいろんな解釈があっていい。むしろ知りたい。おまえのブルーロックの解釈を。良いのがあったらこっそり教えてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 猫又おかゆのイメージソング

 

 

 首輪を!!!!!!!!!!!付けるのは!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!他の誰でもねえ!!!!!!!!!!俺だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!何卒宜しくお願い致します!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ンアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!